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タ・パンタ・レイ ーニキッペと最後の英雄ー  作者: 本間甲斐奈
第一章 魔女は頭上に月を下ろす

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第11話 熱闘・パンクラチオン②

「殺したい人……アルシアにいるんですか?どうしてその人を?」

テロンも私と同じなのか。ヘーロと一緒にいる以上、アルシアと戦いたがっているのは確かだ。

「まあちょっと待って、その前に僕らの能力を説明しておこう。この力は生き物の感覚すべてを誤魔化すものなんだーーほら」

テロンが手を差し出してくる。触るとすべすべして、私のより滑らかだ。羨ましい。

「見ても触っても、人間の手としか思えないだろう?でもそれは君がそう感じているだけ、実際に僕が人間になってるわけじゃないんだ。この手は今も毛むくじゃらなのさ」

「はあ……これが」

ぺたぺたと手の甲を撫でるが、どこにもおかしなところはない。

「ということはだ、あんまり現実の僕から遠い姿に化けたんじゃ、動きのほうがおっつかないんだよ。例えばニキッペ、君に化けることだってもちろんできるけど、君の目線に合わせて動いたら僕はしゃがみっぱなしだからね」

「ふうん……。じゃあ、本来のテロンもそのくらいの体格ってことですか?」

「その通り、強さも大体この姿から想像してくれればいいよ。獣人(テリオモルフォス)だから、俊敏性にはちょっと自信があるけどね」

ひょろっとした優男の顔を眺める。あんまり強くなさそうだ。



「で、本題はここからだけど……この能力には弱点がある」

闘技場(スタディオン)を照りつける陽光を浴びながら、テロンは声を低める。

「弱点?」

できるだけ小さな声で囁くと、かすかな肯きが返ってくる。

「正体を知ってる者には効かないんだ。つまり、一度でも僕の本当の姿を見られたら化かせなくなる。ーー君やへーロに見せてないのも、まだそこまで信用してないってこと」

「あれ?私、前に見せてもらったのに、まだ効いてますよね?」

カリュオンでテロンの背中に乗せてもらったことを思い出す。あの時は狸(ドロキュオン)の姿だったはず。

「後半を聞き流さないでよ。意地悪言ったのがバカみたいじゃない…………まあいいや。前のアレは別。獣人(テリオモルフォス)はみんな獣(テリオン)の姿になれるけど、それは本来の姿じゃない。僕らは人間じゃないが、だからって……」

獣とは違うんだ、と吐き出すテロンの眉間には、かすかにしわが寄っている。

「ごめんなさい。なにか辛いことを……」

「別に君が謝ることじゃないさ。ーー話を戻すけど、正体を知られてさえいなければ僕らは無敵だ。しかし、僕らの一族は集落をつくって隠棲していたから、必然、仲間の正体は共有されていた」

過去形。足下を睨むその表情に、不穏なものを感じ取る。

一瞬、きつくまぶたを閉じて、テロンは再び口を開く。

「そこに不満を持ったのが、僕の叔父にあたる男だ。僕が八つの時、奴は一族を皆殺しにして出奔した」

「……!じゃあ、殺したい人というのは……」

「そうだ。今はお望み通り、アルシアで出世しているはず。絶対に……何としても。私(・)が。奴の頭を、噛み砕いてやるんだ」

長い首の奥から、低いうなり声が漏れる。緑の瞳が輝き、薄い唇の隙間に並んだ犬歯が鈍く光る。

「……お手伝いします。私が、役に立てるなら」

「ありがとうね。…………お互い正体を知っているから、能力に関して奴と僕の条件は対等。僕には能力(これ)しか取り柄がないから、奴にない力がほしい。だから西(クネファリア)へ渡ってきたんだ」

