第71話 大王の自負
「三万だ。次の満月までに三万の兵が、ステュムパーロスからマレアの野へ抜け、アンテモエッサへ征く」
野太い声に赤髭を震わせて、ペリメドンは宣言した。
(……この近くを通るってことかな?)
「待たれよ、ペリメドン王」
エウモルフォス様が口を挟んだ。
「貴国が中の海まで軍を進めるなどと、お父上の代にもないはず。アンテモエッサはパルテナイの、マレアの野はリュキオンの裁量」
しかし、ペリメドンは鼻で笑った。むき出した右肩に筋肉を盛り上がらせ、巨体がますます大きく見える。
「異な事を言う。西方の大地に東の敵が踏み入った。最強の王が事に当たるは道理だろう」
ふと、真紅の視線を逸らし、私――の横にいるパンドーラ様を見据えた。
「それに我らはもはや身内も同然のはずだ。弟とドロメーダ姫は婚儀こそまだだが、既に契りを約した間柄。この戦で国崩しを我が破った暁には、パンドーラ姫も晴れて我が伴侶となる」
『――左様』
言葉少なに妙音が応えた。
笑っている。のっぺりした仮面で顔を覆っていても、それが伝わってきた。
その答えに満足したのかしないのか、ペリメドンは一つ酷薄な笑みを浮かべて座を見渡した。
「安心しろ、助太刀は頼まぬ。我らは最大であるからな。リュキオンはただ黙って我が軍を通せばよい」
「アンテモエッサは……攻めるに、固く……守るに、易い……」
独り言のようにエウクラトス様が呟いた。深く裂けたままの唇に白い奥歯が見える。
「包囲戦、を……?長引く、だろう……」
落ちくぼんだ眼窩から、静かな視線がペリメドンをじっと見つめた。
「セイリオスに糧食の心配か?我らの実りは他国全てを合わせてなお勝る」
ハッ、と嘲弄混じりの吐息がこぼれた。
「もっとも、何か差し出す物があるというなら敢えて断りはせぬがな」
しばしの沈黙の後、ダレオース様がまた口を開いた。
「いずれにしても急な頼みだ。この場だけでは決めがたいな。……幸い、明日は長老会だ。その後に返事をするとしよう」
「ふん、まあ一日くらいは良かろう。話し合う必要などないと思うがな」
ペリメドンは相手が要求を呑むと完全に決めてかかっている。
(まあ、この人が軍を出すって決めてるなら、どっちにしたって止められないし……)
まさかリュキオンとセイリオスで戦争でもあるまい。アルシアがすぐそこにいるのに。
(勝手に戦ってくれるんなら、通してあげるくらいいいじゃんね)
向こうもそう思っているのだろう。
用は済んだとばかりに足を出口へ向けながら、ふとダレオース様のほうへ振り向いた。
「そうだ、ダレオース殿。いずれリュキオンの双座を分け合う仲だから言っておくが、最大の王は何事も頼みなどしない。ただ意を告げるのみだ」
その宣言に対しては、誰も反応を見せなかった。
「……此度の宿主は私が務めよう。お前達、セイリオスの客人衆を我が家へ」
二人の王子が無言でペリメドンの横に並び、そのまま神殿を後にした。
「えーっと、それじゃ私も……」
「ああ待て。猪馴らし」
失礼します。と言いかけたところ、ダレオース様に呼び止められた。
そういえば、私が呼ばれた理由がよく分からない。
「聞いているぞ。レイリスへ発って以来、大変な活躍だったそうだな」
「え?あ、はい……。ありがとうございます」
青い瞳が私を捉えた。息子達と同じ色でも、鋭さが違う。かぎ鼻も相まって鷹のようだ。
「魔術師とは凄まじいものだ。巨像を動かし、獣人軍を手玉にとり、死霊術すら用いたとか」
鷹の視線に射すくめられて、コクコクと首を振った。
「……はい。未だに、力のほどが分からない事も多いですが」
「パンドーラに耐えることといい、まさに英雄と評価せねばならぬ。……もはやドーロンの客人では到底収まらぬ」
「そなた、リュキオンの者になれ」
突然飛び出したその言葉に、内心で首を傾げる。
この間、似たようなことを言われたばかりだ。
「私は、アルテミシオンの巫女を務めております」
まだ何も務めてないけど。
「……そうか。あの土地はそういう名を付けたのだったな」
ひとつ大きく息をついて、ダレオース様は続けた。
「だが、巫女は代わりのある地位だ。リュキオンの市民か、その一族でなければ、祖国に永劫の忠誠を誓うという証にならぬ」
(……忠誠って)
ヘーロなら嫌がるだろうな。私も別に誓いたくない。
「なるべく血統の確かな者と契るのだ。……変則的ではあるが、市民と等しく地位も土地も得られるよう図らおう」
(……どうやって断ろう)
アリキオンみたいなこと言い出した。こっちは奴隷女扱いじゃないあたりもっと気合いの入った説得な気がするが。
「……不満か」
一瞬下を向いた隙に、距離が縮まった。思わず見上げると、眼前にまで来た巨体から思案げな視線をもらっていた。
「……エウモルフォスではどうだ。正妃になるよう私が口利きをしよう。一国の王族が異邦人を伴侶とした例もないではない」
「え、エウモルフォス様?」
私の遍歴からしてどちらかと言えば……って。何を言ってるんだか。
しかし、ダレオース様は私の反応を待たず、もう一人の可能性を否定した。
「エウクラトス、あれは強すぎる。戦士としても、王としてもだ」
険しい顔で、一瞬虚空を見つめる。
「……均衡をとらねば。エウモルフォスがそなたを抱えて内にあり、エウクラトスが外で版図を拓く。ニーソス王家を外から継ぎ足すのだ、ミノス王家を割ることはできん」
(そんなこと言われても)
しかしまずい。ペリメドンじゃないが、これは頼みとは思えない。
その時、両肩に手が置かれた。そっと肌に吸い付く細い指。いつの間にかパンドーラ様が後ろに立っていた。
『双子は、共に契るのが慣例。分かたれた二つは常に等しくあるべき物なれば』
(そうなの?)
ドロメーダ様が式を挙げてないっぽいのも、パンドーラ様の婿が決まらないからなのか。
ダレオース様はジロリと仮面を睨み付けた。
「待てというのか?エウクラトスの伴侶が見つかるまで?」
『左様』
歌うような調子で、神令が下る。
『新都の巫女ならば、本国の巫女とは姉妹の縁。当面は、吾が後ろ見を』




