第18話「値札に書けない景色」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
京介が金の航路印を机へ戻すと、サキトは自分の天測盤を反対側へ置いた。
机が、急に狭くなった。
「比べるのか?」
「同じ船の記録に載ってる。帳面のその行を写させてくれ」
サキトが指したのは、印を使った船名だった。ハリナは盤の裏を京介へ向け、擦れた字を示す。
「盤のここと合うはず。こっちの星の表も見せる」
「それで印の説明も増やせるってことか」
「説明するのは、お互い王の前だな」
京介は腰を下ろした。
敵の出品を強くしてやるようで、ちょっと嫌だった。けれど盤の裏を読めば、自分の印が通った海も分かる。まいも止めず、冷えたミエールくんを机の真ん中へ置いた。
「十呼吸で読めるところを決めてからね。続けて使うと、また待つことになるわ」
ハリナが頷き、紙へ大きな枠を描いた。
銀の縁から浮かんだ文字を、二人が交互に読み上げる。北の港、浅瀬の季節、荷を積める船の大きさ。京介は帳面にある同じ名へ線を引き、印を表裏から眺めた。彫り込まれた航路線が、さっきより広い海へつながっていく。
「この印を押した紙を見たら、次の港の人も船を入れたのかな」
「そういう使い方はありそうだ。船も荷も、毎回初めましてじゃ困る」
サキトは写しを畳み、帽子の内側へ差し込んだ。
「王に話すこと、増えたな」
「オレもな」
京介は木箱を閉じた。蓋の上を指で叩くと、硬い音が返ってきた。
金貨の箱のそばでは、シェリルが別の紙を広げていた。
丸い井戸と、屋根のある建物。それに、湯気の立つ椀が並んでいる。地図というには道が少なく、献立というには建物が多い。
「何を描いてるんだ?」
「お金が使えたら、最初に何をしたいかです」
シェリルは亜麻色の髪を耳にかけた。宝庫に入ったときから、その目は金貨より先のどこかへ向いていた。
「ここには、ガッポリーノさんが道や食べ物に使った記録もあります。今、井戸が壊れているところへ持っていけたら、直せます。学校で、温かいものを食べられるようにも」
京介は紙を覗いた。シェリルの絵にいる子供たちは、みな、両手で椀を抱えている。
「それで、皆さんにもお願いがあります」
彼女はまいを見て、それからサキトとハリナにも顔を向けた。
「どなたが優勝しても、この財宝を、困っている人のために使ってほしいんです」
まいが閉じた扇子を机へ置いた。
「全部?」
「……できるだけ、多く」
「あたしは、宝を人にあげるために来たわけじゃないわ」
宝庫の向こうで、からくりを叩く音がした。シェリルはその音が止むまで待ち、口を開いた。
「でも、まいさんは、もう暮らすのに困っていませんよね」
京介は顔を上げた。
まいの目が、細くなった。
「それを、あたしが欲しいものを決める理由にするの?」
「そういうつもりでは」
「今、そう言ったわ」
シェリルの指が、紙の角を押した。井戸の縁に小さなしわができる。
京介は何か言おうとした。思いついたのは、まいはそういうやつじゃない、という言葉だった。何が「そういうやつ」なのか自分でも分からず、唇を閉じた。
サキトが天測盤の布を掛けた。
「俺たちは船を買う」
乾いた音で、留め金が閉じる。
「今は、仕事も船も人のものだ。引き揚げに成功しても、次の港を自分で決められない。俺たちの船が欲しい」
「中古で、小さいのでいい」
ハリナが言った。
「小さいのでいいから、簡単に買えると思われると困る」
シェリルは二人を見た。言葉が見つからないまま頷くと、サキトは首を振った。
「今、諦めてもらうために言ったんじゃない。盤を磨くより先に、おまえに頷く約束はできないって話だ」
「……はい」
「援助の話なら、王城でも聞く。俺たちは盤を出す」
ハリナが革箱を肩へ掛けた。サキトも立つ。二人が棚のほうへ去ると、机の上がまた広くなった。さっきより寒い広さだった。
シェリルは紙を畳もうとした。
「しまわなくていい」
マリアが言った。椅子から戻ってきて、机の端に腰を下ろす。
「わたしは、自分の記憶のために来た。今日だって、ほかの箱を見るより先に、石を取ってほしい」
「それは、もちろんです」
「それを、わたしは遠慮していない」
マリアは言い切ったあと、まいを見た。
「待ってもらった。これからも、少し待ってもらう。ありがとうとは思っている。でも、早く欲しい」
まいは視線を外した。手の中で扇子が一度開き、すぐ閉じる。
京介は木箱の紐を指へ絡めた。
「オレは優勝したい。この印、すごいだろって、みんなに見てほしい。王城でいちばん前に立って、ミチシルベにも見せたい」
「知ってるわよ」
