第19話 対決・神獣ヒュドラ①
ヒュドラの捜索は、朝早くから行われた。
「こっちです。こっちに、沼があると……」
私が飛ばしたカワセミが、また道を教えに戻ってきた。
大森林の中では、進むべき進路を探るのも一苦労だ。モミやマツが高く広く葉を茂らせ、空の青が見えない。兵士たちの松明と、鳥獣の案内が頼りだった。
「そうか……」
ブオン。
私の示す方向へ向かって、エウクラトス様が大斧を無造作に一閃した。
生い茂るツタや低い茂みが吹き飛び、バキバキと音を立てて何本か木が折れる。この無茶な破壊力のおかげで、真っ直ぐに大森林を進むことが出来ていた。
(スゴい武器……)
大きな斧……という表現ではとても足りない。
そもそも、これほど大きな鉄の塊を見るのが初めてだ。両刃の部分だけでも、私の背丈と同じくらいありそうだ。
しかも、密集した木々を切りまくっているのに、出発したときと変わらずテラテラと黒光りしていた。
「カタルシスをああも軽々と……ゆうに二十タラントンは超えるだろうに」
「やはり英雄だ、格が違う」
背後で兵士達が感嘆の声を漏らす。
討伐隊は、私も入れて七人の少数精鋭だ。並の兵士をヒュドラの毒気に晒しても、犠牲者が増えるだけ。
ここにいるのは全隊の中でも特に若く健康で、活力に溢れた戦士たちのはずだ。その彼らが、エウクラトス様の怪力に心服していた。
進むうちに、違和感に気づいた。
エウクラトス様が斧を振るう回数が減っている。森の最奥なのに、木々が少なくなっているのだ。
「魔術師よ、これを……」
「ありがとうございます、えっと……」
「レウカスだ、試験では世話になったな」
黒髪の兵士から黒布を受け取って、口の周りに巻き付ける。
会話をしている間にも、景色から緑が減っていく。漂う腐臭に顔をしかめる。
シャクヤクの根を噛みながら進むと、まばらになった木々の間から黒々とした水面が遠く見えていた。
レルネの沼は、静謐を湛えていた。鳥の声も、木々のざわめきもなく、ただ陽光を吸い込む漆黒の水源だけがあった。
「これが九頭砕きの大岩か…………」
岸辺の岩に手を添えて、レウカスが呟いた。
黒斧が可愛く見える大きさだ。縦も、横も、奥行きも、エウクラトス様の身長を軽く超しているだろう。
そして、大岩の横では地面がどす黒く変色していた。草の一本、苔の一欠片すら見当たらない。
「そう……。そして、ヒュドラの……首は……倍になって、蘇る……。大岩が、退けられた……今……首の、数は……十八、だ……」
エウクラトス様の言葉と同時に、黒い水が泡だった。
「……!『野鹿を馴らす我が主、雷雲集める大神の、御……むす、め……』」
とっさに唱えはじめた呪言が、かすれていくのが自分でも分かった。
沼から這い出てきたその怪物は、緑がかった鱗を光らせて、一斉に首をもたげた。たちまち、辺りに悪臭が立ちこめる。
無数にある頭のほとんどには眼がついていない。中心の一つだけが、私たちをゆっくりと見渡していた。
(これは……神獣……!)
黄金の眼が私を睨んだ。
御使いとは格が違う。神力が、これ自体からあふれ出している。神そのものを相手にしているような威圧感。
はっきりと、ヒュドラは私の言葉をはねのけていた。
呪言は機能している。今私の口から出ているのは神令なのだ。
(動きさえ止めればいいんだ。動きさえ……)
『止まれ……止まれ……。……私に、御力を……アルテミス様……』
女神の御名を、直接口にする。全身に、神力が流れ込んできた。
それでもヒュドラは、まるで神令に服する気配がなかった。
「仕方、あるまい……」
私の負けを悟ったのだろう。エウクラトス様が即座に前へ出て、首を三本まとめて切り飛ばした。
「……焼け」
すかさずレウカスが断面に松明を押し当てる。グムグムと盛り上がっていた傷口の肉が動きを止めた。
シャアッ。
(あ……)
かすかな咆哮とともに、別の首がレウカスへ紫毒の息を吹きかけた。
崩れ落ちる戦士をそのままに、焼かれた断面を食いちぎる。
グムグムグム。
あっという間に、刎ねた首はすべて倍に増えていた。
「王子!退却を!」
叫んで、また一人兵士が倒れた。
「……ぐうっ」
エウクラトス様は、黒斧を投げ捨てて、大岩で体ごと潰そうとしていた。しかし、動き回るヒュドラは狙いを掴ませない。
鱗は槍を弾く。必死に牽制を図る兵士たちも、大蛇の動きを止められなかった。
最後の松明が消えたとき、また黄金の眼が私を睨んだ。
(……あ。呪言を……)
言葉が出てこない。
「ニキッペ!」
何かが横合いから私の体をさらった。
(……!?)
