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第13話「海賊の笑顔を追いかけて」

オープニングテーマ「WONDER VOYAGE」

https://youtu.be/Bs0_T5g4GqI

 地下の朝は、壁の匙から始まった。


 天井の溝へ差した光が、昨夜は黒かった模様の縁を拾っている。羽を広げた鳥だと思っていたものに、長い柄があった。


「飯の道具まで飛ぶのか。古代って忙しいな」


「食堂の印でしょ。寝起きから世界を広げないで」


 まいはブーツに足を入れたまま、踵を床へ打ち付けた。高いポニーテールを結び直す腕に、朝の光が走る。


 京介は笑って身体を起こし、右手をついた。


 掌の真ん中を細い針で突かれたような痛みが走った。


「……っ」


 慌てて肘へ体重を移す。包帯の下で、昨日の傷が存在を主張していた。青いジャケットの裾へ手を隠すと、まいの視線がそこへ落ちた。


「濡れてない?」


「平気。ついただけだ」


「隠さないで。手を見せて」


 京介が布を見せるまで、まいは次の靴に足を入れなかった。赤い染みは広がっていない。それを見ると、彼女は何も言わず、結びかけの紐を強く引いた。


 京介は左手で荷袋を寄せた。


 昨日塞いだ道が、眠っているあいだに戻っているはずもない。そこへ包帯まで付いてきた。指を曲げると痛むのに、妙に、叱られた声のほうがよく思い出せた。


「お水、置きますね」


 シェリルが四つの水筒を並べた。亜麻色の長い髪には、寝具の折り目のような癖が一筋残っている。六つの点のある教本は、もう開いていた。


 マリアは薄焼きパンを分けていた。三つの大きな切れ端と、指ほどの欠片を見比べ、欠片の隣へ干し肉を置く。


「四人分」


「一人だけ肉に転職してるぞ」


「パンが、足りなかった」


「あんたが昨日、最後の一枚を味見したせいね」


 まいに見られ、京介はパンから目をそらした。


「味見したのは半分だ」


「反対側の半分も味見してたわよ」


 シェリルが自分のパンを割った。まいも続き、京介が自分の分を持ち上げると、マリアは首を振った。


「干し肉があるから、これでいい」


「そうか。肉も立派な朝食だもんな」


「立派になる前に、あんたがかじらないでね」


 京介は口まで来ていた干し肉を止めた。


「オレのだろ!」


 笑ったシェリルの肩が、すぐに下がった。昨日の疲れが抜け切っていないらしい。彼女は教本の一行を追いながらパンを噛んでいる。まいがその本を閉じると、はっと顔を上げた。


「食べ終えてから。紙まで食べるわよ」


「はい……」


 壁の奥に、記録庫へ続く矢印があった。


 大会四日目の朝。いまから港へ走れば魚屋の焼き台に間に合う、と考えてしまう程度には、京介の腹は空いていた。けれどマリアは食べ終えた指を膝の上に揃え、矢印だけを見ている。水晶玉の袋にも触らない。


「記録庫からだな」


 京介が言うと、彼女はすぐ頷いた。


「うん」


「荷をまとめる。シェリル、朝の灯り、頼めるか」


「はい。もう少しだけ、食べたら」


 彼女の手に残っていたパンは、まだ半分あった。


 京介は立ちかけた膝を戻した。右の掌を避けて水筒の栓を回すと、まいが手を伸ばした。受け取ろうとしてくれている。そう思った瞬間、彼女は栓だけを取り、強く締めて返した。


「あんたの荷から水が漏れると、こっちの紙も濡れるの」


「……分かってる」


 朝の光が、羽のある匙の先へ移った。


     *


 分かれ道では、青い糸が先に揺れていた。


 サキトが片膝をつき、床へ伸ばした測り紐を巻いている。ハリナは壁の上の段を指で数えていた。二人の革帽子には同じ青糸の縁取りがあるが、荷の大きさは違う。ハリナの筒には図面、サキトの肩には結び目だらけの綱が載っていた。


