第44話 時代錯誤
「ほーん、ニキッペをね?」
「まあ、推測だけどね。向こうが優勢だったんだから休戦なんてすることないし、今ここで欲しいものなんて他にあんまりないでしょ」
沈黙したままの若草色の天幕を、遠巻きに二人が眺めていた。
「そりゃ面白くないな……なあテロン、やっぱりやっちまうかい?」
ヘーロマケーの碧眼は、瞬きもせず爛々と輝きを放つ。
「今日はどうしたのさ。見た目の割には慎重に判断するやつだと思ってたのに」
「うるさいな。アタシだっていろいろあるんだよ。お前だってその気になってんだろが、とっとと行ってこい」
大きな足が、ドカッとテロンの尻を蹴り飛ばした。
「分かったよ。……ま、たまには助けてあげないとね……」
テロンはため息をつきながらジャブジャブと海へ入っていき、フッと姿を消した。
「カニにでも化けたか?なるべく遠くまで行けよお」
* * *
「わ、私を?」
思わず、仇を前にした緊張が抜けてしまう。
「そうじゃ。ぜひ我がアルシアへご招待したい」
そう言って、カッサンドラは妖しく微笑んだ。
(どういうつもりか知らないけど……)
アルシアへ行くなど、断じてお断りだ。
煮えたぎる熱が、体に戻ってくる。
「私は、リュキオンでお世話になっていますから」
睨み付けたつもりだったが、向こうはどこ吹く風だ。
「おや、そうかの?ならば戦って勝ち取ることにしようかのう」
フウ。
レオニダスが一つ息を吐く。それだけで、左の四人は一斉に顔を強張らせた。
しかし、カウニアスがすぐさまにこやかな笑みを取り戻す。
「まあまあ。たしかに彼女はリュキオンの客分。そう簡単に行ったり来たりするものでもないでしょう」
「フン。リュキオンじゃと?どうせ女だ異邦人だとつまらん理由で市民にしてやらんのじゃろ。……アルシアは違うぞ。魔術師も獣人も大歓迎じゃ」
「政の話は別として。……どの道マンドラ湾は使えないんだ、この島でこれ以上の流血は無意味。ならば兵を退くのが理というもの」
カウニアスは慎重に言葉を選んでいた。
私にも分かった。向こうが有利な以上、突っぱねられたらどうしようもないのだ。
(私が、巨像を戦わせられれば……)
奥歯を噛みしめたとき、浜がにわかにざわめいた。
「なんだアレは!?」「馬鹿な!なぜここに?」
兵たちのどよめきが、天幕にいてもはっきりと伝わった。
「んん~?何かあったか?」
入り口に近いティグリスが首を傾げ、天幕を出て行く。すぐに、野太い叫びが聞こえた。
「うおっ、なんてこったい」
全員が席を立った。
一緒に外へ出て、目を疑った。
巨像が沖合に立っていた。剣をダラリと下げ、アルシア艦隊を睨めつけている。
(ど、どうして?)
一瞬思考が止まったが、はたと理由に思い当たる。
巨像は先ほどまでいなかった。それは確かだ。なぜか急にマンドラ湾を離れたのだとしても、ここまですぐには来られない。
それに、だいぶ沖まで出ているのに、姿がはっきりと見えるのもおかしい。あの位置ならせいぜい頭が見えるくらいだ。
つまりあれは、本物ではない。
(テロン!なんて無茶を)
大勢を化かすのは疲れると言っていた。実際に体が変化するわけではないとも。
それが数万の人間の前で、軽く本人の百倍はあろう大きさに化けているのだ。
私が巨像の正体に気づいたとき、隣にいたレオニダスも口を開いた。
「……エウフラテスと同じ能力では?」
「狸の獣人だというのか?ヤツしかおらんという話じゃが……」
(……!知ってるのか)
アルシアにいるという、テロンの叔父。カッサンドラたちがその能力を知っているかもしれないとは思っていた。
「いえ、私の力です!」
とっさに叫んだ。テロンは身を削って芝居をかけているのだ。私が成果を挙げなくては。
「私は魔術で、一度操った物をまた生み出すことができるんです。本物はまだ湾にいますが、分身をここに再現したんです」
考える間もないまま大嘘を並べ立てる。
カッサンドラは、呆れたように首を振った。
「いやいや、そんなバカな。だいいちそれなら、なんでもっと早く……」
「あなたは魔術の何を知ってるんですか?なんなら、動かしてみせましょうか?」
勢いで押し切るしかない。
テロンに命じる振りをすれば、その通りにノってくれるはずだ。
「何をって……そりゃ色々知っとるつもりじゃが……」
艶やかな唇が曖昧に笑う。
「これで形勢逆転ですね」
「魔術師殿の業前、ぜひ見たいものですが……」
西の将たちでは、やはりカウニアスが真っ先に我に返った。
「とにかく兵たちはだいぶ動揺しているようだ。お互いこれでは話にならん」
その言葉通り、沖合では巨像の間合いから逃れようと、両陣営の船列が乱れに乱れていた。離脱するものこそないが、もう陣ではない。
「どうです?さっさと話をつけてしまうというのは」
「やることがコマいのう。口先で妾を丸め込もうとは……」
不機嫌そうに顔をしかめ、それでもカッサンドラは考え込んでいた。
「こんな安い芝居で……気が進まんのう……ティグリス、どうじゃ?」
「ま、海戦の方はちと面倒だな。ウチの船ばっか見てるし、ありゃ落ち着かせるのは骨だ」
「レオニダス!!」
その時、浜に大音声が轟いた。
「ヘ、ヘーロ?」
浜の中央に仁王立ちして、こちらを――レオニダスを凝視していた。
初めて見る全力の笑顔だ。歯を全てむき出して、深々と口の端を吊り上げている。
「リュキオン最強の兵、闘技の王者!ヘーロマケ―・オーキュステ―!一騎討ちにて、決着を!」
「クハッ!」
盛大にカッサンドラが噴き出した。
「一騎打ちで決着とな?いつの時代の人間じゃ、あやつは」
反対に、イカロスやデイオンは目に見えて狼狽した。
「何を言い出すのだ!?」「勝手なことを!」
カウニアスが渋い顔でカッサンドラに向き直る。
「彼女はいずれの国の長でもない。話の続きを……」
「いいや、これは正式な契約と受け取った。闘技の王者なら代表たる格も十分」
意地の悪い笑いが漏れる。
「まだ決戦の方がマシだったのう?……よいぞ、レオニダス!勝った方の総取りじゃ」
その言葉とともに、獅子の咆哮があがった。
「ハイテスの子レオニダス!一騎打ち、承知した!」
レオニダスが進み出たとき、沖合の巨像がフッと消えた。また浜がどよめく。
(テロン……限界が……)
「おや、魔術師殿。分身のナントカはもう止めたのかえ?」
ニヤニヤ笑うカッサンドラ。
「ま、とにかくお望み通り、ひとまず戦は終わりだのう」




