第3話「水晶に映ったへんな未来」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
出発の朝、京介はパンを一つ失い、ゆで卵を二つ手に入れた。
宿舎の同級生との交渉は、平和のうちに成立した。世界には、ほしぶどうの入ったパンを好む人間もいる。
港と城の間の広場へ向かうと、参加者たちが色とりどりの荷袋を背負っていた。
大会係が出発の鐘を持ち上げ、水場の場所を最後にもう一度叫んだ。人の頭越しに、救護所の赤い旗が揺れる。京介は旗と北の道を同じ視線の中へ入れ、胸元の紐を引いた。
サイコロ型の参加証が、生成りの服に当たった。今日は、その小さな木片をつけた全員が競争相手だった。
「あんた、寝ぐせまで元気ね」
まいが隣へ来た。
「これは髪型!」
「後ろだけ横向きよ」
京介は頭を押さえた。
まいは水筒を軽く振った。昨日の券のお礼を、京介はまだ言っていない。言うきっかけを待っているうちに、彼女の口が先に開いた。
「最初の宝は、あたしが見つけるから」
「オレだって。地元の意地を見せる」
「じゃ、最初に見つけたほうが勝ちね」
「大会の優勝とは別で?」
「それはもちろん、あたし」
「全部自分にするな!」
少し離れて、シェリルが規則の紙を畳んでいた。昨夜つけたらしい折り目に、細い付箋が並んでいる。
マリアは日陰のベンチに座り、水晶玉の袋を結び直していた。
京介が手を振ると、シェリルはすぐに振り返す。マリアは半拍おいてから、小さく手を上げた。
昨日会ったばかりなのに、知らない顔ばかりの広場で二人を見つけると、少し気が楽になった。
それでも、一緒に行こうとは言わなかった。
今日は、競争なのだ。
開始の鐘が鳴った。
人々が一斉に動き出す。
京介は大通りをまっすぐ進み、次の角で西へ折れた。まいは曲がらず、中央の道を北へ向かう。
別れる直前、彼女が振り向いた。
「次に会ったとき、手ぶらじゃないといいわね!」
「でっかい宝を背負ってたら、驚くなよ!」
見栄を言い合う声が、朝の町に転がった。
その先で本当に何を背負うことになるのか、まだ誰も知らなかった。
*
西の道は、はじめの坂だけが急だった。
そこを上りきると、風が通る畑の脇へ出た。道標の影で水を飲んでいると、青糸の革帽子が坂を上ってきた。
サキトとハリナだ。サキトの呼吸は弾んでいたが、荷物は背中で揺れていない。ハリナは細長い帳面を開き、今通った角の印を指で押さえている。
「こっちの道なんだな、京介」
「そっちこそ。地図は買えたのか?」
「港で一枚。ただ、去年の写しだ」
サキトが見せた紙には、京介の学校でも使った見覚えのある線が並んでいた。西の展望台から森へ渡る橋が、まだ描かれている。
「そこ、渡れないぞ。去年の雨で流れたんだ」
言ってから、京介は口を止めた。
サキトがこちらを見る。京介は自分の地図を、開きかけたところで閉じた。
「怪我されても困るから、それだけは教える。ほかは自分で探せよ」
「分かった。助かる」
ハリナが帳面へ短い線を引いた。
「橋の代わりに、旧番所へ回る。昼前には着く」
「だったら、ここから勝負だな」
京介は水筒をしまった。二人の荷の大きさを見ても、今度は焦らなかった。自分の図には、彼らの紙に残った橋の代わりに、歩ける道が何本もある。
しかし、そのすぐ先の畑で、荷車を引く老婦人から声がかかった。
「京介、そこの空き桶を、道の上まで上げてくれないかい」
「今、大会中なんだけど!」
「知ってるよ。町中、参加証をぶら下げてるからね」
老婦人は笑った。
桶は畑の細い段の下にあった。老婦人の足元は濡れた土で、車輪まで半分埋まっている。
サキトたちが足を止める。京介は反射的に、片手を振った。
「先に行ってろ。すぐ追いつく」
「なら、旧番所で」
サキトの返事に、意地で頷いた。
段を下りて桶を持ち上げる。空だと思った底に泥水が残っており、傾けた拍子にズボンへ跳ねた。
「そっちに置いてくれるかい」
「ここでいい?」
「助かる。ついでに――」
京介は顔を上げた。畑の角を曲がる青糸の帽子が、木の間から一瞬見えて、消えた。
荷車の下の石をどけ、崩れかけた袋を積み直す。終えるころには、坂の上に誰の姿もなかった。
老婦人が、塩むすびの包みを二つ差し出した。
「昼にお食べ」
京介は汚れた指をズボンで拭き、受け取った。さっきの二人なら、この時間に次の分かれ道まで着いている。礼を言われるたび、早く出発しなければという声が頭で大きくなった。
「宝を見つけて、偉くなっても寄っとくれ」
「そのときも桶を運ばせる気だろ」
「ばれたかい」
京介も口の端を上げた。
