第15話「本日の予報は魚と紙吹雪」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
人の絵が、魚に見え始めていた。
京介は古い札を二枚並べ、三枚目を置き、最初の一枚を持ち上げる。腕と尾びれの違いを見ようと目を細めたところで、シェリルに止められた。
「それも人です」
「魚も、こうやって広がるぞ」
「札の隅に、頭があります」
「じゃあ頭つきの魚だ」
「全部、夕飯にしないで」
まいのミエールくんが、机で小さく鳴った。使ったばかりの筒は温かく、次の札を読む前に冷ます時間がいる。シェリルの灯りを横から当てると、薄い板の彫りが二重の影になった。
本人。落下。荷物。退避。継続。
読める言葉だけを書けば、まるで誰かが落ち続けているような文章になった。
来訪者の記録と、座席の作動記録。さらに搬出の記録。京介は種類ごとに札を寄せたが、端の丸と線が細かすぎて、どれが先か分からない。
「時刻の札、やっぱり抜けてる」
目録の小さな欄を指で叩く。『時刻対応札』の後に、一枚、とある。受け取った箱の仕切りには、そこだけ指ほどの隙間が空いていた。
「前の箱へ混じったのかしら」
「返す前はなかった。机の下も見た」
「では、受け口のあたりでしょうか……」
シェリルは目を擦り、すぐに手を下ろした。鉛筆の粉が指についている。まいが濡らした布を渡すと、礼を言いかけた口が欠伸になった。
マリアが椅子へ座り直し、膝に布を敷いて水晶玉を取り出した。
「見る」
京介は札を持つ手を止めた。
「今か?」
「この先、わたしがどうしているか」
水晶を抱える指が強くなる。京介の目にも、自分が見た三文字を何度も書くマリアの姿が残っていた。
「石が見つかったところが、見えたらいいな」
「選べない。見えるのは、三時間以内にわたしがいる所」
彼女は言い、そのあとで視線を落とした。
「でも、見たい」
まいが扉を閉めた。布の上へ置いたミエールくんが静まり、シェリルの灯りが動かない位置へ落ち着く。京介は机へ触れていた肘を退けた。
三十の呼吸が、狭い部屋をゆっくり通った。
外で車輪の軋む音がした。京介は扉へ目を向けたが、立たなかった。水晶を包むマリアの指先が、白くなっている。
やがて彼女が目を開けた。
「わたしの足元に、銀色の魚が落ちる。京介が、片足で踏んでいる。上から紙が、たくさん」
「……魚?」
「まいが言う。あんた、動かないで」
まいの眉が上がった。
「いつもの台詞だわ」
「いつもより変な状況で言ってるぞ、それ」
京介が自分のブーツを見下ろす。食べられる魚なら、さすがに踏みたくない。マリアの目は、何もない床へ向いていた。
「石は?」
尋ねてから、京介は言わなければよかったと思った。
マリアは首を振った。
「紙と、魚」
声が沈んだ。
まいは机の写しを集め始めた。航路帳と救護所の紙を袋へ戻し、古い札は重い箱へ収める。マリアも立ち上がり、少し乱暴に水晶を包みかけた。途中で布の端を引き直す。
「それ、わたしが持つ」
まいの手から航路帳の袋を受け取った。
「ええ。目録の写しは、こっちに残すわ。札の順が消えちゃうから」
京介は荷の砂時計を柱へ置いた。休息用の小さなもので、三時間を測れるほど大きくはない。砂が流れる横で、扉の外の車輪が止まった。
*
「引いてるのに、開かないじゃない!」
「サタンジョ様、横へ動く戸でございます」
「先に言いなさいよ!」
京介が扉へ手をかける前に、戸が勢いよく滑った。
えんじの羽根帽子が現れ、背後でプレスケの丸眼鏡が曇っていた。縞シャツのロクシロウが押し込んでいるのは、部屋へ入れるには背の高すぎる機械だった。
