第27話 集結・西方大陸
その晩、オイバロス家の宴席はささやかに盛り上がっていた。
「エレウスさん、王様だったんですか!?」
平べったい白パンをかじりながら叫ぶ。
「元、だな。もはやパルテナイに王はおらぬ。私は十年以上前に王位を降りている」
「でも執政官ってヤツなんだろ?一番偉いヤツ。……ねえ旦那、戦争に興味ない?」
ヘーロは相変わらず底なしだ。人様のワインを遠慮なく空けながら、妙な猫なで声で物騒なことを聞いている。
「執政官だったのは去年だ、今はただの一市民でな。ここへ来たのは使者だからだ。……それと。戦争に興味はないが、すぐに始まるだろうな」
「よしよし、そうこなくっちゃ」
「もうヘーロ、黙っててください。……それじゃあ、アルシアとの戦争の準備で?」
杯を空けながら、エレウスは肯いた。
「そうだ。すでにダレオース王とも話した。それと……婚姻だな」
「コンイン?」
「そう、リュキオンのニーソス王家は空位が続いていて、姫君たちは年頃だ。五大都市から、それこそ各国の王や英雄が集まっているぞ」
(姫君たち……)
ドロメーダ様はいいとして、王様たちはパンドーラ様の顔を知っているんだろうか?知らずに結婚したらエラいことだ。
「エレウスさんも結婚したいんですか?……いや、その前に今お相手は……?」
エレウスは中年だし、正妻がいたらそこまでだ。
まさかリュキオンの姫を妾にはできまい。
「既に亡くしているから、新しい相手を娶っても問題はないが……私はもう王ではないからな。他国の王族との結婚に興味はない」
そういうものか。
そうなると、あの姉妹はパルテナイ以外の国に嫁ぐことになるんだろうか。
(私も、パンドーラ様に挨拶しないと……)
帰ってから放ったらかしにしていたから、文句を言われまくるに違いない。
* * *
リュキオンの中心、広場を見下ろす神殿。
その中で、六人の男が円を作っていた。席はない。全員が、直立したまま向かい合う。
「先に軍議を片付けねばなるまい。お気づきと思うが、もう一つの議題はこちらに影響を及ぼしかねんのでな」
口火を切ったのはダレオースだった。かぎ鼻に太い眉をぐっと近づけ、常よりもさらに険しい表情を作る。
「レイリスが落ちたことはご承知だろう。今や中の海にはアルシアが蔓延っている」
「ーー征くべきでしょう。レイリスへ」
ダレオースの言葉に、最も若い青年が応じた。黄金の長髪をかき上げ、穏やかな笑みを見せる。
「東西を分かちたもうたは大神の御業。その境界を犯す者は、何としても撃滅せねば。……とこういった話に、どちらのお国もなっているでしょう。だからこうして集まったんだ…………日頃の遺恨も忘れてね?」
流麗な語り口に、異論は出なかった。冗談めかした最後の軽口にも、答える者はない。
一つ肯いて、ダレオースが再び口を開いた。
「向こうの総数は掴めておらぬ。が、レイリスは即座に降伏したという。今のレイリスに全軍はおらずとも、攻めるに万の軍は必要だ」
そう言って、最も多くの軍船を擁する国家の代表を見やった。
「我が国は百二十隻を出そう。百の兵を積める軍船だ。……漕ぎ手も都合できる。他国の者も乗せられるだろう」
「ありがたい。……リュキオンは七千の兵を出す」
「では、パルテナイからは五千だ」
ほぼ事前に示し合わせた内容ではあったが、ダレオースとエレウスは深く肯き合った。
「セイリオスは一万を出そう。他の手は借りぬ。中原の王とて、船を持たぬ訳ではない」
鮮血のような赤髪を震わせ、大柄な男が野太い声を上げた。
「船をね……お使いになったことはあるので?」
「……使うておればこの場の顔ぶれも違ったかもしれんな」
真紅の瞳が、茶々を入れた青年をぎょろりと睨んだ。
浴びた者を射殺すようなその視線を涼しい顔で受け流し、青年は笑みを浮かべて宣言した。
「ケファロニアは三千。もちろん、どなたのお力添えも不要です。我々は海に慣れておりますから」
その宣言で四ヶ国の軍が出揃い、満座の視線は、残った代表に集まった。
「デイオン殿。どうか?」
「……千だ。我々の船は少ない……いずれかのお力を借りたい」
ダレオースの問いに、その場で最年長の男が言葉少なに答えた。
「では、我々が都合いたしましょう。なに、船は余っておりますから」
「……かたじけない」
「そして、次の議題だが……」
ダレオースは、その場の男たちを見回した。
「かかる危急の折、リュキオンの双玉が欠けておるのは好ましくない。幸い、ここには西方屈指の英雄たる面々。ぜひ御一同から、我が友テュネオスの忘れ形見、ドロメーダの伴侶を迎えたいが、いかが?」
すぐに手を挙げる者はいなかった。
ドロメーダと契る者は、リュキオンの王座の一つを得る。確実に西方の勢力図に影響を与えるその決断を、王たちは互いに牽制しあっていた。
