第18話 老雄の願い
ロータス川を下り続けること三日。私たちは、大森林のへりにたどり着いた。
入り口ではまだ木々はまばらだが、大河の両岸にまたがって広がる大木の群れは緑の壁となって、近づいているはずの中の海を見せてくれない。
川べりの岩に座り込んで森の様子を眺めていると、辺りでは粛々と野営の準備が進んでいた。
「テロ……テクメッサ~、梳いてください~」
「はいはい。二人の時は呼びやすい方でいいですよ」
テロンが、慣れた手つきで私の髪に櫛を入れていく。この旅の間、こうしてテロンに世話を焼いてもらう時間が楽しみだった。
「やっぱりきれいな髪ですねえ。今くらいの時間だと、夕日に照らされてこの栗色がまた一段と栄えます」
「わあ、ありがとう。本当はもっとテロンと一緒にいたいんですけど……」
気が休まらないのはアリキオンのせいだ。
時々、エウクラトス様と何事か話しにいく時間以外は、いつも私のそばにいるのだ、なぜか。
「ふふ、それじゃ悪いお知らせですが、またいらしたようですね。臭います」
「ええ~……」
髪をまとめてもらっていて、首を動かせない。見る限りアリキオンはいないが、テロンが言うんだから来ているのだろう。
テロンが私の髪を、二筋に縛り終えたとき、視界の右からハゲ頭がぬっと現れた。
防具は外していて、簡単なマント姿だ。
「おう、ご苦労だのう!すまぬが、イノシシ娘と二人で話せぬか?」
アリキオンは長老の一人。テロンが拒めるはずもなく、静かにその場を後にした。
「私はおそばにおります、いつでも」
(……!)
私にだけ意味が伝わるよう、一言だけそっと囁いて。
(……どれがテロンかな?)
テロンは私のそばにいてくれる。つまり、何かしらに化けて戻ってくるのだ。
河原に集まる水鳥やカエル、羽虫の類いをキョロキョロ見渡す。
「……何を見とるんだ?」
「いや~あはは、大森林は大きいなあと……。それよりアリキオン様、何のご用ですか?話ならテントでも……」
笑って誤魔化す私に、アリキオンはたっぷりの髭をしごきながら笑った。
「そうもいかぬ、若人の色恋話はこっそりやるもんじゃろうが、ハハハッ!」
(…………????)
今、何を言われたんだ。この場合の若人って私だよね、やっぱり。
「……あの、私は別に色恋などしてませんが」
老いらくの恋、などと言われたらどうしよう。
「そうか?だが噂になっとるぞ、王子は猪馴らしにお熱だと」
(……!!???……??……!!)
一瞬、思考がとまった。
オウジ?ああ王子ね。ってダレ。
私と関係が深いのはエウクラトス様の方か?しかし、断じて恋仲になった覚えはない。
「そんな!恋だなんて誤解です。だいいち、全然釣り合わないじゃないですか」
「ーーああ、まったく釣り合わぬ」
不意に、アリキオンから一切の表情が消えた。
「かたやミノス王家の長子。こなた隠れ里から来た魔術師の娘。百人に聞けば百人が不似合いだと言うだろう」
散々聞かされたドラ声ではない、感情を読ませない冷ややかな声が降ってきた。
「……つまり、」
冷然と私を見下ろす双眸を見つめ返す。
「異邦人の娘が、王子に近づくな。そうおっしゃりたいんですね?」
そんないらぬ釘を刺すためにずっとついてきたのだろう。アリキオンが本当に監視していたのは、アルキッポスではなかったのだ。
「早とちりがすぎるというものだ。問題はそこではない」
内心腹が立ってきた私に、しかしアリキオンは無表情のまま首を横に振った。
「エウクラトス王子こそ、リュキオン最強の男。他の長老たちはいざ知らず、このワシは王子のすることに口など挟まぬ。獣人を招き入れようが、魔術師の娘っ子がお気に入りだろうが、お好きになさればよい」
(……んん?獣人を招き入れるって何?)
