第43話 あの子がほしい
「さて、ここが影浜だが……」
デモフォンに見送られ、波打ち際を歩く。辺りは騒然としていた。
「負傷者を運べ!」
「柵に触るな、濠からも離れろ!」
折れた矢や槍が散乱する白砂の上を忙しなく人が行き交い、倒れた者を次々に運び出す。浜の奥、張り巡らされた濠と柵の向こうでも、何やら同じような動きがあった。
「やあ、来たか」
「エウモルフォス様」
兜を脱ぎ、汗でべったり顔に張り付いた黒髪をかき分けながら、大股でこちらへやってくる。
「デニケスは無事か?」
「あ、はい。さっき丸船に預けて……ほかの右翼隊も戻ってます」
沖合を指し示す。浜から距離を保って、丸船隊は再び味方に合流していた。三段櫂船もイルカ船も勢揃いだ。
しかしそのすぐ左手、南側にはこれまた勢揃いの五段櫂船。
「あのお、これは……」
「ああ、一時休戦だ。惜しいことをした、もう少しであの柵を食い破っていたのだが」
そう言うが、微笑みにいつもの爽やかさがない。もう少しで勝てたなら、休戦には応じないだろう。
「エウモルフォス殿!見事な活躍だったそうで」
「おお。そちらもご無事で」
妙に明るい声とともに、バシャバシャと水を蹴って青年がやってきた。頭も見事な金髪だが、鎧も金ピカだ。傷一つない滑らかな表面が、日を受けて輝いている。
(たしか、ケファロニア?の……カウニアス王)
「そして君が噂の猪馴らし殿、と。会うのは二度目……だね?前にはちゃんと挨拶しなかったね」
(そりゃアンタらはパンドーラ様ばっかり見てたからね)
エウモルフォス様に話しかけていたのに、すぐこちらへ目を移す。
「君が、アレを動かしたってことでいいのかな?」
「はい。でも、巨像が湾の入り口にいるのは私の指示じゃないです。もっと敵を襲わせようと思ったんですが……」
「ふうむ。やっぱりそうか。ぜひ魔術の講義を願いたいけど……もうそろそろだからな」
そう言って浜の一角を見やる。土嚢で少し埋まった濠のすぐ手前に、やけに目立つ若草色の天幕。
「あれは……」
「東西の大将たちで、ちょっと話し合いをね。あちらのご指名だから、君にも来てもらうよ」
(大将……両方の……)
深刻な予感が頭を支配する。
「じゃあ、ティグリスも……」
「神獣殺しかい?いると思うけど、なぜ?」
問いには答えなかった。体の髄に熱が集まってくる。
「おーい、その話待ったあ」
聞き慣れた豪快な声に、意識が覚めた。
(ヘーロ、テロン。五十人櫂船で待ってるって言ったのに)
「なんだ彼らは……傭兵?」
「私の仲間です。ちょっと失礼」
サラサラの砂を踏みながら、二人の元へ駆ける。
「何ですか?」
「大将同士の会談に立ち会うって聞いたからさ。ちょっと忠告しておこうと思って」
テロンがしゃがみ込んで、目線を合わせてきた。
「会談の席にはティグリスがいる。……分かるね?暴れちゃいけない。こらえるんだ」
細い指が優しく、頭を包んでくる。
確かに、余計なことをして交渉を決裂させたら大事だ。残ってる船も向こうの方が多いし、旗色は悪いんだろう。
「いやいやいや」
ヘーロがテロンの肩を押さえて引き戻す。
猛獣の笑みがぬっと近づいてきた。
「勝てない喧嘩をするんじゃ能なしだが、この場合は……やっちまってもいいぞ。そうなったらアタシとテロンが助けてやるさ」
「バカ!本気にするだろ」
「お前は考えがセコいんだよ。もっと流れに身を任せてだな……」
言い合いを始めた二人に、少し微笑んでみせた。
「ありがとうございます。会ってから考えることにします」
熱い鼓動が収まり、心が凪いでくるのが分かった。頭を下げて、引き返していく。
* * *
果たして、仇はいた。
天幕に入った瞬間、すぐ近くの黒いどんぐり眼と視線が合った。
(ティグリス……!)
腰まである長い髭を撫でながら、何も言わず笑っている。
瞬時に沸騰しそうになる意識を抑え、ヘーロの背中、テロンの手の感触を思い出す。
歯を食いしばって、目をそらした。
ティグリスを見ないようにして、天幕の中を見渡す。
どこから持ってきたのか、巨大な樫木の卓に、肘掛けまで付いた立派な木椅子が左右向かい合って四つずつ。
左には、西方のお偉方。イカロスともう一人、壮年の男が私に頷いて見せた。
なんとかのデイオンという人だ。求婚の時は全然喋ってなかった。
「さて、我々のほうはこれで全員かな?」
カウニアスが座り、エウモルフォス様も続いて左の椅子が埋まる。
(……立っておこう)
エウモルフォス様の背中に身を隠す。
向かいの空席に座るわけにもいかない。奥にも椅子はあるが、あんな玉座みたいなところごめんだ。
「我々も、間もなく揃う」
右側の席を見ると、嫌でもティグリスが目に入る。その隣、声の主に視線を集中した。
(あれがレオニダス)
絶対にそうだ。獅子の獣人。
エウクラトス様に匹敵する巨体が、鬣のせいでもっと大きく見える。他の者と違って武器はおろか鎧も着けていなかった。
「お待たせしたのう」
涼やかな声に振り返ると、場違いなほどに美しい女性。
輝く黒髪を幾筋にも結い上げ、同じ純黒のドレスに身を包む。少し私に微笑んで、後ろを振り向いた。
「紹介しておこう。レイリスの総督、ネアルコス殿。……と、その後見の、パライオス翁じゃ」
また誰か、入り口にやってきた。
(って……総督?これが?)
そこにいたのは、幼児を抱えたよぼよぼの老人だった。おじいさんが後見だろうから、総督は幼児の方だ。二、三歳くらいか、指をしゃぶりながら周りを見渡していた。
ふらつく足取りで、パライオスがレオニダスの隣へ座る。総督は膝の上でウトウトしはじめた。
「さあて、妾も自己紹介しようかの?アルシア太后、カッサンドラじゃ」
(太后って……若そうだけど。アルシアの皇帝も幼児なのかな)
悪戯っぽく私に笑いかけ、カッサンドラも座り、右の四席が埋まった。
(……これで全員?)
「どうした?魔術師殿も座るがよいぞ、席はあれじゃ」
白い指が天幕の奥、中央の椅子を指さす。
「え……?」
「ま、話題の中心を座から外す法もないでしょう」
「ウム。早く始めよう」
戸惑ったが、カウニアスとイカロスにも促されこわごわ席に着いた。
(……落ち着かない)
視線を落として尻をもぞもぞさせていると、カッサンドラが口火を切った。
「さて、レイリスから互いに兵を退くという話だが……妾は前向きに検討しておるぞ。かつての王統もほれ、そこに続いておるでの」
紅い唇が軽やかに言葉を紡ぐ。
「が、せっかくの有利な戦場を手放すのだ。何か埋め合わせはしてもらわねば……のう?」
総督以外全員の視線が、私に集まった。




