第23話「英雄だって腹は減る」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
星舟の頭が、森の上へ出ていた。
銀の壁に朝日が流れ、細い継ぎ目を一つずつ浮かび上がらせる。あれが全部、いまから空へ上がる。京介は見張り台の手すりを掴みかけ、右手を引いた。
舟の丸窓には、丸い顔が入っている。
ワクワーク五世は京介を見ると、いつものように手を振ろうとした。延期のレバーが動きかけ、慌てて両手で押さえ直す。
「そこは動かすなって!」
『分かっておる!』
声は見張り台へ届く管から響いた。管が外れれば、この距離でも声は届かない。
トトノエが署名と封印のある封書を胸に収める。王が残した引継ぎと、発進で生じた損害への支払いを引き受ける書面だった。
京介は窓を見上げた。
「大会、やれないんだな」
『……うむ』
「正午まで延ばしても?」
『停止を選べば、余は閉じた中で長い保守操作を続ける。日没には戻れぬ』
「勝つつもりだった」
王は口を閉じた。
「金の航路印、見つけたんだ。あれを持って、城で見せるつもりだった。落としたけど、記録はある。サキトたちは銀の天測盤を持って先に帰ってる。あいつらも待ってるぞ」
『余が、皆の七日間を、勝手に使った』
「使ったよ」
京介の声は思ったより大きくなった。
「星へ行きたいなら、最初から言えよ。オレだって見たかった。でも、優勝もしたかったんだ!」
窓の中で王が頭を下げた。レバーへ掛けた腕は震えていた。
『すまなかった』
京介は鼻から息を吐く。すぐには返せなかった。
まいが横から言う。
「いま、あんただけ優勝って言われても嫌でしょ」
「それは嫌だ」
「じゃ、苦情は帰ってきたときも続けましょ。あたしの分もあるわ」
サタンジョが一段下で腕を上げた。
「あたくしの請求書も!」
「それは、こちらへ」
トトノエは言い、紙を一枚だけ差し出した。
京介はもう一度、空を見た。腹立たしいほど、よく晴れている。舟の下で光が強くなり、地中へ埋まった太い線が白く脈打った。
シェリルが見張り台の縁から手を振る。
「ワクワークさん。帰ったら、お話を聞かせてください」
『うむ』
マリアも手を上げた。
「ごはん、食べて」
『忘れぬ』
京介は手すりから体を離し、舟へ拳を突き上げた。
「空で焦るなよ! 苦情を聞く前に帰ってこられなくなるな!」
王が頷いた。
トトノエの白い旗が上がる。
ワクワーク五世はレバーを離し、両手を操縦席の前へ置いた。丸い窓の中で、短いひげが跳ねる。
『これで暇とはおさらばだ!』
窓が閉じた。
伝声管の継ぎ目が外れ、白銀の舟の下へ、光の輪が走る。
大地の骨が鳴った。
京介の胸の奥まで、太い音が押し寄せる。森の葉が一斉に裏返り、地面へ伏せた草が波のように広がった。
星舟が、上がった。
誰かが叫んだ。京介も叫んでいた。
銀の腹が遺跡の縁を越え、朝日を遮り、また返す。まいの耳飾りが跳ね、シェリルの髪が背中いっぱいに広がった。ロクシロウは口を開けたまま、両手でサタンジョの帽子を押さえている。
舟は森の梢を下へ残し、雲の薄い端へ向かった。
「……すごい」
京介は呟いた。
窓が見えなくなっても、そこに王が座っているのだと思うと、目を離せなかった。退屈だと机を叩いていた丸い顔が、あの高いところから島を見ている。
こちらへ何と言っているだろう。
その声は、もう届かない。
青い空で、舟が一度光った。
間を置いて、二度。
三度。
トトノエに教わったとおりの、船内の正常を告げる合図だった。
トトノエが旗を下ろす。すぐに記録へ時刻を書こうとしたが、ペン先が紙から浮いたまま止まった。
「……まったく」
声が風にかすれた。
京介は見張り台を降りた。何も言わず、彼女の分の水も石段へ置いておいた。
*
草の上に広げた布へ、まいが京介の右手を置かせた。
「握って」
言われたとおりにすると、彼女は眉を寄せた。
「顔じゃない。手」
「手も握った!」
「だから、その顔になるくらい痛むのね」
古い包帯は、掌のところが湿っていた。大きく開いた傷ではなかったが、朝から何度も押しつけたせいで、閉じかけていたところに血が滲んでいる。補給係が水と新しい布を持ってきてくれた。
まいは、道で拾い戻した丸いまきびしの袋を腰の後ろへ押しやった。袖口を捲り、洗った布を当てると、京介の肩が跳ねる。
「動くな!」
「しみるんだよ!」
「あの土だらけの手すりに押しつけたんだから、しみるわよ」
言いながら、次の布はそっと置いた。
京介は空いた左手を膝へ載せる。まいの指が右の指を一本ずつ開いた。さっきまで人を睨んでいた目が、手のひらだけを見ている。
何も言われないほうが、落ち着かなかった。
「印、最後に光ったんだ」
口から出たのは、それだった。
まいは布を巻く手を止めなかった。
「見えた」
「全部金色なのに、線のところだけ違う色になるんだよ。向きを変えると、波みたいにさ。あれ、絶対すごかった」
「知ってる。宝庫で何回も見せられた」
「自慢したかったんだ」
「十分してたわよ」
京介は笑おうとした。喉の奥で、うまく引っかからなかった。
失くす直前まで、どうやって箱を持ち替えようか考えていた。左手を伸ばすのが、ほんのわずか遅かった。シェリルの指が外れる光景を思い出すと、胃が冷たくなった。
