第4話「金の谷では足元注意」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
旧番所を出てしばらくすると、道は細くなった。
右は木の茂った斜面。左は乾いた排水溝。その間を、大人が二人並べるくらいの道が続いている。
京介とまいは少し前を、シェリルとマリアは少し後ろを歩いた。
まいが少し速度を上げるたび、京介も大股になった。シェリルの靴音が遠のくと、どちらからともなく歩調を戻した。
まいが先に足を止めた。
「変ね」
「何が?」
「あの草。踏まれたところだけ、枝が起きてる」
道の先に、細い木の枝が横たわっていた。ひと目では、ただの落ち枝だ。
まいは近づかず、角度を変えて眺める。
「ひもがある。足を引っかけるつもりよ」
京介もしゃがんだ。
斜めの光を受け、細い線が一瞬だけ見えた。道の端から端へ張られ、その先は茂みへ入っている。
「誰かの妨害か」
「たぶんね。上の枝にも何か掛かってる」
京介は荷を置いた。
ひもの向こうには長い木片が見える。茂みを抜けようにも、斜面にはいくつもの足跡があり、ほかに何があるか分からなかった。
「オレが見る。みんな、後ろへ」
土の色と同じひもは、見る位置によってすぐ消える。まず全体が見えたほうがいい。
腰の袋へ触れる。
今朝の夜明けに、能力の回数は三回分へ戻っている。
「ちょっと、何する気?」
「風か明かりが出れば、線を探せる」
「出れば、ね。昨日は横へ吹っ飛びかけたくせに」
腰の袋にかけた指が止まった。まいは昨日のことを、勝負の話をするときより低い声で言った。
京介は荷物を下げ、三人を道の曲がり角まで戻した。平たい石の両側に足を置く。今度は、自分の足が着く場所を先に決めた。
二つのサイコロを投げる。
一と二。
「三か!」
白い粉が、足元から、ぽんと噴き上がった。
京介は目を閉じ、顔をそむけた。
三秒で粉は止まったが、静まった空気の中を、白い粒がふわふわ落ちる。
頭も、肩も、ブーツも、すっかり粉まみれだった。
まいが口を押さえた。
「雪山から来た人みたい」
「笑うな! ほら、ひもが見える!」
白い粉は細い線にも付いていた。
道を横切ったひもは、枝の上で折れ、葉で隠した籠につながっている。その中には、枯れ葉と軽い木片が詰まっていた。
木片の一本が、籠の縁から外へ突き出していた。落ちれば目の高さを通るそれを、京介はつまんで抜いた。
まいは風上から近づき、長い枝で線を押さえた。京介はサイコロを二つ拾って袋にしまい、籠をゆっくり下ろす。
中身の底に、紙が入っていた。
『通行料は、驚いた顔でお支払いください』
その下に、妙に大きな羽根帽子の絵。
「サタンジョたちだな」
「似顔絵だけ、分かりやすくて助かるわね」
京介は仕掛けを道の脇へ寄せた。ひもはまとめ、誰も引っかからない場所へ置く。
まいが扇子で粉を払い、シェリルは濡らした布を差し出した。
マリアが、京介の頭を見て言う。
「白くても、覚えている」
「そこは普通に忘れるな!」
濡れ布で拭いた顔を、汗がもう一度流れた。罠を外した間に、山の陰が道の半分まで伸びている。
京介は籠を蹴りそうになって足を戻した。ズボンからまた白い粉が落ちた。
「追いついたら、片づけ賃を取ってやる」
「あたしの分もね」
まいの肩にも、粉がついていた。
*
罠の持ち主は、その先の広場にいた。
道の分かれ目に古い日よけがあり、下に板張りの小さな台が置かれている。サタンジョがその上へ、金色の石を並べていた。
『金の谷への案内図。本日のみ特別価格』
台の隅には売り上げらしい銅貨が積まれていた。プレスケはそれを指でそろえ、上着の内側へ滑らせた。
京介は看板と地形図を見比べた。この近くに谷は二つある。どちらも知っていたが、金が出るとは聞いたことがなかった。
「ずいぶん白くなりましたねえ、参加者さん」
プレスケが、何も知らない顔で言った。
「さっきの仕掛け、片づけたぞ。木片を目に食らうところだった」
「それは、ご丁寧に……いえ、何のお話でしょう」
