第80話 マレアの戦い①遠見のムネストス
ダレオース様の対応は早かった。
「陣屋を張る!水場を探せ!」
幸い、すぐ南に小高い丘があった。
乾いた草原を踏み折りながら斜面を登ると、丘の南には水が流れていた。
アンテモエッサから逃げたときに通った川だ。尾根からだいぶ離れて、もう小川とは言えない太さになっていた。深そうだし、泳いでも渡れないだろう。
『荷の多い荷車から引きあげて。あんまり揺らさないように』
オドゥスや人形達にあれこれと指示を出して、荷運びを手伝う。
元々包囲戦のつもりだったのだ。荷車の列は丘を中程まで埋め尽くす量だった。
見下ろすと麓から川べりにかけて、大楯を構えた兵が十重二十重に取り囲んでいた。
頂上ではすぐに、慌ただしく天幕が用意された。味も素っ気もない、小さな三角形の赤いテント。
「軍議だ。そなたも来い」
ダレオース様に引っ張り込まれた。
椅子もなく敷布もなく、地べたに座り込む。細かい草がチクチク尻を刺してきた。
やがて、兜も脱がずさらに三人入ってきて、やたらと狭くなってしまった。
(あっ、デニケスさん)
三人目、見知った顔が最後に入ってきた。日に焼けた肉体は相変わらず頑丈そうで、背の低さを感じさせない。テント狭いし。
私と目が合うと、すっと兜を脱いだ。
「……レイリスでは助けられた。礼がまだだったな」
「お元気そうで何より。酷いお怪我でしたから」
「治る物は怪我に入らぬ」
ごく短く答えて、それきり口をつぐんでしまう。
何かスゴい持論を言ってた気がするが、私も黙った。昔の話をしてる場合じゃない。
「――さて。予定が狂った」
前置きもなく、ダレオース様が切り出した。
「まさかアルシアが野に出ていようとは。アンテモエッサの街を手にしておきながら」
「しかし、これは僥倖でしょう」
嘆息する王に、その場で最も若い男が食いついた。今呼ばれてるからには相当の指揮官のはずだが、三十手前くらいに見える。
「僅かずつ峡谷を通り蛇口門から入ったのでは、必ず寡で多に当たらねばならぬところ、全軍同士の野戦をしてくれようとは。我らの本領ではありませんか」
「テリメネス殿、そうとばかりは言えませんな」
熱弁する若者――テリメネスというらしい――を、もう一人がやんわりとたしなめた。
目尻の皺を優しげに細めながら、細く長い顎髭をしごく。こっちはだいぶ年季が入っていた。
(長老会にはいなかったし、六十よりは若いのかな。……いや、別に長老じゃない六十歳もいるか)
「アルシアは短期決戦の構え、すぐにでも西方の地を切り取ろうとしておるのです。じき冬になれば船は出せず、中の海を越えての補給が途絶えますからな。今のうちに、という考えは無理もない」
親が子を諭すように、静かに説き続ける。
「つまり、野戦で勝つ自信があるということ。レイリスにいた軍勢と将軍どもがそっくりそのまま来ているとすれば、数も我らの倍では済まぬでしょう」
(多分、そうだ)
デニケスと目を見交わす。レイリスには島が出来そうなくらい軍艦が集まっていた。
アンテモエッサへ来た後にも、レオニダスはもう見た。ティグリスも、カッサンドラも、エウフラテスもいたっておかしくない。
元々街を攻めてたトリバロスの軍だってあるのだ。一体どれだけの数になるのか。
「そなたの鳥は我らより多いと言っていたな。もっと詳しくは探れぬのか」
ダレオース様がそう言ったとき、外でざわめきが起こった。
慌てて全員で天幕を出ると、脳天を貫かれて地面に転がる大ガラスが目に入った。その横では、ヘーロが黒弓を担ぎ直していた。
「これって……」
どう見ても大きすぎる、人間並みだ。普通のカラスではない。
「ああ……獣の姿になってるが、獣人だね」
骸を調べながら、テロンが説明してくれた。
「レイリスで見た、アルシア方の翼信だ。偵察に来たんだろう」
「でかした、オーキュステー。……しかし鳥の獣人とは珍しい物を。東西に何匹もおらぬはずだが」
ダレオース様は大ガラスを見下ろしていたが、やがて話を戻した。
「ふむ。こうなるとそなたの鳥も危ないか?」
「はい。敵にすぐれた射手があれば……」
矢の一本でも当たれば落とされてしまう。セイレーン姉妹はレイリスでも見せてしまったし、警戒されているだろう。
「普通の鳥を飛ばすことも出来ますが、数や布陣を報告させることは出来ないかと……」
「おっ、何か来たね」
頭をひねっていたとき、ヘーロが呑気な声を上げた。真っ直ぐ西……私達が来た方向を眺めていた。
ややあって、私の目にも近づいてくるものが見えた。
やたらに白い兵士達だった。兜も胸当ても白く塗り、房飾りからマントまで真っ白だ。
靴音も高らかに、純白の隊列が彼方まで続いていた。
「紅の軍……セイリオスですな」
背後から先ほどの老将の声。
(……白の軍じゃなくて?)
しかしダレオース様も知っていたのか、すぐに指示を出した。
「デニケス、使者に立ってくれ。ペリメドン王と話したい」
右拳を掲げて応え、デニケスは丘を駆け下りていった。
その背中を見送って、ダレオース様は天幕に戻った。
「ああ。猪馴らし殿」
私も戻ろうと踵を返したとき、穏やかな声に呼び止められた。
「我が息子の仇を討ってくだすったとか」
「えっ?」
何の話だかさっぱり分からない。
「私はムネストス。我が子フロンはヒュドラ征伐で優死を遂げ申した」
(……!レウカスさん達の……)
だが、ヒュドラ退治はエウクラトス様の功績。アリキオンがそう決めたはずだ。
「ご子息の仇を討ったのは王子です。私は、何も……」
ばつが悪い。そもそもヒュドラは殺せていないのだ。
「功を隠すことはない。王子は貴女の並外れた献身を讃えておいでだ」
しかし老将はそう言って、静かに微笑んだ。




