第16話 祭りの後、後の祭り
「うーむ、ダメかのう?」
中の海の中心、レイリス島。
「属国と言われれば、そりゃあ気分は悪かろう。だがのう、貴殿が治めればこの国は続いてゆくではないか」
巨像に護られた入り江を見下ろす丘の上。
「肩書きがレイリスの王からアルシアの貴族になるだけのことよ、重要なのは国の中身であろ?」
迷宮の異名を持つ、巨大な宮殿の一室ーー王の間。
「もちろん、すべてが今まで通りとはゆかぬ。本国から守備隊を送るし、貢納の類も避けられぬ。だがそれで国を守れるのだ」
玉座に座る壮年の男へ、卓を挟んで妙齢の美女が向かい合う。黒髪をなびかせ、白くたおやかな手で大理石の卓面を叩きながら、女は熱弁していた。
「見てみい、貴殿はこの判断が出来る男じゃ。都市を護り、民を護った。かかる賢明な指導者を、レイリスは今後も戴くべきではないか?東西に知られた英雄を、一時の意地で失ってよいのか?」
黄色がかった絹のドレスを翻し、女は柱の外から見える港の光景を指し示す。湾の入り口をまたぐ巨像の両足。その間から、有翼の大蛇の船首像が次々と港へ進入していた。軍船が港を埋めてなお、沖合には船影が絶えない。
軍船からは続々と兵士が降り立っているが、赤い陸屋根の並ぶ都市は一見平穏そのもの、一切の喧噪は聞こえない。
「戦いから逃げたる者は、断じて英雄ではない。…………祖国を売った。これ以上の恥はかけぬ」
淡々と、男は女の話を打ち切った。
「ま、仕方あるまい。ーーでは、これじゃな」
女は、長い袖から赤い布の小袋を取り出した。するすると口の紐をほどき、中身には触れないまま、卓上の杯の上で逆さに振ってみせる。紫がかった葡萄酒の上に、白く小さな花が浮かんだ。
それを見た男は、目を細めてわずかに眉根を寄せた。
「毒人参か……」
「おお、博識じゃな。花だけで分かるとは」
小袋をぽいっと投げ捨てながら、女は優雅に笑みを浮かべた。
「だがちと違う。妾が改良したものでな、改造毒人参と呼んでおる。ーー臭いんじゃよ、毒人参は。それに少しずつ喉が絞まって、実に苦しみよる。誰だってそんな最期はイヤじゃろうが」
「そうか……」
男はわずかに、しかし初めて微笑した。
「……レイリス」
「なんじゃ?」
「改造毒人参はやめて、花の名前はレイリスにしてもらえぬか?」
男の提案に、女はしばし柳眉を寄せたが、やがて笑顔で肯いた。
「まあ、よかろ。今際の際の願いを無下にしてはならぬ。常識じゃからの」
その返事を聞いた男はまた微笑んで、一気に杯をあおった。
「ダメかのう、改造毒人参では……」
呟きながら入り口の垂れ幕をかき上げ、女は王の間を後にした。
外の通路には、兵士が一人待機していた。背は低く、顔の皺は深いが、分厚い青銅の胸当てとすね当てを身にまとい、大楯を構えて小揺るぎもしない。
女を見ると、黒い房飾りを垂らした兜を脇に抱え、深々と頭を下げる。
「ご苦労、クレーメース。……またハゲたのう、お主」
老兵の頭は、見事に禿げ上がっていた。
「髪と言わず皺と言わず、妾の薬でどうにかしてやるというのに」
「戦場で敵に掴まれる危険が減りますれば……」
その言葉に、女は苦笑した。この男は、昔から強情なのだ。
「まあそれでもよいが……あの御仁に、忘れ形見はあったかの?」
「息子が二人おります。上が十二、下が三。娘はおりません」
言葉少なに老兵が返答すると、女は細い指であごをなでた。
「娘がよかったのう…………三歳を残せ」
「はい」
老兵の表情は動かない。
「ウーム、当面の後見人を立てねばのう。…………ここの貴族どもは集まっておるか?」
「はい。こちらに」
「ややこしくて困るのう、ここの宮殿は。迷ってしまうではないか」
歩き出した老兵の後を追いながら、女はポツリと愚痴をこぼした。
リュキオンにて、カルネイア祭が幕を閉じるこの日。中の海最大の都市レイリスは、アルシア帝国の属国となった。
* * *
『えーッ!?ヒューちゃん行っちゃうのお?』
美神の声音が頭の中で鳴り響く。頼むから叫ばないでほしい。
カルネイア祭、最後の七日目。神殿の一室ーー部屋と言うより箱だがーーで今日も私は、パンドーラ様の相手をしていた。
(だから言いたくなかったのに……)
ヒュドラ退治の任を打ち明けると、予想通り荒れた。仮面が外れそうな勢いで駄々をこねる。
『ヤダヤダ、寂しいよぉ』
「で、でも、いっぱい遊んだじゃないですか」
仕事が云々と言ってたくせに、結局カルネイア祭の間じゅう散々付き合わされた。
歩く災害も同然なのに、石投げやらかけっこやら外遊びをしたがるのもタチが悪い。
(まあ、ここにいたら無理もないけど……)
こんな何もないレンガの箱に押し込められていたら、外に出たくなるのも当たり前だ。ーーしかしこの方は、外出すべき時には積極的に引きこもる。
今だって、神殿の外では最後の祭儀をやっている。エウクラトス様といい、あの場に立っておくのが王族の「仕事」ではないのか?
