第19話「手紙一枚じゃ足りない」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
宝庫を出て外周へ戻る途中、京介は何度も木箱に手をやった。
歩くと腿に当たる。肩紐が首へ寄る。布を挟んでも重さは消えない。そのたびに、中へ入れた金の色を思い出してしまう。
「開けないの?」
まいに言われ、京介は手を離した。
「開けない。今、ちゃんと入ってるかと思っただけだ」
「さっきも入ってたわ」
前を行くマリアは立ち止まらなかった。
閲覧室の手前で、青糸の革帽子が二つ見えた。サキトは地上へ向かう荷運びの列を待ち、ハリナは最後の水を飲んでいる。サキトの背中には天測盤。宝庫で増やした大きな荷はなかった。
「ヤシロは中だ。おまえたちの用件、伝えたぞ」
「助かった」
京介は木箱を叩いた。
「それ、城で並べようぜ」
「日没、広場で」
「明日だぞ。先に行って今日勝つなよ」
「王をせかす趣味はない。おまえは遅れるな」
サキトが笑い、帽子をかぶり直した。
ハリナはマリアへ目を向ける。
「石、戻るといいね」
「うん」
それ以上の言葉を待たず、二人は荷運びの列が切れたところへ入った。青い帽子の縁が、角を曲がって消える。
京介はひと呼吸だけそちらを見送り、閲覧室へ向いた。青針組が外周補給路を抜け、地上の風に帽子を押さえたのは、その日の昼より前だった。
閲覧室では、銀の仮面が頭上を向いていた。
ヤシロの指が二度空を切り、掌が上を向く。蝶結びの形をした淡い結界が、浮いた石を支えていた。机の上には、シェリルが昨日残した休止の写しが置いてある。
「おや、輝きを胸に抱き、再び静けさの門へ――」
「ヤシロさん」
シェリルが遮った。
京介は隣を見た。彼女は六つの点模様の教本を胸に抱き、入口で足を止めていた。
「先に、聞かせてください」
ヤシロの声が止まる。
「その結界の形も、指の動かし方も、ルーク先生と同じです。わたしが力を使うと、足場を見ろとおっしゃるのも」
「同じ学び方をした者なら、似ることはある」
「では、顔を見せていただけませんか」
ヤシロは、押さえていた石を脇の台へ下ろした。
結界が消えると、部屋が急に普通の広さへ戻ったように感じた。まいが入口の横に立ち、マリアは机の角へ航路帳を置いた。
「……そうだね」
男は仮面に手を掛けた。
銀色が傾く。その下に栗色の髪と、困ったような目が現れた。京介には知らない顔だったが、シェリルは息を詰めた。
「ルーク先生」
名前を口にしたあと、シェリルは一歩も近づかなかった。
ルークは仮面を伏せた。
「黙っていて、すまなかった」
「いつからですか」
「大会の最初からだ」
「わたしが、賢者の石のことを聞いていたときも?」
「ああ」
京介はシェリルを見た。喜んで駆け寄る姿を、どこかで想像していた。彼女の腕の中で、本の表紙が歪む。
「理由、聞かせて」
まいが言った。
「生徒の後ろを歩くのに、その格好が要ったわけ?」
ルークは一度、入口へ目をやった。逃げる気かと京介の足に力が入る。だが彼が引き寄せたのは、戸口に置いてあった自分の荷袋だった。
「私は大会前、王の遺跡調査に助言していた。外周の記録にある奥の施設を、王は探していたんだ。だが、道も入り方も分からなかった」
「知ってる人間が、後ろで見物してたのかと思ったぞ」
京介が言うと、ルークは首を振った。
「入口から先の情報は、君たちと同じだった。石の保管場所も、マリアの家系も知らなかった」
マリアの指が、航路帳の背へ触れた。
「知っていて黙っていたなら、怒るところだった」
「それは当然だ」
「今も、少し怒っている」
ルークは頷いた。口を挟まず、彼女が指を離すのを待った。