「早いな」


「朝は同じ時刻に来るんだぞ」


 サキトが立った。片眉の傷が、笑うと少し短くなる。


 まいは四人の荷を積んだ場所を見て、それから二人の足元を見た。


「昨日の扉で十分歩いたと思ったんだけど」


「歩いたぶんは寝た」


 ハリナが図面を丸めた。


「その左、下へ続いてる。右は王城の封鎖札。真ん中は上」


 三つの道のうち、右は白い紐で閉じられていた。紐の先の壁には古い補修跡があり、星印の木札が下がっている。左には車輪の溝。中央の段は細く、途中で暗闇へ吸い込まれていた。


 まいがミエールくんを出し、シェリルの灯りへかざした。


「左が荷車。真ん中は……口のある箱」


「上の保管室、だと思います」


 シェリルは教本と彫り跡を往復した。


「左にも箱の印がありますけれど、その下は文字の束ですね。記録庫はこちらです」


「助かった。口のある箱に食われずに済む」


 サキトは中央へ荷を向けた。


「待てよ」


 京介が段の端へしゃがむ。真ん中だけが磨かれている。靴底より細い擦れ跡で、壁にも並行する二本の溝があった。


「これ、箱を滑らせる道だ。上の途中で段がなくなる」


「そっちはな」


 サキトが灯りを持ち上げた。溝の右側、張り出した壁の陰に、人が一人通れる幅の石段があった。入口の三段が崩れ、黒い空間に見えていたのだ。


 ハリナは測り紐を回収した。サキトが代わりに太い綱を手すりへ掛け、下から引く。


「端の石は落ちる。もし来るなら、中央を踏んで」


 彼女は靴先を壁の窪みへかけ、綱を頼りに崩れた三段分を上った。サキトが下から荷を渡す。二人分の重さが順に上がり、京介が地図へ線を引くあいだに、灰緑の目はもう上からこちらを見ていた。