帆布の傘。蛇腹の袋。左右に羽根車。長い布の筒が伸び、その先の脇で、銀色の魚が揺れている。
京介とまいの視線が、同時に魚へ止まった。
魚形の文鎮だった。平たい金属の胴に目が刻まれ、尾の穴へ紐を通して蛇腹のおもりにしてある。
「そいつ、下ろせ」
京介が言うと、サタンジョが顎を上げた。
「あら、価値がお分かり?」
「魚のほうだ!」
「本日の発明、『いただき帳』。こちらの目録を一息に集め、先に宝の在りかを押さえるという、極めて合理的な――」
プレスケの説明へ、まいの扇子が割って入った。
「その目録、あたしたちが読んでるの。貸す気はないわ」
「いつまで?」
サタンジョが机を覗く。
「お昼から、ほとんど同じ所じゃない。上の二人なんて、もう銀の大物を見つけたっていうのに」
京介の胸へ、言葉が硬く当たった。
サタンジョはそれを見逃さなかった。長い筒を机のほうへ寄せる。
「あたくしたちが先に読んで、宝を取ってきてあげる。あんたたちは、ここでお勉強の続きをなさいな」
「取ってきた宝も、貸してくれるわけ?」
「見学料は、お友達価格にしてあげる」
「お友達の認識から食い違ってるわね」
まいが筒の先を押し返した。プレスケは困った顔で機械を支えたが、戻すとは言わない。ロクシロウは机の向こうにマリアがいることに気付き、把手へ置いた手を一度止めた。
「アネゴ、あっちの袋は?」
「私物だぞ。手を出すな」
京介が言った。
「これは、わたしの」
マリアは袋を胸へ抱えた。その言い方に、サタンジョの目が向いた。
「ああ、なくしたっていう記憶の。そちらは要らないわ。目録の写しをいただくの」
「それも使う」
「古い札は残るでしょう?」
マリアは答えず、机の前に立った。
サタンジョが舌を鳴らした。
「ロクシロウ。人を避けて。そこの白い紙だけ!」
「待てって!」
京介が伸ばした左手を、筒がかわした。
蛇腹が伸びる。乾いた風が顔へ当たった。筒の向きが逆だと気付いたプレスケが、眼鏡を押さえる。
「そちらは吹き出し側でございます!」
もう紙は舞い上がっていた。
日付の写しが裏返り、三枚揃えた作動記録が散る。入口の棚に積まれていた王城の紙も、その風へ吸い込まれた。机に一つずつ置いていた午後の仕事が、白い群れになって頭上を飛ぶ。
「止めろ、ロクシロウ!」
「手は離したぞ! おもりが、勝手に下がってる!」
魚形の文鎮が跳ねた。
京介は扉を足で閉め、紙が通路へ抜ける隙間を塞いだ。まいが大きな布を広げる。シェリルは反対側を取ったが、端が風に煽られて手から抜けそうになった。
「低く! 机の下へ落とすぞ!」
マリアは壁際へ退き、航路帳の袋を椅子の陰へ置いた。片手で落ちてきた紙をつかみ、もう一方の手を袋から離さない。
サイコロWが、京介のポーチで鳴った。
彼は左手で二個を掴んだ。机の下、石の床へ目を走らせる。機械の大きな本体までは、五歩の外だ。自分のそばの紙を受ける布だけを、まいに寄せてもらう。
「何が出ても、布を下へ!」
「分かってる。あんたも頭を引っ込めて!」
今日はまだ一度も使っていない。
京介は二個のサイコロへ能力を通すつもりで、床に投げた。
三と五。
八。
風が向きを変えた。
五歩の内側の紙が、京介へ寄ってくる。胸へ、肩へ、開いた布へ。三秒だけの風へ身体を合わせ、京介は左腕で紙の束を抱えた。右手は添えるだけでも傷が引きつった。
額に一枚、貼り付く。
『サタンジョ様の大宝物展 開場予定』
「お前らの広告まで飛んでるぞ!」
「返しなさい! それはまだ発表前!」
サタンジョが身を乗り出し、機械の帆布を踏んだ。
