第69話 邂逅、快行、パンドーラ
『ヒドいよおヒドいよお、何年も帰ってこないなんてえ』
神殿の小部屋で、パンドーラ様は完全に拗ねていた。顔を合わせるなり私を捕まえて放さない。
『ヒューちゃんはパンドーラのことなんかどうでもいいんだァ』
至近距離で天上の美声が泣き喚く。仮面もつけてないし、このままでは身が持たない。
「ひいい、ごめんなさいごめんなさい。……でも、一月ちょっとくらいだと思うんですケド」
どういう時間感覚をしてるんだか。
『そうだっけ?ヒューちゃん大っきくなったから間違えちゃった』
きょとんとしている。そんな急に背が伸びるわけないでしょ。
「どこも変わってませんよ。前と同じです」
『え~?違うもん。こんなに強そうじゃなかったもん』
不満げにこちらを眺め回していたが、やがてすっくと立ち上がった。
『まあいいや!遊ぼ遊ぼ』
「ちょっと!お面忘れてますよ!」
飛び出していくパンドーラ様に、何とか仮面を押しつける。これがなかったら大惨事だ。
外では、入り口の石段に腰掛けてヘーロ達が待っていた。
『あうう。レオちゃんだあ』
パンドーラ様は相変わらずヘーロが怖いらしい。そそくさと私の後ろに隠れた。
すらりと伸びた手足を精一杯縮こめているが、無理があると思う。
「あれ、エウクラトス様は?」
見当たらない。
「忙しいんだろ、どっか行っちまったよ。アタシ達もドーロンの旦那のとこに押しかけようと思ってんだけど、お前は?」
「えーっと……」
背中につんつんと指が当たる。早く帰ってもらえ、と言われてる気がする。
「後から行きます。……それで、あなた達も……」
オノスとセイレーン姉妹を帰らせようとしたら、また背中をつつかれた。帰らせるな、と言われてる気がする。
「じゃあ、また後で。ドーロン様に私達の食事もお願いしといてください」
「あいよ」
ヘーロは、抜かりなく距離をとっていたテロンとアイソポスを捕まえて去っていく。アイソポスは私から離れないんじゃないかと思ったが、やっぱりパンドーラ様の近くにいるのは危ないのかも。
三人の姿が見えなくなると、私の肩から木の面がずいと乗り出した。
『すごおい。お馬さん?』
(あれ?そういえば、前は会わなかったのか)
パンドーラ様の声はすべてが神令。
「オノスだ。馬ではなく、ケンタウロスだな」
『すごいすごい、パンドーラとお話できるのお?……そっちの鳥さんは?』
オノスは正気を保っていたが、姉妹は違った。目を見開き、半開きの口から涎を垂らす。完全に魅入られていた。
「セイレーンというものです。こっちがヒーメロペー、こっちがテルクシオペー。……ちょっと離れていただけますか」
白く輝く仙姿の前に立ち塞がり、姉妹から引き剥がした。
『はあ~い。じゃあポヌちゃん、こっち来て』
私も仔馬ちゃんと一緒に神殿の裏手へ向かう。
「実に妙なる声音だ……顔もさぞ美しかろう」
『うふふ~。見たい?ポヌちゃんは大丈夫かも』
「いや、待っ……」
カタリ。
止める間もなく、パンドーラ様は仮面を取ってしまった。
オノスの歩みが止まる。
「なんと……これは……」
漆黒の瞳が揺れている。オノスは二、三歩後ずさり、言葉にならない動揺を漏らした。
『どう、ビックリした?もう一人のコにも、見せてあげたいなあ』
(……見なくても分かるのか)
オノスはまだ何とか耐えられそうだったが、後ろの顔に何かされるのはまずい。パンドーラ様が下手なことを言ったら起きてしまうかもしれない。
大理石のような白い手首を取って、仮面を戻す。
「面をおつけください。でないと私もう帰っちゃいますよ」
『ああん、意地悪ゥ』
この方にはこれが一番効くのだ。
「それで、何をして遊びましょうか?」
『えっとねえ。パンドーラ、前からお馬さんに乗ってみたかったんだあ』
オノスの背中へ二人乗りになった。
パンドーラ様は私の後ろ、馬胴の中程に両足を揃えて腰掛けていた。
『ヒューちゃあん、気持ちいいねえ』
ぎゅっと後ろからしがみついて、小さく囁いてくる。
キャハハハハ、みたいな嬌声を最初こそ上げていたが、神殿の丘を下りればもう広場、周りは人々が行き交う市街だ。今は明らかに声を控えていた。
私以外に対しては、結構立場を弁えた方なのだ。
「面の姫君。パンドーラ様だ」
「娘っ子は猪馴らしで……なんだあの生き物は。何をしてるんだ?」
そこら中からひそひそ声が聞こえる。注目を集めまくっていた。
(安請け合いしちゃったけど、もしかしてこれ後で怒られるんじゃ)
私は言われたとおりやってるだけなのに。
「このまま広場の周りをちょっと回って、すぐ戻りますからね」
一方的に宣言して、オノスを急がせようとしたその時。
広場の隅、視界の端に紅い色が映った。
(!?)
『なんか見たことあるかも。誰だっけ、あの人?』
そこにいたのは、セイリオスのペリメドンだった。
周りにいくらか兵がいるが、その中で頭二つは抜けた巨体。伸ばし放題の燃える紅髪。見違えるはずがない。




