第3話 野宿
どれだけ走ったのか。森の中、少し開けた場所へ来て、目まぐるしく動いていた景色がようやく止まる。早々に引き離されてしまったテロンはまだ追いついてこない。
糸杉が立ち並ぶ風景には見覚えがあった。多分ここは、島の一番北の森。目の前には、ちょうど座るのに良さそうな丸太がある。へーロは私をぽいっと放り出し、ひとつため息をつく。
「こおの、クソガキっ!何考えてんだよ、お前は」
がしっと、頭を上から掴まれる。片手なのに、私の頭がすっぽりだ。長い指が耳のあたりまで張り付いている。もしへーロが力を込めたら、卵みたいに割れちゃうんだろう。でも。
「へーロの言いたいこと、分かります。だけど……」
「ほお?」
頭を掴まえたまま、碧い目が下がってきて私の顔をのぞき込む。
「け、軽率だったって言うんでしょ?私だって分かってます。だけど、あいつはみんなを殺したんです!お母さんだって、大ババ様だって……」
「あのなあ……」
へーロはそこで言葉を切って、視線を泳がせる。聞き分けのない子どもだと思ってるんだろう。でも、譲りたくない。自然と唇を引き結んでいた。
「はあ。……何にしても、長居できなくなっちまった」
またため息をついて、へーロは私から手を離す。そのまま背を向けて、森へ入っていく。ぎゅっと手を握ったまま、声はかけなかった。
どのくらい時間がたったのか、気がつけば夕暮れになっていた。お腹もすいてきた。
(へーロはまだ戻らないのかな……。)
ふと、不吉な考えが頭をよぎる。もしかすると、見捨てられたのかもしれない。
(そういえば、長居はできないって……)
敵に姿を見られたのだから当たり前だ。そんなに広い島じゃない。へーロの脚で振り切ったとはいえ、向こうが本腰入れて捜索にかかればいくらも隠れていられない。
テロンがまだ来てないから大丈夫と思っていたけれど、よく考えたら私を拾う義理なんかないのだ。知らないところで、二人だけで落ち合って、とっくに島を出たのかも。
(ど、どうしよう……。)
やっぱり、謝っておけばよかった。
置き去りなんて耐えられない。
一人になりたくない。
「ったく、手こずらせやがって……」
突然背後からした声に振り返ると、へーロが戻ってきていた。大きな革袋を背負って薪を抱え、腰には皮を剥いだ兎を一羽ぶら下げている。思わず駆け寄った私の顔を見て、意地悪な笑みを浮かべる。
「はっはあ、寂しくて泣きべそかいてたな、可愛い奴め」
「か、かいてません」
へーロは笑いながら、丸太に腰を下ろし、手早く火をおこしはじめた。私が隣に座ると、顔を火元に向けたまま、一つ息をついて口を開く。
「で、ニキッペ。さっきの話の続きだがな、復讐したいってなそりゃそうだろう。だが段取りってモンがあるだろ」
「はい……」
「教えとくが、さっきの野郎は将軍のティグリス。ティグリス・テラトクトノスだ。アルシア帝国第二の英雄、トリなんぞけしかけて殺せりゃ苦労はないんだよ」
ティグリス、という名が頭の中で反響する。将軍なんて、簡単に近づける相手じゃないはずだ。
「でも、せっかくのチャンスが……」
「あんなのチャンスじゃないってんだよ。いいか、あの連中をどうにかする機会はじきに来る」
「……どういうことですか?」
「テロンの奴も言ってたろ?アルシア軍がここまで出張ってるのは、西征が近いからだ。西の王様連中も準備してる。アタシも戦が始まるまでに、どこぞの軍に入れてもらわにゃ」
炎に照らされながら、歯をむき出してへーロは笑う。獲物を見る猛獣の笑みだ。木串に刺さった手元のウサギを見つめながら、その目はもっと遠くを睨んでいる。
「……へーロも、アルシアに復讐したいんですか?」