歩き出してから、背中で紙包みが擦れる音がした。腹は減っていたが、一つも開ける気になれなかった。
道の端に、薄く光るものがあった。
京介は立ち止まり、しゃがんだ。
半分土に埋もれた、丸い緑色の玉。
握りこぶしほどの大きさがある。苔の下に、古そうな継ぎ目が見えた。
「来た!」
近くの小屋から、網を繕っていた男が顔を出した。
「それは、うちの浮き玉だよ。ずいぶん古いけどねえ」
伸ばした京介の指が、苔の手前で止まる。
「道の崩れを止める石の間に、親父が入れたんだろう。子どものころからそこにある」
「……そうなのか」
玉の中に朝日が入り、深い緑がきらりと光った。これを袋へ入れて旧番所へ行けたら、まいはどんな顔をするだろう。
京介はしゃがんだまま地形図を出し、道の端へ丸を描いた。
「それ、地図?」
「ほかのやつまで宝だと思って掘ると、困るだろ」
男が笑って、小屋から板切れを出してきた。京介は立ち上がり、膝の土を払った。青糸の帽子は、道の先にも見えなかった。
京介の発見票は、まだ白かった。
実地帳面のほうには、二行増えた。
*
西の道と中央の道は、昼の少し前に、小さな旧番所で合流する。
北の休憩所へは、ここからさらに半日ほど。古い門の脇に大会係の机が出され、井戸の滑車が休みなく鳴っていた。京介が着いたとき、サキトとハリナは机を離れるところだった。
「橋の話、係にも伝えておいた。札を直すってさ」
サキトが声を掛けた。京介は頷き、二人が肩へ掛け直した水袋を見た。こちらはこれから水を汲み、食事をする。二人はもう、北への道へ向かっていた。
「お先に」
ハリナの革筒の端が、門の石を避けて揺れた。
京介が井戸へ向き直ると、まいが石のベンチに腰掛けていた。
「手ぶらね」
「持ち主がいるお宝を発見した!」
「それは、普通の持ち物を見つけたっていうのよ」
「まいは?」
彼女は黙って、小さな金色の輪を差し出した。
京介の顔が引き締まる。
古い指輪か。早くも金か。
「さっきの道で拾ったの」
「発見票は?」
「書こうとしたら、荷車の金具だって係に言われた」
金色に見えたのは、よく磨かれた真鍮だった。
「今、持ち主に返すところ」
「普通の持ち物を見つけたんだな!」
「覚えた言葉を、すぐ使わなくていいの!」
京介は笑いかけて、北の道へ目をやった。二人で勝負を始めたつもりだったが、ほかの参加者は決着など待っていない。
昼食の包みを開くと、少ししてシェリルも来た。額に薄く汗をかき、長いローブの裾に草の種がついている。
「お二人とも、もう着いていたんですね」
「こっち座れよ。日陰のほうが涼しい」
「ありがとうございます、京介さん」
シェリルは本を荷の上へ置き、草の種がついたローブを摘まんだ。京介の指にも一粒が残り、払い落とした。
京介は、何げなく表紙を見る。
六つの点の間には、細い線がある。本を開くと、線に似た航路が何本も描かれていた。
「それ、船が通る道なのか?」
「はい。古い港の案内に使われた図だそうです。ただ、今の地図とは、描き方が少し違っていて……」
シェリルは先を言いかけてページを閉じ、指を挟んだまま少し迷っていた。
「まだ、読めていないところがあるので。もう少しだけ、自分で」
「お、秘密の情報だな」
「秘密というほどでは……」
「大事にしとけ。情報を持ってるやつは強いぞ」
京介は、自分の地形図を軽く叩いた。
まいも腰の小袋へ指を触れたが、銅貨は取り出さなかった。
誰も、持ち札を全部は見せていない。
井戸の向こうから、マリアが歩いてきた。
顔は昨日と同じくらい眠たげだったが、歩調は確かだった。荷袋を置き、三人を見渡す。
「覚えている。京介、まい、シェリル」
「昨日会ったばっかりなんだから、そうそう忘れないだろ」
京介は何げなく言った。
マリアは、少し考えた。
「昨日のことは、覚えている」
声が変わらなかったからこそ、京介は顔を上げた。
マリアは荷袋から、折り畳まれた紙を出した。
「その前が、ない」
紙には救護所の印があった。日付は開会式の二十四日前。整った字で『本人の申告した名、マリア』とあり、その下に『賢者の石』と記されている。
下の小さな欄には、北の遺跡の外周にある扉のそばで保護、とあった。
片隅には、波と星を組み合わせた小さな図。
「事故のあと、助けてもらった。名前は言えた。これも、言ったらしい」
マリアの指が、『賢者の石』を示した。
「何があったのかは、わたしも知らない。お医者さんが、わたしの言ったことと、指で描いたものを写してくれた」
京介は、何と言うべきか迷った。
昨日の甘い飲み物への質問が、急に違って聞こえる。
「じゃ、家とか、家族も?」
「覚えていない。言葉や、歩き方は分かる。占いもできる。でも、誰に教わったかが、分からない」