「知ってても、言っておく。これで井戸が直るから勝ちたい、って話にすると、嘘になる」
シェリルが京介を見た。
こんな顔をさせたいわけではなかった。だが、今だけいい顔をしておけば済む話でもなかった。
「でも、井戸の絵は捨てるなよ。オレが勝ったら、そこから話すから」
「使う量まで、今は約束しないのね」
まいが訊いた。
「そんな大きな金、見たこともなかったんだ。少し考えさせてくれ」
シェリルは井戸の絵を伸ばした。しわは残った。
「わたし、お願いしたら、まいさんも分かってくれると思っていました」
「分かってるわ。だから腹が立つのよ」
まいは相手の目から逃げなかった。
「困ってる人を見ないふりしたいんじゃない。でも、あたしの欲しいものだけ、しまって当然みたいに扱わないで」
シェリルが頷くまで、時間がかかった。
「さっきの言い方は、ごめんなさい」
「……うん」
「お願いは、取り消したくありません」
まいの眉が上がった。
京介は思わず口元を押さえた。ここで笑ったら、両側から怒られる。けれど、シェリルがその一言を残したことが、妙にうれしかった。
「じゃあ、あたしは考える。あたしがどれを選ぶかも、考える。それでいいでしょ」
「はい」
返事はしたものの、シェリルの肩は上がったままだった。
まいは紙の隅へ、短く書いた。
『作る人と運ぶ人にも払うこと』
「あと、それだけの仕事を、みんなの善意で片づけようとしないで。井戸を直す人だって、夕飯を買うんだから」
シェリルが文字を読み、教本の間へ紙を挟んだ。
和やかに次の話へ移るには、まだ二人とも顔が硬かった。京介は空の水差しを持ち上げた。
「水、くんでくる。ついでに昼のパンも」
「まだ昼には早い」
マリアが壁の明かりを見た。
「じゃあ、昼を早める」
「そういうところだけ、決断が早いのね」
まいが立った。京介の手から水差しを一つ取ったが、シェリルに笑いかけはしなかった。
*
休憩室の器にシェリルの灯りを入れると、乳白色の壁から暖かい色がこぼれた。
京介は机の端へ布を広げた。印を包み直すつもりだったのに、右手の包帯へ糸が引っ掛かる。ほどこうとすると、まいが向かいから手を出した。
「そこ、押さえて」
「このくらい、自分で」
「押さえて」
京介は左手で布を押さえた。
まいの指が、包帯の結び目を解く。洗った傷は乾きかけていたが、掌を開くと突っ張った。彼女は傷へ触れないよう布を持ち上げ、水で湿らせた端を添えた。
京介は何も言わず、相手の高いポニーテールを見ていた。
「見ないでよ」
「傷?」
「こっち」
まいの指が一瞬止まった。京介も目をそらした。何となく、そのまま窓のない壁を眺めた。
「まだ怒ってるか。三日目のこと」
「触ると痛い傷なのに、あたしがもう忘れてたら変でしょ」
返す言葉がなかった。
巻き直した布は、さっきより少し緩かった。指を動かすと、まいが頷く。
「痛いとき、平気な顔で重い物を持たないで。途中で落とされるほうが困る」
「分かった」
京介は手を引き、代わりに左手で木箱を開いた。黄金の航路線が灯りを拾う。
「これ、家にあったか? まいの家、いろいろありそうだし」
「こんな印はないわ。きれいな石なら、あったけど」
まいは余った布を畳んだ。指先から、さっきまでの苛立ちが少しずつ抜けていく。
「赤いのも青いのも、ガラスの棚に並んでた。客が来ると、大人が石の名前を言うの。どこで採れたか、値段はいくらか、誰の手を渡ってきたか」
「やっぱり、すごい家なんだな」
「貴族の家よ。食べ物に困ったことも、寝床を探したこともなかった」
京介は水差しを置いた。まいは金の耳飾りに指を触れ、笑おうとしてやめた。
「だから、さっきの言い方に腹が立ったの。ほんとのことだから」
「宝が欲しい理由、なくならないだろ」
「なくならないわよ。でも、何不自由なかった人間が言うと、贅沢に聞こえるもの」
彼女は床の砂をブーツの先で寄せた。
「家族にひどいことをされたわけじゃない。いろいろもらった。旅に出るって言ったら、危ないからやめてと言われたけど、帰ったら閉じ込めるなんて言われてない」
「じゃあ、何が嫌だったんだ?」
「あたしが聞きたいことは、札に書いてなかったの」
まいは箱の中の金を見た。
「その青い石があった山は、空も青いのか。赤い石を拾った川は、裸足だと冷たいのか。持ってきた人の靴に、どんな泥がついてたのか」
京介の中で、川が一本流れた。苔のついた岩へ足を置き、石を拾う手が水に沈む。身を切るほど冷たい川も、夏のぬるい川も知っている。赤い石がどちらにあったのか、確かに、気になった。
「聞いても、値打ちは変わらないって笑われたわ。悪気はなかったのよ。答えを知らない人もいた。でも、次に別の石を買ってもらっても、川の冷たさは分からなかった」
