第1話 狩人たちの出会い
寒かった。
どことも知らぬ山の中で、大きな樫の木にもたれかかって座り込む。
故郷は、オルテギアの里は、もうないのだろう。あの兵士たちが、何もかも焼いてしまったんだ。
大ババ様の犬に乗せられて、ひとり逃がされて。その犬もとっくに倒れて、どこをどう走ったのか。
チュニックだってボロボロだ。祝祭の日の贈り物だったのに、もう着られない。
気づいたら朝になっていた。夏でなかったら凍死していただろう。
(その方がよかったかも……)
ガサッ。
背後からの物音で、急激に意識が呼び覚まされる。立ち上がって振り返ると、一組の男女が茂みをかき分けて出てくるところだった。
「ひっ!?」
彼らが携えている短剣と弓を見て、思考が凍り付く。逃げなきゃ。そう思うが、もう足は動かない。
「なにさ、このガキンチョは?」
「迷子にしちゃ、妙な場所にいるよね。僕の知る限り、この島に人里はないし……」
しかし、言葉を交わす二人には、私をどうにかする気はないようだった。
(そういえば……)
里を襲った兵たちとは格好が違う。革のブーツに毛皮を纏った軽装で、あんまり兵士には見えない。
よく見ると、不思議な二人組だ。女の方は波打つ黄金の長髪に、碧の瞳。里にいたどの男よりも大柄で、筋肉質で、それでいて猫か蛇のようにしなやかだ。あごを撫でる指の動きまで、滑らかに美しい。
男の方は、こちらも背は高いし、ついでに鼻筋通った美形だが、やせっぽちでどこか弱々しい。確実に手入れはしてないだろう長い銀髪の奥から、不機嫌そうな視線がチラチラと現れる。
思わず二人を眺め回していると、女の方がこちらに向き直る。
「アタシはヘーロマケー。一応、傭兵って立場だ。こっちはテロン。お前さんは?」
「私はニキッペ、です……。その、オルテギアっていう里にいたんですけど、急に兵士が……」
「オルテギア!?」へーロマケーが目を剥く。
「実在したのかよ!?コイツなんか絶対眉唾だって言ってたぞ」
「いや、だって千年続く隠れ里なんて……。しかもアルシア軍が本当に来てるのか?そうなると、魔術師狩りも本当だったのか……。いや、だとしてもこんな辺境を襲うものか?」
どうも、この二人は里について、ある程度は知っているようだった。そして、私の知らない事情も。
「ほんで?兵士ってのはいつ来たんだ?」
「き、昨日、です……。夕食の時に、いきなり……」
二人は素早く視線を交わす。
「なら、まだこの島にいる。夜に船は出さないだろう。でも、殲滅が目的の夜襲なら、今日にも引きあげるかも」
「おう。とにかく、アルシアの連中の動向を掴まにゃ。あちらさんはそれなりの数がいるんだから、すぐ帰るにしても海岸までに追いつけるだろうよ」
いろいろ尋ねたかったのに、へーロマケーは踵を返して歩き出す。テロンも後について行って、私のことなんか見向きもしない。
「あ、あのっ!」
思わず叫んでいた。置いて行かれたくない。なんでそう思うのかよく分からないまま、振り返ったへーロマケーの腰に縋り付く。
「私も、連れて行ってもらえませんか?」
「んー……」へーロマケーはぽりぽりと頭をかいている。
「私、魔術が使えます!里にいたときは、大ババ様から生き物を操る秘術を教わってて……」
「ほーお。そりゃ大したもんだ」切れ長の目がすっと細められる。
「生き物ってえと、人間でも操れるのか?」
「い、いえ、人間相手に術を使うのは禁じられてて……。四つ足と鳥にしか呪言かけたことないんです。…………獣人相手ならできるかもしれないけど、会ったことないし……」
「ふうん……?じゃ僕にその術かけてよ」テロンが突然口を開き、身を乗り出す。
「えっ?」
「僕は狸の獣人。ほら、操ってみなよ」
「えっ、えっ?ど、どろきゅおん?」
どう見てもテロンは人間だ。獣人だとしてもなぜ人間と一緒に?狸って何?全く頭が回らない。
「東の方にはそういう獣がいるらしいぜ。なんでも、人を化かすんだと。本人が言うにゃ、コイツも常に人間に化けてるらしいんだ。…………よしニキッペ、やれ。コイツを操って素顔を出させろ」
「でもでも、危ないかも……」
「本人がやれってんだからいいんだよ。なあ?」
「そういうこと。早くやんないと置いてっちゃうよ」
「す、すみません。やります、やりますから……」
慌ててテロンと目をあわせ、口を開く。
『ラトの御むすめなる我が主、黄金の弓持つ乙女。ポイボス様の妹君、野山を駆ける御方……』
呪言を唱えだした瞬間、テロンの体が凍り付く。細面に脂汗が滲み出す。
(……かかった)
雨が地を浸すように、女神の御力が体中に満ちていく。そっと唇を舐めて、神令を口にする。
『……いざ、いざ。獣の主の御名において、偽らざる形を示せ』
急激に、テロンの姿がぼやけ出す。振り乱した銀髪に紛れて、焦げ茶色の体毛がのぞく。黒と見えた瞳の奥から、緑の光がのぞき……。
「……かはっ!」
突如、テロンは後ろへ飛びすさる。頭を振って呪言を振り払い、激しく息をつく。輪郭のブレは治まり、姿はすっかり元の人間に戻っていた。
(どうしよう、失敗させちゃった。でもこの場合、成功してても……)
失敗は故意だった。最後に女神の御名を口にしていれば術は完成するはずだった。しかし、なにせ獣人相手は初めてなのだ。うっかり霊を壊してしまったら、取り返しはつかない。
おそるおそる二人の顔色を窺うと、何やら小声で話し合っている。
「い、意識が飛びかけた。これはなかなか面白いかも……」
「ガキンチョでこれなら、大人たちは獣人を自在に操れたんだろうな。アルシアがわざわざ軍を出すだけのこたあある。とんだ拾いもんだぜ、この子は」
へーロマケーがこちらに向き直り、ニンマリと笑う。
「ようし決まりだ。一緒に行こうじゃないの」
そう言うと私を肩に担ぎ上げ、毛皮の端でくるんでくれた。
「そういえばニキッペ、年は?」
「今年が、13の年になるはずです。お母さんが数えてくれてたんですけど……」
そんな話をしながら山道を降りていく。日はすでに見上げるほど上っている。
なんだか今更になって、少しずつ涙が出てきた。大ババ様は、最後になんて言ったんだろう。お母さんが作ったひよこ豆のスープ、苦いからって残さなきゃよかった。
毛皮に隠れて鼻水をすすっていると、へーロマケーは赤ん坊にするように、ゆらゆらと肩を揺らす。テロンが前を歩きだしたのは、泣き顔を見ない気遣い、な気がする。
大きな背中の向こうに見える、うすぼけた朝日が眩しかった。




