第59話 新天地へ
左右の尾根は大地に吸われて消えてゆき、次第に空が広がる。マレアの野へ進み出た頃には、秋の夕陽がそこら中を赤く染めた。
アンテモエッサから続く道筋は、へたれた枯れ草に覆われながら細く枝分かれして消える。波のうねるように微細な起伏を作る大地の所々に、オレガノやむき出しの岩場が小さな陰を生み出していた。
先行した集団は、緩やかな丘を越えた先、南の尾根から流れ出す小川のほとりで休んでいた。
リュキオン兵がアルシアの捕虜を取り囲んでいる傍らで、アンテモエッサの群衆はただただへたり込む。
「えー、どっこらしょっと」
「……ありがとうございました」
無事に合流を済ませ、オイトロンの背から降りる。
「おーう、ニキッペ。遅かったじゃないの」
ヘーロは私を待っていたらしい、すぐに寄ってきた。
だがエウクラトス様が抱えている男達に目をとめて、笑顔のままピクッと眉を上げる。
「どうにも辛気臭いツラだな?……何かあったのけ」
「それが……」
口を開いたとき、ヌッと目の前に影が落ちた。
重傷の二人を他の兵に預け、巨大な両手を広げる。
「私から、話す……。アンテモエッサの、衆も……聞いて……ほしい」
一斉にその場が静まる。牛頭越しのボソボソ声でも聞き取れるほどに、空気が張り詰めた。
「ピンダロス、殿が……優死を……なされた。他の、代表を……出されたい」
悲痛なざわめきが、あたりに満ちた。
「ピンダロス!ピンダロス!」
嘆きながら胸を叩き、かきむしる。
アンテモエッサの人々が送りの儀をしている中、ふとヘーロが顔を上げた。次いで、テロンも。
「……何か来るな。東と……南?」
「馬だ。東から来るよ」
すぐに、私の耳にも馬蹄の響きが聞こえた。
たった今通り過ぎた峡谷の奥から、馬に乗った一団が風のように出現した。
乗っているのは人間だ。革の鎧に、見たこともない、何か動物の牙を貼り合わせた兜。細い槍を持っている。
「アルシアだ!」「騎兵隊だ!」
迫り来る土煙を見て、再び群衆は狂躁に陥った。押し合いへし合いしながら、少しでも距離を取ろうと川べりににじり寄る。
「そちらを……見て、おけ」
(フ、方陣は?)
しかし、エウクラトス様は兵を前に出さない。捕虜を厳重に囲ませ直しただけ。
黒斧を構えすらしない。
(止めなきゃ……)
上の敵兵はともかく、乗っている馬は操れる。
「ヘーロ!私を守ってくだ……」
「落ち着け」
ごすっと頭に手刀を入れられる。兜越しなのにちょっと痛い。
涙目で振り返ると、ヘーロは退屈そうに欠伸をしていた。
「どーも出番はないね、こりゃ」
先頭のアルシア兵が槍を高く握った瞬間、突然馬ごともんどり打って倒れた。近くの地面に何かが突き刺さっている。
二筋の矢が、鎧と馬をそれぞれ貫通したのだと気づくのに、少し時間がかかった。
「ラウ!ララウ!ラウ!」
「イアトロス、ラウ!」
蹄の響きとともに、雄叫びのような音楽のような、甲高い声が響き渡る。
すぐに、巨大な影が小川を跳び越えた。
(ケンタウロス!)
「ティグリスなる輩はどこだ!」
先頭を走るのはイアトロスだった。長すぎる白髪を振り乱し、四本の腕で二本の弓から乱れ打ちに矢を放つ。
少し遅れて、他のケンタウロスも弓を構えつつ後に続く。
ケンタウロスは馬より速い。そして、その速度のまま弓を操る。
槍を携えたアルシアの騎兵はまるで対抗できなかった。
やがてケンタウロス達は、敵を囲んで円を描くように駆けはじめた。
「ラウ!ラウ!」
周りながら矢を射かけていく。
「狙うのは馬ばっかだな。陰湿だねぇ」
ヘーロの言うとおり、アルシア兵は次々と馬を射られて落馬していった。
円の中が人間だけになると、ケンタウロス達は囲みを解いた。
アンテモエッサへ退却しようとする者を、速度を落として追いかける。距離が離れたところを一気に追いついて、弓を使うでなく蹴り殺す。
(遊んでるのか……)
やがて、わずかな兵が這々の体で逃げていくと、ケンタウロス達も南へ引きあげていった。
夜は過酷だった。まともにテントの類が用意できている者などほとんどいない。
河原のあちこちで火が焚かれ、身を寄せ合ってどうにか寒さを凌ぐ。
ご飯もない。リュキオン兵が食料集めに走ったが、幼い子供や怪我人に回したら終わりだ。あるのは目の前の小川の水だけ。
私はピンダロス家の荷車の傍で、オイトロンからもらったままの毛皮にくるまっていた。
「そうですか、旦那様の最期はそのような……」
「申し訳も……ありません。私が、私がもっと上手く」
横に座るメイコスの顔を見られない。
メイコスもなにも言わなかった。ただ、強張った指がそっと背を撫でてきた。
「レオニダス……アルシア最大の英雄ですね。まさしく国崩し、今日で我が街はお終いです」
淡々と話すその声にふと顔を上げる。焚き火の向こうで、父親を失ったばかりの娘はただ静かに私を見つめていた。
さめざめと泣く母親の背をさすりながら、灰色の瞳が艶めいて輝く。
「魔術師よ、リュキオンの殿に私を紹介してくださいな」
「失礼。足萎えとは不便なものでしてね」
私の左肩を上から押さえるようにして、萎んだ右足を引き引き娘は歩いて行く。
エウクラトス様の焚き火には、十人余りの男達が集まっていた。
ほとんどはアンテモエッサの人間だろう。パルテナイ兵らしきスミレ色のマントもいる。
「すみません。お邪魔を……」
「……む」
「おお、イノシシ娘。少し見んうちに大きゅうなったのう」
声をかけると、エウクラトス様よりも、その隣に座っていたらしいアリキオンが反応した。
(やっぱりいたのか……隠れて見えなかった)
だが、多くの男達は、私より隣が気になるようだった。
「コーレー……」
「ピンダロス殿の……逃げ延びておったのか」
(コ、足萎え……本名?)
生まれたときからその右足はそうなのか。
「ふふ……どなたもお見知りおきを。私はコーレー。先の大港督ピンダロスが長子」
左足一本で優雅にキトンを翻し、エウクラトス様に微笑みかける。
「一つ、ご提案をしに参りました。我と我が街を……リュキオンへ」