「それで、自分で見に行ったのか」
「最初は散々。靴は合わないし、宿で荷を広げて怒られるし。値切ったつもりで、普通より高く買ったこともある」
まいはようやく笑った。
「初めて売った石なんて、運び賃を引いたら昼食一回分よ。ここにある金貨一枚にもならない」
「何を食べた?」
「魚の煮込み。骨が多くて、芋が崩れてて……すごくおいしかった」
声が、そこで丸くなった。
京介は宝庫の金より、その一皿を見たくなった。まいが知らない町で、自分で稼いだ金を握って、長い魚の骨に文句を言いながら食べるところを。
「あたしの足で山を越えて、あたしが拾った石で食べたの。あれをもう一回、って思ったら、次の山まで来てた」
「で、次がこの島か」
「途中に何個も山があるわよ」
まいは布の端で京介の膝を叩いた。汚れていたほうだった。
茶色のズボンに、白い埃が広がる。
「……悪かったわ」
「今の話のあとだと、怒りにくいだろ!」
「話の途中だったら怒りやすかった?」
「そういう問題じゃない!」
まいが吹き出した。京介も笑い、左手でズボンを払う。埃はなかなか落ちなかった。
「家へ、今回のことも書くのか」
「書くわ。まだ、どう書くか決まってないけど」
「川の冷たさからでいいだろ」
「今回は川より、泥のぬめりね」
「オレが転んだ話も入れるんだろうな」
「入れるところが多くて困るわ」
まいは、包帯を巻いた右手をちらりと見た。
「笑えるところだけにしておく」
京介は礼を言いそびれた。何に対して言えばいいのか考えているうちに、彼女は布の束を持って立っていた。
*
宝庫へ戻ると、青針組が荷をまとめていた。
天測盤の革箱には、布を当てた板が添えてある。サキトが持ち上げ、ハリナが背中の紐を締めた。動きに無駄がなく、京介は黙って見てしまった。
「もう帰るのか?」
「昼までに外へ出たい。来た側の外周補給路を使う」
ハリナが肩の紐を引いた。
「盤を抱えて、夜に歩きたくないから」
「こんなに残ってるのに?」
まいが棚を示す。サキトは金貨の山へ目を向けた。
「欲しいよ。今、かなり欲しい」
あまり率直なので、京介は笑った。
「だったら――」
「でも、これを運ぶ手を塞ぎたくない。明日、盤を王の前に出して、それで勝つ」
サキトは革箱の縁を叩いた。
「手伝ってほしいなら、今は話を聞く。帰る時刻は変えない」
京介はマリアのいる部屋を見た。シェリルが台の写しを束ねている。外周へ戻ればヤシロに読んでもらえる。サキトたちの速さでそこまで先行してもらえば、会い違うのも避けられた。
「ヤシロに、保管台の字を読んでほしいって伝えてくれ。オレたちも、このあと行く」
「分かった」
サキトはあっさり頷いた。
京介は地図を広げ、昨日通った外周の抜け道を指した。崩れた段を一つ避けられる道だ。ハリナが自分の地図へ写す。
「助かる。時間が少し浮く」
「その分、城で待ってろよ」
「遅いと笑うぞ」
「追いつくって!」
サキトたちが最後の荷紐を締めている間、まいは水晶の前へ進んだ。
結晶の群れには、古い台から切り離された一本が横たわっていた。両腕で抱えれば、胸から顎まで隠れそうな大きさだ。まいは正面から、横から、膝をついて下から眺めた。
ミエールくんには触れなかった。
「あたしは、これが欲しい」
京介は隣に立った。
「大きいな」
「小さくまとまる気はないもの」
シェリルが近づき、台の札を読んだ。設備ではなく、収集した鉱石の一つ。それを声に出してから、水晶の中に映る自分の顔を見つめる。
「まいさん」
「何?」
「その水晶をどうして選ぶのか、あとで、聞かせてもらえますか」
まいは振り返った。
京介は、さっきの口論が戻ってくるかと思った。だがシェリルは答えを急かさず、まいが動かした灯りに目を向けた。斜めの面を通った白い光が、二人の手の甲を横切る。
「全部、言葉にできるかは分からないわよ」
「はい」
「でも、これを見つけた日のことは、なくしたくない」
まいは水晶に触れた。京介も触ってみる。指先が冷え、奥に映った自分の頭が、ひどく大きくなった。
「オレ、こんな形じゃないぞ」
「どれ?」
マリアも覗き込み、しばらく京介本人と見比べた。
「笑うと、近い」
「本物のほうが?」
「うん」
まいが噴き出し、シェリルもつられて笑った。さっきの紙は教本に挟まったまま、まいの欲しい水晶は台に残ったままだった。
京介は木箱を肩へ掛け直した。
「行こう。ヤシロを待たせたら、入口で長い台詞を用意されるぞ」
シェリルが写しを抱える。マリアは航路帳を紺のスカートへ引き寄せ、京介より先に歩き出した。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




