第14話「名前の続きを探しに」
オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」
https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI
絵の下にあった二枚の海図は、同じ島を描いていた。
京介は薄い板を並べ、東の入り江へ指を置いた。古いほうには嘴のように尖った岩があり、もう一枚ではその先が丸く欠けている。いま京介が知っている浜では、岩の根元まで波が届く。
「何年分も入ってるんだな、この箱」
板を裏返すと、嵐の年と、崩れた岩の形が書き足されていた。新しい形を古い線へ重ねず、横にもう一つ描いている。これなら、見間違えたのか、島が変わったのかが読める。
「同じ所へ、何度も帰ってきたんですね」
シェリルが絵の端をなぞった。
「宝を隠してあるなら、帰るでしょうね」
まいはその下の、妙に乱暴な字を読んだ。
『東の浜から入る。顔から潜るな。奥へは案内を読め』
「顔から潜ったことがあるのかしら」
「帽子がでかいから、先に引っかかるだろ」
京介は板の隅にある矢印を紙へ写した。内側へ折れ、さらに二度曲がって、目の印へ続いている。
今朝の分岐からでは、曲がる数が合わない。東の浜を起点にして地図を回すと、王城の札の向こう側へ矢印が重なった。
「外の人が使ってた閲覧室だ。ここの案内も、そっちにあるかもしれない」
「今朝の閉じた道を戻るの?」
「いや。見ろ、荷物を運ぶ道から、横へ細い通路が一本」
京介が立ち上がると、右手の包帯へ机の縁が当たった。顔に出たのを、まいに見られる。
「鉛筆、耳に挟んだままよ」
「知ってる」
「知らない顔してたけど」
彼女はそのまま灯具を持った。京介は鉛筆を抜き、紙の端へ通路の曲がりを書いた。
運搬台を止めた机から、壁沿いの狭い道を行く。途中、昨日までは入れなかった内側の壁に、今朝の王城の紐が裏から見えた。そこへは寄らず、図の通りに折れると、肩をかがめて通る小扉があった。
左へ引く取っ手を京介が握る。
戸は指一本ぶん動き、そのまま止まった。
「詰まってる」
まいがすぐ下を照らした。溝に折れた木片が食い込んでいる。京介はしゃがんで手を出しかけ、天井へ伸びた綱に気付いた。
「上、見せて」
石のおもりが、戸を引き戻すようにぶら下がっていた。まいは灯りを向けたまま、京介の顔を見た。
「今度は、見えるところで止まったわね」
返せる軽口があった。昨日も退避はさせた、と言うこともできた。
京介はどちらも出さず、荷から楔を一本取った。
「これを上へ。オレ、戸を肩で支える」
まいが綱の滑る溝を止め、シェリルが木片の周囲の砂を払う。戸へ背中をつけると、冷たさがジャケットを通して染みてきた。足の下で砂が鳴るたび、京介は靴底を据え直した。
「マリア、灯りを下。こっち」
「京介の靴の裏まで見える」
「溝を見てくれ。オレの靴は今、秘密だらけだ」
「昨日の苔があったら、あたしに渡さないでよ」
まいの言葉に、京介の口元が緩んだ。その隙に木片が抜け、戸の重さが背から消える。四人は荷を通し、開いた戸へ楔を戻した。
隣の部屋は、窓のない待合室に似ていた。
低い椅子が二つ。傾いた机。その奥に、銀色の縁を持つ大きな座席がある。左右の肘掛けから細い線が石板へ伸び、足元へ束になって潜っていた。
マリアが、灯りを持つ手を下げた。
「ここ」
京介は振り向いた。
彼女の指が開いている。掌を上へ向け、また下へ返す。目は座席に向いているのに、自分の手が先へ行くのを止めているようだった。
「来たこと、あるのか?」
「手を置いた感じがする」
声が掠れた。
「どこを見たのかは、出てこない」
肘掛けの白い粉に、五本の指の跡があった。マリアは真上へ掌をかざした。小指と親指の開きが重なる。触れそうになったところで、まいが灯具を一段低くした。
「そのまま。影が重なって、跡が見えない」
マリアは手を引いた。
床には王城の調査札が落ちていた。京介が拾い、埃を袖で拭う。
『安全装置作動の跡。操作禁止。外周救出記録と照合を要す』
「救出」
マリアが言った。水晶玉の袋を脇へ寄せ、救護所の紙を開く。折り目は白く擦れ、何度も読んだ字がその中央にあった。
名前。賢者の石。外周の扉。波と星。
まいがしゃがみ、座席の下へ灯りを差し込んだ。
「この板、あとから付けてる」
銀の縁の下に、小さな金属板が留まっていた。波を二つ重ねた上に星が一つ。周りの深い彫りと比べ、線が浅く、文字の向きも違う。
シェリルが膝をつく。
「預けた品を受け取る場所……と、あります。これ、家の印で、保管の記録を呼び出すために付けたんだと思います」