「いんや?アタシは連中に恨みなんかない。ただ手柄がほしいのさ。闘って名を揚げて、英雄ってヤツになりたいのよ。それこそティグリスみたいにね」
この人ならなるだろう、そう思った。神に愛された者の証、混じりっけなしの金髪が静かに揺らめいている。
「そんなわけで、アタシも立身出世ってやつをいろいろとガンバってるのさ」
「わ、私も戦いたいです!一緒に行かせてください!」
突然立ち上がった私に、へーロは焚き火から顔を上げて、鋭い目を向ける。
「団体行動がしたいってんなら、言うことがあるだろ?」
「……。今日は、ごめんなさい……。もう勝手なことはしません……」
「おう、そうしなよ。さあ、飯だ飯だ」
ウサギを焼く臭いが、鼻の奥までなでてきた。座り直して、一羽を分けてもらう。
空腹だったからか、兎はとても美味しかった。食べ終えて、へーロにもらった革袋の水をごくごくと飲む。後ろではへーロが、自分たちの船から持ってきたらしいテントを張っている。
「…………それとお前、嘘ついてたな。長ったらしい呪言なんざなくても命令できるんじゃないか」
「別に嘘はついてません~。言ってなかっただけですぅ。それに呪言があった方が確実だし、複雑な命令もできるんです」
「食うモン食ったらまた反抗的になりやがったな、コイツ。で、他に言い忘れてることはないのか?」
「知能の高い生き物ほど、操るのは難しいです。鳥くらいならさっきみたいにしてもいいけど、賢い獣には正確に呪言を唱えないと……」
「テロンの時は、賢すぎたから失敗したってか?」
「あの時は、獣人相手が初めてだったから……。テロンの霊にどんな影響があるか分からないから、呪言を弱めたんです。ちゃんと女神様の御名をお呼びすれば成功したと思います」
「なにい~?舐めたマネしやがって」
「ふふん。私、里では開祖以来の天才って呼ばれてたんです。ちゃんと呪言をかけて、失敗したことはまだありません」
「やっぱりね。なんか手加減してるような気がしたんだ。その気なら獣人も操れるんじゃないか、このウソツキ」
「ひいいっ」
茂みをかき分けて、疲れ切った様子のテロンが現れる。
「おう、遅かったじゃないの」
「そっちが速いんだよ!なんで獣人の僕が、山野で人間に走り負けるんだ。落ち合う場所だって勝手にズラしてくれちゃって。獣の姿で臭いたどってきたんだぞ」
「あの、ウサギ食べますか?テロンの分も残しておいたんです」
ぶつくさ言うテロンに肉を差し出すと、ひったくるようにして猛然と食べ始める。
「で、追手は来てそうか?」
「いいや。でも早いとこずらかった方がいいだろうね。今はまだ西へ上陸する気じゃないようだから、海へ出ればかち合うことはないだろう」
バクバクと肉を頬張りながら、テロンはアルシアの動向を説明してくれる。
「そんじゃ、明日の朝イチで出発だな。……開祖以来の天才さんよ、夜の見張りはアレでどうだ?」
へーロが指さした先、半ば腐れた巨大な糸杉の洞から、丸い顔が覗いている。
「……フクロウは英知の乙女の眷属、鳥の中ではかなりの高位です」
「ありゃ、できないのけ」
「むっ。できますよ。ただ、たくさんは難しいって言おうとしただけです」
全員が一通り満腹になって、テントに入る。周囲に人気はないけれど、念のためフクロウに巡回させている。
「それで、この後はどうするんですか?」
「リュキオンに戻って、雇い主の旦那に報告だ。ここへ来たのは任務なんだからな。……がその前に、帰る道中でカリュオンの祭りに出たい」
「はい……」
リュキオンもカリュオンも分からないが、一応肯いてみる。……祭り?
「あの、何かあるんですか?」
「イノシシ狩りさ」