「……拾いに、戻りたい」
まいは包帯の端を押さえたまま、彼を見た。
「戻らないけど」
京介はすぐに付け足す。「言うだけ」
「あそこは発射竪穴よ。舟が出た後の底へ降りる道なんてない」
「分かってる」
「でも、欲しかったんでしょ」
「うん」
まいは包帯の端を結んだ。
「じゃあ、欲しかったでいいわよ。誰も取り上げないから」
京介は右手を開き、閉じた。さっきよりゆっくりなら、指は動く。
向こうでシェリルが、こちらへ来ようとして立ち止まっていた。
京介は左手を上げた。
「シェリル。パン、余ってるか」
「はい」
「一つくれ。腹が減った」
彼女が持ってきた包みを受け取る。差し出されたパンは半分に割られ、蜂蜜が薄く塗ってあった。
「ありがとう」
シェリルは口を開き、また閉じた。
京介は先に一口かじった。
「柱、重かっただろ」
「はい。思ったより」
「離すって声、聞こえた」
「……聞こえるように、言いました」
彼女は自分のパンを両手で持ち、隣に座った。
三人で食べているとマリアも来た。無言で水袋を真ん中へ置き、京介のパンを見てから、自分の包みを開く。
「わたしのは、蜜が少ない」
「そこ、比べるか?」
「少し分けて」
京介は蜂蜜の多い角をちぎった。マリアはそれを受け取って、ようやく満足した顔で座る。
まいが京介の膝から古い布を取った。その指に、彼の左指が触れる。二人とも一瞬止まり、同時に違うほうを向いた。
シェリルはパンの端を見つめていた。
マリアだけが、蜂蜜を舐めながら二人を見ていた。
*
ガッポリ号は、歩くのをやめて荷車になった。
ロクシロウが前の棒を引き、プレスケが横を歩く。壊れた右の駆動部は綱で吊り、残った車輪へ触れないようにした。六人のうち足の戻った者も押し手に回り、坂ではサタンジョまで後ろへ手を掛けた。
「これ、有料に切り替えてよろしいかしら」
「乗っているのは、いまサタンジョ様の荷物です」
「自分の荷物から取れるわけないでしょう!」
「では、押すのをお願いします」
前のほうでロクシロウが笑った。
発進で開いた整備通路は、北の丘の裏を回り、公式の見回り道へ続いていた。古い石の坂を下りきれば、東の城まで午後のうちに着ける。補給係二人が朝来た道と、途中でつながっている。
京介は左手で地図を押さえ、包帯をした右手で鉛筆を持った。強く握らなければ書けたが、線が普段より丸い。
「魚みたいな坂ね」
まいが横から言う。
「地形だ」
「その目みたいなのは?」
「休憩所」
「魚の顔じゃない」
言い合いながら曲がった先から、魚を焼く匂いがした。
京介は地図を丸めた。
「そこだ!」
「匂いで地図が完成するのね」
木陰の休憩所には、水桶と湯気の立つ鍋が用意されていた。地上へ先に伝わった知らせで、大会係が運んできてくれたのだ。京介が魚の網へ直進すると、係の女が匙で列の最後を示す。
「順番」
「並ぶ!」
京介は最後尾へ戻り、ついでに後ろから来たマリアの器も受け取った。
サタンジョは網の上を覗いている。
「あたくしたち、全員を運びましたのよ」
「知ってる。だから一人一本、ちゃんとあるよ」
「二本になりませんの?」
「二周目に残ってたらね」
サタンジョは振り返り、ロクシロウの器を見た。
「三人分受け取って、それを一人で食べようとしない!」
「配ろうとしてたんだぞ」
京介は木の根へ腰を下ろした。魚の皮がぱりっと割れ、塩の付いた脂が舌へ広がる。空腹でぺしゃんこだった腹が、一口目から仕事を始めた。
右手で串を支えると少し痛む。彼は左へ持ち替え、皿の上に骨を置いた。
「おいしいですか」
シェリルが聞いた。
「すごく」
「さっきから、ずっと同じ顔です」
「魚には集中するんだ」
マリアは蜜の壺を見つけかけ、まいに肘で止められた。
「それは魚用じゃない」
「試したい」
「一口だけにしなさいよ。全部かけてから悲しい顔しないで」
マリアは一口だけ試し、長く黙った。
「……魚は、塩」
京介は大きく頷いた。
向こうではプレスケが、皿の縁へ修理の部品名を書き出している。サタンジョはそれを見て、食べかけの魚を下ろした。
「この桁、おかしくない?」
「救助で壊れた分の申請です」
「じゃあ、増やせるの?」
「増やせません。そのうえ、前に壊した道の修理代は、別に払わなくてはなりませんので」
サタンジョの肩が落ちた。
ロクシロウが皿を覗き込む。
「赤い幕、一枚なら買えるか?」
「短いのなら」
「長椅子は、オイラが作るぞ」
サタンジョはしばらく数字を睨み、それからプレスケの鉛筆を取った。大きな小屋の図の横に、屋根のない小さな台を描く。
「最初は、これでいいわ。客が集まったら広げるの」
「金属の魚は載せましょう」
「星の紙が出るやつだな」
「その紙を毎回買うのも、お金が要るのよ!」
京介は魚の骨を外しながら、その声を聞いていた。
腰の袋へ触れると、箱の紐が指に当たる。
彼は手を引き、地図の休憩所に小さな魚を描き足した。
「また魚?」
「ここは本物の魚。さっきのは坂」
「清書、大変そうね」
京介は返事をせず、二周目の列を見た。
まだ一本、残っていた。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