丸眼鏡の奥の目が、少しだけ泳いだ。
「びっくりすれば、足を止めるでしょう? 商売は、まずお客を集めなくちゃ」
サタンジョは台の石の向きを直した。京介の顔より、よく光る角度のほうを気にしている。
「帰り道に同じのがあったら、係を呼ぶからな」
「ずいぶん愛想のないお客ね」
「客になるかも、まだ決めてない」
まいは看板より、台の上の石を見ていた。
昨日のガラスの露店とは違い、口元は笑っていなかった。
「その石、持って見てもいい?」
「あたくしが案内するのは、選ばれた者だけが――」
サタンジョが胸を張る。
「持って見ていいのかって、聞いたんだけど」
まいは一歩進んだ。
ロクシロウが、石の台へひょいと布を掛ける。
「アネゴ、こっち、まだ裏を塗って――」
「ロクシロウ!」
サタンジョの声に、京介は顔を上げた。
まいは、もう動いていた。
道具袋から赤い布を広げ、台の脇の細い通路へ敷く。その上に、小さなまきびしをぱらりと置いた。
先端は丸く処理されていたが、厚底でも踏めば痛い足止め用だ。道具袋の検査印が揺れた。
「そこを通って逃げるつもりなら、足元に気をつけて」
「誰が逃げるのよ!」
「だったら、石を見せて」
まいは台の正面へ回った。
シェリルとマリアには、布の外を通るよう短く言った。サタンジョがまいをにらみつける。
京介は、赤い布をじっと見た。
予知を聞いてから、まだ一時間もたっていない。
「まい」
「何?」
「オレは、そこに乗らないからな」
「乗らなきゃいいでしょ。あんたのために敷いたんじゃないんだから」
まいはミエールくんを巻いた。
石の表面を覗き、やがて、ふん、と鼻を鳴らす。
「塗った跡だらけ。谷から掘ったばかりの自然の金が、どうして刷毛で仕上げてあるのかしら」
「美しさには、ひと手間が必要でして」
プレスケが言った。
京介は地形図を広げる。
「金の谷っていうなら、場所はどこだ? ここから東の谷は、雨水が集まるだけの浅い溝だぞ。西は――」
そのとき、木々の間から風が吹き抜けた。
粉を払うためにゆるめていた地図の端が、指をすり抜ける。
「あっ!」
紙はひらりと浮いた。
日よけの支えにぶつかり、赤い布の向こうへ落ちていく。その先は、細い排水溝。底には、朝の雨の名残が流れていた。
何度も歩いて書き足した地形図が、水へ向かって落ちる。京介は考えるより先に手を伸ばした。
つま先が、赤い布へ着く。
ぐに、と靴底が持ち上がった。
「いだっ!」
片足を跳ね上げる。
もう片方にも、こつん。
「こっちもかっ!」
地図はつかんだ。端が水を吸って重くなっている。引き上げる代わりに、二本の足の置き場所を失った。
右へ跳ね、左へ跳ね、赤い布の上で、実に落ち着きのない踊りが始まった。
転ばないために伸ばした手が、石の台の端をつかむ。
古い台板が、かたんと傾いた。
金色の石が、ころころと転がる。
裏を向いた石は、どれも、まったく普通の灰色だった。
「あ」
ロクシロウが言った。
まいは、一瞬だけ京介の足元を見た。
次の瞬間、ぱちんと両手を打ち合わせる。
「お見事! 金の石が、ただの石に変わる大仕掛け!」
ぱち、ぱち、ぱち。
芝居がかった、大きな拍手だった。
「見てた? みんな。『金の谷』は、こういう見世物だったみたいね!」
分かれ道にいた参加者たちが、いっせいに台の上を覗き込んだ。
「色を塗った石か」
「さっき、買っていった人がいたぞ」
笑い声に混じって、低い声が上がった。プレスケが帽子を胸へ当て、台と客の間へ入る。
「皆さん、あくまで夢のある見取り図と申しますか、現地の状況を保証するものでは――」
「看板には、金の谷って書いてあるわよ」
まいが扇子で看板をたたいた。乾いた音がした。
サタンジョの口が、開いたまま止まった。
京介は布の外へ跳び出し、片足立ちになった。
「面白がってないで、これ取ってくれ!」
「はいはい。動かないで」
まいがしゃがみ、ブーツの厚い溝に挟まったまきびしを外す。京介は足を地面に戻し、そろそろと体重をかけた。まいは支えようとした手を引っこめた。
