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タ・パンタ・レイ ーニキッペと最後の英雄ー  作者: 本間甲斐奈
第二章 健全な肉体に健全な魂が宿りますよう

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第51話 因果応報

 二筋の蛇舌岬(オフィオグロッサ)が南北を走るアンテモエッサは天然の要害。

訪れる者は舌の付け根、蛇口門(オフィオストマ)をくぐるか、あるいは東の海から入るしかない。

この港に押し寄せたアルシア軍は連日上陸を試み、また蛇口門にも手勢を回していたが、二つの玄関口は未だ突破されていなかった。

しかし今、急峻な尾根をするすると駆け上がり、切り立った崖の上からアンテモエッサを見下ろす一団があった。

絶壁をものともしないその身のこなし、大猿(ピテコス)の獣人(テリオモルフォス)たちであった。

黒々とした影の中に、ひとり純白の体毛に覆われた巨体。



 彼の名はトリバロス。

アルシアの将軍(ポレマルコス)の一人。

父の後を追って仕官し、若くして父を追い越した。

ふつう猿の獣人は重い武器防具を嫌い、短剣一本で敵を仕留める。その俊敏性こそ最強の剣であり、鎧だからである。しかし彼に限っては、分厚い毛皮と長大な爪が武具の役割をも果たしていた。



 緑の瞳が、懸命に侵入者を防ぐ市街を見下ろす。

「行くぞ。まずはあの門を開ける」



*         *          *



 ぼーっとメノン島の平たい浜を眺めていると、沈痛な面持ちでデモフォンが戻ってきた。

「アルシア軍はこの先で陣を張っている。我々を足止めする気だね」 

「え、じゃあ……」

「ここでお別れかな。君らは少し戻りつつ西へ行って、適当な岸に船を着けるといいよ。船長なしでもなんとかなるだろう」 

当たり前だがデモフォンは戦うらしい。

すでに自慢の兜を被って、瞳に力を漲らせている。

「大丈夫なんですか?」

「まあ、時間をかければ突破することは可能だろう。むしろアンテモエッサの方がね……。連絡が取れないから持ちこたえてくれることを願うしかないな」

少し目線を落とす。出発前の晩に話したときと似た表情だった。

パエトンはまた父親の帰りを待っているんだろうか。

「それなら!」

とっさに名乗り出ていた。

「私、行けます」



仲間たちの反応は様々だった。

「魔術師殿。そう毎度勝手なことばかり言われては困る」

真っ先に抗議してきたのはアイソポス。

だが、その頭をヘーロが抑え込んだ。

「いいじゃないの。事前に言うだけでも進歩なんだぞ、このガキは」

その言葉にデモフォンも肯いた。

「実のところ……行ってもらえれば助かるんだ。援軍を知っているといないとでは、街の士気は大違いだからね」

慎重に言葉を選びつつ、南の空を指す。

旗色の悪いアイソポスは、陣営違いの同郷人を見た。

「むう。オイトロン殿は?どうなのです」

「あー……まあ、行って帰るだけならいいんじゃないか?」

(あれ?いいの?)

止められるかと思ったのに。私も意外だが、アイソポスも少し驚いている。

「飛び道具にさえ気をつければ、まあ……。いや、敵も飛べるのか?」

(そう言えば……)

レイリス島では、獣人らしき大ガラスがいろいろ喋っていた。

「いやいや、トリの獣人なんてとんでもなく珍しいぞ?この間も伝言役だったし、戦いに出てるとは思えんね」

またしてもヘーロ。随分後押ししてくれる。

「万が一出くわしてもニキッペは操れるし……それより何より、アタシも行ってやるんだからな」

そう言って、側にいたテルクシオペーをむんずと掴む。



「ムリです。重いです……」

しかし、ヘーロは重すぎた。ヘーロだけではない、セイレーン達が運べるのは私だけのようだった。

「チッ、留守番か。……手が足りなかったら手伝うよ?」

「ははは。……困ったらね」

ヘーロの言葉に苦笑しつつ、デモフォンは書状を取り出した。

皆がセイレーン姉妹に乗ったり降りたりしているうちに、本陣で用意してきたらしい。

「イカロス様からだ。アンテモエッサの長に渡してくれ、ピンダロスという男だ」

(これが手紙……字ってやつだよね)

