第46話 東西狸合戦
時を遡ること十日ほど。パルテナイ艦隊がリュキオン兵とともにレイリス島へ船出した朝。
西方大陸最大の兵を有するセイリオスの艦隊もまた島を目指し、大陸北岸を一路東へ進んでいた。
居並ぶ三段櫂船の前面には、牙を剥きだした青銅の獣。犬船と呼ばれるセイリオス特有の戦闘艦だ。
長く伸びた列の間を、小ぶりな連絡船が慌ただしく行き交う。
「船旅とは退屈なものだ。クリズモス、進みは順調なのか?」
船団の中央、大王ペリメドンがそう呟く。
犬船の甲板に小さな木椅子を持ち込み、長い紅髪をいじりつつ腰掛けていた。
「この分ならばあと四、五日で。予定通りかと」
答えたのは、総白髪の老将クリズモス。
かつては大陸北部ハイモンの野を総べ、海ではパルテナイを脅かした王であった。
祖国の名がペリメドニアとなり、自慢の艦隊に犬の首が生えてからも、彼はまだ船長を務めていた。
その時、連絡船が大急ぎで寄ってきた。
「報告です!前方に漂流山!」
「何だと!?」
内陸に都市を構えるセイリオス人の反応は鈍かったが、クリズモスは耳を疑った。
中の海にそびえる船人砕きの大岩。こんな北で出会うはずもない。
「前へ出ろ!直接確認する!」
漕ぎ手を急がせ、犬船の群れを割って先頭へ。
遥か前方には、向かい合う双壁が立ち塞がっていた。
「バカな……」
「何だあれは?岩……なのか。何かまずいのか?」
絶句するクリズモスの横で、ペリメドンは首を傾げるばかり。
事態を飲み込めぬ主君にとりあわず老将は素早く対処に動いた。
「近づいてはいけません。冥府送りに捕まる…………迂回だ!迂回しろ!」
強引に舵をきり、ほぼ直角に進路を曲げる。
押し合いへし合いしながら、なんとか後続の船団も後へ続いた。
「さっさと前へ進まなくてよいのか?」
「少し遅れますが確実に避けるべきです。近づけば丸ごと海の藻屑に」
しかしセイリオス艦隊が進路を変えて去った後、漂流山は忽然と消えていたのだった。
翌日も異常事態は起こった。
「後続が離脱した!?馬鹿どもが!」
「し、しかし左方にレイリス島の巨像が見えたと……」
「そんなものまだ見えるわけがなかろうが!呼び戻せ!」
念のため確認に向かっても、やはり巨像など影も形も見えなかった。
全ての船にペリメドニアの船長がついているわけではない、海に慣れぬセイリオス人の無知が招いた混乱。クリズモスはそう判断した。
だが異変が三日続くに及び、クリズモスの意識も変わった。
突然現れ、突然消えた竜の混乱冷めやらぬ船列を鎮めながら、皺だらけの顔を歪める。
「惑わされていますな」
そう進言すると、ペリメドンも頷いた。
「このところ妙なものばかり現れるな。原因は何だ?」
「分かりません。夢の神のお戯れか、私の知らぬ魔物の類か……とにかく、我々の進みを乱そうとする者がおります」
ペリメドンは渋面になったが、航海に関しては素人。指示できることは一つしかなかった。
「いずれにせよ、遅れを取り戻さねば。遅参しては東西からの笑いものだ」
「はっ」
しかし船足を速めた途端、またも連絡船が凶報を持ってきた。
「敵襲!最後尾に敵襲です!」
また幻か。一瞬クリズモスがそう考えたのも無理はなかったが、かすかに届く戦の喧噪は本物だった。
すぐさま歴戦の勘を取り戻す。
「陣を立て直せ!犬船は敵に当たれ、丸船に触らせるな!」
膨大な犬船の中央に隠した輸送船の一隊。これを沈められれば軍を維持できない。
クリズモスは全船を手足のごとく操り、堅く防備を整えた。
だがこの時のアルシア船団は巨大な五段櫂船ではなく、同じ三段櫂船。
それも剛力の獣人軍が漕ぎ手を担い、速度においては完全にセイリオス軍を勝っていた。
十数隻で襲いかかり、犬船を一隻沈めて即座に離脱していった。
そして九日目。
連日の幻と襲撃に散々苦しんだ船団の前に、また漂流山が聳える。
「またあれか!馬鹿にしおって。これ以上寄り道できるものか」
すでに大幅な遅れを自覚して、ペリメドンの苛立ちは頂点に達していた。
「いや、万が一本物では……。島に近づいているのは確かなのだから……」
どうせ遅れているのだ、あと少しくらい。クリズモスがそう主張しかけたとき、山が消失した。
「なんと!?」
漂流山に遮られていた海の彼方から、ポツポツと船影が現れる。
「あれは……イルカ船か?」
ケファロニアの誇る高速戦艦。その先頭で、何者かが海面に槍を投げ込んでいた。
やがてイルカ船は、音もなくセイリオス船団に近づいてきた。
「クソッ、逃がした!どこへ行った!?」
なぜか先頭で、銀髪の青年が血眼になって海を見渡している。
「落ち着け、狸。今はこちらをレイリスに届けるのが先だ」
黄金に輝く指揮官が、その肩を押さえてなだめていた。
「カウニアス!」
「いよう、ペリメドン殿。鈍重にもほどがありますな、おたくの軍は。道案内に参りましたぞ」
これ見よがしな嘲笑。歯ぎしりしながら、ペリメドンは声を絞り出した。
「しかし、奇怪な事態が……」
「どうにかなるらしいですぞ、それは。さあお早く!」
* * *
大艦隊を迎えた影浜。
「エウフラテス!抜かれおったのか!?」
ボケッと沖を眺めていた私は、その大声に浜へ視線を戻す。
驚愕するカッサンドラの横で、ティグリスが無言で海へ走り出していた。
(あ……)
その反応を見て、ふと思い当たる。
あの軍隊は、一騎打ちのことを聞いているのか。いや聞いていたとして、そもそもこれはリュキオンだけの……。
遥か沖でラッパが鳴った。犬みたいな顔をつけた船の群れが、止まったままの五段櫂船へ直進する。
浜の全員が、その光景に視線を奪われた。
今まさに何かを仕掛けようとしていたレオニダスまでも。
「もらった!」
ヘーロの声が聞こえた。




