第50話 急がば回れ
その夜。デモフォン家の広間では、寝椅子を並べて夕食をとっていた。
だが寝そべる者はおらず、へ―ロ以外はワインにも口をつけようとしない。
「アンテモエッサが攻められているとの報は、真であるらしい。今まさに戦闘中だ」
苦々しい表情で、エレウスが沈黙を破った。
「すぐにでも援軍を送らねばならん。先遣隊は既に出た。今日評議が成ったから、明日にはイカロスが再び遠征に出るだろう」
右肩を押さえてどこか悔しげだ。怪我してるんだし、留守番なのだろう。
みんな黙って聞いていたが、やがてアイソポスが手を挙げた。くるんと手前に巻いた髭を指で回しつつ、上目遣いにエレウスを見る。
「ま、幸か不幸かすぐ出せる軍はあると……しかし間に合いそうなのですかな?敵勢はいかほどで?」
「万は下らないということだ。しかし、アンテモエッサにも戦える市民が三千はいる。我がパルテナイからの守備隊も常駐しているのだ、援軍が到着するまでは保たせるだろう」
「レイリスにあれだけ兵隊がいてまだそれだけ回せるってんだから、アルシアはでかいねえ」
一人だけ杯を往復させながら、へ―ロはのんきなものだ。
「しかし災難ですな、パルテナイも」
アイソポスの物言いに眉を顰める。
私だってアンテモエッサに思い入れがあるわけじゃないが、五十人櫂船だってあそこから乗ったのだ。
「そんな、他人事みたいな。アイソポスさんはまだいなかったですけど、ここへ来るときにもお世話になったんですよ」
だが、アイソポスは肩をすくめるばかり。
「我々はリュキオン、パルテナイではないのでね。だいいち此度の任はレイリス遠征。食料にも限りがありますし、負傷者もいる。勝手に他へ行く理由などないでしょう」
(……。エウモルフォス様も、その判断なのかな)
おそらくそうだろう。
私が何か言う前に、周りも頷いてしまった。
「うむ。我々も他の手を借りようとは思わん。アンテモエッサは我らの友、パルテナイがケリをつける」
「まったく、その通り」
エレウスの返事に、オイトロンも横から同調したが、ふと首をかしげる。
「しかし俺たちはトクソン湾へ行くんだろ?……海から南へ下るとなると、アンテモエッサの辺りを通らにゃ」
すかさず、アイソポスが身を乗り出した。
「エウモルフォス王子の本隊と一緒に陸路を帰るのです。どうしてもトクソン湾へ行きたければ、四山の都から改めてロータス川を下ればよろしい」
「まあまあまあ」
へ―ロが口をはさんできた。
「ウン千人と一緒に歩いたンじゃちと時間がかかりすぎる。いくらリュキオン人の行軍でもな」
タダ酒を景気よく干しつつ、犬歯を覗かせて唇を舐める。
「アンテモエッサが攻められてるなら、牛王子サマの港だって場合によっちゃ危ないかもしれんだろ?早く行って教えてやらんと」
(そうなのかな……戦場へ行きたいだけなんじゃ)
ヒュドラを倒したのが一月ちょっと前。アルシアがいつから侵攻計画を立てていたのか知らないが、多分トクソン湾は入ってない気がする。
とはいえ、新しく作った港が発見されたら攻撃されることは有りうるだろう。
「しかし、今や中の海は中立の海とは言い難い。アンテモエッサ近海は当然迂回するとしても……」
難色を示すアイソポス。
「メノン島までというのでは?」
デモフォンが手を挙げて提案した。
先ほどまでの暗い表情は消え、快活な笑みを取り戻していた。少なくとも見た目の上では。
(メノン島……)
島のほうのアンテモエッサを出た後に寄るはずだったところだ。アルシア船がいたから漂流山を通る羽目になった。
「そこまでは援軍とともに行けるでしょう。その後、中の海の状況を見て、迂回してさらに南下するか、陸につけてリュキオンを目指すか決めるということでいかが?少数とはいえ人形兵を数えればちょっとした部隊、いきなり陸へ上がっても問題ないでしょう」
「ふうむ……」
アイソポスは唸ったが、特に反論はなかった。
夕食の後、ポロスたちの分の肉を厨房で分けてもらう。
家を出ると、白壁にもたれてデモフォンが月を見ていた。
「おや、こんばんは。どうしたのかな?」
「ちょっとご飯のお裾分けを……そちらは?」
外衣の背中をポンポンと払いつつ、デモフォンは笑った。
「いやあ、誉ある軍役も楽じゃないと思ってね。ちょっと黄昏てたのさ」
「……はい。そう思います」
デモフォンはアンテモエッサへ行きそうな雰囲気だった。せっかく息子と会ったのに、一日でお別れだ。
「ははは。しかしこれでも騎士階級だからね。妻も子供たちも、奴隷たちもいるんだ、主としては頑張らないと」
「はい。……ん?子供たち?」
「ああ、娘が一人ね」
まだいたのか。
「二階にいるよ。客人は女部屋に入れないから会わせられないが……いや、君はいいのか?オーキュステーはなんか嫌だな」
頭を捻っている姿に少し苦笑する。
「苦労なさってるんですね、デモフォンさんも」
「意外かな?家を護り、国を護る。それができなきゃあ男じゃないよ。……まあとにかく、もうしばらく君らの船長を務めさせてもらうことになるかな」
「はい、よろしくお願いします」
* * *
メノン島は、随分平たい島だった。
山らしい山はなく、視界を遮るものは木々ばかり。ちょっとセイレーンたちに飛んでもらえば、島の全景が分かるだろう。
ただ、そのおかげで浜は随分広く使えた。
都市らしきものはなく、木組みも露わな簡単そのものの港に、天幕を並べた陣屋。その周りを三段櫂船が埋めていた。
五十人櫂船を船陣の端にお邪魔する。
「遅いですねえ、デモフォンさん」
私たちの船長は、イカロスのいる天幕に呼ばれたまま帰ってこない。
へ―ロが大あくびをしながら南を指した。
「さっき聞いたところじゃアンテモエッサを、ああ島のほうな、アルシアが占拠してるらしいからな。作戦練ってんだろ」




