第21話 対決・神獣ヒュドラ③
エウクラトス様の黒斧が藪を切り払うと、目の前には沢が流れていた。頭上を覆う枝葉の層が途切れ、柔らかな日差しが眩しい。水の行く手に逆らって、大小混じった白い石の上を歩きながら、話の続きを促した。
「滅んだっていうのは、アルシアに…………ですか?」
アルキッポスは静かに首を振った。
「いやあ、勝手にだよ。タナグラじゃもうだーれも魔術なんか興味なくってね?自分たちがマーゴスの子孫だって話さえ知らないでやんの。ボクの一家だけが、必死こいて言い伝え守ってて……笑いもんだったよ」
(違う……オルテギアとは……)
オルテギアでは、魔術が里のすべてだった。我々は神祖マーゴスの血脈、クリュシッペ様の学統。大ババ様はいつもそう言っていた。
「実際出来なかったからね、魔術。親父なんかたまに、皿が動いた!とか言って喜んでたけど……あれでもボクよりは才能あったのかも」
くっくっく、と喉から笑いが漏れるが、表情は仮面のようだった。手の震えを押しつけるように、テロンの毛皮を撫でている。
「そのうちアルシアが、獣馴らしを狩るっていう噂が流れてさ、今さらみんなビビっちゃって。バカだよねえ、その魔術は縛霊のほうだっての。ぜーんぶ忘れちゃってんだから」
「オルテギアのこと……聞いてたんですか?」
ヘーロとテロンに初めて会ったときも、魔術師狩りの話を聞いてラトス島に来たようだった。
アルシア帝国は、襲撃を大っぴらにしていたのか。
「そうさ。まさか最古の里が未だにあるなんて信じてなかったけど。……まあとにかく、ウチのバカどもには区別つかないからさ、関わり合いになりたくないってね。親父もお袋もこれよ。ボクは逃げてきたの」
「……」
自分の首を絞める振りをしながら、アルキッポスは舌を出してみせる。言葉が出なかった。
「んで、アルシアの船に紛れ込んで西へ来てね。フフ、諦められなかったのかなあ、ボクも……人形兵なんか探しちゃったりしてさ」
少し、流れる水音が大きくなってきた。押し殺すようなアルキッポスの声は、ところどころかすれて空に滲んでいった。
「まだボクらが東へ渡る前の、カビの生えた伝承……。このバカみたいに広い森をさんざ歩き回ってーーーここを見つけた」
前方には小さな滝。アルキッポスはその右手、ギンバイカの茂みに隠れた洞穴を指し示した。
「ここに人形兵が……」
少し足を踏み入れてみると、ひんやりと冷たい空気が頬を撫でる。
「む……狭いな……」
背後で、轟音とともに黒斧が投げ捨てられた。それを持っていなくてもエウクラトス様はつっかえそうだが、入る気らしい。
松明は必要なかった。洞窟に入っていくらも進まないうちに、広い空間が現れた。天井の岩肌は少し崩れていて、仄かに陽光が差し込んでいた。
「人形兵が……こんなにたくさん……」
わずかな日差しの下に、人形兵が整列していた。
数百年放置されているはずだが、綺麗なものだ。足下はびっしりと苔むしているのに、人形兵の白い体には何の汚れもない。
「全部で百十三体。最初は百二十体あったんだけど、ヒュドラにもキミらにも壊されちゃって」
「おかしいな、僕らが見たやつには人っぽい顔があったような気がするけど」
アルキッポスの軽口を受け流し、足下のテロンが唸った。
(言われてみれば……)
人形兵には何の装飾もない。ひたすらにのっぺりした人型の焼き物だ。
「ああ、それはね。霊を入れてないから。見ててよーーー『ラトの御むすこなる我が主、しろがねの弓持たす君。ポエベー様の兄君、遍く世を見晴るかす御方……』」
呪言とともに、先頭の列に立っていた一体の顔がぐねぐねと動き出した。
頭の中心が盛り上がって鼻を作り、両眼が渦を巻いて瞳を描き、頭頂から流れるように長髪が流れ落ち……。
『跪け』
気づいたときにはその人形兵は、豊かな髪と髭を蓄えた男性の顔になっていた。わずかな微笑みとともに、こちらへ片膝をついている。
「これ、ウチの親父。……動いたときは嬉しかったよ、ボクも魔術師なんだって」
人形兵を見下ろすアルキッポスは、穏やかに頬を緩ませていた。
『竪琴を奏でる我が主、光り輝くスミンテウス……』
「そう。神力で霊を描くんだ。太陽の光は理性の光、霊なき者の霊までも照らし出す」
アルキッポスの教えを聞きながら、はじめて太陽神に魔術を願う。目を閉じて、意識を体の奥底、私を満たす神力に集中した。これを、人形兵に……。
(強い霊、強い霊……。ヒュドラを止めてくれる、私を守ってくれる……)
『アポローン様、我が言をこの者に聞かせたまえ……』
太陽の御名を口にした時、ふっと胸の内が軽くなった。
「ほうら、すぐできた。何が不安だよ、凡人ぶっちゃってさ。……動かしてみれば?」
その言葉に目を開けると、人形兵の顔は、私の思い描いたとおりになっていた。
獲物を捕らえる鋭い瞳、歯をむき出して笑う口元。
「なんだこりゃ、ヘーロじゃないか。……そんなに会いたかったの?」
「だって、強い人がいいと思って……『おぶってください』」
テロンへ答えを返しながら人形兵に背負われて、体が持ち上がった。顔はヘーロでも体は土だ。本物ほど大きくも逞しくも、温かくもない。
それでも、久しぶりに感じる背中は心地よかった。テロンが他の人を乗せる姿を散々見せられたから、なおさら。
「私では、ないのか……。君が……想う、強者は……」
(えっ?)
なぜかエウクラトス様がため息をついていた。もしかして、お気を悪くされたとか。
「あの、特に他意はなくて……」
「冗談だ……。オーキュステーは、強い……からな……」
牛頭から笑い声が漏れる。わりかしお茶目なのだ、このヒトは。
動かせるだけの人形兵を動かして、大森林を戻る。ヘーロの顔をした人形兵に背負われているのに、周りもヘーロの顔に囲まれて妙な気分だ。
「いきなり三十体って。妬けちゃうよ、まったく。ボクが一体でも動かせるようになるまでどれだけ……」
隣で呟くアルキッポスの言葉にはわずかなトゲがあったが、気づかない振りをした。人形兵を見つめていたときの微笑みが脳裏をよぎる。
彼も家族を失い故郷を離れ、やっと自分の術に出会ったのだ。その成果をかすめ取ったことには胸が痛んだが、今は人形兵が必要なのだ。
「仕方ないだろ。血だの才だの、どう転んだって不平等なものだ。だいたい君が教えたくせに、今さら何言ってるんだい」
「ちょっと、テロン……」
思わずたしなめたが、アルキッポスは唇を引き結んで肯いた。
「まったくだ。文句言ってる場合じゃないよね。こんな出会いは二度とないんだ」
突然、手を握られた。テロンの背から身を乗り出して、青い瞳が私の顔をのぞき込んでいた。
「オルテギアで生き残った女のコがいるって聞いて、ずっと会いたかったんだ。ボクなんかとは違う、最も色濃い神祖の血統。キミならできる」
「何を……」
「魔術の再興だよ。ボンクラだけどさ、魔術はボクのすべてなんだ。継ぎたかったんだよ」
思わず肯いていた。ーー再興。その言葉に、里の景色を思い出す。
「そうか……!」
その時のアルキッポスの笑顔は、どこか陰を含んでいるように見えた。




