第21話「無料乗車は一度きり!」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
七日目の朝は、鳥の声より先に石の動く音で来た。
靴底から膝へ、低い振動が上がってくる。天井の継ぎ目に金色の線が走り、二本、三本と増えた。夜の間は黒い岩にしか見えなかった丸い蓋が、朝日を載せて開いていく。
「動くぞ!」
京介は前の探索係の肩を引いた。金属の手すりが男の頭をかすめ、上へ過ぎる。床も一緒に傾いた。さっきまで足元にあった赤い線が、すねの高さに来ていた。
「しゃがんで! 次は、その溝をまたいでください!」
シェリルが叫ぶ。六つの点のある教本を胸に押し込み、先へ進む男の背中を押した。
その向こうで、まいの栗色のポニーテールが跳ねた。
「こっち! 壁沿い! あんたは後ろを見て!」
「見てる!」
見ていなければ、揺れる床を逃げる足の置き場だけで頭がいっぱいになりそうだった。
探索係の最後の一人が、工具袋を溝へ落としかける。京介が左手を伸ばすより早く、マリアが袋の持ち手を拾った。男を先に通し、深緑の袖を金属の縁から抜く。
白銀の星舟を囲んでいた廊下が、舟から離れた。長い板が順に起き上がり、広間の壁へ畳まれていく。板の下には、朝の光が届かない竪穴が口を開けていた。
京介は壁際の待避棚へ飛び移った。
肩から提げていた小木箱が、突き出た金属の角に当たる。
ぱきっ、と、石の音に紛れるほど軽い音がした。
「あっ」
肩が軽くなった。京介は落ちかけた箱を左腕に抱え込む。肩には細紐だけが残っている。木箱の横へ打ち付けた小さな金具が、根元の木ごと剥がれていた。
金の航路印。
蓋を押さえた腕に、その重さが戻る。
「荷物より、先に足!」
まいの声で顔を上げた。京介の右足の下で、板が沈む。彼は壁へ肩をぶつけながら、左足へ体重を移した。右掌で岩を押した途端、包帯の下が鋭く痛んだ。
「分かってる!」
「分かるのが遅い!」
最後の探索係が棚へ上がると、元いた廊下が下へ折れた。
さっきまで立っていた場所の向こうに、白銀の船体が剥き出しになった。京介は木箱を抱く力を緩められず、しばらくその下の暗がりを見ていた。
「六人、います!」
班長の声に、息を吐いた。
「こっちは四人!」
まいが京介の腕から垂れた紐を見た。
「切れたの?」
「箱の金具。中は無事だ」
「しまえる?」
京介は腰の道具袋を開きかけた。火薬の包みとサイコロW、残った布と水筒。金の印を内布ごと押し込めば、隙間へ入りそうだった。けれど薄い布では、道具の角が当たる。印面の細い航路線を傷めたくなかった。
「あとで包み直す。今は抱えて行く」
まいは言いかけた言葉をのみ、出口へ顔を向けた。
丸窓のついた扉の向こうにトトノエがいる。昨夜手配された地上の補給係二人も、綱を肩へ掛けて戻ってきていた。ルークは出口の内側に立ち、両手の間に蝶結びの光を広げている。降ってきた石片が光に受け止められ、足元へこぼれた。
そこまでの板が、斜めに沈んでいた。
奥の支柱が受け穴から外れている。板の上を通れば体ごと低い側へ流される。その先の扉は、左右から、じりじりと狭くなっていた。
「ワクワーク!」
京介は壁の伝声管へ怒鳴った。「止めてるんじゃないのか!」
『舟は止めておる! 床と蓋は、別に動いてしまうのだ!』
管の奥で王が荒く息をした。
『正午までには発進か、閉鎖しての保守操作が要る。それまでは、余がこの棒を押さえる』
「絶対に離すなよ!」
『離さん!』
いつもの大げさな語尾がなかった。京介は返事をせず、斜めの板へ目を戻す。
出口の向こうで補給係が綱を投げた。届いた先端を班長が拾う。しかし綱一本では、六人を足場の向こうへ運べない。夜通しの荷運びで膝が震えている者が二人いた。班長自身も、石棚へ腰を下ろしたきり立とうとしなかった。
京介は木箱を膝へ置き、歯を食いしばった。
