第33話 パルテナイへの旅路③歌う鳥・花の島
怪鳥群騒ぎから五日。私たちは遅れを取り戻すため行進を急いでいた。
「見えたぞ。蛇口門だ」
リュキオンから平原を一路北東へ進み、峡谷へ入って山間の道を行くうちに、谷間の先に石造りの壁が現れた。男の四、五人分くらいの高さはあろうか、赤く塗られた厚い木の門が備わっている。
この先に、港町アンテモエッサがあるはずだ。
「少し待て。ケンタウロスと人形兵の説明をせねば」
エレウスが、ひとり城門へ走っていった。壁の上の兵士と何事か話している。
「蛇の口なんて、変わった名前ですね?」
「ああ、それはね。ここが蛇舌岬って呼ばれてるからさ。ほら、あっちとそっちと二叉に分かれてるでしょ?」
左右に聳える尾根を示しながらデモフォンが教えてくれる。ずいぶん話し好きな人だった。
(なるほど。この先で二つせり出して岬になってて、その間に港があると)
「左右に山があるから、アンテモエッサの城壁はその間を埋めるだけでいいんだ。お得だよね?」
デモフォンの後ろで、相乗りしているオイトロンがニヤニヤ笑っていた。この人はリュキオン人だし、城壁に隠れるなんて臆病だとか思うんだろうか。
しかし、思っていても言わないだろう。オイトロンはここまでの道中一切目立った行動をしていない。
「お得はいいですけど、ここがなんで満開の花なんですか?」
「ああ、それはね……」
デモフォンの快活な笑みがふっと消える。深刻そうに眉根を寄せながら、声を低めた。
「アンテモエッサっていうのは、元々もうちょっと沖合の小島のことなのさ。そこから移って来た人たちが作った街なの」
「じゃあなんで……」
移住することになったのか。そう聞こうとしたとき、エレウスが戻ってきた。
「よし、入って構わんぞ」
前方で、ゆっくりと蛇口門が開いていった。
「わあ、大きい。私、港って初めて見ました」
門をくぐり、真っ白な石造りの家々を見ながら街道を下る。すぐにも、青い海が見えてきた。
両脇の尾根は海へ突き出し、その懐に港が広がっていた。
桟橋には大小の船が入り乱れ、荷運びや水夫が行き交う。
吹きよせる潮風と人の熱気でむせかえりそうだ。
「今は東との付き合いが減っている。これでも活気は落ちたのだがな」
エレウスが、右手の岬近くに停泊している船を指さした。
「あれが我々の五十人櫂船だ。……漕ぎ手を都合しなくていいのは大助かり、日の高いうちに出てしまいたいのだが、よいか?」
「はい」
興奮を抑えながら肯いた。
人形兵やポロスを街中に置いておいても、良いことはないだろう。
『漕げ』
五十本の櫂が一斉に波を叩く。
乗ってみると、人数の割に甲板は狭かった。人形兵は五十人めいっぱい漕ぎ座へ押し込んでいるのだが、予備の兵や荷物がなかなか邪魔だった。
「うう……気分が悪い。ここから動いてはいけないのか?」
「ダメですよ。我慢してください」
船尾のポロスが愚痴を垂れている。ただでさえ縦に長く横に狭い甲板、ケンタウロスを歩き回らせる余裕はない。
私は舳先に立って、エレウスの指示通り人形兵を動かす。
「初めての船旅だ。船酔いは仕方あるまい。……君は平気そうだな?」
「初めてじゃありませんよ……こんなに大きい船じゃありませんでしたけど」
前の船旅は小舟だったし、港にも行かないし、何もかもがおかしい漕ぎ手のせいで揺れるなんてもんじゃなかった。
それに、普段からオドゥスやポロスに乗って揺れには慣れている。
「スゴいです。船っていいですね」
潮風を全身で浴びる。肌にまとわりつくような湿気が、かえって気持ちよかった。
が、エレウスの顔は晴れなかった。
「ウーム。風が悪いな……この辺りは岩礁が多い。追い風を受けてさっさと抜けてしまいたかったのだが……」
二人して船体の真ん中、マストを眺める。
アカマースが、エレウス同様の渋い顔で柱に手を当てていた。
ヘーロたち五人は水夫として待機していたが、帆の出番は今のところなかった。
そうこうしているうちに、日がゆっくりと傾いていった。
「仕方ない……停泊だ」
エレウスの示す方向へ船を漕がせていると、緑に覆われた島が見えてきた。
「あの島はなんて言うんですか?」
「アンテモエッサ、かつてはな」
浜に船を着けると、甘香りが漂っていた。
海岸沿いの森の入り口には、一面に紫の花々。
「スミレですね。綺麗です……」
「菫冠を戴くパルテナイ……我が国からこの島へ贈られた花だ。大昔のことだがな」
見たところ今のアンテモエッサ島には、人の住んでいた形跡はない。エレウスの顔には、かすかな哀愁が漂っていた。
「さて、これを渡しておこう。夜になる前にな」
そう言って渡されたのは、親指ほどの黒い塊が二つ。
(蜜蝋。……耳栓?)
リュキオンの長老会で、パンドーラ様が出てくる前にもらった物と似ている。
周囲を見れば、アカマースが他の皆に同じ物を配っていた。
「あまり海を見ない方がよいぞ」
日が暮れ、野営の準備も整ったころ。砂浜に座ってぼんやり海を眺めていると、アカマースが声をかけてきた。
「どうしてですか?綺麗ですよ」
晩夏の満月に照らされて、海面は白銀にきらめいていた。
……とそのとき、波間に立つ岩の間に、女の顔が覗いた。
(えっ?)
こちらにあちら、またこちらと、代わる代わる岩礁から女が顔を出す。
「見てください、女の人が……」
「惑わされるな!海妖だ」
アカマースは、声に緊張を滲ませながら蜜蝋を取り出した。
「セイレーン?」
「人を海に誘い、食い殺す。かつてのアンテモエッサを滅ぼした……耳栓をしろ、唄が来るぞ」
その言葉と同時に、五人の女性が岩の上に全身を現した。
目もくらむような黒髪の美女たち……その両腕と下半身は巨大な鳥の姿をしていた。
『おいで、おいで、おいで……』
セイレーンの歌声が、何重にも重なって砂浜に響いた。
アカマースが耳栓の上から耳を押さえて苦悶する。
(重ねている……)
セイレーンに大した神力は感じられない。だが五頭で歌うことで、力を強めていた。
「人喰い鳥のごときが、神令の真似事を……!」
怪鳥群に襲われた骸が、目の前に見える。顔はもう分からなかったが、私と同じか、もっと小さい女の子だとヘーロが言っていた。
溶けた鉄を流し込まれたように、頭の髄が熱を帯びてくる。
(ねじ伏せてやる)
蜜蝋をかなぐり捨てて、波打ち際へ進み出た。
背に満月の光を感じる。月の女神の御力は、この日が最も輝きを放つ。
大きく息を吸い込んだ。