傘が傾く。魚を吊った紐の留め具が外れた。
銀色の胴が、マリアの足元へ落ちた。
京介は一歩踏み出し、平たい魚をブーツで押さえた。紐が張り、蛇腹が途中で止まる。風が途切れた部屋に、頭上まで上がっていた紙が降り始めた。
「あんた、動かないで!」
まいが叫んだ。
マリアが魚を見て、京介の足を見た。天井から落ちる紙が、彼女の銀灰の髪を撫でる。
「同じ」
水晶をしまってから、半時間も経っていなかった。
京介は踏んだ足を動かせず、額の広告だけを息で吹いた。落ちない。まいが紙を引き剥がし、そのままサタンジョの帽子へ押し付ける。
「公開、おめでとう」
「祝い方が雑よ!」
「片付けるまで、ここから出さないわ」
まいの声から笑いが消えた。
サタンジョも口を閉じた。床には目録が散り、王城の用紙の端が破れている。三人組の足元で、まだ蛇腹が軋んでいた。
*
魚から足をどけられたのは、プレスケが止め具を固定してからだった。
京介はサイコロを二個とも拾い、袋へ戻した。三秒では救えなかった紙が、棚の裏と机の下へ詰まっている。日付の写しは順番を失い、二枚はインクが擦れて、もう一度札を借り直す必要があった。
シェリルがその二枚を重ねる。唇を結んだまま、サタンジョへ顔を向けた。
「これを、書き直してください」
「あたくし、古代の字なんて――」
「わたしが読みます。今、読みますから」
細い声が引かなかった。
サタンジョは鼻を鳴らしたが、結局椅子へ座った。プレスケは傘を畳み、破れた用紙の枚数を数える。ロクシロウは床へ腹這いになり、棚の奥へ入った紙を長い棒で掻き出した。
「紙を宝へ換える機械になるはずでしたのに」
「こっちの時間を紙に戻してるんだぞ」
京介が言うと、プレスケの手が止まった。
返事はなかった。
机を挟んだまいは、黙って写しを並べている。マリアは袋を開き、航路帳の端が折れていないか指を滑らせた。そのあと、自分の名前が並ぶ紙を拾った。
真ん中に靴の跡があった。
ロクシロウが体を起こす。
「……オイラだ。ごめん」
マリアは紙を見たまま頷いた。裏返し、新しい名前を書いた。京介はそれを見て、三人組の装置を部屋の外へ押し出した。
通路まで出ると、傘が天井につかえた。
「どうやって入れたんだよ、これ」
「入るときは、少々曲げまして」
「出るときの分も考えとけ!」
ロクシロウが枠を押さえ、プレスケが留め金を外す。銀の魚が台へ置かれた。マリアが水晶に見た魚だと思うと、京介は変に目が離せなかった。
ロクシロウがその胴を袖で磨く。
「子どもが引っ張ると、泳ぐ飾りにはなりそうだな」
「そのあと紙を撒くのはやめろよ」
「星の形なら、きれいだぞ」
「今は四角い紙を拾え」
「うん」
太い指が、床へ散った最後の一枚をつまんだ。
京介は受け取り、部屋へ戻る。天井の光はもう机を離れ、上の道では車輪が一度、長く軋んだ。サキトたちが箱を動かしているのかもしれない。
まいも音を聞いた。
誰も、その話を始めなかった。
*
受け口へ引っかかった紙を抜いていると、指に硬い角が触れた。
京介は灯具を膝の間へ置いた。箱を戻す棒の下、布を巻いた留め具の隙間に、細い札が挟まっている。午後から探していた幅と同じだ。
右手を出しかけ、左の指を伸ばした。奥へ押すと取れなくなる。札の端へ薄い木片を差し、少しずつ手前へ滑らせた。
「取れた」
口に出した声が、自分でも驚くほど低かった。
まいが灯りを寄せた。
「その形、空いてた仕切りに合うわね」
シェリルが受け取り、端の文字を読んだ。
「時刻の読み方です」
京介は椅子へ座り込んだ。