サキトたちは今ごろ城の受付にいるのだろう。銀の天測盤を傷一つつけずに広げ、夕方まで待っている。こっちは朝から何をしているのだ。
「あんた、手」
まいに言われて開いた右手は、いつの間にか強く握り込んでいた。
*
待避棚に口を開けた点検室は、壁も床も揺れていなかった。
京介は中へ入り、使われていない机に木箱を置く。脚の短い机は壁へ固定されていた。部屋の奥に積もった土へ、細い風の筋が走っている。
「ここ、もう一つ出口があるんじゃないか」
「塞がってるけどね」
まいは土の端を扇子で指した。
マリアが戸口で足を止めた。
「静か。この床なら、できる」
水晶玉を取り出して腰掛けに座る。銀灰色の髪の間から覗く横顔を見て、京介は机を叩きかけた手を引っ込めた。
「いまから三時間以内の、わたしの景色。一つだけ」
「嫌な景色でも、言ってくれよ」
「うん」
マリアは水晶に目を落とした。
扉を寄せると、広間の音が急に遠くなる。三十呼吸を待つ間、京介は廊下側へ戻った。まいが壁に肩を預け、望遠鏡のぜんまいを巻いている。
「その箱、まるごと宝みたいに抱くのね」
「実物を見せたいんだ。発見票じゃ、あの線の光り方まで分からない」
「銀の天測盤に勝てる?」
「そこは王に決めさせる」
「へえ。あんたが?」
「オレが言うと、サキトが絶対にうるさいだろ」
京介が出口を睨むと、まいの唇に笑みが浮いた。それから望遠鏡を目へ当てる。
丸天井から差す朝日が、扉の縁を照らしていた。ミエールくんの向こうに見えるのは、その露出した刻みだ。まいは十呼吸で目を離した。
「入口の視覚弁と同じ。目の印がある」
シェリルが教本の余白を開く。朱色のヘアバンド、鏡、赤い炎。ここまでの試し書きが、小さな絵になって並んでいた。
「赤い標識を見せて、点検中だと知らせる扉です。この横の字は……熱で閉鎖」
「本物の火を持っていくと、逆に閉じるわけか」
「ようやく、熱くない火の出番ね」
まいは扇子をくるりと回した。
そのとき、点検室の扉が開いた。
「白い帆」
マリアは目を細めたまま言った。
「四人の手が、太い綱を持って上へ動いた。足元は草。後ろで丸窓の扉が閉じる。その横の針が、三本目の白い線を指していた」
京介は、出口の上にある指示盤を見た。針は最初の線を越えている。
「そこを出たところか?」
「帆の端に、四つの輪。つながった印」
「救助の帆です。整備通路の地上側に、巻き上げ機がありました」
シェリルが扉越しのトトノエへ声を掛ける。向こうから「ここにあります!」と返った。
まいは望遠鏡を布へ包み、腰にしまった。
「四人の手ね。やけに忙しそうな未来だわ」
「顔は見えなかった。でも、わたしの手があった」
マリアの声が、そこで少し硬くなった。
「六人がどこにいるかは、映らなかった」
棚の端で、班長が綱を握り直す。京介はその手を見て、点検室の奥へ向かった。
「だったら乗れるものを探す。全員、あの扉を通るぞ」
風の通る土の層にしゃがみ込む。木箱は机から取り、足元へ置いた。崩れた粒に白い貝殻が混じっている。古代の石組みの下へ、後から流れ込んだ土砂だった。
外側にも道があるかもしれない。
京介が声を掛けようと立ち上がったとき、下から派手な罵り声が届いた。
*
「前へ進めません」
「見れば分かるわ!」
サタンジョは羽根帽子を押さえ、目の前の段差を睨んだ。木の多脚を備えたガッポリ号は、空っぽの荷台を威張らせて止まっている。
さっきまで道だった床が持ち上がり、先の斜面と食い違ったのだ。
「脚を伸ばしなさいよ!」
「これ以上伸びたら、戻せなくなります」
「戻すのは明日考えればいいでしょう!」
「アネゴ、明日もここにいたいのか?」
ロクシロウの問いに、サタンジョは口を閉じた。
荷台には金貨を積むつもりだった。赤い幕、屋根、客席。毎晩三人で丸まって眠らずに済む、大きな見世物小屋。船賃も宿代も、もう誰にもつけてもらわない暮らし。
