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タ・パンタ・レイ ーニキッペと最後の英雄ー  作者: 本間甲斐奈
第一章 魔女は頭上に月を下ろす

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第4話 誉れのはじまり

 船旅は一日で終わった。初めてラトス島を離れる私には海も船も初体験だったけれど、今回の波が穏やかで、今回の漕ぎ手がバケモノだったことは分かる。へーロが櫂を動かすたびに、船がポンポン波の上を跳ねた。

もちろん私だって貢献した。海の上で方角に迷わなかったのは、私が飛ばしたカモメのおかげなのだ。たぶん。

それでも朝早くに島を出て、西の大陸へついた時には、夏の長い日も暮れかけていた。浜辺の近くでまた一晩野宿して、川沿いに北へ進んできたのだ。

そうしてたどり着いたこの一帯が、カリュオンという土地らしい。

どこまでも空と土が伸びていて、山で育った私には広すぎる。その一角、小さな丘を囲むように、赤い屋根の家々が肩を寄せ合う場所があった。



「……なんか、怖そうな人がいっぱいいますね」

石の壁が並ぶ街路をきょろきょろ眺めながら、へーロとテロンについて広場(アゴラ)へ向かう。

丘を見上げる街の中心、開けた空間には大勢の男たちが集まっていた。百人近いんじゃないだろうか?

戦士のような雰囲気だが、防具と言えば軽い革のすね当てぐらいという軽装で、手に手に弓を携えている。……この人たちは一言で言うと、へーロと同類な気がする。

「くっくっく。お前にゃまだワカらんだろうが、ここにいるのはみんな結構な身分の大物でね…………もちろん、腕の方もだが。例えば、向こうはリュキオンのエウモルフォス、あっちがセイリオスのデイオン。おお、ありゃパルテナイのエレウスだ、よくこんなところまで来るもんだ」

(……誰が誰だって?)

さっぱり分からない。



 なんでそんな人たちが、と聞こうとしたとき、へーロが広場手前の演説台を指し示す。この街の長だろうか、小柄な老人がよたよたと台に上っていた。

「クネファリアに名高い勇士の諸君、よくぞ集まってくれた。今、我がカリュオンは、未曾有の危機にあるのだ。大猪が、この地を荒らしに荒らしている。これを討ち取って、武人の誉れとされたい」

「応(アララー)!」「応(アララー)!」

雄叫びとともに、狩人たちが散っていく。

「どこの誰がいようが、今日の主役はアタシらだ。なあ?」

「はいっ!南西の森です!」

すでに手ごろな鳥をあたりに飛ばして、イノシシの行方を探らせていた。



 街を出て、収穫を終えた麦畑の間を通り抜け、まだ高い日の方へ走る。オルテギアと違って、カリュオンの周りは畑ばっかりだ。

果たしてイノシシは、バキバキと枝を折りつつ森から出てくるところだった。

(お、大きい……)

四つ足のくせに、頭の位置がへーロより高い。脚も丸太みたいだし、牙なんかもう槍だ。

「いいじゃないかいいじゃないか。こういうのを倒してこそ、アタシの名も世に知れるってもんよ」

私とテロンを下がらせて、へーロはやる気満々で正面から迎え撃つ。いつ構えたのか、瞬く間に矢を放っていた。

パキン。

「あらら」

獲物の体に刺さるはずの矢は、小気味いい音を立てて折れる。いや砕け散る。続けて二本三本と矢が放たれるが、結果は同じ。

(御使い(アンゲロス)……!)

大きいだけの存在ではない。明らかに神秘の加護を受けている。それも私と同じ、狩猟の女神の恩寵を……。

ザッ!

考えを巡らせたのも一瞬。巨体が突っ込んでくる。弓を投げ捨てて、へーロは横っ飛びに躱す。

「よっと!」

気を揉んでいる私をよそに、そのままイノシシの背に飛び乗った。短剣を抜き、刃ではなく柄の部分でイノシシの額を殴りはじめる。

「ブオオッ!」

怒りの咆哮を上げながら、イノシシはしゃにむに走り回る。攻撃を止めないへーロを背に乗せたまま、森の中へ突進していってしまった。



「どうしよう、テロン。へーロが行っちゃいました……」

そう言いながら横を見て仰天する。

見慣れた銀髪の男ではなく、犬のような獣がそこにいた。尻尾がちょっと丸いかも。

「これが狸(ドロキュオン)ってものさ、勉強になったかい?まあ普通よりだいぶ大きいけどね。……さあ、乗りなよ」

恐る恐る焦げ茶色の背にまたがると、テロンは軽やかに走り出す。



 うっそうとした森の中を、二頭の獣が人を乗せて駆け抜ける。テロンは私が怪我しないよう道を選んで走ってくれるし、少し速度も落としていてこちらの進みは悪い。

しかしイノシシのほうも真っ直ぐ走っているわけじゃないので、あまり距離は開かない。私はといえば、ふかふかの体毛を握りしめて、風を浴びてちょっと気持ちいいくらいだ。



「あっ」

突然森を抜け、視界が開ける。目の前の草原には、さっきの狩人たちの姿もあった。彼らはすぐに矢をつがえるが、へーロを見て弓を下ろす。まあ、仮に撃っても効きはしないんだけれど。すぐに狩人たちの姿は小さくなる。

「意外と皆さん、優しいんですね。へーロの身を案じてくれるなんて」

「そんなわけないだろ。こういう場合、獲物の横取りは御法度なのさ。譲る気も諦める気もないよ」

言われて振り返ると、驚いたことに何人かの狩人が後をついてきている。獣の脚に、走って追いすがるなんて。

「へーロが振り落とされたら、次は自分たちの番だってことだろうね」

もしかしてあの人たちもへーロと同じ方法を試そうとしてるんだろうか。嫌すぎる。

(英雄(ヘーロース)って……)



 それから少しして、また麦畑に突入したとき。疲れたのか、イノシシが盛大に転倒した。

すかさずへーロは太い首に腕を回す。長い両腕をいっぱいに使って、ギリギリと締め上げる。

「待ってください!」

イノシシの口から泡が漏れてきたところで、ようやく追いついてテロンの背から飛び降りる。

「それ、乗り物にしませんか?」

「ああ?え~……」

ぐったりしたイノシシから手を離さず、へーロは瞬時に思考する。

「まあ、いいか!毛皮にしてやろうと思ったが、考えてみりゃ生け捕りってのも悪くない。どう見たってアタシの勝ちだから、文句も出ないだろ」

「ありがとうございます!…………『なべて山野を統べたもう、黄金の髪の我が主、雷雲集める大神の御むすめ、どうかカリュオンの地を許し、あなた様の僕を我が下へ……』」

呪言がイノシシを縛っていく。すべて唱え終わったとき、もはやへーロが手を離しても暴れるそぶりは全くなかった。



 夕日を背中に浴びながら、三人で巨大な背中にまたがり、トコトコとカリュオンへ戻る。

「ねえ、名前は何にしましょうか」

「名前?猪(カプロス)でいいだろ」

「もっと考えなよ。……牙(オドゥス)でどう?同じ牙を持つ身としては憧れるなあ、この迫力」

「あっ、それにしましょう。よーし、お前はオドゥスですからね~」

「そうだ、そういやテロン、お前獣(テリオン)の姿になってやがったな。このアタシがさんざ頼んでも見せてくれなかったのに、ズルいぞ。アタシも乗せろ」

「やだよ重いから。オドゥスがいるんだからもういいだろ」

後方では、同じく帰還する狩人たちが、遠巻きにこちらの様子を窺っていた。


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