第66話 古株の新顔
そのポロスは、まさしく神獣だった。逆巻く神力が見えるようだ。
「ハハハハハ!」
後頭部の顔が哄笑をあげる。
『ポロス!ここへ来て、跪け!』
望月の縛霊、最強の神令。
しかし、白眼の顔は笑うばかりだった。
「もはやお前の荷引きではないぞ、小娘」
剥きだした牙を、紅い舌が舐める。
「我こそは魔窟!濁らざる毀壊の衝迫!矮小なる半族のごとき、踏み殺してくれる」
八本の蹄が浜の白土をガリガリ削った。
私への敵意は明らかだったが、ポロスは背中を見せたまま。なかなか突進してこない。
「狭量な。……恩人だぞ。あれのおかげで神獣に戻れたのだ」
向こう側、正面の顔の方から声がした。
「人間の恩だと?ケンタウロスが!大洋が雨粒に阿るようなものだ!」
前後の顔で言い争っていた。
倍に増えた手足をばたつかせる。
(向こうが、調和か?)
イアトロスもそうだ。前に調和、後ろに破壊の顔があった。
(大ババ様と合力して鎮めた、と……)
「闘争こそ我らの本懐、調和が破壊を御せるものか!」
半分ずつ揉めながら、それでもポロスの体はゆっくりとこちらを向いた。
調和の顔、深い憂いを湛えた黒の瞳と目が合った。
私に向かって、膝が少しずつたわんでいく。
(……やるしかない)
こんなところで暴れさせない。大ババ様と、同じ芸当を。
『オノス!私を手伝って。破壊の顔を征伏する!』
神獣を相手にするんじゃない。その半分だけだ。
「小賢しい……真似を……!」
今にも飛びかかりそうだった馬体が、少しずつ後ずさる。
『眠れ!その衝動を凍らせたまま!』
「学ぶべきだ。定命の者と生きるのも悪くはない」
四本の腕が、分厚い胸板を抱きかかえる。
次第に、荒々しい足踏みが収まっていった。
「ガッ……カッ……」
喉に何か絡んだような声を最後に、新しい顔は沈黙した。
散々えぐれた地面を悠然と踏みしめて、ポロスはこちらへやってきた。破壊の顔が眠っても、迸る神力は些かも衰えない。
(イアトロスのジイさんと同じ。まだ神獣だ)
ちょっと操れそうにない。
身構えていると、四本の腕が全て伸びてきて私の両手を握り込む。
「礼を言う。理性が狂気に勝利した」
くいっと下がったその顔はポロスなのだが、初めて見る柔和な表情だ。
「じゃあ、私の言うこと聞いてくれますか?これからも荷引きでお願いしたいんですけど」
「まあ、いいだろう。どうせ短命の輩、好きなだけ付き合ってやるとも」
(物分かりが良すぎる……)
普段はもっと頑固だった。人間に頭を下げるなんて矜持が許さないだろうし、神令を使わなければ絶対に荷車なんか引かない。
これはもう、ポロスではないのだ。
「これからよろしくお願いします、オノス」
「ひょえーッ。何で腕が増えとるんですじゃ!?あッ、脚も」
仲間達はとっくに天幕を片付けて待っていた。当然ながらポロス、改めオノスの変身は驚かれた。
「これが本来のケンタウロスというものだ。魔術師が戻してくれてな」
オノスは穏やかに談笑しながら大人しく荷車を引いている。
「しかし、この間見た集団は、ほとんど以前のそなたと同じだったような?」
「それはだな。我々は不死なのだが、変わりといって……」
メイコスは大興奮だ。
社交性の欠片もなかったポロスが世間話に興じている違和感も忘れ、ケンタウロスの歴史をあれこれ聞いている。
「あれは、猪馴らしがいつも連れているケンタウロスか?なぜ姿が違うんだ」
「しかし、連中の頭領はあんな感じじゃなかったか?ほら、王子と同盟を結んだときの」
聖山を登る道中でも、遠巻きにひそひそ声が聞こえる。
アンテモエッサの人々まで目を奪われて、後ろに乗っているセイレーン姉妹が目立たなかったのが幸いだ。
* * *
「ヘーロ、頑張ってくださあい」
翌日は朝から、皆で掘っ立て小屋作りに勤しんでいた。いつまでも天幕暮らしでもあるまいというのだ。
私は応援部隊。わずかに緑の茂った辺りに腰を下ろし、作業を見物する。
「働けよ、お前は。モグラの神獣かなんか連れてこい」
「そんなのいませんよ。それにヘーロはモグラ並みです」
聖山の白土はむき出しでかなり固いが、ヘーロは尖った丸太でゴリゴリ穴を掘っている。
「黙れこのガキ。こんなの牛王子にでも頼めってんだ」
「あーっ。失礼ですよ」
「いや……遠慮、しよう」
「わあっ!?」
いつの間にか背後に御本人。いつまで経っても足音が捉えられない。
(私も耳は良い方……だと思うんだけどな)
「頼みが……ある、のだが」
余計なことを考えてる場合じゃなかった。
「はいっ、何でしょうか」
「四山の都へ、行こう……共に」