マリアは紙を丁寧に折った。
「賢者の石を見つければ、思い出せるかもしれない。この島の遺跡に関わる物だと、救護所で聞いた。大会なら、探しに行ける」
「そうだったのか」
京介は膝の塩むすびを見た。今朝、足を止めたことを何度も惜しんだ包みだ。
聞きたいことは増えたが、マリアは紙を折ったまま、顔を上げなかった。京介はまだ開けていない一つを、彼女の前へ置いた。
「腹、減ってないか?」
「減っている」
「なら食おう。考えるにも歩くにも、腹は使うからな」
「頭ではなくて?」
「……頭を使うために、腹を使う」
「なるほど」
マリアは塩むすびを受け取った。
まいが横から、乾いた果物の入った小袋を置く。
「こっちは好きなのだけ食べて。苦手なら残していいわ」
「苦手も、これから分かる」
「じゃあ、分かったら言って」
シェリルが水を注いだ。
井戸から冷たい水の音がする。マリアは塩むすびをひと口かじり、頬の内側へゆっくり押しやった。もう一口食べるまで、三人とも紙の話をしなかった。
*
「占いって、どれくらい先が分かるんだ?」
食後、京介は聞いた。
マリアは水晶玉の布を外した。滑らかな球が、木漏れ日を丸く映す。
「今から、三時間後まで。その間の短い景色が一つ」
「明日の優勝への近道、とかは?」
「明日は、三時間後ではない」
「そうだったな」
まいが扇子で口元を隠す。京介は睨みかけたが、マリアが水晶を膝へ置いたので、そちらへ身を乗り出した。
「わたしが、その場にいる景色だけ。見たいものを細かく選べない」
「午後の道なら、分かるかもしれないんですね」
シェリルの声に、マリアは首を傾けた。
「かもしれない」
井戸から離れた石壁へ移り、マリアは背を預けた。水晶玉を両手で包むと、歩いていた人の影が表面を横切る。
「三十呼吸、静かにしていて」
「任せろ!」
「もう少し、小さな声で」
京介は口を閉じた。
木の葉が擦れる音がした。井戸の滑車が、一度だけ鳴る。
マリアの紫灰色の目が、水晶の中心を見つめた。
眠たげだった目から、余分なものが抜け落ちる。遠くを見る目にも似ていたが、京介には、どこを見ているのか分からなかった。
やがて、マリアが瞬きをした。
「……見えました」
京介は前のめりになった。
「宝か?」
「赤い布」
「宝を包むやつだな!」
「その上で、京介が足を跳ねている」
「喜びの舞か!」
「まいが、拍手している」
京介は、まいを見た。
まいは、京介を見た。
二人の眉が、ほとんど同時に寄った。
「オレの優勝を、素直に祝うようになるのか?」
「三時間で人格が変わる予定はないわ」
マリアは、首を横に振った。
「理由は、見えなかった。前後は、分からない。わたしは少し離れて、そこを見ていた」
「それって、必ず起こるのか?」
「見えた景色は、起こる。避けようとしたことも、そこまでの道に入っている」
京介は周囲を見た。机の布は白、水桶の覆いは青。頭に巻いた朱色のヘアバンドへ触れると、まいに扇子で手を払われた。
「それ、踏んだら間抜けすぎるわよ」
「踏まないって。……三時間、ここに座ってたら?」
マリアは水晶を布へ置いた。
「座っていたい?」
北の門へ、また別の参加者が向かっていく。サキトたちはどこまで進んだだろう。京介は靴底を石にこすりつけた。
「いや。行く」
「なら、行く先に見えた景色がある」
「もう一度見れば、先のことが――」
布の端が水晶を隠した。
京介は口を閉じた。マリアは布の角をそろえ、結び目へ指を掛けたまま動かない。
「わたしも、知りたいことがある」
「石の場所か?」
「過去のこと。誰といたか。どこへ帰ればいいか」
結び目が、きゅっと締まった。
「それは見えない」
京介の手が膝から離れ、また戻る。
昨日のことを言い当ててもらうだけなら、占いで何とかなるのではないか。考えかけていたことまで見透かされた気がした。マリアは水晶を荷袋へ入れ、立ち上がった。
「フューチャーアーキテクト。先を見る力だから」
眠たげな目が、北の門へ向いた。京介は何か返そうとして、いつもの勢いで『任せろ』と言うのをやめた。
まいも荷袋を持った。
「行くわよ。あんたの踊りを見るために、ここへ来たわけじゃないんだから」
「オレだって踊る予定はない!」
「その声なら、予定は向こうまで聞こえた」
マリアが門をくぐる。まいが笑い、シェリルが水筒を抱えて追いついた。
京介は腰の地形図の留め紐を引いた。紙に描かれた道をたどって北を見る。まだ赤い布は見えない。
見えないまま、三人の背中を追った。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