「三時間後までに」
マリアが、少し離れた場所から言った。
「赤い布の上。京介が足を跳ねて、まいが拍手」
京介は、空を見た。
旧番所で聞いた短い言葉が、いまさら腹に落ちた。分かっていても、地図が飛んだ瞬間には足が出た。そのことが、笑い声より長く背中に残った。
「次は、もっと足の痛くない未来を頼む!」
「それは、わたしには選べない」
マリアの返事は、たいへん正確だった。
サタンジョは咳払いをし、看板をひっくり返した。
「本日の実演は、ここまでよ!」
「待ってくれ」
案内図を握った男が、分かれ道を戻ってきた。息を弾ませ、空の水筒を振る。
「あの先、崩れてるじゃないか。谷へなんか下りられない。水の出る場所も、書いてあったところにないぞ」
「それは、自然というものは日々――」
「今日歩ける時間は、限られてるんだ。北の森まで行くつもりだったのに」
言いかけたプレスケの唇が閉じた。
連れの一人も、汗でくっついた前髪の下からサタンジョを見ていた。
「金を返してくれ」
客たちが台の前を囲んだ。サタンジョは出口を探し、まだ赤い布が広がっているのを見て、口を曲げた。
「……プレスケ」
「サタンジョ様。ですが、機械の部品代が」
「返して」
ロクシロウは金色の石をつかみ、下へ放ろうとしてやめた。そっと地面へ置くと、客の顔を見ないまま道具を集め始める。
プレスケがしぶしぶ銅貨を出した。買ったひとは受け取った金を数えても、礼を言わなかった。
「これで、なくした時間も戻るといいけどな」
京介は二人に、水場のある本来の道を示した。休憩所までの分を、シェリルとマリアが自分の水筒から少しずつ分けた。もう金の石を見ようとする客はいない。
サタンジョは、自分で裏返した看板を見つめていた。
まいが、布の上のまきびしをひとつずつ拾う。京介もかがみ、台の脚のそばへ転がった一つを取った。
「さっきの拍手、ものすごく楽しそうだったな」
「半分は本気。半分は、こいつらを逃がしたくなかったの」
「どっちの半分を聞いても、足が痛いんだけど」
まいは言い返さず、受け取ったまきびしを袋のいちばん奥へ押しこんだ。
京介は地形図の水気を袖で拭き、留めひもを二重にした。水の染みが、西の谷の輪郭にかかっていた。帰ったら、そこだけ書き直さなければならなかった。
*
北の森が近づくころ、空の色は少し黄色くなっていた。
京介の足はもう痛まなかったが、まいは時折、歩幅をちらりと見ていた。
「平気だって」
「聞いてないわよ」
「見てるだろ」
「明日、あたしに負けた言い訳にしないでよね」
「しない!」
そんなやり取りの後ろで、シェリルが小さく笑った。
道の先に、北の休憩所の旗が見えてきた。ここから先のジャングルを進む参加者のため、王の係が水と食糧を運びこんでいる。
旗の手前に、緩い坂があった。
その途中で、補給の荷車が止まっていた。
大きな車輪の片側が、雨でえぐられた路肩へ落ちている。積まれた水樽は縄で留められていたが、車体全体が斜めだった。
「近づかないでください!」
大会係が両手を広げる。
「今、荷を下ろしますから。通る方は、反対側を――」
車輪の下で、土がぱらぱら崩れた。
車体が、さらに傾く。
下ろしかけた樽を抱えた係が、動けなくなった。
京介は荷袋を置き、走った。
「樽は置け! そっちの高い側に!」
係が樽を戻す。車体の傾きが、一度だけ止まった。
京介は近くの平たい石を拾い、車輪の進む先へ差しこもうとした。しかし、落ちた車輪は土に食いこみ、石を入れる隙間がない。
まいが反対側から支えたが、水樽を積んだ荷車は重かった。
「縄で引くにしても、先に傾きを止めないと!」
「分かってる!」
土の割れ目が、車輪の外へ広がっていく。
「全員、白い石のある側へ! 土の色が濃いところには乗るな!」
シェリルが、本をマリアへ差し出した。
「少しだけ、お願いします」
マリアはすぐ本を受け取った。
シェリルはローブの裾を留め具に掛け、硬い地面を選んで荷車のそばへしゃがむ。