聞きたかったが、口を挟む間もなく話は淡々と続いた。
「しかし、王子より強い者がいては困るのだ」
力強く、アリキオンは宣言した。氷のような声音に、熱がこもりはじめる。
「リュキオンはアルシアのごとき腐れた君主独裁の国家ではない。いかに偉大な人物であろうと、政をほしいままにすることは決して許されぬ。ゆえにこそ二人の王。そして二十八の長老、二万の市民、全ては対等なのだ」
アリキオンが、目の前の森を森を指し示す。日没が迫る中、兵士達が木々に斧を入れていた。
「分かるか?王子は、彼らを納得させねばならぬ。圧倒的な強さを示さねばならぬ。顔が醜かろうが、奇抜な振る舞いをしようが、誰もが自然と心酔するほどの神威の片鱗を」
熱弁を終えて、アリキオンは少し息をついた、
「お話は分かりました。でも闘技でヘーロが勝ったじゃないですか。強さと言うなら私より……」
「あれは王子が手加減なされた」
やっと反論した私の言葉を遮って、あっさりとアリキオンは断言した。
(ヘーロもそう言ってたけど……)
「ご酔狂が過ぎるが、まあ取り返しはつく。来年のカルネイア祭で、王子がオーキュステーを倒せばよいだけのこと。何より、このヒュドラ退治を成し遂げれば、東西無双のアルカイオス以上の誉れ。毎年開催される闘技などとは比較にならぬ」
「オーキュステーはこの際問題ではないのだ。格闘であれば、エウクラトス・ミノタウロスに敵うものなどおらぬ。しかし、魔術の強さは異質すぎる。たとえばあの大猪、王子なら容易く殺すだろう、だが意のままに操り、荷を引かせることが出来るか?」
(……)
エウクラトス様なら自分で荷を引きそうだ。オドゥスより力あるし。
「……それで、私は結局どうすればいいんですか?」
リュキオンを出て行け、などと言われたら困る。ヘーロやテロンと離れたくない。
「ーーだから色恋の話だと言ったろうが。お主が王子の強さに惚れ込んで、魔術を捧げるということでどうだ?」
「釣り合わないって言ったじゃないですか!」
おちゃらけた口調を戻したアリキオンに、思わず怒鳴ってしまった。どっちなのだ。
「待て、そりゃ婚姻は困る。いやワシは構わんが、長老会が認めぬだろう。……だが愛妾ならばよかろう。英雄色を好むというやつだ。お気に入りの奴隷女なら、戦場を連れ回すのも当たり前だしな」
「~~~~~ッッッ」
このハゲジジイは根本的に勘違いしている。何か言ってやろうとしたが、うまい言葉が出てこなかった。
「まあ、そちらは急ぐ話でもない。ーーとりあえず、この任ではヒュドラ退治を王子の功にしてくれぬか?」
私が答えを迷って沈黙していると受け取ったのか、アリキオンは話を進めた。
「……どうやって?」
思わず声が低くなる。目も剣呑になっていたと思うが、さらりと流された。
「そなたは操れなかったから、仕方なく王子が倒した。という筋書きでどうだ? ヒュドラを操るのではなく、動きを止めてほしいのだ。そうしたら王子がいかようにも料理できる。アルカイオスは首を焼いたというが、全身を灰にしてやれば蘇らぬだろう」
自分でも表情がこわばるのが分かった。
「……それは、エウクラトス様のご発案ですか?」
「いや、ワシの独断だ。王子は手柄の横取りなど望まれぬだろう。だからなんとか芝居を打ってほしいのだ」
(そうだろうな。あっちは真面目な方だし)
意外だった。人を避けるエウクラトス様にこれほど入れ込む者がいたとは。額に汗をにじませて私を見つめるアリキオンを見ていると、味方してもいいような気になってくる。
(まあ、そこまでヒュドラを従えたいわけじゃないし。エウクラトス様のこともキライじゃないし。ここで断って、この人と険悪になるのもうまくないし……)
頭の中でいくつか言い訳じみた理由を浮かべ、そっと肯いた。
「そうか!恩に着るぞ、ニキッペよ」
はじめて、アリキオンが微笑みを見せた。
(大ババ様も、こんな顔してたな……)
最後に見たのは、燃える里の中だった。私のために、最後の神令を使ったときも、静かに笑っていた。
そう、きっとこれは弟子を護る師匠の顔。
「お大事なんですね、エウクラトス様が」
「ワシが武芸をお教えしたでのう。東西一の英雄になりうるお方、何としてもお支えしたいのだ」