まいは銅貨を取り出しかけ、その手を止めた。三つの印は、並べるまでもなく同じだった。
マリアは紙を持ったまま座席を見ていた。誰も座っていない。その空いた場所に、知らない自分がいるような目だった。
「ここへ座れば、思い出す?」
シェリルが顔を上げた。
「まだ、動かしては……」
「一度だけ」
「マリア」
京介は呼んだ。強い声になり、マリアの肩が動く。
彼は自分の包帯を見て、言い直した。
「そっちの札、読んでからにしよう。ここまで来たんだ。手がかりを一個ずつ落としたら、もったいないだろ」
マリアの手が下がるまで、少しかかった。
下がったあとも、足は座席へ向いていた。
*
机の向こうの壁には、舟、人、星、箱の絵と、箱の貸し出し方を示す案内があった。シェリルが写しを取るあいだに、京介は机の下の八つの引き出しを覗いた。
一つ引くと、鈴が鳴った。京介が頭を上げ、シェリルは息を止める。戸口のまいだけが、すぐに下の文字へ灯りを向けた。
「『忘れものに、ご注意ください』だそうです」
シェリルが読み終えると、京介は引き出しを戻した。
「古代の人、忘れものに本気だな」
「あんたの水筒、荷台よ」
「……今の鈴、オレを狙ったのか?」
マリアが七番の札へ指を伸ばした。
その引き出しだけに、『保管中』と書かれた薄板が下がっている。まいが机の下を覗き、シェリルが小さな止め金を押した。マリアは二人から離れず、取っ手に手をかけたまま待っていた。
鈴が鳴る。
深い茶色の革の表紙が現れた。
角は何度も繕われ、背の糸は古い茶から黒へ、一番端で青へ変わっている。中央には波と星。マリアは指の腹で、その星を撫でた。
表紙を開くと、折った紙が滑った。京介は左手で端を押さえる。右の指を出さずに済んだことに、思わず安堵した。
「これ、先に抜こう」
机に広げた帳面には、航路と港の名前が詰まっていた。文字の色が違う。太い線へ細い線が添い、井戸の場所に丸が増え、風を待つ浜へ別の名が書かれている。
最初の頁に、ガッポリーノの署名があった。
そのすぐ下へ、小さな丸文字。
『おとうさん、ここは浅い』
まいが笑った。
「お父さんの権威、沈んだわね」
「船より軽く済んでるだろ」
シェリルも笑ったが、マリアは頁を戻した。家族の絵にいた子どもと、小さな字を何度も見比べる。
次の頁には別の港。さらに先には、少し大人になった女性の顔があった。耳元の髪が、やはり折り返されている。年月が進み、島の名が減って、大陸の港が増える。海図は家の間取りになり、また海図へ戻った。
「代々、持ってたのね」
まいが言うと、マリアは青い糸へ爪を当てた。
「結び目が、内側」
「開くとき引っかからないように?」
「うん。わたしなら、そうする」
そこで一度、唇が閉じた。
「わたしがしたのかは、分からない」
京介は挟み紙を返した。
片面に、大陸から島までの航路と新しい日付。もう片面には、口を大きく開いた魚が描かれていた。周囲に鍋や秤の絵があり、魚の腹だけが大きすぎる。
「魚、何か飲み込んだのか」
「食べる話はあとで」
「絵の感想だって」
紙の隅に、名前があった。
マリア。
細い字で、旅の予定が続いている。
『古い航路帳の島を調べる。外周だけなら、一人でも歩けそう。奥へは勝手に入らないこと』
最後の一行には、違う筆跡で二本の線が引かれていた。
マリアは名の上へ指を置いた。自分の爪が字を隠すと、急いで退ける。
「この字、書ける」
京介は紙を一枚寄せた。マリアが鉛筆を持つ。書いた名の最後の跳ねまで、元の紙と似ていた。
「わたしの字」
頷こうとした京介の前で、彼女はもう一度書いた。
マリア。マリア。
四つ目で鉛筆の先が止まった。
「これを書いた日のこと、何も出ない」
シェリルが椅子を寄せた。まいは水筒を置いた。二人とも言葉を探す顔になっている。
京介は名前の並んだ紙から目を外し、窓のない壁を見た。さっき上の道を選んだ二人は、今ごろどこへ着いたのだろう。それが気になってしまう自分に腹が立ち、けれど気になることは止められなかった。
「帳面、最後まで見たい」
マリアが言った。
「家のことも、来た理由も。帰る所が、ここにあるかもしれない」
まいがしばらく銅貨を見つめ、それをしまった。
「午後も使いそうね」
「うん」
「……水を飲んでからにしましょ。あたしも、喉が乾いた」
*
昼の光が天井の溝へ来たころ、四人は運搬台のある内側の机へ戻った。京介が忘れていた水筒を拾い上げると、外周の通路からハリナが現れた。
肩の図面筒に、新しい擦り傷がついている。短く結んだ黒髪の先へ埃が絡み、革帽子を取ると額に汗の線が残っていた。
「水、ここで受け取れる?」
「まだ係は来てない。オレたちの分なら、少しあるぞ」
