第64話 月の都
「狩り勝負でもするか?アタシとお前で、一番の獲物仕留めた方が勝ちな」
ヘーロがそう言うので、その日は朝から大森林に入った。
しかしいくらヘーロでも、獣に関して縛霊の魔術に敵うはずない。
向こうが森を駆け回っている間、私は片っ端から獣を縛り、新たな獲物を探させる。
大きなブナの根元、少し開けた木陰で休んでいると、みるみるウサギやリス、ツグミの山が積み上がった。
「ふふん!どうですテロン、私の勝ちでしょ?」
「そりゃそうだよ。座ってるだけで獲物が来るんだから」
初めはテロンも狩りをすると言って狸の姿になっていたが、早々に勝負を投げてしまった。
「えーと、一番大きいのは……」
女神に捧げる最高の獲物を選んでいると、バキバキと枝の折れる音。
「ヘーロ?お帰りなさ……って、何!?」
はじめヘーロの姿がよく見えなかった。とんでもない大きさの牡鹿を担いでいたからだ。
片角が私の体くらいありそうだ。左右の木々を押し退けながらやってきて、ポイッと投げ出す。足下が揺れた。
「御使い……」
身に纏う神力のわずかな名残。オドゥスと同じ、恩寵ある獣だ。
「よーしよし。アタシの勝ちだな」
ボーッと牡鹿を眺めていたら、そんな声が聞こえた。慌てて顔を上げる。
「そんな!私の勝ちですよ、一番獲ったんですから」
鹿自体は規格外だが、どう考えたって私が積み上げた山の方が大きい。
しかし、ヘーロは取り合ってくれない。
「一番の獲物って言ったじゃないの。なんかイチジクやらブドウやらが混ざってるし」
器用に山ブドウを引っ張り出して食べている。
小さい鳥獣に任せると野草や果物の類も集めてくるのだ。
「そんなこと言ったって、そもそも皆の食料を集めに来たんじゃないですか。多い方が勝ちに決まってます」
「どっちが勝ちでもいいよ……。というか探索は君の専門なんだから、大物を探して魔術をかけに行けばよかったのに」
「あっ、テロンまでそんなこと。乗せてくれたら行きましたよお」
「自分で歩きなよ。それでこの山、どうするの?」
考えてなかった。
結局ポロスやアイソポスも手伝いに呼んで、荷車まで往復させて獲物を持ち帰った。
ヘーロの牡鹿も解体すればいいものを、そのまま湾まで担いできた。
「むう。そんなに見せびらかしたいんですか」
「そうさ。アタシが一番の狩人だってとこをな」
「きいっ」
開けた場所では一段とデカい。鹿そのものにも、運んでいるヘーロにもどよめきが上がった。
騒ぎを聞きつけてきたアリキオンも、目を丸くしていた。私の分の山と、ヘーロの鹿をキョロキョロと見比べる。
「なんとなんと、凄まじいのう。毎日それだけ獲ってくれれば、人が増えても困らんのだが」
その言葉に浜を見渡せば、昨日までより人がまばらになっていた。
そればかりでなく、どこか弛緩した空気が漂っている。どっさり食料を持ってきたせいではない、腰縄に繋がれた集団がいないのだ。
「もしかして、もうアルシアの捕虜を?」
「ああ。先ほどドーレウスが連れて行った。千人近く減ったわけだが……予定通りなら、三千人を連れて戻ってくるのう」
一瞬眉をひそめたが、すぐにいつもの豪快な調子を取り戻す。
「それよりイノシシ娘よ、ちょっと来るのだ……オーキュステ―も」
「あいよ、ただいま」
アリキオンに連れられて、浜の南から陸側、大森林の奥へ進む。
「こんなに深くまで切ったんですね……」
辺りの木々は既に切り払われていて、歩くのに何の支障もない。
奇妙な光景だ。ちょっと横を向けば巨木の群れが聳えているのに。
気づけば浜を遥か後ろへおいて進んでいた。振り返れば、浜の端の岬が手のひらに乗りそうな大きさだ。根元の会議場に至っては豆粒にしか見えない。
やがて、手前に小高い丘が見えてきた。まだいくらか茂みに覆われているが、既に大勢が登れるだけの道筋らしき物があった。
頂上には、エウクラトス様が待っていた。パッと拳礼を捧げる。
「お呼びですか?」
「ああ。……ここを、街の……聖山に、しようと……思ってな」
「えっとつまり……神殿を建てるんですね?」
いいと思う。神殿がなければ都市ではない。私が呼ばれた意味はよく分からないけれど。
「それで、いずれの神に守護をお祈りになるのですか?」
やっぱり四山の都と同じ太陽神様かな。
しかし、牛頭は横に振れた。
「月の、女神を……」
(……えっ?)
「街の名は……アルテミシオン」
我が主の街。もしかして私が呼ばれたのは……。
「女神に仕える君に……巫女を……任せたい」
「つまりだ。我らは森を拓いてここに住むのでな、山野の主を祀らねばならん。太陽の御神と月の女神は御兄姉であることだしな」
アリキオンが横から説明してくれた。
「しかも王子、この牡鹿です。オーキュステ―が今日仕留めた物ですが……これぞ女神の赦し」
「うむ……。今夜、祈りを……捧げると、しよう……」
エウクラトス様は、ヘーロが脇に置いていた鹿をひょいと持ち上げ、体の状態を確かめた。
「王子サマ~。それアタシの獲物なんですがね」
「許せ。……戦働きが、出来るよう……図らう、から……」
「おや、そうですかい?」
(……嬉しそうだな)
機嫌を直したヘーロは、ふと眼下に広がる人の群れを見下ろした。
「しかし、アルテミシオンね。まあいつまでもトクソン湾でもあるまいし」
「ワシはエウクラテイアというのを申し上げたのだが……」
アリキオンは残念そうだ。
「私は、王……では、ない……からな」
『ラトの御むすめなる我が主、黄金の弓持つ乙女。ポイボス様の妹君、野山を駆ける御方……』
その夜は、篝火もいらないほどの素晴らしい満月だった。
トクソン湾中の人々が丘を見上げている。
何度も祈りを捧げてきた我が主だが、街の守護を祈るのは初めてだ。
『御身が懐に立ち入り、屋を構える者達を赦し給え、護り給え』
まだ神殿は建てられていない。祭壇も、丸太を縦横に組んだだけの簡易な物だ。
だが巨大な牡鹿の体重を受けてもよく持ちこたえている。
『ダレオースの子エウクラトス、大なるリュキオンの英雄が、御使いを御身の元に』
後ろを振り向くと、エウクラトス様が頷いて進み出た。普段は持たない長剣を抜き、牡鹿の首筋に押し当てる。
(まあ、黒斧を使ったら毒が回っちゃうし)
ぐっと、右肩が異様に盛り上がる。
野太い首をいともたやすく落とし、丘から浜までを埋める観衆に向かって掲げた。
『アルテミシオン!』
そう叫ぶと、そこら中から雄叫びが帰ってきた。




