第38話 決戦・レイリス島②神獣殺し 対 竜殺し
青銅の巨剣が振り下ろされる。
噴火のような水しぶきとともに、五段櫂船の甲板が砕け散った。
「やった!」
巨像は、今や名実ともに島の守護神だった。
入り江をまたぐ両の足、その右がゆっくりと台座を離れ、海に踏み込んでいく。
高波が、船から放り出されたアルシア兵の頭上を覆った。
* * *
神話の光景に、誰もが一時目を奪われた。
青銅の巨像が動いている。海底を歩き、剣を振るっている。
それが少女の起こした大魔術だと、理解できた者はほぼいなかった。
最も速く事態を把握したのは、アルシア艦隊の指揮官――ティグリス・テラトクトノスだった。
船陣の中列から、怒鳴り声を張り上げる。
「前進だ、沖へ出ろ!一隻残らずだ!」
そうして自らの船を全体の先頭に進ませた。舳先に足をかけ、漕ぎ手を叱咤する。
「死にたくなきゃァ気合い入れて漕げ!木ッ端微塵になっちまうぞ」
大将船の後に続き、近海を埋め尽くす大艦隊が一斉に前へ出た。
黒雲のような船団の向かう先には、出会い頭の勝利を収めつつあったパルテナイ海軍。
「むっ、いかん!後退だ、一旦下がれ!」
中央に陣取ったイカロスが指示するまでもなく、各船の指揮官は素早く後方へ動いていた。
千年に及ぶ中の海の歴史において、最強の呼び声も高いパルテナイの三段櫂船。敵船を沈め、離脱。追ってきた敵をまた沈め、離脱。
攻撃力と機動力に物を言わせた、それが常勝戦法であった。
しかし今、彼らは大軍との正面戦闘に向かいつつあった。
さらに後方、丸船の集団にも動き。
「エウモルフォス殿。敵が海岸を離れました。二手に分かれ、敵陣を迂回して島へ」
束ねた髭を握りつつ、アカマースが進言した。
「しかし、これは軍船ではないのだろう?敵の攻撃を振り切れるのか?」
「リュキオン勢を上陸させるのが、パルテナイの役目。丸船が動けば、機に応じて三段櫂船も動きます。何より敵が前へ出た以上、すぐにでもここへ来ます。退くか、行くか、二つに一つですな」
黒髪の王子はふっと笑った。
「では行こう。我らはリュキオンだからな」
丸船の群れは二つに分かれ、それぞれ左右へ走り出した。
* * *
「アルジサマ!フネが逃げます!」
ヒーメロペーに警告されるまでもなく、敵船の動きは明らかだった。
巨剣がマストを叩き折り、四隻目が沈んだところで、次々と船が島を離れ出す。
逃がすわけにはいかない。総数からすれば、まだまだ敵の損害は微々たるものだ。
『戦え!追って壊せ!』
しかし、巨像は追撃しない。湾の入り口に陣取って動こうとしなかった。
(なんで……深いから?)
