第37話 決戦・レイリス島①守護者 対 侵略者
「パルテナイの守護者なる英知の乙女、我らが旅路に導きを賜りますよう」
牡羊の血が祭壇から溢れ出し、港を染めていく。
イカロスが、港を埋める船団に向かって紅い短剣を掲げた。
「儀式は成った。同胞たちよ、自由の戦をしにゆこう!」
「賽を投げろ!」
海上から雷鳴のような響きが帰ってきた。
とてもこの人数は港に収まりきらない。すでに兵たちは船上で出港を待っていた。
「さて、我々も……」
エウモルフォス様が一つ咳払いをして進み出た。
「リュキオンに栄光あれ!」
「リュキオンに栄光あれ!!」
先ほどを上回る大音声に、盾と槍をガンガン打ち鳴らす音がそこら中で重なる。耳が痺れてきた。
「じゃ、僕たちも船に行こうか。三段櫂船の邪魔にならないように、丸船の横っちょにくっついてればいいから」
ボーッとしていたら、後ろから肩を叩かれた。
「あっ……デモフォンさん。……誰かと思いました」
ピカピカの胸当てに脛当てが眩しい。兜の房飾りとマントは美しいスミレ色だ。
胴体よりも大きい楯と、体より長い槍を右手一つで抱えている。
「ふふ、見違えた?どれも祖父の代からの品なんだよ」
なにか嬉しそうだが、パルテナイ兵がどれも似たような格好だから見分けがつかなかっただけだ。
「あっそれと、こちらがリュキオン軍ご推薦の」
そう言って、後ろに立つ人物を指した。
「アイソポスだ。デモフォン殿、魔術師殿、ひとつよろしく……」
そう言って頭を下げたのは中肉中背の中年、どこか風采の上がらない男だった。
ヘラヘラと笑う顔の上で、リュキオン兵の証、兜の真紅の房飾りが擦り切れ気味だ。鎧も黒ずんでいる。
(昨日の、デニケスさん?はわざわざゴネてこんな人を?)
* * *
パルテナイを発って四日。この間の船旅が嘘のような順風満帆で、艦隊は進んでいた。
「レイリス島ってもうすぐ着くんですよね?」
「この分なら間もなく……しかし、もう友軍と合流している手はずなんだが」
「アルジサマ、変なフネがムコウから」
三段櫂船の囲みの中。せわしなく翼をはためかせ、ヒーメロペーが舳先に降りてきた。
「!……アルシア!?」
「いや、待って。南からなら、たぶん……」
デモフォンの言葉が終わらないうちに、右手から帆船の集団が姿を現した。みるみるうちに、こちらの艦隊に近づいてくる。
(あっ、たしか、カウニアス……)
先頭の舳先に立って、見覚えのある金髪の青年が笑っていた。
その艦隊は素早く、しかしほとんど波を立てずに船列の隙間を縫ってきた。私たちの五十人櫂船より長いが、かなり細身だ。
「ケファロニアのイルカ船だ。これで味方がひとつ」
「イルカ?」
船首には見慣れない動物がついていた。嘴らしきものがあるし、鳥かな。
「ああ。南の海にはああいう動物がいてね。……しかし、セイリオスが来ないうちに始まってしまうな、これは」
「アルジサマ!ヘビのフネです、イッパイいました!」
次はテルクシオペーが戻ってきた。
「今度こそアルシア……どれくらいいたの?」
「あの、数え切れなくて……」
大体でいいから、と言おうとしたとき、水平線の向こうに帆影が見えた。
はじめは、そこが海岸かと思った。
それほどに、遠く霞む船列は長く厚く並んでいた。
しかし近づくにつれ、紛れもなく軍船の集団であることが分かってしまう。
「ここが、レイリス島……」
「ああ、間違いないね。後ろに見えるのがレイリスの巨像だ。島の危機を守るという話だが、今回は役に立たなかったね」
(巨像……)
敵陣の遥かに遠く、大剣を掲げる人型の影が見えていた。
「あの、船は……」
パルテナイの三段櫂船が素早く前方に戦列を構えた。
