第54話 待ち人来たる
かつて満開の花の名で呼ばれた小島。
その沖合でパルテナイの三段櫂船が、アルシア艦隊を追い散らしていた。
「ようやく街のほうへ行けそうだな。はー長かった」
船団の後方には、五十人櫂船の姿もあった。もやい綱を結んで三段櫂船の後についている。
「昨日あたりから敵さん獣人しか来ないしさ。ピョンピョン跳ねて面倒くさいったら。どうなってんのかねえ」
ヘーロマケーが気怠げに愚痴を垂れた。
しかし誰も反応しないので、傍にいたアイソポスを捕まえる。
「どうなってんのかねえ。おたくも気になるだろ?」
「魔術師殿は街がお気に召したようですからな。もし獣人を操るところを見せたなら、もう向こうには獣人軍を回さんでしょう」
手前に巻いた顎髭を揺らしながら、アイソポスは鼻でため息をつく。
「なかなか疲れてるねえ。ニキッペの奴が案の定帰ってこなかったから?」
「そう思うなら一緒に止めていただきたかったですな。あなたも一応オイバロス様の指示で来ているはずでは?」
しかし、ヘーロマケーは喉の奥で笑うばかり。
「クックック、いいじゃないの細かいことは。こうなっちまったらどうせ合流するんだし」
「さあ舞台は整った。敵を追い、街へ入る!ちょうど港で挟み撃ちだ」
陣の中央からイカロスの号令。即座に伝令の信号が各船を走り、七十隻の艦隊は遥かに見える蛇舌岬へ舳先を向けた。
ピラエウス港を発って一週間あまり。パルテナイからの援軍は、ようやくアンテモエッサに届こうとしていた。
しかし。
「む?何だあれは」
イカロスの梟眼が、遥か東の水平線を見据える。
朝日を背に受けて、白い帆が続々と顔を出しつつあった。次いで、波を割く有翼の大蛇も。
* * *
ヒーメロペーを送り出してから三日。
アルシアの五段櫂船は、毎日港に押し寄せていた。
南の浜、海へせり出した蛇舌岬の根元で、長く伸びた壁の警護にあたる。
壁と言っても、石壁の欠片や雑多な木材を手当たり次第に積んだだけの代物だ。
だが、それでも今日まで何とか敵の侵入を防いできた。
アンテモエッサの男達は懸命に木石を積み上げ、弓を射かける。
「おい、こっちも頼む!」
右手から呼ばれる。楯を構えた一隊が壁に迫っていた。
『行け!前には出なくていい。壁を越えそうな敵を狙え!』
猿の獣人達が、壁にとりつく敵兵へ襲いかかる。霊を縛った彼らも、八人まで減っていた。
増えることはない。最初の日以来、獣人軍とは出会っていなかった。私の前に現れるのは人間ばかりだ。
(保たないかも……)
逆光の太陽に目を細めた。
桟橋はとっくに壊されているのに、五段櫂船は乗り上げるように船首を進めてきた。
長い板を渡し、黒マントが続々と浜へ降りる。
確実に、アンテモエッサは押し込まれていた。
少なくとも、獣人達が減るにつれて私は役立たずになる。何かしなければ。
(与霊の魔術で、壁を……?もっと強く、高く……)
しかし、これは本来壁ではない。
ボコッ。
そんな余計な思考に気を取られていたとき、左手の壁が吹き飛んだ。
「まったく、胸クソ悪い術だ」
瓦礫を払いつつ、対応に向かった獣人の頭を握り潰す。白い巨体がそこにあった。
(あの時の……)
緑の瞳が私を捉えた。すでに、大猿の姿になっている。
「下がれ、お嬢ちゃん!」
「壁が崩れたぞ!楯持ってこい!」
異変に気づいた街の男達が駆けつけてくる。
だが、とても無理だ。
「うッ!?」
今にも突進しようとしていた白猿が、いきなり跳び退いた。
地面には、青銅の鏃が突き立っていた。
「どっかで見たようなエテ公だな。図体の割にイイ動きだ」
「ヘーロ!」
弓を背負い直し、ヘーロが浜に飛び降りる。テロンも、デモフォンも。
私達の船が、三段櫂船に曳かれて海岸までたどり着いていた。
「ありゃ味方か?」
「パルテナイだ!救援が来たぞ!」
周囲で歓声が上がる。
衝角が木の腹に突き刺さる音が、どこかで聞こえた。
「……シロスの子トリバロス!誉れ高きアルシアの八牙刃!」
「ヘーロマケー・オーキュステー!特別にオーキスでいいぞ!」
ヘーロが短剣を抜いた。互いに名乗り合った直後、白と金の暴風が巻き起こる。
(……私も、何かしなきゃ……)
「ニキッペ、何してるんだい!せっかく持ってきたのに!」
壁の向こうから、テロンの叫びが聞こえた。
そうだった。
「ッ……はい!『戦え!壁を守れ!』」
五十人櫂船の船底で、人形兵が一斉に立ち上がった。次々に海へ飛び込み、ざぶざぶと浜へ上がってくる。
(これで味方が、五十人)
『武器を拾え!』
人形兵達は浜に転がった兵の手から槍を奪い取り、敵兵に襲いかかった。
「何だあの化け物、土か!?」
「私の下僕ですっ!魔術師ですから!」
ざわめく男達をなんとかなだめる。
「あッ、待てこら、逃げるな!」
ヘーロが怒声をあげる。
トリバロスというらしいあの獣人は、早々に一騎打ちを切り上げ、無事な五段櫂船に跳び乗ってしまった。
見れば、港のあちこちでアルシア船が離れていく。付近の敵兵も、人形兵の手を逃れた者は退いていった。
(勝った?……これで終わり?)
放心していると、トリバロスの空けた大穴から、テロン達が足早に向かってきた。
「あの……」
「ピンダロス殿はどこかな?」
開口一番、デモフォンはそう尋ねてきた。息を切らして、焦燥を隠しもしない。
「あの、浜の中央にいらっしゃると……」
右手に見える巨大な桟橋……の残骸の根元を指さす。あの辺りの壁にいるはずだ。
「そうか」
すぐにデモフォンは駆けていった。
胸当ても兜もしたままですごい速さだ。
「あんなに急いで……」
「そりゃあ、一大事だからね」
テロンの声にも余裕がない。
「どうも、向こうもだいぶ増えたみたいだ」