「保管室なら、宝があるかもな」


「あるつもりで行く」


 サキトは右手の包帯をちらりと見た。何か言うかと思ったが、次の荷へ手を伸ばしただけだった。


 まいの足が中央へ寄った。


「上の見取り図、少し見せてくれない?」


「俺たちが測った道は、まだここまでだ」


「その筒に入れたほう」


 サキトは口の端を上げた。


「それは、見つけてからの自慢に取っとく」


 まいは一度、扇子で手のひらを叩いた。


「そう。あたしもそうするわ」


 シェリルが唇を開く。


「でも、マリアさんの手がかりも――」


「シェリル」


 マリアの声は短かった。


「それは、わたしが頼む」


 シェリルは言葉を切った。マリアは階段の下へ近づき、二人を見上げる。


「波と星の印を見たら、教えてほしい。わたしがここに来た記録を探している」


 ハリナが帽子の縁を上げた。


「印の形を描いて」


 マリアは救護所の紙を出さず、指で埃へ波を二つ描いた。その上に星を一つ。ハリナは頷く。


「見かけたら。探すのは自分たちの宝が先」


「うん」


「京介。下でいいもの拾ったら、こっちも自慢を聞いてやる」


 サキトが最後の段へ手をかけた。京介は咄嗟に、負けないぞ、と返しかけた。


 マリアの顔が見えた。


 その言葉を出したら、これから行く道まで言い訳にしてしまいそうだった。


「その綱、戻るまで張っとくのか?」


「俺たちの荷を下ろすときに使う。帰りが重くなる予定だからな」


「引っかかって泣くなよ」


「そっちこそ、紙に埋まるな」


 二人の足音が上へ遠ざかる。まいは聞こえなくなるまで中央を向いていた。


「……先、取られるかもしれないわね」


「はい。でも、マリアさんは――」


「聞こえてる」


 マリアが言った。紫灰の目がシェリルへ向く。


「宝が先に見つかるのも、分かってる」


 シェリルは本を胸に寄せた。京介は左手で地図を畳み、車輪の溝へ足を下ろした。


「行こう。記録庫までの距離は、歩けば縮む」


 まいはまだ中央を見ていたが、最後に自分の銅貨を握り、左へ曲がった。


     *


 低い天井の下を五十歩ほど進むと、壁に金属の輪が現れた。


 京介は荷車を結ぶ輪だと思って通り過ぎた。マリアが袖を引く。


「壁にもある」


 肩の高さに、もう一つ。その下だけが浅く窪み、白い床の線が四角く曲がっている。


 まいがしゃがんだ。


「引き出しみたいね。中に車輪がある」


 輪へ紐をかけて引くと、壁から平たい台がせり出した。小さな柵と取っ手があり、車輪は床の溝へ収まっている。


「古代の一人乗りだ!」


「古代の荷台よ」


「その荷物にオレを採用しようぜ」


「却下」


「採用試験が早いな」


 荷を載せると、台は指一本で動いた。京介は嬉しくなり、前の紐を左手に持った。まいが横の止め具を動かし、シェリルとマリアが後ろを押す。靴底を引きずっていたシェリルも、肩から本の重さがなくなると顔を上げた。


 通路はしだいに下りへ変わった。


 京介が壁の曲がりへ気を取られたとき、台が踵へ迫った。紐を引こうとして、反射的に右手を添える。


 痛みに指が開いた。


「京介!」


 マリアの声より早く、まいが止め具へ肘をかけた。木の棒が車輪へ食い込み、重い荷袋が一斉に前へ傾く。京介は左肩で台を受けた。胸から息が押し出される。


 止まった台の向こうで、まいの耳飾りが揺れていた。


「……右手、使うなら言って」


「勝手に出た」


「だから言ってるの」


「言う暇が――」


 言いかけたところで、まいが顔をそらした。


 京介は紐を握り直した。包帯の端が、曲げた小指に触れている。傷を見られたくなくて隠しても、荷台は待ってくれない。


「右じゃ引けない。下りは後ろから押さえてくれ」


 まいは返事をせず、紐を自分の腰の高さへ持ち上げた。シェリルも隣に並ぶ。


「わたしも持ちます」


「重くなったら、言うのよ」


「……はい」


 京介は前を歩き、詰まった小石を左手で拾った。一つだけ尖った石があり、ポーチへ入れず脇へ寄せる。まいの足音は背中のすぐ後ろにあった。


 次の窓で、道が途方もない穴へ開けた。


 丸い壁が、足元の下へ何層も落ち込んでいる。底では細い線が束になり、巨大な柱の周囲へ集まっていた。柱の上は見えない。見上げても、穴は石の環をいくつも重ねながら、暗い天井へ伸びていた。