巨像は青銅、泳げない。今すでに胸近くまで海水に浸かっているのだ、さらに沖へ進めば完全に水没するのは目に見えていた。
(いや、だとしても私は命令を……)
追えと言ったら追うのが道理だ。判断の正否は問題ではない。
霊を与えられた者が、与えた者に逆らうなど。アルキッポスからは教わっていない。
ヒュッ。
「ヒャアッ!?アルジサマ、危ない!」
背後から飛んできた矢を、ヒーメロペーがかろうじて躱す。振り向くと、海岸にも敵兵。
「戻りましょう、ココはダメです!」
この巨像を放置するのか。一瞬迷ったが、留まるのは危険すぎた。
(それに、私たちの船が……)
敵船団は進んでいる。私が戻って人形兵に命令しなければ、変わる戦況に対応できない。
「~~~ッ。戻るよ、ヒーメロペー!」
* * *
戦場を迂回する丸船の動きを、イカロスの梟眼は冷静に捉えていた。
「ようし、包囲戦だ!敵船を押し包め、一隻も外へ出すな!丸船を送るんだ!」
百二十の三段櫂船が薄く長く広がり、半月型にアルシア艦隊の行く手を塞ぐ。
「数を見るな、手前に出た船を端から叩け!」
「正気か、パルテナイの大将!そりゃあ多い方がやるもんだ」
五段櫂船の舳先でティグリスが笑う。
「押し通れ、向こうのデブ船を島へ行かせるな!」
巨像から逃げていた艦隊が、一気に攻勢へ転じる。薄い包囲を突破すべく、我先にと前へ出た。
「んで、あれが本命か」
どんぐり眼が、パルテナイ船団の中央を見据える。
有翼の大蛇の船首が、波を裂いてイカロスの船へ向かった。
ドギャッ。
突進する巨体に、横合いから衝角が突き刺さる。
「ありゃ、邪魔が……うおっと!」
ギイン。
ティグリスが振り向いた瞬間、飛んできた槍がその黒鎧を擦る。
「貫けんとは……やはり鉄虎の体で鎧をこしらえたというのは真なのかな」
傾く五段櫂船の甲板には、黒髪の将を先頭にパルテナイ兵が続々と乗り込んでいた。
すっと、首を貫いた剣が引き抜かれる。声もなく、また一人アルシア兵が倒れた。
激戦の中を、男は悠々と舳先へ歩いてきた。ティグリスをかっと見据える。
「ペラゴスの子エレウスに向かう勇者は!」
「ティグリスだ、親は知らん!」
剣を構えたパルテナイの英雄に毫も怯むことなく、ティグリスは白髪交じりの頭を掻いた。
「……竜殺し殿とは、こりゃァいい!お相手しよう!」
青みを帯びた刀身と、黒い長槍が火花を散らす。
エレウスは左右に長剣を携え、怒濤の攻勢をかけていた。
「おっ……うっ!寄ってくんな、暑苦しいぞ!」
「……」
舳先の狭い空間で、長い槍はいかにも窮屈だった。長い髭を振り乱しながら、しかしティグリスは器用に双剣をさばく。
髪の毛先がふれあうほどに、二人の間合いは詰まっていた。
「神獣の鎧……まったく堅固きわまる」
呟きながらもエレウスの剣閃は鋭さを増し、肌の露出した部分へ攻撃を集中する。
ティグリスの頬に、肩に、紅線が走った。
「強い強い……騙し討ちは申し訳ないな、こりゃ」
――どろりと、漆黒の胸当てが溶けた。
異変を感じたエレウスが後退するより速く、黒い閃光がその首筋に迫る。
ズッ。
剣で致命の一撃を逸らし、辛うじて命を守った代償に、右上腕へ深々と黒鉄が食い込んでいた。
「がッ……」
大きく跳び退り、肩で息をする。まだ双剣は持っていた。
するすると、エレウスの肉を貫いた鉄が胸当ての形に戻っていく。
「悪いな、確かにこれは神獣の肉だが……まだ生きてるのさ。それに名前も鉄虎じゃない、虎鉄だ」
言いながら、追撃の長槍を繰り出す。
「エレウス様!」
「アリストン……!」
とっさにエレウスをかばったパルテナイ兵が、盾ごと串刺しになった。
「鉄みたいな虎じゃない、虎みたいな鉄なんだよ。コイツは霊ある鉄塊、強者の姿を真似る……フフ」
また一人、パルテナイ兵が槍の餌になる。
脂汗を流しながら、エレウスは敵将を睨んだ。
「では、神獣を従えて……」
「神獣馴らしとでも呼んでもらおうか。似たようなのがそっちにもいるんだろ?」
一瞬、黒い瞳が遥か後方の巨像を捉えた。
「なかなか上手く育ったもんだ、オルテギアのお嬢ちゃんも」
最後まで聞かず、エレウスは武具を帯びたまま海へ身を投げた。
すかさず、アルシア兵の何人かが海面に槍を投げ込むが、ティグリスはもう見向きもしない。
「さて、こりゃもう沈むな……アレもらうか」
そう言って、自らの船を撃沈した三段櫂船へ飛び乗った。