一瞬遅れて、柔らかな毛並みの上に乗っていることに気づく。
「テロン!」
「逃げるよ!」
テロンは私を乗せて、エウクラトス様が切り開いた道筋を駆け戻っていった。
* * *
「それで、獣に乗って戻ってきたのか。獣人だったとは」
「狸……そんな……獣が、いたとは……。不思議な、ものだ……」
夕暮れ時。
陣屋の奥で、焚き火を囲む。森の方では、厳戒態勢を敷く兵士たちの声が響いていた。
エウクラトス様とアリキオンは、テロンの能力を聞いて唸るばかりだった。
テクメッサの姿になってみせたテロンをしげしげと眺め回している。
「それで、私の処遇ですが……」
「あのっ!どうか、秘密にしていただけませんか?テロンは、リュキオンに害のある者じゃ……」
テロンの言を遮り、勢い込んで話しかけた私に、エウクラトス様は大きな手をゆっくりと突き出した。
「落ち着け……。私は……獣人を、害そう……とは……思わぬ。ひとまず……不問だ……」
「……へっ?」
頓狂な声を出した私に、アリキオンが笑いかけた。
「王子ははぐれ者にお優しい。少々度が過ぎるほどにな。長老会に隠れて獣人たちを保護なさるほどだ」
そういえばそんなことを言っていたような。
(許してもらえたってことでいいのかな……)
思わず背後に立つテロンを振り向くと、静かに頭を下げている。黒い瞳と視線が合ったが、その感情は読めなかった。
「それに、今は……それどころ……では、ない」
少し沈んだ声色に、事の重大さが今さらながらに思い出された。
私が役立たずだったせいで、レウカスたちは死んだのだ。
「しかし、王子はよくお戻りに……。兵は全滅したのでしょう?」
「火を……恐れる、ようだな。奴は……水場を……離れぬ。距離を、取れば……近づいて……こなかった」
(そういえば……レウカスさんたちは松明を持ってたから……)
昼間の光景を思い出す。エウクラトス様が大岩を持ち上げてもなお、ヒュドラは周りの兵士を襲っていた。
「ならば!兵たちが一命を賭して火を掲げ、大楯でヒュドラを押しとどめればよいではありませんか。そこを王子が、もろともに大岩で……」
「だめだ。兵を……巻き込む、など……」
にべもなく、アリキオンの提案は却下された。
「そ、そうです。それに、楯じゃあの毒気は防げません。すぐに倒れて、あまり時間も稼げないかと……」
思わず同調すると、アリキオンがじろりと私を睨んだ。
お前がヒュドラを止めていれば苦労もなかったのだ。そう言わんばかりの表情だったが、事実なので受け入れるしかない。
「それは、せぬ。ヒュドラが……沼に……留まる、のなら……このまま、この地を……使うのみ」
「しかし、ヒュドラを倒さぬまま、ここに人を住まわせるなどと……」
エウクラトス様はヒュドラ退治を諦める考えのようだった。
「ならば……任は、失敗だ。……リュキオンに……帰る、だけのこと……」
「なりませんぞ!倒せぬまでも、せめて再度の封印をせねば、お立場が揺らぎまする!」
「それが……どうした」
なおも言いつのるアリキオンに対し、牛頭から漏れる言葉は冷たかった。
「……手はあるんじゃないですか?」
口論が続く中、それまで黙っていたテロンが口を開いた。
「ヒュドラを止めるほど強く、毒気にも耐え、犠牲にしても構わない……」
パチパチと焚き火が爆ぜる。
「そんな兵士がいればいいんでしょう?」