「シェリル、そこは重いぞ!」
「はい。なので、長くは持てません」
彼女は車体の丈夫な横木へ両手をかけた。
小さく、息を吸う。
「ザ・マッスル」
大きな肩のあるローブの下で、腕の形が少し変わった。
細かった手首と、横木を握る指に、迷いのない強さが宿った。
荷車が、持ち上がった。
ほんの少し。
しかし、水を積んだ車体が、たしかに水平へ戻っていく。
京介は、一瞬だけ口を開けた。
まいも、開けた。
「……京介さん、石を」
「分かった!」
驚くのは後だった。
京介は車輪の下へ石を差し入れた。荷が少し戻った途端、石の下から濡れた土が押し出された。
車輪が、親指の幅だけ沈む。
「下ろさないで!」
まいが叫んだ。シェリルの靴が鳴った。持ち上がりかけた踵を、硬い地面へ押し戻している。
京介は石を引き抜き、もっと奥へ据え直した。指の横を土が崩れた。車輪の向こうにシェリルの両手が見える。握った指は白く、腕は微かに震えていた。
「あと、八呼吸」
さっきより短い声だった。
京介は板を求めて振り向いた。係が荷台の仕切りを外している。まいが受け取って差し出したそれを、京介は石の上へ滑らせた。
マリアが本を道端の石へ置き、樽の縄を引く。係もその隣へ回った。二人の体が傾き、車輪の縁が板に重なる。
「下ろせ!」
シェリルが、息を吐いた。
板がきしんだ。車輪がわずかに回り、板の中央で止まった。誰もすぐには手を離さなかった。京介の肩の上で、樽の中の水が大きく揺れた。
シェリルは手を離し、膝へ両手をついた。
呼吸が早い。
ローブの背が、せわしなく上下する。京介はすぐに手を伸ばしたが、シェリルは自分の膝をつかんだまま顔を上げなかった。
「座れるか?」
「はい。少し、休めば……」
まいが日陰に敷き布を広げた。
今度は青い布だった。京介は、少しだけ安心した。
シェリルが腰を下ろすと、マリアは預かった本を隣へ置いた。差し出された水筒を、シェリルが両手で受け取る。まだ指が震えていて、蓋をひとりでは回せなかった。
まいが無言で蓋を外す。シェリルは小さく頭を下げた。
「二十呼吸くらいしか、続かないんです。最後、もう……」
唇をなめ、浅く息を吸う。
「持たないかと、思いました」
京介は車輪の下を見た。木の板には、くっきりと輪の跡がついている。あの板を渡すのが、あと少し遅かったら。背中の汗が、急に冷たくなった。
「すごい力だったな。魔法使いなのに、あんな――」
シェリルの肩が動いた。
京介は、言葉を止めた。
「はい。魔法使いです」
疲れでかすれた声は、それでもはっきりしていた。シェリルは水筒を膝へ下ろし、胸の本を引き寄せた。腕を隠すように、ローブの袖口を押さえる。
「そういう意味じゃ……悪かった」
言い直そうとすると、もっと悪い言葉が出そうだった。京介は口を閉じた。さっきまでなかった距離が、青い布の縁にできていた。
大会係が休憩所から応援を呼んできた。水樽を下ろせば、荷車を硬い道へ引き戻せるらしい。
京介は立ち上がった。まいも荷台へ回る。シェリルが本を置きかけたので、マリアはその隣に腰を下ろした。
「ここから見ていて。車輪が動いたら教えて」
シェリルは少しためらい、本を膝に置き直した。
荷下ろしが済むころには、日よけの影が坂を横切っていた。京介は最後の樽を運び、係から乾いた布を受け取る。
「あちらの道を見て回る組は、もう出ました。戻ったら、明日の川の様子を掲示します」
休憩所から川までを、明るいうちに見に行く人たちがいたのだ。京介は坂の上を見た。追いかけるには遅かった。
係が差し出したパンを受け取る。空腹で、指が少し落ち着かない。
「本当に、ありがとうございました」
その声に顔を上げ、京介は頷いた。礼を言われて嬉しい気持ちと、行きたかった気持ちが、喉の同じ場所につかえていた。
*
北の休憩所は、森に接した開けた土地にあった。
簡単な屋根と水場、火を使っていい囲い。泊まる参加者は、自分の寝具を広げる。火の番と見回りは大会係が交代で行うことになっていた。
