第51話 因果応報
二筋の蛇舌岬が南北を走るアンテモエッサは天然の要害。
訪れる者は舌の付け根、蛇口門をくぐるか、あるいは東の海から入るしかない。
この港に押し寄せたアルシア軍は連日上陸を試み、また蛇口門にも手勢を回していたが、二つの玄関口は未だ突破されていなかった。
しかし今、急峻な尾根をするすると駆け上がり、切り立った崖の上からアンテモエッサを見下ろす一団があった。
絶壁をものともしないその身のこなし、大猿の獣人たちであった。
黒々とした影の中に、ひとり純白の体毛に覆われた巨体。
彼の名はトリバロス。
アルシアの将軍の一人。
父の後を追って仕官し、若くして父を追い越した。
ふつう猿の獣人は重い武器防具を嫌い、短剣一本で敵を仕留める。その俊敏性こそ最強の剣であり、鎧だからである。しかし彼に限っては、分厚い毛皮と長大な爪が武具の役割をも果たしていた。
緑の瞳が、懸命に侵入者を防ぐ市街を見下ろす。
「行くぞ。まずはあの門を開ける」
* * *
ぼーっとメノン島の平たい浜を眺めていると、沈痛な面持ちでデモフォンが戻ってきた。
「アルシア軍はこの先で陣を張っている。我々を足止めする気だね」
「え、じゃあ……」
「ここでお別れかな。君らは少し戻りつつ西へ行って、適当な岸に船を着けるといいよ。船長なしでもなんとかなるだろう」
当たり前だがデモフォンは戦うらしい。
すでに自慢の兜を被って、瞳に力を漲らせている。
「大丈夫なんですか?」
「まあ、時間をかければ突破することは可能だろう。むしろアンテモエッサの方がね……。連絡が取れないから持ちこたえてくれることを願うしかないな」
少し目線を落とす。出発前の晩に話したときと似た表情だった。
パエトンはまた父親の帰りを待っているんだろうか。
「それなら!」
とっさに名乗り出ていた。
「私、行けます」
仲間たちの反応は様々だった。
「魔術師殿。そう毎度勝手なことばかり言われては困る」
真っ先に抗議してきたのはアイソポス。
だが、その頭をヘーロが抑え込んだ。
「いいじゃないの。事前に言うだけでも進歩なんだぞ、このガキは」
その言葉にデモフォンも肯いた。
「実のところ……行ってもらえれば助かるんだ。援軍を知っているといないとでは、街の士気は大違いだからね」
慎重に言葉を選びつつ、南の空を指す。
旗色の悪いアイソポスは、陣営違いの同郷人を見た。
「むう。オイトロン殿は?どうなのです」
「あー……まあ、行って帰るだけならいいんじゃないか?」
(あれ?いいの?)
止められるかと思ったのに。私も意外だが、アイソポスも少し驚いている。
「飛び道具にさえ気をつければ、まあ……。いや、敵も飛べるのか?」
(そう言えば……)
レイリス島では、獣人らしき大ガラスがいろいろ喋っていた。
「いやいや、トリの獣人なんてとんでもなく珍しいぞ?この間も伝言役だったし、戦いに出てるとは思えんね」
またしてもヘーロ。随分後押ししてくれる。
「万が一出くわしてもニキッペは操れるし……それより何より、アタシも行ってやるんだからな」
そう言って、側にいたテルクシオペーをむんずと掴む。
「ムリです。重いです……」
しかし、ヘーロは重すぎた。ヘーロだけではない、セイレーン達が運べるのは私だけのようだった。
「チッ、留守番か。……手が足りなかったら手伝うよ?」
「ははは。……困ったらね」
ヘーロの言葉に苦笑しつつ、デモフォンは書状を取り出した。
皆がセイレーン姉妹に乗ったり降りたりしているうちに、本陣で用意してきたらしい。
「イカロス様からだ。アンテモエッサの長に渡してくれ、ピンダロスという男だ」
(これが手紙……字ってやつだよね)
渡された乳色の紙を、見えないように懐にしまい込む。もっとも見たって私は読めないが。
「それじゃあ、行ってきます」
ヒーメロペーの背にまたがった。
南を目指し飛び立って間もなく、アンテモエッサ島が見えてきた。ポツポツとかたまって咲くスミレの紫色は、空の上からでも分かった。
