第35話 パルテナイへの旅路⑤怪奇漂流山
「船だと?どんな船だ?数は?」
テルクシオペーの言葉に、エレウスが身を乗り出す。船内の空気は一気に張り詰めた。
詳細な報告を命じると、ぽつぽつと語り出した。
「えっと……このフネより大きくて、ゼンブでジュウくらいでした。ヘビみたいなのがついてて……」
(それって……)
「アルシアだ。先を越されたか」
喉の奥から絞り出すようなエレウスの言葉に、ラトス島で見た軍船を思い出す。有翼の大蛇を船首に飾った巨体。
「それで?その船団はどこへ向かってたの?」
「動いてたわけじゃなくて……シマのまわりにいただけで」
それを聞いて、エレウスの顔がますます渋くなった。
「メノン島を見張っておるのか……味な真似を」
行く手に敵がいるのは確からしい。そういうことなら備えねば。
「ヒーメロペー!『この船の周りを飛んで。他の船が見えたらすぐに報告』」
妹と入れ替わりに姉が飛び立っていく。
「ほんじゃとっとと逃げにゃ。待ち伏せに付き合うこともないでしょうよ」
唸るエレウスに、いつもの調子でヘーロが進言した。
「意外です。ヘーロは戦いたがるかと思ったのに」
そう言ったら、がしっと頭を脇に抱え込まれた。
逞しいのに柔らかい、肉の感触が顔を包む。そのままおでこを指で弾かれた。
「そりゃお前だろ。すーぐ頭に血ぃ上るんだから」
「うっ。すみません……」
ティグリスの時だってヘーロは止めてくれたのだ。
ビシビシと指が飛んでくる。でもそんなに痛くないから、相当手加減しているはず。
「それで旦那、どこへ?」
私を捕まえたままの問いかけに、エレウスは髭のない顎を撫でながら甲板を振り向いた。
「アカマース、どうしたものか?」
その時アカマースは船を漕ぐ人形兵たちに割り込むようにして、じっと左を見ていた。
視線を動かさず、声だけで答えを返す。
「西へ。漂流山を抜け、ペリプルス島へ行きましょう」
「だいぶ大回りになるな……そのうえ漂流山を通らねばならんとは。手立てはあるのか?」
エレウスは難色を示したが、アカマースは動じない。
「以前通ったときは人柱を用意したものですが……今回は猪馴らしがいる。セイレーンもある。一度その鳥を先行させ、岩が閉じて戻るところを駆け抜ければよろしい」
槍の穂先でテルクシオペーを指しながら、淡々と返した。
「ふむ。まあ、経験に従うとしよう……よし、西へ行くぞ。デモフォン!舵を!」
「はあい、ただいま!」
エレウスに手を振りながら、船尾のデモフォンが舵柄を大きく傾けた。
「あ。私も……『左へ』!」
左舷の人形兵たちが力を緩め、反対に右舷は海面深く櫂を差し入れる。白波を蹴立てて船が横を向いた。
見た目には穏やかな海を、船は順調に進んでいた。
「あのお、漂流山っていうのは……」
「……実を言うと、私もこの目で見たことはないのだ。近海随一の難所だからな、わざわざ通ろうとは思わん」
「はあ……」
(エレウスさんは見たこともないのか。向こうは通った経験があるっぽいのに)
思わず目の前のエレウスと甲板のアカマースを見比べる。二人とも四十かそこらだろう、似たような歳のはずだが。
「二つの大岩だ。間を通る者を押しつぶす」
じろじろ眺めていると、そのアカマースが注釈を入れてきた。
「抜けられるのは漂流山が閉じた直後、元の位置に戻る時しかない。つまり誰かが大岩の間に入った直後だ」
「つまり、その役をセイレーンに……」
アカマースは肯いた。
「そうだ。鳥ならば大岩の縁すれすれを飛び、挟まれる直前に逃れることもできよう」
「なるほど……聞いた?やれそう?」
舳先のテルクシオペーをみると、目を閉じて肩を震わせていた。
「できる、と思います。でもワタシ、怖くて……」
ガコッ。
言葉は突然の揺れに中断された。
