第45話 国崩し 対 最速
両軍の視線が集中する中、ヘーロとレオニダスが向かい合う。
「待った、待った!」
「往生際が悪いぞ。英雄が名乗り、英雄が応じた。古来ゆかしき作法通りではないか」
やる気満々のカッサンドラに、カウニアスは食い下がった。
「いいや、彼女はリュキオンの兵を名乗った。全軍とこの一騎打ちは無関係だ」
「むむ……」
カッサンドラは少し考え込んだが、やがてこちらを見てニヤリと笑う。
「まあよかろう。妾が欲しいものはリュキオンにあるのだから、それで十分。……どうじゃな?リュキオンの王子よ」
問いかけられたエウモルフォス様は、厳かに肯いた。
「いいだろう。闘技の王者が敗れたならば、リュキオンが敗れたも同じこと。我々は兵を退き、猪馴らしを置いてゆこう」
「エウモルフォス殿!ちと律儀すぎますぞ、それは。だいいち運ぶのは我々で……」
イカロスが抗議するが、もう覆らない。
ドーロン様も言っていた。リュキオンの最強が、世界の最強。そうでなくてはならないのだ。
(ヘーロが負けたら終わり。……でも、そんなことにはならない。)
ぐっと唾を飲み込む。
エウモルフォス様を盾にして、ジリジリとアルシア陣営の二人から距離を取った。
(……私がいるんだから)
いざとなればレオニダスを操ればいい。最強の獣人を私の前に出したこと、後悔させてやる。
レオニダスが、四肢を地に着けて獅子になった。ゆっくりと間合いを詰めていく。
「オーキュステ―!剣や槍の通じる相手ではないぞ!」
エウモルフォス様の声が飛んだ。
「言われんでも!初めてじゃないんでね」
言うなり、ヘーロは手にした槍も背負った弓も、腰の短剣まで放り捨てた。
武器らしいものは、背中の矢筒だけだ。
「ここで会ったが百年目!」
叫びながら、爪の横薙ぎをひらりと躱す。
鳩尾の辺りを、強かに蹴り飛ばした。
どれほど時間が経ったのか。日が沈み始め、影浜が橙色に照らされる。
ヘーロは目まぐるしく動き回りながら、矢継ぎ早の攻撃を全て躱していた。
ゴオッ!
また咆哮とともに、外れた爪の残影が地面を深々と抉り飛ばす。
とても目で追い切れない。はためく黄金の髪が、雷のように軌跡を残すばかり。
闘技でも見た光景だ。
「なんとこれは。最速というだけのことはある」
イカロスが、梟眼を皿のようにして飛び交う閃光を凝視している。見えてるんだろうか。
「しかし、逃げてどうする。攻撃をせんことには」
デイオンが呟く。たしかに、ヘーロが放った攻撃は最初の一打だけで、それも全然効いた様子はなかった。
(でも、手がないわけじゃない)
背中の矢にはヒュドラの毒が残っているのだ。
レオニダスの動きが鈍ったところへ、矢を刺せば勝ちだ。いくら皮が固くても、目や口の中なら刺さるだろう。
しかしその機会が来ないまま、辺りはすっかり暗くなってしまった。
それほどレオニダスには隙がなかったのか。私には分からない。
「日が暮れた。一騎打ちは中断だ」
エウモルフォス様の声に、カッサンドラも渋い顔で肯いた。
黄金の閃光が人の形に戻り、こちらへ歩いてくる。
「ふ~。シンドイねえ」
「ヘ、ヘーロ……大丈夫ですか?」
滝のような汗だが、見たところ怪我はない。本当に全部躱していたようだ。
「あ、危ないです。明日は私がお手伝いして……」
「ああ、いらんいらん」
ワシワシと、大きな手が私の頭をかき回した。
「で、でも……」
「せっかくの一番手柄なんだぞ。ケチをつけるんじゃない」
いつもと変わらない口調だが、いつにも増して目が怖い。瞳が丸く拡大してじっと遠くを見据えていた。
「それよりテロンの奴はどうした?土左衛門になってたら面白いな」
「あ、それは……」
「生きてるよ、残念だったね」
「わあっ!テロン!」
振り向けば、とてつもなく不機嫌そうな顔でテロンが立っていた。
細い腰に抱きつく。
「よかったです。どうしたのかと……」
見た目にはいつもと変わらない。
まあ化けてるのだから、本体がどれだけびしょ濡れでも疲労困憊でもその気になれば隠せる。
「ちょっと元気が戻るまで隠れてたのさ。疲れた……」
「ありがとうございます。助かりました」
「まったく。ヘーロのせいで…………ん?」
「オーキュステー殿!」
カウニアスが駆け寄ってきていた。
「明日も今日のように戦うのか?」
「そりゃあ、他にしようがないもんで」
少しかしこまるヘーロに、カウニアスはニヤリと笑った。
「そうか。少し、話をしてもよいだろうか?」
「え?」
答えを待たず、手を取って浜の北側へ歩き出す。首を傾げながらもヘーロはついていった。
しばらくして、ヘーロはドスドスと戻ってきた。
「あの、どうしたんですか?」
眉根をぎゅっと寄せて、何か不機嫌になっている。でも、いつもの拗ね方だ。
先ほどまでの、鬼気迫る様子がない。
「おいテロン、お前ちょっと来い」
「なに?疲れてるんだけど」
私の問いには答えず、テロンを引きずっていってしまう。
「ちょっと、私は?」
一人取り残されてしまった。仕方ないので、デモフォンたちのいる五十人櫂船へ戻った。
翌日。また朝からヘーロは攻撃を避け続けていた。
「凄まじいな。よくもあれだけ動き続けるものだ」
横で、デモフォンが感嘆のため息を漏らす。
今日のレオニダスは獣人の姿で、しかもティグリスの槍を借りていた。
握りも見せず穂先がひらめく。
しかしヘーロは昨日よりもさらに攻めっ気をなくしていた。横に後ろに、ひたすら飛び交わす。
「あの。テロン知りませんか?」
「さあ?見てないが……丸船にいるんじゃないのかい?リュキオン勢なんだし」
昨日の夜から、テロンはまた姿を消してしまった。
「時間ばかりかけおって……何だというのじゃ」
浜の奥では、カッサンドラが露骨に苛立ちを見せていた。
五日目の朝になっても、まだ決着は付いていなかった。
すでに見守る両軍にも、だれた空気が漂う。
しかし、ヘーロに続いてレオニダスが浜の中央へ進み出たとき。アルシア軍の雰囲気が急に張りつめた。
(……何か持ってる)
防具を帯びないレオニダスが、膨れた革袋を腰に下げていた。
ヘーロもそれを認め、ぐっと膝をたわめて回避の準備をする。
「風がのうなった。今じゃ!」
カッサンドラの叫びに即応し、獅子の爪が腰に伸びたとき。
「ご注進!」
騒がしい羽音に、全員が空を見た。
「セイリオスの船団です!」
(……え?)
沖を見る。何隻かのイルカ船を先頭に、無数の帆影が水平線から立ち上がってきていた。