「でかい……」


 京介は窓枠へ左手をついた。壁画にあった舟を思い出す。海へ出すなら、出口は横にあるはずだ。これはどこまでも上へ続いている。


 ハリナたちが向かった保管室も、この穴のどこかに口を開けているのだろうか。


「大きなお宝を運ぶには、便利そうね」


 まいも上を見た。さっきの険しい横顔に、欲張りな輝きが戻っている。


「持ち帰れる大きさにしとけよ」


「あんたの採用を取り消せば、荷台が空くわ」


「採用されてたのか!」


 マリアが台の縁を二度叩いた。


「記録庫」


 京介は顔を戻した。彼女の指す奥から、乾いた紙の匂いが流れてくる。地図へ窓の位置だけを書き込み、鉛筆を耳へ挟んだ。


「おう。こっちだ」


     *


 丸い机の上を、二本の金属棒が渡っていた。


 一本には吊り下げられた箱。もう一本は空で、その先が天井の暗がりへ消えている。京介が棒を目で追った拍子に、膝が椅子の角へ当たった。


「いっ……」


「あんた、その椅子にも勝ちたいの?」


「向こうから来たんだぞ」


「立ったまま?」


 まいはようやく笑った。京介が膝をさすっている横で、自分の布を机へ広げる。ミエールくんを置き、冷めた筒を指で転がした。


 奥は格子戸で、その向こうに棚が並んでいた。四つの円盤には舟、人、星、箱の絵。古代の文字を読もうと、シェリルが灯りを寄せる。


 格子の中央には、それより新しい木の板が掛かっていた。


『重いものを上から落とすな。昔のやつらも痛いものは痛いはずだ』


 署名は、ガッポリーノ。


「ここでも誰か、頭に箱を食らったのね」


「海賊に会ったら、椅子の件も言っておくか」


「二百年待たせるなら、謝らなくていいと思う」


 マリアの返事に、京介は笑った。笑い終えても、彼女は板を見上げたままだった。


「この名前は、知ってる」


「有名な海賊だもんな」


「知ってるだけ」


 彼女の指が編み房へ伸びた。


 シェリルが円盤を押しても、箱は来なかった。回しても動かない。格子を通して中を覗くと、空の金属棒へ戻ってくるはずの留め具が、途中で止まっている。まいが筒を覗いているあいだ、京介は机の下を探った。


 革で包まれた平たい箱が、奥へ斜めに入っていた。


 埃の線がそこで途切れている。周りの棚は灰色なのに、箱の縁には革の茶色が見えた。


「ここ、最近誰か使ってる」


 まいが膝をついた。京介は左手で箱を押し出し、彼女が布の上へ受け取る。開いた蓋の下に、港の絵があった。


 帆を畳んだ船。籠いっぱいのパン。大きな帽子の男が、片腕で子どもを抱いている。隣で笑う女性は、耳元の髪を細く編んでいた。


「これが、ガッポリーノ?」


 絵の端の署名が、頭上の板と同じ跳ね方をしている。


 まいは男の上着へ顔を近づけた。


「その留め金、灯りを」


 波を二つ重ね、上へ星を置いた印。まいが取り出した銅貨を並べると、擦れた刻印と絵の波が重なった。光の当たった角度だけ、古い星が五つの先を見せる。


「やっと、持ち主の顔に着いた」


 まいは嬉しそうに銅貨を指で返した。大陸で手に入れてから、どれだけの道をこれと歩いたのだろう。京介が尋ねようとすると、マリアの手が絵の端を押さえた。


 女性の髪。三つ編みの先を小さく折り返し、耳の下で留めている。


 マリアと同じ形だった。


「毎朝、編める」


 彼女は片手で自分の房へ触れた。


「誰が教えたのかは、出てこない」


 京介は絵と彼女を見比べた。似ている、と言いかけた言葉を飲み、箱を机の中央へ寄せる。


 まいは銅貨をしまわなかった。絵の留め金の横へ置き、指を離した。


「この箱、ほかにも入ってるわ」


「わたしが見ていい?」


 マリアの声に、三人の手が止まった。


「そのために来たんだろ」


「そう。でも、みんなの宝の時間も使ってる」


 京介の耳に、上へ去ったサキトの靴音が蘇った。まいも、何も言わない。


 シェリルが息を吸った。その前にマリアが続ける。


「もう少し、使いたい」


 京介は椅子を引いた。今度は膝をぶつけないよう、左の足で位置をずらした。


「座って見よう。立ってると、またこいつが襲ってくる」


 マリアが座り、まいは向かい側へ回った。シェリルの灯りが低くなる。


 子どもを抱く海賊の帽子には、大きすぎる羽が付いていた。その羽の根元に、子どもの手がしっかり掛かっている。次の瞬間には落ちそうな帽子を、男は押さえようともせず笑っていた。


 マリアは絵の下から、次の紙を引き出した。


エンディングテーマ「ただいまの地図」

https://youtu.be/laoWeE9esnY

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