『パンドーラとヒュドラとどっちが大事なのお?』
危険度は同じくらいだ。
「もちろんパンドーラ様ですけど……王子のご命令なんです。それにほら、代わりの人をご紹介しますから」
パンドーラ様のご尊顔に耐えられる英雄には心当たりがあった。
ごにょごにょと耳打ちする。
『レオちゃんか~。たしかにあのヒトはパンドーラとお話できるかも』
パンドーラ様の中で、ヘーロは獅子ちゃんらしい。
『でも怖いな~。あのヒト怖いよ。なんかね、スゴク遠いところを見てるの。やっぱりヒューちゃんがスキ~。すぐ帰ってきてねぇ』
ぎゅっと抱きしめられた。雲に乗る心地を味わいながら、懸命に意識を保つ。もう一つ難関が待っているのだ、勘弁してほしい。
「はあああ!?アタシに黙って、そんな楽しそうな仕事受けてやがったのか、お前は?」
(ああ、やっぱり……)
祭儀の後、ドーロン様の館。樫の椅子を軋ませながら、予想通りヘーロは荒れた。
「その手の話があったら、真っ先にアタシを推薦するもんだろうが」
「そんなあ。だって闘技の勝者は都市を守護するってドーロン様が……。腕だって折れてたじゃないですか」
「もう治ったんだよこんなモンは」
(そうなんだよね……)
ヘーロは右腕をばしばしと叩いてみせる。エウクラトス様に折られた前腕は、完全に元通りだった。
信じがたいことに、祭りの三日目くらいですでに包帯は外れていた。本人曰く、それでも大事をとったほうだとか。
「そうか!あンの牛王子、これを見越して勝ちを譲りやがったな。腕折ったのもそのためか」
「そんなことありませんよぉ」
試合当日からずっと、ヘーロはエウクラトス様の本気を疑いっぱなしだ。
「お前やけに向こうの肩持つな?アタシと牛王子とどっちが大事なんだよ」
ずずいと碧い目が寄ってくる。危険度は同じくらいだ。でも。
「ヘーロです」
「おん?」
「ヘーロとテロンが私をここまで連れてきてくれました。だから、二人は特別です。他の誰にも代えられません!」
本心だ。山の中で二人に拾ってもらったあの日から、二度目の人生が始まった。
「悪い気はしないね…………しかしその大恩人に対して、扱いが低いんじゃないか?」
「だ、だからその、もっと手強い相手を紹介しようかな、なんて……」
「ん?」
ちょっと機嫌が直ってきた。今ならパンドーラ様を押しつけられるかも。ヘーロに耳打ちする。
ごにょごにょごにょ。
「なンだとお?なあんでアタシがお姫サマと石投げだのかけっこだのしなきゃなんないんだよ」
「で、でもレオちゃんは絶対石投げの才能ありますよ。かけっこだって東西一です」
「誰がレオちゃんだこのクソガキ、やっぱしそこへ直れ!」
「あっ、叩かないで叩かないで。死んじゃいますってば」
「ちゃんと加減してやるよ、ほら尻だせッ」
「ひいい」