「王が目当てのものへ近づけば、準備を飛ばしてしまうかもしれない。私はそばへ行く必要があると考えた。けれど公式の調査助言者は、大会中の探索区へ入れない。そこで役目を外れ、一般参加者として入り直した」
「仮名で?」
「受付には本名も事情も届けた。トトノエが預かっている」
まいは机へ置かれた銀を指で弾いた。
「仮面は分かった。シェリルに言わなかったのは?」
ルークは弟子を見た。
「君が、自分で決める姿を見たかった。私がそばにいると知れば、答えを待ってしまうかもしれないと思ったんだ」
「待っていたと思います」
シェリルの声は、京介が思ったより静かだった。
「文字が読めなくて、怖いときがありました。間違ったことを言って、皆さんを困らせたらと思って。ルーク先生がいらしたら、何度も聞いてしまったと思います」
教師が口を開きかける。
「でも、知らない顔で見ていてほしかったわけではありません」
シェリルは続けた。
「わたしが怖がっているとき、ルーク先生は、わたしが自分で決めるかどうかを見ていたんですか」
机の向こうで、ルークの手が止まった。
「……すべてを試験のように考えていたわけではない。だが、そう受け取らせることをした。すまない」
「答えを聞いても、最後にわたしが決めることはできます」
「ああ」
シェリルは本を抱き直した。頬に力が入っていた。
「次は、先に言ってください」
「約束する」
京介は二人の間へ水の椀を置いた。何か口を挟みたかったが、自分が代わりに腹を立てる番ではない気がした。
ルークが椀を受け取ると、シェリルは持ってきた写しを開いた。
「それで、今はマリアさんを待たせています。ここの字を読んでください、ルーク先生」
教師は椅子を寄せた。いつもなら褒めたのかもしれない、丁寧な書き込みへ目を落とす。
「この語は、次の行まで続いている。戻す前に、保管を止める。君が考えた順序で合っているよ」
シェリルは細い線を一本、写しへ足した。
「ありがとうございます」
声は普段の丁寧さに戻っていた。彼女がルークの隣の椅子へ座るまでには、もう少し時間がかかった。
*
昨日から消えたままの閲覧座の灯りを見届け、五人は宝庫へ戻った。
シェリルが台の図にある細い線を指でたどった。
「外すのは記憶保存の接続です。星舟の推進にはつながっていません」
ルークが頷き、台を支えた。停止の印が消えてから、シェリルが接続を外す。透明な覆いが上がると、マリアは誰に促されるより先に、台のくぼみへ手を置いた。
細い光が指を巡り、退避記録の印と重なる。
「マリアさんです」
シェリルが言った。
マリアはすぐには手を動かさなかった。京介は、石を取ればいい、と言いかける。彼女の指が震えていた。
「……持っていい?」
「ああ」
ルークが答えた。マリアは両手で受け取り、椅子へ座った。
京介たちが敷いた布が、背中の下でずれる。まいが直してやると、マリアは顔を上げた。
「思い出したら、会いたくて、すぐ帰りたくなるかもしれない」
「そのときは、帰りの船を探す」
まいは布を押し込んだ。
「あたしたちまで、同じ船に乗らなきゃいけないわけじゃないでしょ」
マリアは頷きかけて、止まった。
「それも、少し嫌」
まいの手が、椅子の背に残った。
京介は正面へしゃがんだ。
「先に、石だ。オレたちの乗る船まで一度に探したら、地図が足りない」
マリアが京介を見た。眠たげな紫灰の目は、少しも眠そうではなかった。
「思い出しても、魚のことは覚えている」
「そこ、何回聞いても安心していいのか迷うな」
彼女は唇の端を上げた。
水晶玉は袋の中に置かれたまま。膝の上には賢者の石。マリアは息を吐き、手のひらを重ねた。
*
戸が閉まった。
かたん、と木が鳴り、少し遅れて金属が鳴る。
家の鈴だ、とマリアは思った。
油の匂いがした。父の作業台に染みついた、拭いても取れない匂い。食卓まで持ってくると母に怒られる。それでも父は、直しかけの秤を持って席へ来たことがあった。
