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タ・パンタ・レイ ーニキッペと最後の英雄ー  作者: 本間甲斐奈
第二章 健全な肉体に健全な魂が宿りますよう

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第59話 新天地へ

 左右の尾根は大地に吸われて消えてゆき、次第に空が広がる。マレアの野へ進み出た頃には、秋の夕陽がそこら中を赤く染めた。

アンテモエッサから続く道筋は、へたれた枯れ草に覆われながら細く枝分かれして消える。波のうねるように微細な起伏を作る大地の所々に、オレガノやむき出しの岩場が小さな陰を生み出していた。

先行した集団は、緩やかな丘を越えた先、南の尾根から流れ出す小川のほとりで休んでいた。

リュキオン兵がアルシアの捕虜を取り囲んでいる傍らで、アンテモエッサの群衆はただただへたり込む。

「えー、どっこらしょっと」

「……ありがとうございました」

無事に合流を済ませ、オイトロンの背から降りる。

「おーう、ニキッペ。遅かったじゃないの」

ヘーロは私を待っていたらしい、すぐに寄ってきた。

だがエウクラトス様が抱えている男達に目をとめて、笑顔のままピクッと眉を上げる。

「どうにも辛気臭いツラだな?……何かあったのけ」

「それが……」

口を開いたとき、ヌッと目の前に影が落ちた。

重傷の二人を他の兵に預け、巨大な両手を広げる。

「私から、話す……。アンテモエッサの、衆も……聞いて……ほしい」

一斉にその場が静まる。牛頭(ブーケファロス)越しのボソボソ声でも聞き取れるほどに、空気が張り詰めた。

「ピンダロス、殿が……優死(エウタナシア)を……なされた。他の、代表を……出されたい」

悲痛なざわめきが、あたりに満ちた。



「ピンダロス!ピンダロス!」

嘆きながら胸を叩き、かきむしる。

アンテモエッサの人々が送りの儀をしている中、ふとヘーロが顔を上げた。次いで、テロンも。 

「……何か来るな。東と……南?」

「馬だ。東から来るよ」

すぐに、私の耳にも馬蹄の響きが聞こえた。



 たった今通り過ぎた峡谷の奥から、馬に乗った一団が風のように出現した。

乗っているのは人間だ。革の鎧に、見たこともない、何か動物の牙を貼り合わせた兜。細い槍を持っている。

「アルシアだ!」「騎兵隊(ヒッペイス)だ!」

迫り来る土煙を見て、再び群衆は狂躁に陥った。押し合いへし合いしながら、少しでも距離を取ろうと川べりににじり寄る。

「そちらを……見て、おけ」

(フ、方陣(ファランクス)は?)

しかし、エウクラトス様は兵を前に出さない。捕虜を厳重に囲ませ直しただけ。

黒斧(カタルシス)を構えすらしない。

(止めなきゃ……)

上の敵兵はともかく、乗っている馬は操れる。

「ヘーロ!私を守ってくだ……」

「落ち着け」

ごすっと頭に手刀を入れられる。兜越しなのにちょっと痛い。

涙目で振り返ると、ヘーロは退屈そうに欠伸をしていた。

「どーも出番はないね、こりゃ」



 先頭のアルシア兵が槍を高く握った瞬間、突然馬ごともんどり打って倒れた。近くの地面に何かが突き刺さっている。

二筋の矢が、鎧と馬をそれぞれ貫通したのだと気づくのに、少し時間がかかった。

「ラウ!ララウ!ラウ!」

「イアトロス、ラウ!」

蹄の響きとともに、雄叫びのような音楽のような、甲高い声が響き渡る。

すぐに、巨大な影が小川を跳び越えた。

(ケンタウロス!)

「ティグリスなる輩はどこだ!」

先頭を走るのはイアトロスだった。長すぎる白髪を振り乱し、四本の腕で二本の弓から乱れ打ちに矢を放つ。

少し遅れて、他のケンタウロスも弓を構えつつ後に続く。



 ケンタウロスは馬より速い。そして、その速度のまま弓を操る。

槍を携えたアルシアの騎兵はまるで対抗できなかった。

やがてケンタウロス達は、敵を囲んで円を描くように駆けはじめた。

「ラウ!ラウ!」

周りながら矢を射かけていく。

「狙うのは馬ばっかだな。陰湿だねぇ」

ヘーロの言うとおり、アルシア兵は次々と馬を射られて落馬していった。

円の中が人間だけになると、ケンタウロス達は囲みを解いた。

アンテモエッサへ退却しようとする者を、速度を落として追いかける。距離が離れたところを一気に追いついて、弓を使うでなく蹴り殺す。

(遊んでるのか……)

やがて、わずかな兵が這々の体で逃げていくと、ケンタウロス達も南へ引きあげていった。



 夜は過酷だった。まともにテントの類が用意できている者などほとんどいない。

河原のあちこちで火が焚かれ、身を寄せ合ってどうにか寒さを凌ぐ。

ご飯もない。リュキオン兵が食料集めに走ったが、幼い子供や怪我人に回したら終わりだ。あるのは目の前の小川の水だけ。

私はピンダロス家の荷車の傍で、オイトロンからもらったままの毛皮にくるまっていた。

「そうですか、旦那様の最期はそのような……」

「申し訳も……ありません。私が、私がもっと上手く」

横に座るメイコスの顔を見られない。

メイコスもなにも言わなかった。ただ、強張った指がそっと背を撫でてきた。

「レオニダス……アルシア最大の英雄(ヘーロース)ですね。まさしく国崩し(ポリオルケーテース)、今日で我が街はお終いです」

淡々と話すその声にふと顔を上げる。焚き火の向こうで、父親を失ったばかりの娘はただ静かに私を見つめていた。

さめざめと泣く母親の背をさすりながら、灰色の瞳が艶めいて輝く。

「魔術師よ、リュキオンの殿に私を紹介してくださいな」



「失礼。足萎えとは不便なものでしてね」 

私の左肩を上から押さえるようにして、萎んだ右足を引き引き娘は歩いて行く。

エウクラトス様の焚き火には、十人余りの男達が集まっていた。

ほとんどはアンテモエッサの人間だろう。パルテナイ兵らしきスミレ色のマントもいる。

「すみません。お邪魔を……」

「……む」

「おお、イノシシ娘(カプリス)。少し見んうちに大きゅうなったのう」

声をかけると、エウクラトス様よりも、その隣に座っていたらしいアリキオンが反応した。

(やっぱりいたのか……隠れて見えなかった)

だが、多くの男達は、私より隣が気になるようだった。

「コーレー……」

「ピンダロス殿の……逃げ延びておったのか」

(コ、足萎え(コーレー)……本名?)

生まれたときからその右足はそうなのか。

「ふふ……どなたもお見知りおきを。私はコーレー。先の大港督(エピメレテース)ピンダロスが長子」

左足一本で優雅にキトンを翻し、エウクラトス様に微笑みかける。

「一つ、ご提案をしに参りました。我と我が街を……リュキオンへ」


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