京介が言うと、彼女は水筒を振った。
「急ぎじゃない。外周の道が通ったから、その先へ行く。上にあったものだけ知らせる」
まいの姿勢が変わった。
「お宝?」
「銀の天測盤」
京介は水筒の栓を落としそうになった。
ハリナが紙を広げる。輪の重なった、丸い道具の写しだった。縁に細い刻みが並び、中央から細長い腕が伸びている。
「両手で抱えられる大きさ。革の持ち運び箱に、海賊の名と港の印がある。台へ固定されてなかった。船で使った携帯の道具だと思う」
「銀、全部?」
「見えるところは。まいなら、そこを最初に聞くと思った」
まいは答えず、図の細い腕を見ていた。京介にも価値は分からない。ただ、王の前へ持って行けば、光って回りそうなことだけは分かった。紙の束よりずっと、宝らしい。
「波と星は?」
マリアが尋ねる。
「この角にあった」
ハリナは箱の留め金を写した部分を指した。
「その下の字を一行、読める人を探してる。古い交易の言葉が混じってるから」
シェリルが手を伸ばしかけた。マリアの前には、まだ読み終えていない航路帳が開いている。
「それも、急ぐの?」
マリアが聞いた。
「急ぐ。運べるうちに下ろしたい」
「わたしも、急いでる」
ハリナはマリアを見た。次にシェリルの手を見て、紙を半分畳む。
「分かった。外の係に見せる」
シェリルの指が、宙に残った。
「一行なら、すぐに――」
「シェリル」
まいが机の向こうから手を伸ばした。
「自分の目、どれくらい疲れてる?」
シェリルは瞬きをした。教本に落とした視線が揺れる。
京介が紙を指した。
「それ、港の名前じゃないか。真ん中の三文字。南で、昔そう呼んでた港がある」
ハリナがもう一度広げる。シェリルは机に肘をつかず、立ったまま最後の言葉を読んだ。
「『購入』です。印のあとに年があって、その港で買ったという意味かと」
「ありがとう。写しの余白に、二人に読んでもらったと残す」
ハリナは手早く書いた。代わりに紙の裏へ、上の道の崩れた段と、外周へつながる角を描く。
「ここで荷物がつかえる。大きい台を使うなら、先に外す」
「盤の部屋は?」
まいが聞いた。
「そこは自分で」
「聞いてみただけ」
ハリナが去ると、足音が長く残った。
シェリルはマリアへ向き直りかけ、何も言わず、航路帳の頁をめくった。マリアも礼を言わなかった。鉛筆を持ち、白い紙へ三つの言葉を書いた。
家。来た理由。帰り方。
京介は自分の地図を横へ置いた。七日目の日没まで、三日と少し。島の形の端に、小さく『上部・天測盤』と書く。
その字だけが、つい強くなった。
*
閲覧室から写してきた案内の絵は、格子戸の四つの円盤とぴたりと合った。
舟、人、星、箱。四つの印は資料の種類で、その周りの小さな字が、一件ずつ箱を取り寄せる手順を示している。
『返却してから、次を選ぶ』
京介は、机の下にあった平たい箱を見た。
「こいつを返してなかったから、止まってたのか」
箱の底に二つの突起がある。空の金属棒へ合わせると、溝に収まった。まいが取っ手を回す。箱は乾いた音を立て、天井へ持ち上がっていった。
奥の棚が鳴った。
京介が人の円盤を回すと、違う箱がゆっくり降りてきた。思わず前へ出た額を、まいの扇子が止める。
「海賊の忠告、頭上」
「今、読んでる暇ないだろ」
「だから教えてあげてるの」
箱が台へ落ち着いた。中には、薄い古代の札が何枚も差されている。
一番上の札に、王城の新しい紙が挟まれていた。外周から調べた人が、読めた部分を写したのだ。
『大会開会の二十四日前。外周閲覧室。利用者一名。安全装置作動。外周排出扉へ搬出』
京介は救護所の紙を横へ寄せた。
日付が合う。
マリアが保護された場所も、外周の扉だ。
シェリルは札をもう一度光へかざした。細かい線が頬へ影を落とす。
「この下……経験の記録、退避」
「どこへ?」
マリアが身を乗り出した。
「そこが、まだ。装置の名前と時刻を揃えないと、前後が……」
彼女は箱を探り、小さな目録を取り出した。『時刻対応札』とある欄へ指を置くが、その仕切りには細長い空きがあるだけだった。
「先に、これを見つけます」
まいが札の端へ灯りを寄せた。丸い石の絵が現れる。マリアは航路帳を開き、挟み紙の裏を向けた。
同じ丸い石。同じ台座。
その横には、賢者の石、と書いてあった。
「なくなったんじゃ、ないのかもしれない」
マリアの声が、紙の間へ落ちた。
京介は鉛筆を取った。地図の余白はもう狭い。けれど、家、来た理由、帰り方の下に、まだ一行入る。
『石へ、退避』
書いてから顔を上げると、マリアはその四文字を食い入るように見ていた。
エンディングテーマ「ただいまの地図」
https://youtu.be/laoWeE9esnY




