第49話 海の旅、空の旅
レイリス島からの撤退は不気味なほど静かに済んだ。
だんだんと霞んでいく五段櫂船の影を見ながら、デモフォンと話す。
「東方大陸まで帰るんでしょうか」
「いや、中の海に残って、西へ来るだろうね。……もっともまともな港がある島は少ないからまとまった行動はできない。君がマンドラ湾を封鎖したのはお手柄だ」
そう言いながらも表情は固かった。
パルテナイからも、三段櫂船が何隻か隊を離れて中の海へ散っていった。
往路よりははるかに落ち着いた航海。それでも数日後には、パルテナイの港に着いていた。
湾内を覆い尽くす丸船の間を縫って、五十人櫂船を桟橋につける。
「グラウコーピス!」「神楯の護り、比類なく!」
石壁が繋ぐ港から都市への道には、出迎えが大勢出ていた。
エウモルフォス様とイカロスを先頭に、リュキオンとパルテナイ兵たちが都市へ凱旋していく。
(ちょっと通りづらいな……)
女や子供がまず目立つのに、ケンタウロスもセイレーンも人形兵もいるのだ。人が減るまで待つことにした。
「おうい、デモフォン。世話になるぞ」
その時、エレウスが私たちの船へ寄ってきた。
右肩をぐるぐる巻いた包帯が痛々しい。
「エレウスさん、どうしたんですか?」
「ああ。これは……神獣殺しに不覚を取った」
そう言ってエレウスはティグリスの鎧の秘密を話した。
「虎鉄って……へええ。それじゃあの黒いのは神獣なのけ。……お前だって神獣操るのはキツいんだろ?」
顔を覗き込むヘーロに肯いてみせる。
ヒュドラの時は、失敗した。
ティグリスが縛霊の魔術を使えるというのだろうか?私以上に?
(魔術師だとして、どこの里の?オルテギア以外に残ってる場所が?)
考え込んでいると、ヘーロの手が頭に被さってきた。
「よーしよし。まあここで唸ってても分からんだろ。はやく宿へ行こうや」
宿は、デモフォンの家を借りることになっていた。
人の少なくなったタイミングを見計らったとは言え、やはり街路を行くと私たちの一行は目立ちまくる。
列の左右を人形兵たちに歩かせているから背の低い私は見えないはずだと思いつつ、市民たちの雑多なささやきを聞くと身が縮む。
「ところで、エレウスさんは何で一緒に?」
ふとそう聞くと、バツの悪そうな笑い。
「いやあ、私は元王だと前に言っただろ?……王位を降りて十年は経つんだが、あまり皆に交ざって家を構えるというのも落ち着かんというか。そもそも王宮は潰してしまったし……それで、いろんな者のところへ世話になっている」
今日はデモフォン邸に泊まるのか。仮にも元王様が、そんなその日暮らしの生活でいいのか?
胡乱な目で見ていると、何を誤解したのかエレウスは慌てて手を振った。
「あっ、もちろんタカってるわけではないぞ。財産はちゃんとあって、イカロスに預けてある。宿代も食事代も払っているとも」
そういうことじゃなくて。
(あれ……お代?)
すすすと列の後ろへ下がり、テロンの元へ。ヘーロは当てにならないのだ。
「ねえテロン、私パルテナイのお金持ってないです」
「そんなの僕も持ってないよ。人形兵で畑でも耕したら勘定にしてくれるんじゃない?」
「ええ~……」
その会話を聞きつけて、デモフォンは苦笑しながら首を振った。
「いらないいらない。そんなに困ってないよ。というかエレウス様からも取る気はないって言ってるのに」
「さあすが、パルテナイ人!金持ちだねえ」
「これだけの人数、ポンと泊めるなんて大した物で」
最後尾からオイトロンとアイソポスがはやし立てる。当然のように着いてきていた。
「別に金は関係なくてだね。客はもてなせ、東西問わず常識ってものだ」
デモフォンの家は、都市の中心から、少し北へ外れたところにあった。漆喰塗りの白い壁に、スミレ色の瓦を葺いた二階建て。
家の中に入ると、広い部屋の隅で男の子が老人と何やら話していた。
「ご苦労、プロコス。……ただいま、パエトン!元気にしていたか?」
「お帰りなさいませ、父上!」
多分、勉強を教わっていたのだろう。
奴隷らしき老人が深々と礼をするのをほっぽって、男の子がデモフォンへ駆け寄った。
(子供がいたんだ……)
デモフォン自身、十代かと思うくらいに若いのに。
パエトンという子は五歳くらいだろうか、黒い短髪に、前歯の一本抜けた口が健康的だ。
「さあ、エレウス様にもご挨拶しろ。こちらはリュキオンからのお客人」
「はい、あの、ようこそ」
パエトンはかしこまって、エレウス、テロン、オイトロンと順々に礼をしていった。
そして、私の前へ来てはたと顔を上げる。
「もしかして、猪馴らし?」
「すごい、これがケンタウロス……こっちがセイレーン……」
パエトンは、誰かから私の話を聞いていたようだった。
大喜びで、外へ待たせておいたポロスやヒーメロペーの体をペタペタ触りまくっている。
その様子を遠巻きに眺める。
「悪いね、どうも君が私の部下だというふうにウチの者が吹き込んだようで」
「いえ、今回の船長も指揮官もデモフォンさんでしたから」
「その割にはビックリするくらい独断行動ばっかりだったねえ、我が船は」
(……むむむ)
にこやかなお説教を受けていると、パエトンがこちらへ駆け戻ってきた。
目を輝かせて、歯抜けの口を開く。
「父上、パエトンは空を飛んでみたいです!」
「じゃあヒーメロペー、大丈夫?二人だけど……」
デモフォンは難色を示していたが、他の大人たちは楽観的だった。
結局、私と二人乗りで空を飛ぶことに。
「はい、アルジサマ。このクライなら」
「おお。喋った……」
興奮が抑えきれない様子のパエトンを後ろから抱えるようにして、ヒーメロペーの背にまたがる。
「テルクシオペーも、念のため着いてきて」
「分かりました、アルジサマ」
バサバサと、姉妹が舞い上がった。
「わあ!」
体の中身ごと浮き上がる感覚。パエトンが悲鳴混じりの歓声を上げた。
二人のセイレーンが、都市の上空をゆっくりと旋回する。
「すごいすごい!あれが神殿?向こうが最高評議会?あんなに小さく!」
「ちょっと!じっとしててくださいよ」
あっちもこっちもと見たがる子供を抱えるのは大変だ。
「ねえ、もっと高く飛べないの?」
「ダメですよ、危ないから」
「え~……あっ、じゃあ海!まだ行ったことないんだ」
「はいはい、じゃあ。『海へ』」
「ここがピラエウス……大きい……」
パエトンは港の景色に感嘆するばかりだったが、先ほどとは辺りの空気が違っていた。
(何か慌ただしいような……)
大楯に槍まで持った完全武装の兵たちが港を駆け回っている。
「ヒーメロペー、何か気づいた?」
「フネが減ってます、アルジサマ」
確かに、湾岸の三段櫂船が数隻、外へ出て行くところだった。
「ありがとう!」
空の旅を終えてデモフォン宅に帰る。
パエトンはぱたぱたと奴隷の老人の元へ戻っていった。
「やあ、お帰り。息子のワガママに付き合わせて悪かったね」
デモフォンも変わらず待っていたが、明らかに表情が暗い。
「……何かあったんですか?」
そう尋ねると、深い黒の瞳を伏せて呟いた。
「ああ。我々の留守中、アルシアに動きがあったようだ」