金貨は一枚もない。代わりに、上から人がこちらを見ている。
「……あの人数なら載るな」
ロクシロウが言った。
サタンジョは返事をしなかった。
「歩行脚を畳み、斜面から回せば、あの板の下へ入れます」
プレスケが丸眼鏡を上げる。「ですが、途中で支えを切り離せば、脚では二度と歩けません。作り直しです」
荷台の横に、金色で書いた名前がある。サタンジョは昨夜、最後の絵の具を指の腹で延ばして塗った。字の下に、指の筋が残っていた。
「直せるの?」
「材料と時間と、お金があれば」
「どれも持ってないじゃない」
「ええ」
棚の上で一人が咳き込み、隣の者が水を渡した。サタンジョは帽子の羽根を立て直す。羽根は言うことを聞かず、横へ寝た。
「……将来の見物客が減ったら、商売上がったりよ」
プレスケは眼鏡を磨くふりをした。
「まことに、先を見据えたご判断です」
「オイラ、いま乗せたいぞ」
「だから、その話をしてるのよ!」
サタンジョは荷台の縁へ足を掛け、大声を張り上げた。
「無料乗車は一度きり! そこのあんたたち、荷物になりなさい!」
*
「乗せてくれ!」
京介の声が、すぐ返った。
まいは隣で腕を組んでいる。
「ただし、行き先を勝手に変えたら、あたしが運転席に乗るからね」
「わたくしの操縦席には、複雑な機構が」
「扇子一本で叩けるくらいには近いわ」
プレスケは余計な説明をやめ、図面を広げた。六人を座らせる場所、車輪を載せる板、引く綱。京介は棚から垂らした綱の先を見て、図の余白に高さを書き込む。
「柱を戻せば板が上がる。荷車を通して、向こうから引く」
「わたしが柱を持ちます」
シェリルが下を指した。「壁と続いている、あの石台からなら」
「そこへ降りる段は?」
「ガッポリ号を寄せます。荷台から、足が届くでしょう」
プレスケが脚の付け根を叩いた。
「この木の支えを外し、柱の下へ残します。シェリルさんが二十呼吸も持ち続ける前に、引き継がせてください」
「分かりました。途中で厳しくなったら、言います」
向こうのルークが何か言いかけた。シェリルは教本を閉じ、先に顔を上げる。
「ルーク先生は、出口をお願いします」
「……任された」
京介は点検室の土壁へ戻った。
すでにトトノエが外から声を送っている。補給係の一人が整備通路の枝道を回り、壁の向こうまで来ていた。彼が叩く位置と、土の層の薄い場所が重なる。
「こちらは地上出口まで通じています。ただ、そちらの入口の床が、まだ動いています!」
「分かってる。車輪を通す出口を、もう一つ作る」
学校で検査を受けた火薬の包みを取り出すと、まいの顔が険しくなった。
京介は彼女が口を開く前に、貝殻の混じった土を見せた。
「古い柱は壊さない。後から詰まったところを開ける。向こうの人も、先に離れてもらう」
「……今度は、その手まで巻き込まないでよ」
声は低かった。三日目に崩した道のことを、京介はすぐ思い出した。
「うん」
彼は右掌を開き、包みを左手へ持ち替えた。
待避棚から人を遠ざけ、外側の補給係が下がった返事を待った。ルークの光が、壁の割れ目へ薄く延びる。
短い音が、広間に反響した。
土煙が風に押し戻され、京介は袖で鼻と口を覆った。飛んだ小石が結界に当たり、乾いた音を立てる。
煙の向こうに光があった。
京介はしゃがみ、穴を覗いた。外側で補給係が手を振る。その向こうを、草の先が揺れている。
「通った!」
声に土が混じり、京介は咳き込んだ。
まいは背中を二度叩いた。三度目は、明らかに余計だった。
「そこまで強くなくていい!」
「息、出たでしょ」
息を整えた京介が木箱を取り上げると、下で車輪が鳴った。ガッポリ号の空っぽの荷台が、十人分の迎えに来ていた。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