しかしやがて一人の男が、この日初めて口を開く。
「私ではどうかな?見たところ、他のお歴々はそれぞれに最高の地位を得ておいでだ。婚姻を結んだとて、リュキオンへ来てニーソス王家の座を埋めることは難しいのでは?」
燃えさかる赤髪を丁寧に切りそろえたその男は、西方大陸最大の国家、中央の大平原を支配するセイリオスの副王であった。
隣に並ぶ男ーー王である兄と密かに眼を見交わす。
「おお、そうか。それではーー」
パチ、パチ、パチ。
ダレオースの返答を、乾いた拍手が遮った。
「お慶び申し上げる、フィロラオス殿。いや、実に良き日だ」
にこやかに、金髪の青年が祝福を送っていた。
「しかし、花は皆で愛でたいというもの。リュキオンの双花については聞き及んでおります。ーー妹君、パンドーラ姫。ぜひケファロニアへもこれを賜りたい」
全員の注目を受けながら、青年はますます笑みを深くした。
「若輩の私が、楯毅きリュキオンの玉座を頂くのは過分というもの。だが、フィロラオス殿がその役をお引き受けくだされば、パンドーラ姫を我がウティカ島へお迎えするに何の障りもないでしょう」
「いや、あれは……」
「それならば私も名乗りを上げよう。我らアゴモス家の兄弟が、偉大なるテュネオスのご息女二人を迎える。実に収まりがいいではないか」
セイリオスの王が、広い肩をそびやかして宣言した。
深い海のような青を湛えた青年の目を、真っ向から睨み付ける。
「……パンドーラに婿を迎えるつもりはない。此度の話はドロメーダのみを検討されたい」
「なぜに?双子の一方のみに伴侶をつけるなど、神の定めたる均衡に反しましょう。分かたれた二つは互いの分を守る、それが摂理です」
青年の主張に、ダレオースは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたが、やがて大きなため息をついた。
「仕方あるまい、お見せしよう。しばし待たれよ」
そう言って一同に背を向け、一つ付け加える。
「今から目にするものは他言無用…………理由はすぐに分かろうがな」
* * *
『ヒューちゃんヒドいよお、戻ったら一番に遊ぶって言ってたのにィ』
(……言ってませんよ)
神殿の奥、パンドーラ様の小部屋。私は抱き枕になっていた。
『寂しかったんだよぉ』
天上の調べが、耳元で愚痴を垂れている。
「でも私、またちょっと外へ行きそうっていうか」
『えー?そんなのやだぁ、もう放さないもん』
ぎゅう~。
おそらく力いっぱい抱きしめられているのだが、伝わる感触はどこまでも柔らかい。うっかりすると、意識を持っていかれる。
「パンドーラ、よいか?」
気合いを入れていたとき、小さな木戸の向こうから声がした。
(ダレオース様……?)
(会議場じゃなく神殿でやってたのか……五大都市会議)
パンドーラ様の後について、神像の前へ出ると、見慣れない男たち。
エレウスもいる。ということは、この人たちが五大都市からやってきた王様方だろう。
全員が、パンドーラ様の仮面を訝しげに見つめていた。
「構わぬ」
ダレオース様の声で、仮面に手がかかった。
(あっ……)
慌てて私が腹に力を込めたと同時に、パンドーラ様は仮面を外しーーーー男たちは揃って絶句した。
最初に我に返ったのは、飛び抜けて若そうな美青年。
うねる金髪を後ろに流し、大股で一歩踏み出した。
「アネルテスの子カウニアス。波高きケファロニアの王位を継ぎたる者。ぜひにパンドーラ姫を我が島へ」
少し声が震えていたが、群青の両眼は確かな意思を持って、瞬きもせずパンドーラ様を見据える。
凄まじい精神力がなければできない芸当だった。
すぐ後に、見知った顔が続く。
「ペラゴスの子エレウス。菫冠を戴くパルテナイより参った」
(……興味なかったはずでは?)
エレウスに少し遅れて、さらに二人が前へ出た。
「アゴモスが長子ペリメドン。肥沃なるセイリオスは紅の玉座に座る者」
「同じくフィロラオス。セイリオスの副王」
兄弟なんだろう、髪や髭の赤色がそっくりだ。赤毛自体が珍しいが、これはどぎついほどの鮮やかな赤。
(何で染めたらこんな色になるんだか)
ペリメドンの方は髭も髪もモジャモジャに伸ばしているが、フィロラオスは短く刈り込んでいる。そのせいか、同じ大男でもペリメドンの方がやや体格がよく見えた。
「ヘリケーより、デイオン。神盟連邦の大将」
残っていた男も進み出た。
年寄りというほどではないが、黒髪に白いものが混じっている。五十くらいだろうか、エレウスやペリメドンよりは年上だろう。
結局、全員が求婚するようだった。
このパンドーラ様を見て嫁に取ろうと思う根性はすごい。さすが英雄たち。