「冥府送りに乗った。もう後戻りはできんぞ」
アカマースの言葉に下を見下ろすと、ずっと凪いでいた海に明らかな流れが生まれていた。
程なく、行く手に二つの黒い影が見えてきた。
(たしかに……これは、山……)
岩塊と言うには巨大すぎる双壁が、辺り一帯へ影を落とす。
私たちの船を運ぶ潮流は間違いなく、その真ん中へ吸い込まれていた。
「じゃあ、今から……」
舳先で縮こまるテルクシオペーを飛ばすべく、神令を放とうとしたその時、上空から声がした。
「ア、アルジサマ!ワタシが、代わりに参ります。イモウトの代わりに……」
空の見張りをさせていたヒーメロペーがそう言って、大岩の間に突っ込んでいった。
「ネエサン……!」
(!?……命令してないのに)
ズズズ……。
ヒーメロペーに反応して漂流山が動き出した。
渦を巻きながら、左右の壁が近づいていく。
その中央を、矢のように翼影が突き進む。
ゴオン。
すぐに二つは完全に閉じ合わされ、ヒーメロペーの姿も見えなくなった。
「今だ、開くぞ!!」
「はいっ!『全速前進』」
アカマースの叫びと同時に、道筋が見えた。
少しずつ離れていく漂流山の間を、船は全速力で直進する。
「急げ!戻ってきたぞ!」
半ばを過ぎたところで、エレウスが叫んだ。岩壁が再び閉じるのだ。
地鳴りのような響きが、次第に近づいてくる。
『もっと!もっと速く!』
人形兵の櫂が一斉に波を噛んだ。跳ねるように船は進む。
次第に目前の道が狭まっていく。
ズン。
「おお~。怖かったぁ……」
船尾のデモフォンが汗を拭う。
なんとか、船体は漂流山の餌食を免れていた。
「よくやったぞ。後はこのまま進めばペリプルス島が見えてくるはずだ、今夜はそこで休もう」
「はい」
人形兵たちに少し速度を落とさせたとき、上空から羽音が聞こえてきた。
「ネエサン!」
テルクシオペーに並んで、舳先にふわりと降り立つ影。
「ありがとう、ヒーメロペー。おかげで助かった」
「いえ、そんな……」
息を乱しながら、ヒーメロペーは首を振った。
その晩。ペリプルス島での夕食。
皆の元を離れ、浜辺で休むセイレーン姉妹の元へ行った。
「食べる?」
「コレは……?」
「ヘーロ……ヘーロマケ―のとったウサギ。ほら、私の側にいた大きい女の人」
二人は顔を見合わせ、恐る恐る私の差し出す串に口をつけた。
「おいしい、です……」「うん……」
「そう。よかった」
(人肉以外も食べられるのか……)
次第にガツガツと肉を頬張る姉妹。その口元には、鋭い牙が並んでいた。
「あのヒト、アルジサマのネエサンですか……?」
食べながら、テルクシオペーが恐る恐るこちらを見た。
「違う。でも、家族だと思ってる…………ねえ。あなたたちの姉妹のことも教えて」
二人の体が同時にビクッと跳ねた。
長い沈黙の後、ヒーメロペーが口を開く。
「ワタシがイチバンウエで、ペイシノエーと、ライドネーと、モルペーと……」
「それで、ワタシがサイゴです……」
後を引き継いだテルクシオペーの声は、ブルブルと震えていた。
「でも……」
「私が殺させた」
姉妹がはっと顔を上げ、初めて目を合わせた。白目はない。黄色い下地に、黒い瞳が丸く拡大する。
「私はこの後もあなたたちを使う。使うから、私の家族のことも聞いてほしい」
「……」
「お母さんは、メラニッペと言って……」
その晩はセイレーンたちと一緒に過ごした。
* * *
「ああ、やはりだいぶ遅れてしまったな。もう準備が済んでいるじゃないか」
エレウスが呻いて天を仰ぐ。
アルシア軍の動きを探り探り慎重に進むうち、ペリプルス島を出てから二週間が経過していた。
「ここが、パルテナイ……」
都市の姿はまだ見えない。
しかし、海岸線一帯を埋める軍船が十分以上にその存在を見せつけていた。




