第15話 極上の尋問
エウクラトス様が去り、私とテロンは月下の斜面に取り残されていた。
「どうしよう、どうしましょう。テロンが獣人だってバレちゃいました……」
あたふたしてみても、考えがまとまらない。そんな私にテロンはため息をひとつついて、人の姿になった。
いつもの銀髪をファサッとかき上げ、長い指が私の頭を撫でた。
「落ち着きなよ。テロンが獣人だ、とはバレてないよ」
「へ?」
間抜けな声を出した私に、テロンは軽く微笑んだ。
「あの王子は君の横にいた動物が喋ってたから、獣人だと判断したんだろう。狸のことを知らなければ、人間としてのテロンは疑われないさ」
「…………そうなんですか?」
狸という言葉、テロンという名前……聞かれてなかっただろうか。エウクラトス様は人間のときのテロンにも会ったはずけど、覚えてるんだろうか。
「だいいち、見られたのは獣の姿。獣人の姿じゃない。……僕の能力は生きてるんだ。万が一これが追われるようなことになっても、テロンとは違う人間に化け直せばいいだけじゃないか」
「そうかも……」
「そうさ。だからべそかくのはやめてさ、もう帰ろうよ」
華奢な腕が私を抱き上げ、背におぶって歩き出した。ヘーロの大きな背中に乗るのも心地いいが、私はこの骨張った胴体を抱きしめるのも大好きだった。
山頂の神殿には、まだ祭儀の明かりが煌々と灯っていた。アルキッポスは今神殿に捕まっているんだろうか。
喧噪を遠くに感じながら、麓をぐるっと回って帰路についた。
「……つまり、私が獣人を連れているらしい、ってことだけが問題なんですね。テロンは関係なく」
「そういうこと。あの時の獣人をどこへやった、って聞かれた時の言い訳でも考えておくんだね」
「困りました……」
「それに、さっきの男の尋問も手伝わされるよ。魔術の知識があるのは君だけだからね」
カルネイア祭、二日目。
ドーロン様に連れられて、私は神殿へ来ていた。
石段を上って、長大な石柱の間をくぐると、奥には竪琴を持ち月桂冠を戴くカルネイオス神の神像。その足下には玉座があった。
像自体は人間大だが、体より大きい台座にのっているのでずいぶん高い。手前に座る王ーーダレオース様を見下ろしている。
(長老会なら、会議場でやればいいのに……)
どこから持ってきたのか、神殿にはずらっと円形に椅子が並び、長老たちが座っていた。座面に背もたれがついただけの、簡単な木椅子だ。
その一つ、入り口近くの椅子にドーロン様が腰を下ろすと、私はその背後にすすすと回った。
円の中央にはアルキッポス。ただ座っているだけで、特に拘束はされてない。まあ、とても歩けないだろう。右膝にまかれた包帯からすると、一応の手当は受けたようだが。
(意外と元気そう……)
顔色は悪くないし、あのヘラヘラした笑みは健在だ。それでも、正面から王様と見つめ合うのはイヤなのか、椅子にもたれてキョロキョロと視線を散らしていた。
「ふむ、間もなくだな。ワシのするようにしなさい」
なんとなくアルキッポスの視線から逃げて、ドーロン様のお腹の影に隠れていると、黒い包みを渡された。空けてみると親指ほどの黒い物体が二つ。
(蜜蝋?ーー蜜蝋の塊だ)
周りを見ると、どの長老も同じ包みを持っていた。
「では、準備を」
王様の言葉と同時に、居並ぶ長老たちは一斉に蜜蝋を耳に押し込み、黒い布を顔に巻き付けた。
耳栓と目隠しだったらしい。
異常な光景に一瞬目を奪われるが、私も真似しないといけないのだ。
(…………ちょっとこれ……大きい。入んない)
耳の穴と格闘していると、王様が立ち上がってしまった。
待ってほしい。まだどっちも出来てないのに。
「よし、始めよう」
王様の言葉と同時に、神像の背後から輝く金髪が現れた。
(パンドーラ様……)
相変わらずの仮面。
思わず見つめていると、アルキッポスの座る椅子まで姫君はスタスタ歩いてきてーー仮面をとった。
呼吸を、忘れていた。
眩しいのに目が離せない。神殿の中に、天上の光が降りていた。
輝く顔の下側に、赤い色が見えた。唇が空いたのだと言うことに、少し遅れて気づいた。
『吾が言を聞け』
さほど大きくもないその音に、竪琴よりも甘美なその音に、頭を殴られる。
衝撃で呼吸が戻り、何度も息を吐いた。
(神令!?)
神力に満ち満ちた天上の響き。耳ではない、体の芯を直接鷲づかみにする力。
とろけた頭が、今さらパンドーラ様の仮面の意味を理解した。
(この人は……)
美しすぎるから、顔を隠していたのだ。ただそこにいるだけで、あらゆる霊を支配せずにはおかない形の極致。
(だめ……だめだめッ!)