しかし、その周辺には五段櫂船の群れ。数十隻ではきかない、とっさには数えられない数だ。
「二人とも、『高く、高く』」
見られるわけにはいかない。
しばらく飛ぶと、蛇の舌のように分かれた尾根と、見覚えのある港が見えてきた。
だが港にも五段櫂船が入り込んでいる。湾岸から降り注ぐ矢の雨を見るに、まだ上陸はされていないらしい。
動きはないが、蛇口門の外にもアルシアらしき集団がいた。
『なるべく港から離れて、街の中に降りて』
しかし低く下がり始めると、街の人々は明らかにこちらを警戒していた。
単に不審な影を見たという以上の恐慌が、顔も見えないうちから伝わってきた。
(しまった。昔の話だから考えてなかった)
アンテモエッサでセイレーンが歓迎されるはずないのだ。
何人かの市民は、弓を取り出している。
「待って!待ってください!味方です!パルテナイからの!」
必死に叫ぶと、ほとんどの者はそのまま静止した。
だが、何本かの矢は発射されてしまった。
その中の一本が、横を飛ぶテルクシオペーに。
「キャアアアッ!」
落ちていく妹の姿に、ヒーメロペーが悲鳴を上げた。
『テルクシオペーの近くへ!速く!』
街路に降りるとすぐに、男達に取り囲まれた。
「私は猪馴らしです!以前ここを通りました!」
懐から紙を取り出して、掲げてみせる。
「パルテナイからの書状です!ピンダロス様にお取り次ぎを!」
一人の男が、港の方へ走っていった。
他の者は遠巻きにこちらを見たまま動こうとしない。
兵として待機中だったのだろう。みんな鈍く光る胸当てを纏い、腰に剣を携えている。
「海妖だ」
「島の仇……歌わないのか?」
血走った目が四方から姉妹を睨んでいる。
「アルジサマ、イモウトが……テルクシオペーが……」
テルクシオペーはぐったりと動かない。右肩を矢が貫いていた。
流れ出した鮮血が、赤土を黒ずんだ色へ変えていく。
「使者はどこだ!」
その時、甲高い声が響いた。
囲みを割って現れたのはひどく痩せた男だった。防具も着けず、ただ短剣を一本帯びただけのマント姿。
こけた頬の上で、灰色の瞳がギョロギョロとその場の光景を見渡していた。
「ピンダロスだ。そなたは?」
「猪馴らしです。イカロス様からのご連絡を」
手紙を差し出すと、細い指にバッと奪い取られた。
左右の目が互い違いに動き、私の顔と書面を同時に確認する。
「魔術師だな……先日、エレウス様がいらした時の。……そして、よし、援軍は来ておるのだな」
ピンダロスは拳を掲げ、号令を放つ。
「街中へ知らせい!パルテナイから友が来たぞ!あと少しの辛抱だ!」
「応!」
男達が初めて喜びらしき表情を取り戻し、方々へ散っていった。
「よう来てくれた。礼を言う」
それだけ言ってまた港へ行こうとする。
「お待ちを!どうか我が眷属の手当てを。お味方の矢に当たって……」
ピンダロスが振り向いて、姉妹を睨んだ。
「……魔術師とは大したものだ、セイレーンを操るとは。……だが治療する者はおるまい。そなた知るまいが、この街は本来……」
「知っております!」
説明を遮った。私だって、その理由で殺そうと思った。
「ですが、今は私が従えております。お役に立てます。ここまで飛んできたのがその証拠」
「ふむ……」
灰色の眼光が鋭くなったのも一瞬、すぐにピンダロスは声を張り上げた。
「誰か!」
何人かの男達が集まってくる。
「矢傷を受けた方のセイレーンを、私の家へ運べ。取りあえず命は保たせろと、メイコスに言っておけ」
男達は眉をひそめたが、異議は唱えなかった。
「ヒーメロペー、『離れて』」
矢が刺さったままのテルクシオペーを数人がかりで抱え上げ、どこかへ連れて行った。
「ありがとうございます、ピンダロス様」
そう言ったが、全く表情を動かさない。
「それだけの役に立ってもらおう。まずもう一度援軍の……」
その時、北の方からラッパの音が聞こえた。
「敵襲だと!?山から!」
ピンダロスはすぐさま駆けだした。