渡された乳色の紙を、見えないように懐にしまい込む。もっとも見たって私は読めないが。

「それじゃあ、行ってきます」

ヒーメロペーの背にまたがった。



 南を目指し飛び立って間もなく、アンテモエッサ島が見えてきた。ポツポツとかたまって咲くスミレの紫色は、空の上からでも分かった。

しかし、その周辺には五段櫂船(ペンテーレース)の群れ。数十隻ではきかない、とっさには数えられない数だ。

「二人とも、『高く、高く』」

見られるわけにはいかない。

しばらく飛ぶと、蛇の舌のように分かれた尾根と、見覚えのある港が見えてきた。

だが港にも五段櫂船が入り込んでいる。湾岸から降り注ぐ矢の雨を見るに、まだ上陸はされていないらしい。

動きはないが、蛇口門の外にもアルシアらしき集団がいた。

『なるべく港から離れて、街の中に降りて』



 しかし低く下がり始めると、街の人々は明らかにこちらを警戒していた。

単に不審な影を見たという以上の恐慌が、顔も見えないうちから伝わってきた。

(しまった。昔の話だから考えてなかった)

アンテモエッサでセイレーンが歓迎されるはずないのだ。

何人かの市民は、弓を取り出している。

「待って!待ってください!味方です!パルテナイからの!」

必死に叫ぶと、ほとんどの者はそのまま静止した。

だが、何本かの矢は発射されてしまった。

その中の一本が、横を飛ぶテルクシオペーに。

「キャアアアッ!」

落ちていく妹の姿に、ヒーメロペーが悲鳴を上げた。



 『テルクシオペーの近くへ!速く!』

街路に降りるとすぐに、男達に取り囲まれた。

「私は猪馴らし(カプロダマスティス)です!以前ここを通りました!」

懐から紙を取り出して、掲げてみせる。

「パルテナイからの書状です!ピンダロス様にお取り次ぎを!」

一人の男が、港の方へ走っていった。

他の者は遠巻きにこちらを見たまま動こうとしない。

兵として待機中だったのだろう。みんな鈍く光る胸当てを纏い、腰に剣を携えている。

「海妖(セイレーン)だ」

「島の仇……歌わないのか?」

血走った目が四方から姉妹を睨んでいる。

「アルジサマ、イモウトが……テルクシオペーが……」

テルクシオペーはぐったりと動かない。右肩を矢が貫いていた。

流れ出した鮮血が、赤土を黒ずんだ色へ変えていく。



 「使者はどこだ!」

その時、甲高い声が響いた。

囲みを割って現れたのはひどく痩せた男だった。防具も着けず、ただ短剣を一本帯びただけのマント姿。

こけた頬の上で、灰色の瞳がギョロギョロとその場の光景を見渡していた。

「ピンダロスだ。そなたは?」

「猪馴らしです。イカロス様からのご連絡を」

手紙を差し出すと、細い指にバッと奪い取られた。

左右の目が互い違いに動き、私の顔と書面を同時に確認する。

「魔術師だな……先日、エレウス様がいらした時の。……そして、よし、援軍は来ておるのだな」

ピンダロスは拳を掲げ、号令を放つ。

「街中へ知らせい!パルテナイから友が来たぞ!あと少しの辛抱だ!」

「応(アララ―)!」

男達が初めて喜びらしき表情を取り戻し、方々へ散っていった。



「よう来てくれた。礼を言う」

それだけ言ってまた港へ行こうとする。

「お待ちを!どうか我が眷属の手当てを。お味方の矢に当たって……」

ピンダロスが振り向いて、姉妹を睨んだ。

「……魔術師とは大したものだ、セイレーンを操るとは。……だが治療する者はおるまい。そなた知るまいが、この街は本来……」

「知っております!」

説明を遮った。私だって、その理由で殺そうと思った。

「ですが、今は私が従えております。お役に立てます。ここまで飛んできたのがその証拠」

「ふむ……」

灰色の眼光が鋭くなったのも一瞬、すぐにピンダロスは声を張り上げた。

「誰か!」

何人かの男達が集まってくる。

「矢傷を受けた方のセイレーンを、私の家へ運べ。取りあえず命は保たせろと、メイコスに言っておけ」

男達は眉をひそめたが、異議は唱えなかった。

「ヒーメロペー、『離れて』」

矢が刺さったままのテルクシオペーを数人がかりで抱え上げ、どこかへ連れて行った。



「ありがとうございます、ピンダロス様」

そう言ったが、全く表情を動かさない。

「それだけの役に立ってもらおう。まずもう一度援軍の……」

その時、北の方からラッパの音が聞こえた。

「敵襲だと!?山から!」

ピンダロスはすぐさま駆けだした。


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