第60話 コーレー・コーレー
コーレーの提案を受けて、男達は色めき立った。
「島に花咲く以前から、我々はパルテナイの友なのだ」
「おなごが囀るでない、これは民会の領分だ」
しかしコーレーはどこ吹く風、悠然と微笑んで胸に手を当てる。
「上階住まいの身で政に口を出す無礼、お許しを。ですが私は竪琴と同じ、ただ囀るのみ。音色を決めるのは弾き手の技量ですから」
「知ったような口を。ピンダロス殿の血筋とはいえ……」
「あいや、待たれい。ぜひリュキオンへ参られよ」
咄嗟に口を挟んだのはアリキオン。男達が目を丸くする。
「実は我々もそれを言おうと思っておったのでしてな……」
だがそれを静止し、エウクラトス様が話し出した。
「四山の都、ではなく……南へ……大森林の、先……トクソン湾へ……向かわれたい」
ざわめきが広がる。腰を浮かせた男達が、再び姿勢を戻した。
「我々は……ヒュドラを、退け……港を、築いている。だが、リュキオンは……海を、知らぬ。助力が、欲しい」
長い沈黙の後、一人の男が口を開いた。
「確かに、お力にはなれるだろう。しかもあなた方は命の恩人だ……。だが我々はパルテナイと長く友誼を結んだ間柄。リュキオン人の元へ行くというのは……」
その男は口籠ったが、別の者が後を受ける。
「そうだ。メレアやクレーネを頼り、機を見てパルテナイへ行くこともできるのでは?」
「メレア?クレーネ?とてもとても。到底収まりません」
(当たり前みたいに口出すな、この人)
パンドーラ様でさえ、大体ダレオース様の言いなりであの顔を使うのに。
再び険しくなる男達の視線を軽く受け流し、コーレーは滔々と話し出した。
谷間から北へ伸びるいくつかの分かれ道を指さす。枯れ草に覆われた細い道は昼間でも見えにくかったが、夜になっていよいよ頼りない。
「多くの者を置いてきてしまったとは言え、我々はアンテモエッサ。男衆だけでも優に千は超えましょう、女子供はもっと多い。奴隷、異邦人までも加えれば六千、いや七千……これだけの数でどこへ行くのです」
明瞭な語り口は聞く者に異議を挟ませない。
何よりその灰色の瞳に宿る、わずかな迷いも見せない硬質な意思が反論を封じていた。
テルクシオペーを治療すると言った時の、魔術師を使うと言った時の、ピンダロスの瞳と同じ。
「だいいち、アンテモエッサへ帰る算段もつかぬのです。どれだけの間世話になるかも分からぬまま、敵の追手も受けながら、他に奇特な友人を探すなどと。……トクソン湾へ行くか否かではない、旧い友がお気を悪くされるか否かが問題です」
コーレーは言葉を切って、ただ一人この場にいるパルテナイの男を見た。
「私に判断できることではないが……確かにここからパルテナイは遠すぎる。北への旅は厳しかろう」
憔悴しきった様子で、その男は包帯を巻いたこめかみに手をやった。
「本国へは使いを立てる。この場での判断が禍根を残さぬよう、できる限りのことはさせてもらおう」
その言葉に、コーレーは静かに頭を下げる。他の男達も互いに目を見交わした。
「何より、我々もそちらへ向かいたい。長くは保たぬ者がいる」
エウクラトス様は鷹揚に頷いた。パルテナイ兵は十人やそこら、傷の手当てをする間くらい居させても構わないのだろう。
「我々は身一つでここへ来たが、後から合流するための輜重隊もついてきておる。トクソン湾へ向かうなら、道中の食料、寒さを凌ぐ用意は最低限できるでしょうな」
アリキオンがそう言えば、もう異を唱える者はいなかった。
だが男達が頭を下げる中、コーレーがふと別の話題を切り出した。
「ところで、エウクラトス殿。アンテモエッサの者は、どうした立場で迎えられるのですか?」
「異邦人、だ……当面は」
「当面は」
噛み締めるように繰り返す。私の左肩を掴む細い指に、少し力が籠もる。
市民を拡げる。エウクラトス様はそう言っていた。でも、すぐとは行かないのだろう。
やがてコーレーも優雅に頭を下げた。
「リュキオンの英雄。ここにいる者は、生涯今日のことを忘れません」
翌日。私は朝早くからポロスに乗って走り回っていた。
『弓を避き牙を笑う野の疾風。大狩人の足踏みを逃れたる瞬脚……』
術が効いてウサギがトコトコと寄ってくる。後ろにも頭上にも、似たような鳥や獣がぞろぞろついている。
「結構な量になりましたね」
応援部隊が来るとしても食料集めは依然不安らしく、私もこき使われていた。
エウクラトス様が代わりに荷車を引いてくれたおかげで、ポロスを自由に使える。テルクシオペーも乗せているし滅多な人には任せられないが、あの方だと目立ちすぎるのが難だ。
「なんか怒ってます?」
ポロスの足取りが微妙に荒い。いちいち立ち止まらせるのが気に入らないんだろうか?でも走っている間に呪言なんか唱えたら舌を噛むのだ。
「馬車馬の真似事をしているのを一族に見られてしまった。これからは荷引きのポロスと呼ばれるんだ」
落ち込んでいる。悪いことしたかな。
(いや、私のせいじゃないぞ。イジメをする奴が悪いんだ)
その時、南の方から紅い一団が来るのが見えた。慌てて動物たちを引き連れて、行列へ戻る。
新しく来たリュキオン兵はみんな、男の一人分くらいありそうな大荷物を背負っていたが、それでもザクザクと小気味よく歩いてきた。
やがてこちらの先頭、荷車を引きっぱなしのエウクラトス様の前に、一人の兵が進み出る。
真っ昼間でもわかる赤ら顔だ。茶色の長い髭を二筋に束ねた男。見覚えがあるような、ないような。
「王子!ドーレウス、まかり越しましたぞ」
そうそう、そんな名前だった。
足早に近づく男。アリキオンとガッチリ抱擁を交わし、エウクラトス様に右拳を掲げる。
長く伸びた大行列を見て、満足そうに笑った。
「では、首尾よく?」
「よくは……なかったが。少なくとも、これで……算段は、ついた」
やがて小川がロータス河に合流する。私達は大河を下り、大森林へ向かって歩き出した。