『あと、ここだけなんだ』
父の声。
母は空の皿を秤へ載せた。食べないなら皿を量っていればいいと言い、父が困った顔をする。幼いマリアは笑って、パンをかじっていた。
灯りの中に、自分の手がある。
机の上には深茶の航路帳。背を押さえる父の指と、その間へ針を通す母の指。青い糸が短い輪を作り、きゅっと引かれた。
『今度は、そんなに乱暴に開かないでね』
『わたしは、開いてない』
『風のせい?』
『うん』
母が笑っていた。言い訳まで覚えていることが、マリアにはうれしかった。
曾祖母にもらった帳面。
幼いころは、余白の魚ばかり見ていた。大きくなると、島の間を渡る線を追い、その隣に描かれた不思議な石に惹かれた。過去の船乗りが、何を残したかったのか。記憶を石へしまうとは、どういうことなのか。
知りたくて、島へ行った。
出発の日、母は水晶玉を入れる袋を渡した。父は道具を詰めすぎ、母に半分出された。最後に、耳元の髪を編んでもらった。
『ほどけたら、自分で直せるでしょう』
マリアは椅子の上で編み房へ触れた。
できる。
指は覚えていた。母が後ろに立ったとき、首へかかった息の暖かさを、ようやく思い出した。
白い石壁が現れる。
外周の閲覧室。航路帳を傷めないよう、七番の引き出しへ入れた。手を置く台の文字を読み、座面へ体重をかけた。
床がずれた。
胃が浮き、喉が引きつる。
落ちると思った。足が床を探し、届かなかった。その直後、柔らかなものが体を包んだ。息ができる。背中が支えられている。ほっとした瞬間に、目の前の文字が急に遠くなる。
家の鈴の音が、ほどけて消えていった。
マリアは石を握った。
あのときも、今のように思い出をつかもうとしたのだ。呼びたい相手がいた。名前だけが出てこなかった。何が足りないかも分からないまま、寒かった。
椅子の背へ、誰かの手が触れた。
今、ここにいる手。
まいだと分かった。
救護所の天井。自分の名を言った声。『賢者の石』と書かれた紙。そのあとに続く、朱色のヘアバンドと、青いローブ。水路の湿った匂い。魚に足を取られた京介。紙を押さえながら笑う声。
家の鈴も、仲間の笑い声も、どちらも聞こえた。
マリアは目を開けた。
「お母さんが」
喉の奥で、声が詰まった。
「航路帳を、青い糸で直してくれた」
椅子の背に置かれたまいの手が動く。京介はしゃがんだ姿勢のまま、膝から肘を離した。
「お父さんが、表紙を持っていた。強く曲げると傷むから」
シェリルが両手を握った。
マリアは話そうとして、息を吸った。鼻の奥が痛い。涙が膝の石へ落ちた。拭こうとした手が石を落としそうになり、慌てて抱え込む。
「マリア、水」
まいが椀を差し出す。
「今、飲んだら、こぼす」
「じゃあ、ここへ置く」
椀が台に触れる音がした。家で聞いた音に、少し似ていた。
「帰りたい」
マリアは言った。
「顔を、見たい」
「ああ」
京介の声が返った。
「でも、みんなと、明日の話もしたい」
「すればいいだろ。まだ、今日の夕飯の話もしてないぞ」
マリアは泣きながら笑った。京介の顔も、ひどく困っていた。何かを急いで直せると思っていない顔だったので、もう少し泣いていられた。
*
マリアが紙を頼んだのは、水を二度飲み、横になって休んだあとだった。
京介は自分の発見票の控えを机の隅へ寄せる。朝、航路印の発見票に押してもらった受理の印。その横にある自分の名が目に入るたび、まだ頬が緩んでしまう。
向かいで、マリアのペンが止まった。
「書けないのか?」
「書きたいことが、多い」
「最初は、元気だ、でいいだろ」
「昨日、書いた」
「じゃあ、思い出した」
「それも、今書いた」
まいが覗き込み、京介の肩を扇子で押した。
「助言の残り、なくなった?」
「あるぞ。すごい宝を見つけた」
