第72話 戦士の矜持
ダレオース様は渋い顔をしていたが、やがて頷いた。
「そういうことなら、待ってもよかろう。どの道、そなたには重ねて功を立ててもらわねばな」
そう言って左肩にかかる外衣を整え、一つ息を吐いた。
「先ほどの話にも出たが、明日は長老会だ」
「はい。エウクラトス様が私も出るようにと……」
深い碧の瞳が少し丸くなった。が、それも一瞬。
「ちょうどいい、そなたの従える異類異形も連れてくるのだ」
言い残して、大股で神殿を出ていった。
(とりあえず、婚姻の話は待ってもらえるのかな?)
その夜は、パンドーラ様がどうしてもというのでそのまま神殿に泊まった。私の後見人になったらしいし、断れない。
二人一緒になって、黒壇の寝台に潜り込む。牢獄より何もない部屋だが、唯一の家具は身分相応に豪華だ。二人で寝ても十分すぎるゆとりがあるし、何かの羽を包んだらしい布袋もフカフカだ。
面を外した姫君に背を向けて横になっていると、後ろから抱きしめられた。
「今日はありがとうございました。助け船を出していただいて……」
『うふふふ。パンドーラは楽しみだな~。ムーちゃんと結婚したら、ヒューちゃんずっとここにいてくれるもんねえ』
頬をすり寄せてきた。暗闇で、目をつぶっていてもなお凄まじい美貌を感じる。
「でも、私にはやることが……」
『パンドーラと毎日遊んで暮らすのは嫌?ヒューちゃんきっとその方が好きだと思うなあ』
ふと、思考が立ち止まった。
ヘーロに負ぶってもらうのが好きだ。テロンに頭を撫でてもらうのも、エウクラトス様のボソボソ声を聞くのも好きだ。
毎日は勘弁だが、パンドーラ様と遊ぶのも嫌いではなかった。
「……そうかもしれません。でも私は……」
里を焼かれた。復讐するのだ。ティグリスにも、アルシアにも。
瞳の奥が熱くなった。
あの日の炎をまだ私は覚えている。
「止めるわけにはいかないんです」
『可愛い~。やりたいことがいっぱいあるんだねえ』
* * *
翌朝早く、パンドーラ様が起きないうちに会議場へ向かった。
長大な石柱が左右に立ち並ぶ入り口は、セイレーン姉妹を乗せた荷車を楽々通してしまった。
オノスから降りて、所在なく立ち尽くした。
「あれが海妖というやつか。見るのは初めてだ」
「なんと。ケンタウロスとはこれほど巨大なものか……?」
「ダレオース様のお言葉でなければ、妖魔の類など神聖な議場は入れぬものを」
すでに、大理石の卓には長老達が座っていた。
こちらを見てブツブツと囁いている。あまり気持ちの良い内容ではなさそうだった。
(二十人くらいかな……欠席多めかも……あっ、こんにちは)
居並ぶ人数を数えていると、見知った顔。ドーロン様は入り口近くの席で、太ったお腹を窮屈そうにもぞもぞ動かしていた。目が合うと、悪戯っぽい笑みが帰ってきた。
奥の二つの玉座は、相変わらず一つ空席。エウクラトス様は、ダレオース様の玉座の後ろに控えていた。
(やっぱり長老会の成員じゃないと席もないのかな)
王子だけど、王でも長老でもないし。私と同じで立ちっぱなしだ。
「さて、始めるとしよう。今日の議題は多い」
ダレオース様が宣言すると、ざわめきがピタリと収まり全員が立ち上がった。
私も一緒に、拳礼をする。
「まず喫緊の話題だが、セイリオスだ」
もうあらましを聞いているのだろう、再び座った長老達は驚きを見せなかった。
その代わり、露骨に剣呑な空気が漂い始めた。
「ペリメドン王自ら、三万を率いてアンテモエッサを攻める。一切の援護は不要、ただリュキオンの前を通せとのことだ」
王の説明が終わると、何人かが一斉に気炎をあげた。
「我らに座して戦を見ていろと?大きく出たものだ」
「西方の盟主気取りか、セイリオスごときが!」
「先に兵を出さねば赤っ恥ですぞ。戦士の国が他国の軍を見送ったなどと」
戦場のような騒がしさの中、奥の方で一人が立ち上がった。満座の視線がそこへ集中する。
(……オイバロス様)
小柄だから気づかなかった。それに、心なしか前より痩せたようにも見える。元々細かったが。
「ま、兵は出さねばならぬでしょう。いずれにせよアルシアを駆逐せねば西方に未来はない」
特に気負うこともなく、オイバロスは話し出した。
「その戦功をセイリオスに譲ったとあらば、今後我らは彼の国の下風に立たねばならぬ。……ドロメーダ様もフィロラオス殿へ嫁ぐのですからな」
静かな語りが、その場の熱をまとめ上げる。
先ほどまで参戦を叫んでいた者も、うんうんと頷いて聞いていた。
「問題は、誰が行くかということですが」
「ああ、それなのだが」
立て板に水を流すような弁舌を、ダレオース様が遮った。
(……珍しい。口を出すなんて)
前に私が見たときは最後の採決をやっただけで、議論の間は黙っていたはずだ。
長老達も目を丸くして玉座を見た。
「兵を出すならば、指揮は私に執らせてもらいたい」