京介は水筒をいっぱいにし、明日の朝に食べる分だけ袋の口へ分けた。今日のうちに川を見たひとが帰ってきて、濡れた靴を並べている。その中に、青糸の革帽子が二つあった。
サキトは帽子を柱に掛け、ハリナが広げた紙の端を押さえていた。水際で描いたらしい線の脇に、短い数字が並んでいる。
「遅かったな」
サキトが顔を上げた。
「途中で、荷車が倒れかけたんだ」
「下で修理してるやつか。水がなくなったら俺たちも困る。助かった」
そう言って、干していた布を外す。空いた柱の釘を、京介へ示した。
下見の帰りに、乾かす場所まで譲ってもらうのか。京介が腕を下ろすと、まいが横から口を開いた。
「川、どうだった?」
「水は多い。流木も。詳しいことは、戻った係が書いてる」
ハリナは京介の地図へちらりと目を落とした。昨日、買わせなかった地図だ。
彼女たちの紙は開いたまま、二人の間にあった。
「明日は、夜明けに出る」
サキトが言った。
「負けないぞ」
「俺もだ」
返事は早かった。サキトはすでに靴ひもの擦れたところを結び直し、ハリナは計り棒を拭いていた。
京介は二人の隣を離れ、空いていた屋根の端へ荷を下ろした。柱の根元は少し傾いていて、うっかり座ると尻が滑る。
「こっちのほうが、朝の出口に近いわよ」
まいが隣へ布を広げた。
「慰めてるのか?」
「場所を取られたくらいで負けた顔をしないで。こっちまで、しけてくる」
京介はわざと胸を張って座り直し、柱の根元でまた少し滑った。まいが笑った。今度の笑いは、さっきより腹が立たなかった。
シェリルとマリアも同じ屋根へ来た。シェリルは両腕を体の近くに寄せ、歩くたびに本の角をローブへ押し当てていた。まいが広げた布の上へ腰を下ろすと、ようやく肩が少し落ちる。
配られたパンを、シェリルは小さくちぎって食べた。二つ目に手を伸ばすところで、京介と目が合った。
「あの、使うと、おなかもすくので」
「食べてくれ。そっちはほしぶどう、入ってないから」
言ってから、余計なことを足した、と京介は思った。
シェリルはパンの断面を眺め、微かに笑った。それでも、腕は広い袖の中に隠したままだった。
まいは波模様の銅貨を布で磨き、傾いた夕日にかざしてから小袋へ戻した。シェリルが教本を開く。マリアはその横で、救護所の紙の折り目を伸ばしていた。救護所の印と、古い航路の線。京介は二つを見比べかけ、自分の地図へ目を戻す。
西の谷にできた水の染みは、もう乾いていた。薄くなった線を、鉛筆でなぞる。
「明日は、どっちへ行く?」
「競争相手に、教えると思う?」
まいの返事は、昨日と同じだった。
京介は地図に屈んだまま、口の端を上げた。
「オレは、川を見てから決める。夜に雨が降ったら、渡れる場所が変わるからな」
「……そういう情報は、早めに言ってよ」
「秘密だ!」
「今、言ったじゃない」
シェリルがパンを持った手で口元を隠した。マリアは自分の分をひと口食べ、それから京介を見る。
「塩むすび」
「ん?」
「昼の。もう一度、食べてもいいと思った」
「気に入ったってことかもな」
「かも」
短い返事のあとで、マリアは食べかけのパンを見た。誰かに聞くように、その中身を指で少し開いていた。
京介の帳面には今日の道と、荷車の場所が増えた。宝発見票は、白いままだった。
横から、まいの白い票が重なる。
「まだ、引き分けね」
「明日は勝つ!」
「今日も言ってたわ」
「明日も言う!」
屋根の向こうで、サキトが声を上げて笑った。京介は振り返らず、自分の票を帳面へ挟んだ。
夕暮れの森は、入口から少し入っただけで奥が見えない。どこかで鳥が鳴き、坂の下では荷車を修理する槌の音がした。ひとつ打つたび、金属の響きが長く残った。
京介は寝具を広げ、明日の朝にいちばん取りやすい場所へ荷袋を置いた。隣でも、三つの袋が似たような位置へ動かされた。
誰も、そのことには触れなかった。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