「それ、送金を頼む手紙に見えない?」
「見えないだろ!」
マリアが笑い、続きを書いた。
事故で記憶を失ったこと。石から戻ってきたこと。海の向こうで両親がまだ知らずにいるかもしれない出来事を、細い字で順に並べる。
家を出た日から、ずいぶん遠くまで来たはずだった。その一枚を目の前にすると、京介には、修理屋の戸口が急に近く感じられた。
マリアのペンがまた止まる。
『一緒に帰り道を探してくれた友達ができました』
京介はそこまで見えてしまい、慌てて自分の紙へ目を戻した。自分の字がひどく読みづらい。今さら一文字ずつ書き直していると、向かいでマリアが言った。
「京介のこと、長くなる」
「失敗ばっかり書くなよ」
「成功もあるから、長い」
京介はペンを止めた。
まいが彼の顔を見て笑った。何か言い返したかったが、いい言葉が出なかった。
シェリルが蜜の小皿を置いた。マリアはパンへ塗り、塩をほんの少し振る。
「これは、お父さんも好きだった」
「味方がいたのね」
「お母さんに、甘いかしょっぱいか、どちらかにしなさいと言われた」
そう言いながら食べる横顔に、涙の跡が残っていた。京介は自分のパンへも塩を少し振った。甘くて、しょっぱくて、どちらかにしなくてもおいしかった。
ルークは少し離れた机で、シェリルと写しを整理していた。
「ルーク先生、この行はわたしが読めます」
「では、頼む」
教師の手が紙から離れる。シェリルは顔を上げず、ゆっくり読み始めた。
京介は、ルークの荷袋から覗く銀の仮面へ目をやった。
「なあ、ルーク。それ、ずっとつけてて蒸れなかったのか」
「蒸れた。大変に」
返事があまり速くて、京介は吹き出した。シェリルも口元を緩めたが、すぐ紙に目を戻した。
「次に困ったら、仮面を作る前に話してください」
「そうしよう」
ルークは仮面を袋へしまった。
*
午後の終わり、開通した通路から、足音と食器の鳴る音が届いた。
先頭はトトノエだった。探索係が六人、縄や灯り、水と食料を運んでいる。最後尾の小柄な男は、星柄の裏地のマントを両手で持ち上げ、泥をまたいでいた。
「おお、ついに!」
ワクワーク五世の声が宝庫へ響いた。
「余は、この日を待っていたぞ!」
「頭上です」
トトノエが言った。王が慌てて屈み、冠の先が石をかすめる。
京介は笑いかけて、王の荷を見た。枕に替えの服。食料の量も多い。宝庫を見に来ただけにしては、ずいぶんな支度だった。
王は京介の木箱へも、金貨の山へも、ちらりと目を向けただけだった。
「奥は、どちらだ?」
「先に、こちらの報告を」
トトノエが王のマントをつかんだ。まいが肩を揺らし、京介は思わず自分の上着を見た。
石の返還の記録と、発見票をトトノエへ渡す。彼女は賢者の石をマリアの手元へ返し、紙の端へ署名した。
「ご家族からの寄託品ですね。賞の判定には入れません」
マリアは頷き、石を柔らかな袋へ収めた。水晶玉とは違う、帯の内側の袋だった。
「家へ送る、二通目の手紙もある」
「外へ戻る伝令に託します」
マリアが封を渡した。トトノエは板の間に挟み、ちょうど外へ戻る補給係を呼び止めて手渡す。家へ届くには、港からさらに海を越えなければならない。
それでも、マリアはその板が通路へ運ばれるのを、いつまでも見ていた。
京介は自分の箱を開けた。
「ワクワーク、これ。オレが見つけたんだ」
王が金の航路印へ目を落とす。
「ほう、よい輝きだ」
京介の胸が跳ねた。
「だろ。それで、ガッポリーノが――」
「詳しくは審査で聞こう。今は、奥を見せてくれぬか」
王の目は、もう京介の肩越しに、暗い大空間のほうへ向いていた。
京介は印を布で包んだ。ずしりとした重さは同じなのに、さっきより持ちづらかった。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