味方越しに見る敵船は遠かったが、しかしそれでも明らかなほどに巨大だった。
「五段櫂船……。図体だけの、趣味の悪い代物だよ」
言葉とは裏腹に、デモフォンの表情は固かった。
「ここまで軍船を一ヶ所に固めてくるとは……。水際作戦じゃないのか……」
ジリジリと日が照りつける中、両軍はにらみ合っていた。
「あ、あの、これは何を?」
「すぐに戦うわけじゃない。向こうも何かしらの宣告を……」
交渉事をしているようだが、味方の壁があってよく分からない。この船は一番小さいのだ。
「二人とも、『様子を見てきて』」
セイレーンたちが飛び立っていく。
「どうだった?」
ほどなく戻ってきた姉妹に話を聞くと、顔を見合わせて話し出した。
「えっと、アッチから小さいフネが出てきて……乗ってたヒトがナニか言ってて」
「コッチのヒトがユミで射っちゃいました」
横のデモフォンが大きく息を吐き、頬を一つ叩く。
「交渉決裂……そりゃそうだ。さあ!始まるよ!」
その言葉と共に、前を固める船団が動いた。そこかしこで鬨の声が上がる。
ドキャッ。
轟音が細く耳に届いた。衝角がまた一つ、敵船の脇腹に突き刺さっている。
巨影が少しずつ傾いていくのが、遠目にも分かった。
「僕らはまだ待機だ。機を見て、重要な船を襲うとしよう」
遥か前方の激戦を見てもデモフォンは動じない。
しかし、私の頭には全く違う考えが浮かんでいた。
「ヒーメロペー、『私を運んで』」
「はあ!?」
眼を剥くデモフォンの横で、大きな翼の間にまたがる。すぐに体が空へ押しつけられた。
「バカタレ!どこ行くってんだ、お前は!」
「君がいなくて船はどうするんだよ!?」
ヘーロとテロンの叫びが足下で遠くなっていく。
『高く、高く』
初めて空を飛んだ感慨に浸る暇もない。矢に狙われてはおしまいなのだ。
アルシアの船が玩具か何かに見えるほど、高く。
風で目が霞み、甲高い耳鳴りがする。必死で裸の背中にしがみついた。
眼下では、海戦が続いていた。
おそらく、こちらが優勢だ。破壊された船はまだ少ないが、見る限りその全てはアルシアの五段櫂船だ。
しかし、五、六列に並ぶ敵陣は、まだ最前列しか動いていない。ほとんどが変わらず入り江の前に整列している。
対して三段櫂船やイルカ船は残らず海を駆け巡っているのだ。
(やっぱり、このままじゃ……)
湾の入り口をまたぐ巨像の真上にやってきた。
『下がって、島側へ』
一気に、巨像の頭が近づいてきた。湾の内側へ入り、船陣から距離を取る。
「ここなら神令が届く……飛び続けてね、ヒーメロペー」
「む、無理です。戻りましょう、アルジサマ……」
アルシアの兵士たちは、こちらに気づいていた。
ヒュオン。
巨像の頭を越えて一本の矢が飛んできた。わずかに手前で落ちていく。
必死にギリギリの高さを保ち、射線から逃れるヒーメロペー。体がガクガクと揺さぶられた。
「大丈夫。ここまでは届かないし、すぐに終わる」
大丈夫ではない。ポロスのような射手がいたらおしまいだ。だが、ここまで来たらやるしかない。
月桂冠を被り、右手には松明を、左手には剣を掲げる。眼下にあるのは、太陽神を象る巨像だった。
これに比べればアルシアの軍船など、膝下ほどの大きさしかない。
『家畜の主、ネズミ殺し、癒やしの手……』
(与霊の魔術の真髄は、その肉に相応しい霊を用意してやること……)
アルキッポスの声が脳裏に蘇る。
『千の名を持つ黄金の君、輝けるアポローン様。私に御力を……』
(それが分かれば、キミはどんなモノでも操れるさ)
そうだ。あれは島の守護者、レイリスの敵と戦うために在るのだ。
『戦え!巨像!』




