第30話 魔術の可能性
『弓弦を鳴らす早駆けの友よ、月の乙女の御心に……』
月光の下、ポロスは縛霊の魔術の虜になっていた。
「大丈夫ですか?……『乗せてください』」
会話ができる相手を縛ったのは初めてだ。彼の変容のほどは未知数だった。
「ああ。いいぞ」
即座に四本の膝を折り、背を差し出してきた。
(あんまり変わってないな……。乗せてはくれるけど)
赤土色の胴体にまたがり、背を腿で挟む。
「ありがとうございます。……ついでにお聞きするんですけど、なんで帰らないんですか?護衛は済んだでしょ」
「む。それは……」
『答えろ』
返答を渋るポロスの耳元に囁くと、背筋が瞬時に硬直した。
「う……接近するきっかけを掴もうと思ったんだ。お前といれば、正しいケンタウロスになれると……」
(正しい?……本来のってことかな)
イアトロスの話を思い出す。顔が二つ、腕が四本、足が八本あるのが本来の姿のはず。あのジイさんなら、手足の数が足りないヤツは失敗作とか言ってそうだ。
「イアトロス翁の顔を一つ、魔術師が封じた。封じることができるなら、引き出すこともできるだろ?私の顔を破壊と調和に分けてもらおうと思ったんだ」
「そんなのできませんけど……」
「なに?……いや、待つぞ。我々と違い、定命の者はそれゆえに成長できる。イアトロス翁が言ってたんだ」
ポロスの声は揺るぎない確信に満ちていた。
(意外と慕われてるな、あのジイさん。散々身内の悪口言ってたのに)
* * *
翌朝、ドーロン様の家に戻った。
奴隷の皆さんにオドゥスを預け、人形兵を見繕う。
(三十、四十……うん、五十体は動かせる。予備もあった方がいいかな)
「おはよう。そろそろ出発かい?」
背後の声に振り向くと、アルキッポスの姿。右膝も少し治ってきて、杖をつけば歩けるようになっていた。
「おはようございます。ちゃんとあなたの分は残していきますよ」
七十体ほど持っていくつもりだと言ったら、アルキッポスは苦笑した。
「そうじゃなくて。ボクは軟禁生活に逆戻りだからさ、旅立つカワイイ生徒に授業をしておこうと思って」
(生徒って私?)
首を傾げたが、確かに与霊の魔術を教わった。
うん、先生だ。
「あーっ、あーっ!今馬鹿にした!お前みたいな雑魚が天才の私に授業?みたいなこと思ったでしょォ」
「そんなことありません。人間としては落第でも、魔術には真摯な方だと思ってます」
頬を膨らませながら、アルキッポスは話し出した。
「まあいいや、それでね……」
「昔々、モテない魔術師がいてね。女に縁がないもんだから、思いあまって理想の女を彫刻しちゃったんだ。ついでに霊も入れちゃった」
「へー……」
初めて聞く話だ。与霊の魔術の伝承だろう。
「そしたらね、なんとなんと彫刻が本物の美女になってビックリ。恋が叶ってよかったねと」
「は?」
変な声を出してしまった。
人間を生み出したのは火盗みの神。魔術師に真似できるはずがない。
「意味分かんないです。霊を入れたって肉は一つですよ」
自分でもあまり信じていないのか、アルキッポスは半笑いだ。
「まあともかく。――生き物はいつでも動く機会を待ってるんだ。役目を帯びて作られたモノはなおさらね。美女になるべく作られた彫刻なら、霊をもらってウッカリ美女になっちゃうこともあるかもね、というお話」
つまりだね、とさらに続ける。
「与霊の魔術の真髄は、その肉に相応しい霊を用意してやること……らしいよ。それが分かれば、キミはどんなモノでも操れるさ」
青い瞳が、柔らかな微笑を浮かべていた。
* * *
(どんなモノでも……)
アルキッポスの言葉を反芻しながら、リュキオンの最北、ケラエノ山を行く。
ポロスの背に乗っていると、人間の上半身があるから前がまったく見えない。弓と矢も背負ってるし。
横を通り過ぎるヒイラギやらカエデやらを見ても仕方ないので、考え事でもするしかないのだ。
(肉の変化……命の創造……)
「悩み事かな?」
「あ、いえ……」
併走するエレウスに話しかけられて、思考が中断される。
「そういえば……馬、お持ちだったんですね。」
向こうも騎馬だ。出発の時に突然、部下らしき人と馬を連れてきたので驚いた。
いや、一人で歩いて来たと思うほうがおかしいのだが。
「オイバロス殿の家には厩舎がなかったからな。アカマースとデモフォン、馬は他へやっかいになっていた。我らは魔術で馴しているわけではないのでな、君の猪のようにどこへでも放置とはいかん」
エレウスが、やはり騎乗した後ろの二人を指し示す。
アカマースは四十くらい、長い黒髪を頭のてっぺんで結い上げている。髭も長いのを紐でまとめているから、顔の上下が馬の尾みたいだ。
デモフォンのほうは二十歳そこそこだろう、こちらは髪も髭も刈りすぎなくらい刈り上げている。うっすら黒い色が見える程度だ。
「あちらの髪型イカすねえ、パルテナイじゃ流行ってるの?」
「イヤイヤ、ウン十年前の流行だよ。この人くらいしかやってないって」
ヘーロとデモフォンは軽口をたたき合っていた。
テロンはアカマースと、オイトロンはデモフォンとそれぞれ相乗りしているが、ヘーロは徒歩だ。同じ顔した人形兵をぞろぞろ引き連れて、奇妙な絵面になっていた。
グルル……。
突然、うなり声が聞こえた。同時に会話が途絶える。
辺りを見回すと、木々と茂みの裏から獣の気配。
(野犬……いや、オオカミ……)
群れの全容を掴みたいが、ポロスで視界は半減だ。
(これは……呪言よりも……)
「任せてください!『防御を……』」
「こらこら」
人形兵に円陣を組ませようとすると、ヘーロに止められてしまった。
「お前ばっかりズルいぞ。アタシだって遊びたいんだ」
そういった次の瞬間、茂みから飛び出した一頭の喉を、短剣が貫いた。
即座にエレウスが馬から飛び降り、他の四人も続く。
ポロスの背からは弓が消え、一頭の眉間を射貫いていた。




