第90話 セイリオス戦線⑤第四の八牙刃
戦場の北では、二つの騎兵隊が激突していた。
かたや西方はセイリオスの翼下、ラピテス人の戦車隊。柳の車体を雄牛皮で覆い、二頭引きに四人を乗せる大戦車、その大軍が惜しげもなく投入される。車軸からは百合のごとく刃の束を咲かせ、アルシアの兵列に迫っていた。
こなた東方の覇者、アルシアの牙兜。二千の部隊で本国より渡ってきたが、ケンタウロスに蹂躙されてその数は半分以下になっていた。
数で劣る彼らが戦車隊を食い止めているのは、ひとえに雨のおかげだった。濡れた下草が車輪を噛み、戦車の突撃を遅らせた。牙兜達は百合の刃をかいくぐり、己の倍を超す長槍で戦車隊を翻弄していた。
とはいえ、ラピテス人とて無策ではない。車上の弓兵は次第に狙いを定め、雨霧に隠れるアルシア兵を射貫いていった。
膠着した戦場に、二体の獣が現れた。
「調子悪そうだなァ、騎兵の衆!」
鉄の牙が百合ごと車軸を噛み砕く。一台の戦車が安定を失って横転した。
転げ落ちた御者の首を黒槍が跳ね飛ばし、主を失った馬を獣人の爪が引き裂いた。
「もうちょっと粘っとけ!俺は今から前に行く!」
巨大な虎と狸は風のように西へ走り去った。
走り来るその黒影をはじめに認めたのは、鉄人達だった。
無頭人の大半に通過を許しながら、何とかその後列に食らいつく。そんな状況でも、その獣は否応なく目にとまった。
「鉄虎!!なんで!?」
エラトスが驚愕の叫びを上げた。無頭人がまた一人走り抜けたが、追う素振りも見せない。
彼らには崇敬の対象でさえあった、神域ステュムパーロスにあって最強の神獣。見間違えるはずもない。これを余所者に仕留められたことは一族の汚点だった。
「じゃあ、あれが神獣殺し?飼い慣らしてたっていうのか!?」
鉄虎に騎乗する壮年の男。薄布一枚きりで戦場を駆けながら、傷の一つも見当たらない。
鉄虎に打ち勝った男が東へ渡り、アルシアの将軍に収まっていることは鉄人達も知っていた。セイリオスから命ぜられた従軍に乗じて、ティグリス・テラトクトノスに対面する機会を密かに待つ者も多かったのだ。
「そうだぞ、坊主。覚えといてくれよ?」
立ち塞がる若き英雄を飛び越えざま、ティグリスは真上から槍を振り下ろした。
エラトスは咄嗟に刃を躱したが、代わりに鋼鉄の柄が強かに黄金の頭蓋を打った。明滅する霞が視界を侵食し、膝から力が抜ける。
「待……」
何とか踏みこらえた。もはや呼び止める理由も分からぬまま手を伸ばすが、虎上の将は振り返りもしなかった。
「そうそう、アレの名前は虎鉄だぞ」
ふらつくエラトスの横を、さらにもう一人の敵将が悠々と通り過ぎた。
「うっ、く……」
もう限界だった。ただでさえ象獣人と無頭人を相手取って満身創痍のところへ、最大の一撃。全身から夥しい血液が流れ出し、戦意を削り取ってゆく。
「退くんだ、エラトス!」
「これだけ戦って、もう十分だ。セイリオスだって文句は言えない」
四人か、五人か。霞む目では仲間を数えることも出来なかったが、鉄の腕を感じながらふっと意識を手放した。
* * *
セイリオス本陣。紅の軍は象の獣人軍を目に見えて押し返していた。
「アゴモス家に栄えあれ!」「大王、万歳!」
百狠隊が歓声を上げながら、手斧を振るう無頭人と激しく打ちあう。後方では未だ咆哮に縛られながらも兵達がずらりと楯を構えていた。
象の円陣は、足下を護る無頭人の存在ゆえに未だ崩されていなかったが、もはや前へ出られる見込みはないように思われた。
「緩むことなく押し返せ!獣を仕留めた後は雑兵どもが来おるぞ!」
無頭人を斜に刻みながら、ペリメドンが檄を飛ばした。
『ブオオオオオ!』
雄叫びを上げて手近なセイリオス兵をペリメドンへ投げつける。仲間の半数が死傷するにおよび、部隊長デンドロンは迷っていた。
咆哮を止めればセイリオス兵も動くが、後続のアルシア兵も来られるだろう。大規模な乱戦の隙に撤退した方が、同族の被害は小さいかもしれない。
「こォら、デンドロン!とっとと進めい!」
その大音声は逃げの算段を見透かしたように、巨大な耳へ届いた。
居並ぶ百狠隊をなぎ倒して、黒鉄の獣が飛び出した。
「将軍……」
「後ろが詰まっとるだろうが!」
名乗りもしないまま、ティグリスは槍を振るってペリメドンに襲いかかった。
「あいわかった……突撃だ!」
『ブオオオオオオン!』
残った力を振り絞り、巨獣が円陣を崩した。横一列になり総大将に続いて前へ出る。
「獣ふぜいが、今さら悪あがきを」
小デイオンは舌なめずりをして大剣を担いだ。獣人軍の突進を食い止めるべく、自ら一頭へ走り寄ろうとする。
ボッ!
「……むッ」
「若殿!」
その時、横合いから楯が投げつけられた。咄嗟に払おうとしたデイオンの前で、さらに早く百狠隊の一人が石突きで打ち落としていた。
「おお、よくぞ……」
「なあんちゃって」
思わず笑みを浮かべた紅い瞳が、そのまま凍り付いた。
今まさに己を庇ったその槍が、左の内股をざっくりと裂いていた。みるみる血が溢れ出し、白い脛当てを真っ赤に染め上げた。
「貴様!」
怒声をあげ、横薙ぎに大剣を振り抜く。だが重武装の兵は不自然な軽やかさで跳び退っていた。
「勝手に借りたけど、いい槍だな。俺が欲しいくらいだ」
白槍をくるくると弄びながら、緑の瞳でデイオンに目配せをした。




