第24話 二つの顔
周りのケンタウロスを一歩下がらせて、白い巨体が進み出た。
人間部分だけを見ても、並の男より二回りは大きい。エウクラトス様には及ぶまいが、こちらは腕四本と馬体のおまけがついているのだ。
「あなたが頭領か?この先で我が主、リュキオンの王子エウクラトスが……」
すぐさま切り出したテロンの言葉が止まる。長い白髪を揺らし、頭領がテロンを睨んだ。……睨んだんだろう。ふさふさの白い眉に埋もれて目がよく見えない。
「黙れ、獣人ふぜいが。英雄の器なくば、イアトロスに口を聞くな」
(何だと?このジジイ)
思わずカッとなったが、深く息を吸って熱を押さえ込む。
落ち着くとすぐに疑問が頭をもたげてきた。
(……獣人って言ったよね?)
今のテロンは人に化けているのだ。見破れるはずがない。
他のケンタウロスも、目を丸くしてその姿を眺め回している。気づいていなかったようだ。
テロンも言葉を失っていたが、私の肩をつついて目配せしてきた。代わりに話せ、というのだろう。
「同盟だと?人間ごときが我々に向かって」
しかし、会話は一瞬で打ち切られた。まだ何も具体的な話をしていないのに。
(話が通じなさすぎる……)
こんなの押しつけていったエウクラトス様が恨めしい。いや、交渉までやっているのは予定外だが。
「魔術師よ、里はいずこだ。コルキスか、アゴニケか?」
(アンタからの話はするのか……)
こちらの話は聞かないくせに。しかも大昔の里の名前を並べてきた。
「ずいぶん古い歴史をご存知のようですが……それらは滅びて久しゅうございます」
下半身まで垂れ下がる白髭が揺れ、覆い隠された口元がわずかに震えた。
何か思うところがあるのか。
「滅びたか……そうか……」
「私は……オルテギアの生まれです」
雲のような眉が跳ね上がった。色褪せた灰色の瞳がはっきりと見開かれていた。
「オルテギアとな!……レウキッペはどうしておる?」
(……!大ババ様……)
なぜ知っているのか、二度と聞かぬはずだった名前。チクリと胸が痛んだが、返すべき答えは一つしかない。
「死にました。……オルテギアはアルシアに滅ぼされ、もう存在しません」
今度こそ、イアトロスははっきりと動揺を見せた。八本の脚が地面を掻きながら、よろよろと後ずさった。
しばし無言の時間が続いたが、やがて再び髭の奥から言葉が漏れる。
「……アルシアとは何だ?」
「東方大陸を制した帝国です。西方大陸へ渡る日も近いと……同盟もそのために……」
それを聞いたイアトロスは四本の腕を組んで瞑目した。眉毛で見えないが、たぶん瞑目した。
「先ほどの話、やはり聞こう。……リュキオンの王子だったか?そなたの長のところへ案内せい」
「ごめんなさいね、テロン」
「いいよいいよ。徒歩じゃとても無理だ」
狸になったテロンの背に乗って、大森林を進む。
ケンタウロスたちは乗せてくれないどころか、人間の足に合わせようという気遣いが一切なかった。森の中だからまだ速度が緩いが、平野のままだったらテロンでも置いて行かれただろう……こちらが案内人なのに。
「そうか。もはや魔術師はおらぬのか……」
(……最近見ないと思った、みたいな調子で言われても)
隣を進むイアトロスは相変わらず、一方的に問いを投げては思案にふけっていた。
「時にそなた、レウキッペとはどういった間柄だ?」
それはこちらの質問だ。大ババ様にこんな知り合いがいたなんて聞いてない。外のことにも詳しかったから、島から出た経験があるんじゃないかとは思っていたが。
「玄孫です。……そちらは?」
「彼奴は我が半身を封じた」
「へ?」
「これだ」
四本の腕が白髪をかき分け、後頭部をさらけ出した。
(…………!)
そこには、もう一つ顔があった。皺くちゃの肌は暗く黒ずみ、目を閉じて、息をしているかも分からない。
「破壊と調和、我らはみな二つの顔を持っておった。破壊が勝るのが常だが、私に限っては調和が強かった。レウキッペの手を借りて、このポルテテスを抑え込んだのだ」
(アンタが調和のほうなのか……)
このジイさんも、治す者よりは壊す者に見える。
しかし大ババ様、そんな話は一言もしてくれなかった。
「あの、二つの顔を持っていた、というのは……?」
髪を戻したイアトロスにまた話しかける。過去形で話していた部分が気になった。
実際、一見して他のケンタウロスの顔は一つだけだ。短髪の者が多いので、髪に隠れているということもないだろう。
私の問いには、フンと荒い鼻息が返ってきた。
「見ろ、我が一族を」
右上の腕が、後をついてくるケンタウロスたちを指し示す。
「誉れある四本腕も八本脚ももはやおらん。ことごとく駄馬に成り下がりおった。不死の一族の誇りもないものだ」
「不死の……」
「そうだ。我らは雲から生まれたる種族。傷に斃れれば地に還り、再び雲から駆け出づる」
憤然と、イアトロスはまくし立てた。
「しかし、変わりを重ねるごとに弱くなりおる。しまいには破壊と調和を同じ頭に入れる始末、まともな思考が出来るものか。人間の粗末な頭と同じではないか」
(……。アンタが調和のほうなのか……)
スゴい勢いで同族を罵倒している。ちらりと背後の反応を窺うが、ケンタウロスたちはじっと口をつぐんだまま、表情を動かさない。
人間の悪口も言っていたが、私も我慢だ。
「……では、かつてはすべてのケンタウロスがあなたのように?」
「何を他人事のような。人間もかつては腕と脚が四本、顔が二つあったのだぞ」
(本当かな……)
聞いたことのない神話だ。
「……着いちゃいましたよ。ここがトクソン湾でしょ?」
「二日はかけるつもりだったんだけどねえ」
ケンタウロスたちは、半日で大森林を踏破した。
追い抜いてしまったかと思ったが、エウクラトス様たちもすでにロータス川の河口に陣取っていた。この人たちの足もどうかしている。
お互いの陣営が遠巻きに見守る中、二人の大将が向かい合った。
「そなたか、我らの麾下に入りたいというのは」
(えーッ)
開口一番、イアトロスはとんでもないことを言い出した。同盟って言ったのに。
私はちゃんと伝えました。悪いのはそのジジイです。責任を逃れようと身振り手振りをしてみるが、牛頭は反応を示さない。
「対等の……同盟だ。マレアの野を、そちらに……。見返りに……我らの、護衛を……」
「フン。対等だと?土地をよこすだと?我々が人間に手を貸す義理がどこにある」
(こ、このジジイ……)
全然話を聞く気配がない。乗り気じゃないなら何しに来たんだ。
「ヒュドラを……封じた」
「ほう!」
低く重い笑い声が、その場に響いた。
「感心だな。我らを殺す術を知っておるのか」
四本の腕がさわさわと長い髭をしごく。はじめてイアトロスはしげしげとエウクラトス様を眺めていた。
「そうか。ヒュドラの気配が絶えたのは、そなたの功か。あちらの魔術師と思ったが……。なるほど、リュキオン……アルカイオスの末裔か……」
考え込んでいたのもつかの間、おもむろにイアトロスは背から弓を構えた。
四本の腕で、二つの弓を引き絞る。
放たれた二筋の矢は、一本が海まで飛び、一本が手前で浜に落ちた。
「よかろう、同盟だ」




