第53話 危機の友が真の友
「よし、まあこんなところか」
おおむね片付いた広場を見て、ピンダロスが息をつく。すでに夕日も残りわずかだ。
襲撃を凌いだ後、街には死体が溢れかえっていた。
獣人達の骸は城壁から投げ落とされた。何体かは杭に刺されて港へ。晒すんだとか。
私も、残った獣人を操って手伝った。
(死者に鞭打つなかれ……)
敵であれ遺体の名誉を辱めてはならない。
私が知っている神話ではそうなっていた。黄金の時代からの、神の法。
だが獣人は別のようだった。
「直に用意ができるだろう。私は家に戻るが、お前はこのままここで皆と食事を取るといい」
ピンダロスは気ぜわしく踵を返した。
すっかり日も暮れたが、アンテモエッサに篝火は絶えない。特にこの広場は、すぐ手前に蛇口門を睨んでいるのだ。片付けを終えた男達が、緊張を切らさぬままポツポツと固まって食事を取る。
私も篝火の一つに近づいて、固くなった丸パンを囓っていた。
ほとんどの者は、遠巻きに盗み見るばかり。私とヒーメロペーには近づいてこない。
だが反対に、熱烈に私を讃える声もあった。そんな人達が、私の周りに座り込んでいる。
「いやあ大したもんだ。お嬢ちゃん何匹猿を操ったんだ?」
恰幅のいい男がバシバシと背を叩いてきた。
キトンから真っ赤に日焼けした太い腕をむき出して、いかにも船乗りだ。
「……今残っているのは十八人です」
本当は、敵が退いていった時点では二十二人だった。
作業を終えた者を待機させていたら、袋叩きにされてしまっていた。
今は街から出して山の見張りをさせている。
「これだってセイレーンだろ?ご先祖様を襲ったっていう。大人しいもんじゃないか」
「あう……痛……」
別の男が、ヒーメロペーの髪を引っ張る。
私は特に命令していないが、抵抗は見せない。妹の立場を理解しているのだ。
(ここにはいない方がいい)
「あの、私ちょっと失礼します。ピンダロス様のところへ……どなたか案内していただけますか?」
ヒーメロペーを連れて席を立った。
ピンダロスの家は、白い家々の集まる区画の南側、やや街外れにあった。
他の家と違い、煉瓦造りではなく壁を塗ってもいない。無造作な石壁が、微妙に苔むしていた。
「それじゃあな。また猿が来たら頼むぜ」
「はい……。ありがとうございました」
船乗りらしき男は、陽気に手を振りながら去って行った。
「アルジサマ、ココにテルクシオペーがいるんですか?」
「そうだけど、ちょっと待って。今挨拶するんだから」
ヒーメロペーはいてもたってもいられない様子だった。
家は二階建てだが、一階部分には一つしか部屋がなかった。
巨大な広間の真ん中で、白布の上にテルクシオペーが眠っていた。
「ああ……」
ヒーメロペーは、家に入るなり妹にすり寄って動かない。
ピンダロスが、右肩の包帯を指し示す。
「矢は無事に抜けて出血も治まったそうだ。ま、命に別状はなかろう」
「とりあえず人間の仕方をしましたが、何とかなったようですじゃ」
メイコスというらしい、小柄な老人がポリポリと白髪頭を掻く。
医術の心得があるのか、手当は適切だったようだ。主の命令とはいえ憎い相手だろうによく治してくれた。
「助かりました。セイレーンなのに……」
「あ、いや。ワシは奴隷で……他所から来たもんですからアンテモエッサの謂れのことはあまり」
(だとしても、ふつうセイレーンは魔物の類だと思うけど……)
ちょっと変わった人だ。
そう思っていると、ぐっとメイコスが詰め寄ってきた。
「それより、魔術とは実に面白い。ワシも覚えてみたいですじゃ」
「えーと……。私達の……マーゴスの血族でない者は魔術を使えない……はずです。ごめんなさい」
(同じようなことができる人はいるけど)
例外が頭の中ではしゃぎ回っている。それに、セイレーン達だって言葉で人を操ることはできた。
「むむう、残念……。それで、魔術師殿はどんな獣でも操れるんですかな?」
残念といいつつ、目を輝かせて次の質問を投げてくる。
「いえ、そういうわけではなくて」
「私も気になるな。昼間の白い獣人を操れなかったのはどういうわけだ」
ピンダロスも会話に加わってきた。
「私にも分かりません。今まで試して操れなかったのは神獣だけで……」
(獣人なら皆操れるわけじゃなかった。勝手にそう思い込んだだけ)
オルテギアでは、獣人相手のことは教わらなかった。
「ありゃ?大猪の神獣を従えたから猪馴らし《カプロダマスティス》殿なのでは?そう聞いとりましたが」
「いえ、あれは……。私達は御使いと呼んでいて、神力を纏った……。あーつまりその、神獣よりは劣るんです」
「ホウ、なるほど?」
(そうだ、オドゥスは操れた。でもヒュドラはダメだった)
ヒュドラの、噴き上がる神力を思い出す。
「まあ、いい。とにかく普通の猿どもは操れるんだろう。ならばまた来てもどうにかなる」
ピンダロスはそう結論づけた。
「イカロス殿が来るまでは十分持ちこたえられる。それで形勢は逆転だ」
それはそうだろう。それはつまり、ヘーロやテロンも来てくれるということだし。
しかし、敵にも援軍が来る可能性だってあるだろう。
そう尋ねると、灰色の瞳が険しくなる。
「その通り、ではあるが……ここの港にパルテナイ軍が入ってしまえば、滅多なことで落ちはしない」
重い口調が続いた。
「それに我々の最大の友はパルテナイだ。それが来ている以上、もう他に頼る相手はない。最も近いのはリュキオンだが、わざわざ来る見込みは薄いな」
そうだろうか。
一番近いのはリュキオンだが、リュキオンではない。
「ピンダロス様、今から私の言うことを書にしていただけませんか?」
半信半疑ながら、ピンダロスは書状を書いてくれた。
濡れないよう革に包んで、紐を通す。
「ヒーメロペー、『こっちへ来て』」
ずっと寄り添っていた妹の傍を離れ、後ろ髪を引かれつつ家の外までついてくる。
「アルジサマ、ワタシはイモウトと……」
「いや」
切々とした頼みを打ち切った。
テルクシオペーは動かせないが、ヒーメロペーはこの街には置かない。
「私は頼んでるんじゃない、『手紙を届けて』」
神令が霊を縛った。南の空を指さす。
『もっとあっちへ飛べば大きな森がある。そこの海岸、人が大勢いるところへ行って、猪馴らしの使いだって叫ぶの』
ヒーメロペーはもう振り向かない。黙って私の言葉を聞いている。
「『牛の面を被った人を探して』、絶対に話を聞いてくれる。他の人はダメだからね、特にハゲジジイはダメ」




