第22話 対決・神獣ヒュドラ④
大森林を臨むリュキオンの陣屋。ヘーロの顔をした三十体の人形兵は、武装を整えていた。
牡牛の皮を重ねた大楯に、トネリコの長槍。頭上の日を受けて、鉄の穂先がきらめいた。
「あれが人形兵……面妖な。なぜ土が動くのだ」
「人間とて元は火盗みの神が土をこねてお造りになったのだ。土が動いてもよかろうが」
「馬鹿な!神の御業とたかが魔術を同列に語るなどと……」
兵士たちの畏怖とも侮蔑ともつかぬ呟きが、辺りを漂う。その合間を縫って、奴隷たちがおっかなびっくり人形兵に武具を渡していた。
「ますますお主の名前が知れてゆくが……イノシシ娘よ、分かっとるな?」
「分かってますよ。アリキオン様のご希望通りじゃないですか」
隣からひそひそと囁いてくるアリキオンに、こちらも小さく言葉を返した。
とどめはエウクラトス様のものだ。私は動きを止めるだけ。
「岩の下敷きに封印か。殺せれば文句はないのだが」
「殺したことにすればいいでしょ、それに首が増えてるからアルカイオスの時より強いって言えますよ」
「…………お主なかなかデキるのう」
顔を見合わせて笑みを交わす。
その時、密集した兵士たちがわっと道を空けた。見れば、一際高いところに牛頭。
「離れて……おけ……黒斧は……ヒュドラの、血を……吸った。刃に、触れれば……死ぬ」
物騒な発言に、ますます人波が割れていった。
「王子!お帰りをお待ちしております。リュキオンに栄光あれ!」
「リュキオンに栄光あれ!!」
一斉に右拳が上がる。アリキオンの音頭で、軍団の咆哮が朝の澄んだ空気を震わせた。
が、エウクラトス様は牛頭を鷹揚に肯かせただけだった。
「では……行こうか」
「はい!」
人形兵たちに、行進をはじめさせた。沼への道は、すでに切り開かれているのだ。
「ガンバってねえ~」
遠く荷車の中から、アルキッポスが手を振っていた。父親の顔をした人形兵に肩を揉ませてのんきなものだ。
沼へ着くと、ヒュドラは黒々とした水面の中央で、一本だけ首を出していた。
「……やれるか?」
「はいっ!」
高々と、松明を掲げた。手首に感じる炎が熱い。
ぐるり。神力の源、黄金の瞳が私を見据えた。
(……来る)
しぶきを散らしながら上陸し、すべての首がこちらへ向かう。
ヒュドラは火を恐れる。他を無視してただ一つの光源へーー私へ躍りかかった。
『止めろ!』
人形兵たちが、大楯を構えて前へ出た。迫り来る蛇体と激突する。
バリッ。
甲高い音とともに何体かの足が砕け散ったが、ヒュドラの突進も止まった。手当たり次第に毒息をまき散らすが、人形兵の動きは鈍らない。毒気が私まで届くこともない。
『囲め!』
三十体すべてが、ヒュドラの体に殺到した。前から横から、大楯を突き出して巨体を押さえ込む。
「カアア」
パキッ。ベキッ。
乱れ飛ぶ無数の牙が、楯をかいくぐって、次々とヘーロの顔を噛み砕いた。だが、人形兵は首を欠いても動くのだ。
中央の首、黄金の眼を狙って槍が繰り出される。一本がかすめ、ヒュドラが大きく怯んだ。
「いけます!」
毒の効かない相手に囲まれて、ヒュドラは完全に逃げ道を失っていた。
「…………むうん」
エウクラトス様がもつれあうヒュドラと人形兵の上に、家ほどもある巨岩を投げ上げた。
沼が一瞬夜になる。
ゴシャッ。
一拍の後、骨と土の潰れる音が響いた。
沼には再び静寂が戻っていた。
「これで神獣殺しですね……おめでとうございます」
「殺しては……いない……」
「大岩を動かさなきゃ死んだのと同じです。今度こそキッチリ沼を見張ればいいじゃないですか」
言いながら、別の神獣殺しを思い浮かべていた。あの男はこの格の生き物を殺しているはずなのだ。
どこの神獣を、どうやって。
「……殺したいか?……あの男を……。故郷の、仇……なのだろう?」
身を低くして、牛頭が私の目の前に降りてきた。
人と話してなさそうなのに、気を回すのがうまい人だ。
「……心が読めるんですか?エウクラトス様」
「神獣殺し……と、聞けば……誰でも……奴を、想像する……。私が、殺そうか……?」
そう。あれは東西に知られた英雄。神獣より強いのだ。
「殺せるんでしょうか……」
「奴は……人間。殺せば……死ぬ。方法は……いくらでも……。例えば……それ」
太い指が、大岩の横に転がる槍を指さした。
ヒュドラの口を突き刺したのだろう。黒い毒液がまだ滴っていた。
「この世で、最も、危険な……毒。……一滴で、人を……殺す」
「……」
しばし迷ったが、人形兵の指の欠片を拾う。中が空洞でちょうど小壷のようになったそれに、毒液を注ぎ込んだ。
『丸くなれ……丸く……』
ヒュドラの毒を内包した、土の球体が出来た。キトンの裾を破き、グルグル巻いて懐にしまった。
「ポイビダスの子レウカス、彼はよき市民だった。忠誠と奉仕を忘れず、巧言令色を好まず……」
夏の夕日が長い影を落とす陣屋。ヒュドラに殺された五人の葬儀が行われていた。
五つの盛り塚の前で、アリキオンが滔々と弔辞を述べる。
「隣に眠るのはムネストスの子フロン、槍を持っては誰よりも鋭く……」
「……」
あそこに眠ってはいない。
ヒュドラの毒息は骨も残さない。わずかに残った武具にも毒が染みこんで触れない。
あの塚は、ただ土を盛っただけのものだ。
(でも……)
周りを少し見渡す。居並ぶ兵士たちは腕を後ろに組み、うつむいたまま一切の物音を発さない。
先頭のエウクラトス様も同じだ。今は牛頭を脱いでいた。
(こっちのほうがいいよね)
レウカスたちには、これだけの見送りがいる。
そんなことを考えているうちに、ふと弔辞が止んだ。
「だが、もはやこの地に毒蛇はおらぬ、我らが王子が仇を討った!東西無双のエウクラトスが!!」
「エウクラトス様!」「神獣殺し!」「リュキオンの誉れ!」
アリキオンの宣言と同時に、数百の右拳が突き上げられた。宵闇迫る大森林が歓声に包まれる。
「リュキオンに栄光あれ!」
「リュキオンに栄光あれ!!」