負けるもんか。美の女神は私の主じゃない。
足を踏ん張って、神域の美貌を見つめ返すと、少しずつ、呼吸が楽になっていった。よし、耐えられる。
「なんと……。聞けて、見られるのか?素晴らしい……猪馴らしよ、近う、近う」
耳栓も目隠しもしていない者がいることに王様が気づいたらしく、ちょいちょいと手招きされる。
(……やった。玉座へ行けば、パンドーラ様は後ろ姿だ)
目隠しした長老達の後ろをいそいそと通り抜けようとしたとき、黄金の視線に気づいた。
(なんで、こっち見るの……)
足早に玉座の脇へ向かう間じゅう、パンドーラ様は私を見て微笑んでいた。
「審問の後、そなたに内容を確認するつもりだったが……手間が省けたわ。魔術師が英雄の器とは……」
近くで聞くと、ダレオース様の声は震えていた。握りしめた手にも、汗がにじんでいる。
それでも、この空間に目も耳も晒しているのはただ事じゃない。
「その者の出自を確かめよ」
王命を背に受けて、パンドーラ様がゆるりと手を伸ばし、アルキッポスの頬を包んだ。
そのまま体を乗り出すと、金髪が前へ流れ落ちる。
(大丈夫かな……)
アルキッポスは、完全に放心した様子だった。目は限界まで開いて瞬きもしない。半開きの口からはよだれが垂れていた。
無理もない。今あの顔と間近に向かい合っているはずだ。
『汝の素性は?』
「東方大陸。タナグラの里。神祖マーゴスの長子、クリュシッポスに連なる者。与霊の魔術の信奉者」
口だけが意思を持ったように、すらすらと言葉が紡がれた。
王様が、こちらをチラリと見たので、肯いて見せた。タナグラという里は初耳だが、魔術師としての系譜は今のところ伝承通りだ。
『アルシアとの関係は?』
「西へ渡るため、中の海へ向かう商船に乗った。漕ぎ手を、募っていたから」
「商船?漕ぎ手だと?間諜の類いではないのか……?」
王様が呟く。
『なぜ西へ?』
「里の伝承をたどり、人形兵を求めて」
『人形兵はいずこに?』
「ロータス川の先、大森林の奥地に」
(……!?)
それは、ヒュドラの住処では?
横を見ると、王様も渋い顔で何事か思案していた。
「なにゆえ、この娘の……」
次の質問の指示が出かけたとき、アルキッポスが痙攣しはじめた。
激しい手足の震えに、ガタガタと椅子が揺れた。
「……ここまでにしておこう。狂うてしまってはいかん」
肯いて、パンドーラ様が体勢を戻す。
まだうつろな目をしたアルキッポスを残して、こちらへ歩いてきた。
反射的に目をそらし、通り過ぎるのを待ったが……。
ガシッ。
(……ガシッ?)
……なぜか、肩を掴まれていた。しかもスゴい笑顔だ。直視できない。
『ねえねえ、お仕事済んだ?』
(……何を言ってるの?)
ところが王様は何事か察したらしく、私たちに向かって手をひらひら振って見せた。
「ああ。もういってよいぞ。猪馴らしの同席で、魔術に関する情報は確かめられた。今聞いた内容で、ひとまず今後の話はできるでな」
『やった!』
パンドーラ様に導かれるまま、神像の奥に進むとレンガづくりの一室があった。
『他の王族は、別の家があるんだけどね。パンドーラだけはここに住んでるんだ』
(住む?ここに?)
部屋に入っても、中には寝台が一つあるだけ。それ自体はつややかな黒壇の、立派な四脚だが、他には何もない。窓すらない。
殺風景極まる部屋に圧倒されていると、後ろでパタンと戸が閉まる音。
振り返った途端、素晴らしく柔らかいナニカに体が包まれた。
『あ~ん、嬉しいィ~。ずっとお話できるコが欲しかったんだあ』
すりすりすり。
頬ずり……なのか。快感が顔の上を往復していた。
抱きしめられているはずなのに、まるで圧迫感を感じない。それどころか、このまま意識を手放したくなるような心地よさ。
(まずい。支配される)
「あ、あの、ちょっと離れて……出来れば仮面も着けていただいて……」
『えー?もっと触りたいよう』
不満を言いつつも、パンドーラ様は私を放して、手に持った仮面を付け直してくれた。
部屋の中央へ滑るように進み、どかっと行儀悪く片膝をついて座り込む。
白亜のおみ足でそんな格好しないでほしい。着ている絹よりもはるかに滑らかな肌が付け根まで見えている。
『パンドーラだってね、苦労してるんだよ?だーれもパンドーラと遊んでくれないの』
仮面の下でぶうたれているが、そりゃそうだろう。
「あなたと遊べるような方がいるんですか?そもそも……」
こうして会話することが、もう美の神令を一身に浴びるに等しい。気を抜いたらおしまいだ。
『うーん、ちょっとはいるけどね、ダレオース様は相手してくれないし、ボーちゃんは何言ってるか分かんないしい』
牛ちゃんて。……あの牛頭はいつから被ってるんだろう。
『だからね、ヒューちゃんと会えてすっごく嬉しい!お祭りの間はお仕事あるんだけど、終わったらヒマなの、一緒に遊ぼうねえ』
残念。カルネイア祭が終わったら猪ちゃんはヒュドラ退治に行くんですよ。