古い札には、半分の丸、細い線、二重の点が並んでいる。一巡した丸が次の欄へ送られ、同じ種類の印を縦へ揃えると、時刻を比べられる仕組みだった。
「これで、続きが読める」
マリアが立ち上がった。
シェリルも頷こうとした。その目が、札から外れた。灯りが一瞬、ふっと小さくなる。
まいが本を受け取った。
「今日はここまで」
「あと、一箱なら」
シェリルが手を伸ばす。まいは本を返さなかった。
「同じ行、さっき二度読んでたわよ」
「でも、マリアさんが待って――」
「待ってる」
マリアが言った。
シェリルの顔が上がる。
「明日まで待つのは、嫌。でも、同じところを間違えて読むのも嫌」
彼女は航路帳を抱えたまま、椅子に座った。
「明日の朝、最初に読んで」
「はい」
シェリルは両手を膝へ置いた。まいは本を閉じ、留め具を掛けた。
京介は上の通路の音へ耳を澄ませていた。もう聞こえない。サキトたちが今どこにいるのか、地図にも書けない。
「明日は、五日目だな」
返事が三つ、重ならずに戻ってきた。
戸口に、銀色が光った。
「こちらで魚が降ったと聞いたが」
ヤシロだった。深青のマントの裾に砂がつき、銀の仮面は部屋の灯りを細く映している。
「そっちの通路に一匹いる。釣るなら持ってってくれ」
「なかなか重そうだ」
「味も期待するなよ」
仮面が、ほんの少し傾いた。
シェリルは時刻札を持ち上げた。
「ヤシロさん。ここを、読んでいただけますか。わたしは、丸が一巡すると次の欄へ移ると読んだんですけれど」
「同じ読みだ。裏の印は?」
シェリルが札を返した。小さな棚印がある。彼女は机へ散った札の裏を見て、同じ印のものを一列にした。
「ここから出た記録だけで、先に揃えます」
ヤシロは頷いた。指が二度動き、掌が上を向きかけて、マントの下へ戻った。
シェリルがその手を見た。
仮面へ視線を上げるまでに、短い間があった。
京介が声をかける前に、大会係が二人、食料の籠を持って現れた。外周閲覧室の先に、地上の補給所へ出る細道があるという。ハリナが通った道だ。
「上の保管室にも寄ってきました。大きな包みを下ろすので、明朝は荷車を一台回す予定です」
まいの指が、閉じた本の上で止まった。
京介は昨夜まとめた、崩落と道標の改竄の報告を係へ渡した。折り目を開くと、自分の署名が見えた。係は受け取り、見張り所へ回すと言って籠へ収めた。
係は三人組の壊れた装置も見ていた。破れた用紙の代金をプレスケへ告げると、彼は眼鏡を外して額を押さえた。サタンジョの抗議が通路で響く。料金をなくすよう頼む声へ、係は短く首を振った。
夕食には、豆と根菜の煮もの、新しいパンが来た。
マリアは甘く煮た根菜へ塩を振った。口へ運び、ゆっくり噛む。今度は水晶を見ず、自分の紙へ『甘い。しょっぱい。一緒がいい』と書いた。
京介が覗くと、彼女は紙を自分へ寄せた。
「明日、比べる」
「何と?」
「昔のわたし」
まいが隣で匙を止めた。そのあと、同じ根菜へ塩を足す。
「これ、かけすぎたら怒るわよ」
「自分でかけたんだろ」
「そういうときは水を寄せるの」
京介は水筒を左手で滑らせた。まいが栓を外し、飲んでから彼の前へ戻す。栓は、軽く載せてあるだけだった。
灯りを落とす前、京介は地図の裏へ書いた。
『四日目。記録庫。天測盤は上。時刻札を回収』
狭い隙間へ、もう一行。
『魚は踏んだ。食えない』
まいが覗き、鼻で笑った。
「そこだけ字が元気ね」
京介は返事をせず、痛む右の指をゆっくり伸ばした。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