「へーロと一緒にいるのも?」

「そうさ。あれは紛れもなく英雄(ヘーロース)の器。アルシアの将軍(ポレマルコス)たちとだって戦えるからね」

「はい!とっても強いですから」

脳裏に、ティグリスの顔がよぎる。私がけしかけた鳥の群れを一瞬で葬った、底冷えのする黒装の威容。でも、ヘーロなら勝てる。勝てるはずだ。

いつのまにか黒に戻っている瞳を正面から見つめていると、テロンはあきれたように苦笑する。

「他人事みたいに言ってるけど、君もだからね?神にあらずして神威の片鱗(カリスマ)を宿す者ーーそれが英雄って連中だ。君やへーロや…………彼みたいな」



「おわアッ!?」

突然の悲鳴と、見物席のどよめき。慌てて闘技場を見ると、エウクラトス様が対戦相手の首根っこを掴んで、片手で持ち上げている。

もう次の試合が始まってたの、なんて思ってる間に、巨腕が風を切って気の毒な相手の人をぶん投げる。これじゃ円盤投げ(ディスコボリア)だ。

「ヒャイイイイイイィッ」

面白い悲鳴をあげながら、屈強な戦士が宙を舞う。

たっぷり三つ数えるくらいは飛んだ後、派手に地面へ激突する。

「…………」

起き上がれないまま、ぷるぷると人差し指を立てる犠牲者を見もせずに、エウクラトス様は下がっていく。



あっという間に一回戦の四試合目が終わり、次からは準決勝だ。

「次はへーロと、アリキオンさんですね」

アリキオンが出てくると、盛大な歓声が上がる。前回優勝者だし、人気があるんだろうな。

へーロの方には、やっぱり応援はないようだ。

しかしそのへーロは周りなんか見てない。始まる前から、腰を落として腕をたわませている。

「突進する気だね。速攻だ」

果たしてテロンの言った通り、「開始」の号令と同時にへーロが駆ける。気づいたときには、アリキオンの腰に激突していた。

もろとも地面に倒れ込むと同時に、へーロは上を取って馬乗りになろうとする。

「むうん!」

しかしアリキオンは倒されながら、へーロの金髪を掴んでいた。髪を引っ張って動きを制しながら、膝立ちになって背後へ回り込む。

そのまま、引っ掴んだ長い髪を巻き付けて、へーロの首をギリギリと締め上げる。

「だ、大丈夫でしょうか……」

首に髪が食い込んで、血管を浮き上がらせている。

「大丈夫なんじゃない?ほら」

へーロは首絞め(クリマキスモス)に耐えて歯を食いしばっていたが、次第にその口角が上がりはじめる。

「くっは。……かッ!」

地面を蹴り、後頭部で思いっきり背後の顔面へ頭突きする。

鼻血を噴いて怯んだアリキオンの横っ面へ、振り向きざまの右肘を叩き込む。

「よっと」

そのまま引き倒し、今度こそ馬乗りに組み敷いた。へーロの拳が、風を切って打ち下ろされる。

二発、三発……。アリキオンは降り注ぐ連打を必死にしのいでいたが、次第に抵抗が弱々しくなっていく。

「ああなったらどうしようもないね。終わりだよ」

 やがて人差し指が一本突き出されると、へーロの動きがピタッと止まる。

「そこまで」

パチ、パチ、パチ。

王様が終了を宣言すると同時に、長老(ゲローン)たちの席から、誰かの拍手が響く。

見ると、立派なお腹に押された肩掛け。ドーロン様だ。

「…………ゲホッ……見事、見事……」

ふらつきながら立ち上がり、アリキオンも拍手をはじめる。

「あは!」

もちろん私も手を鳴らす。二人の長老につられて、静まりかえっていた場内に拍手の音が広がっていく。

歓声こそ飛ばないが、今日初めて祝福を受けながら、ニンマリと笑ってへーロは退場する。



「円盤投げ(ディスコボリア)、お好きなのかなあ……」

もう一つの準決勝はすぐ終わった。またしても地面に転がる哀れな戦士を眺める。

あの人もせっかく長丁場を勝ち抜いたのに(見てなかったけど)、すぐエウクラトス様と戦わされるなんて可哀想だ。

「ともあれ、へーロにとっては理想の展開じゃない?これに勝てば文句なしだ」

「そうですけど……。勝てるんでしょうか……」

へーロが負けるところを想像できないが、エウクラトス様も怪物だ。少なくとも力では、向こうが上な気がする。

しかし、本人はテロンと同意見のようだった。こちらに手を振りながら、意気揚々と入場してくる。

「開始」

今度は始まった瞬間から、へーロは目まぐるしく動き始める。低く速く、エウクラトス様の周りを跳び続けて、しかもどんどん速度が上がっていく。

私の目には、金の髪がなびく軌跡しか見えないが、時折、肉を打つ鈍い音とともにエウクラトス様が少しよろめく。あの稲妻の中から、へーロが攻撃しているんだろう。

「あっ!」

へーロの動きが止まる。繰り出した右脚が、石柱のような二本の太股にはさみ止められている。見えなかったけれど、股間を狙ったところを阻まれたのだ。

即座に脚を引こうとしたへーロだが、拘束を動かせず、その脚より太い右腕に足首を掴まれる。

一瞬、エウクラトス様の口元が綻んだように見えた。

右肩が、水を入れた革袋のように膨れ上がる。

「ああ……」

次の瞬間、へーロの巨体が空中で弧を描く。前の二戦と同じ動きだが、今度は投げない。足首を掴んだまま、地面にたたきつける。

ベギャッ。

耳慣れない音を立てて、白土の大地がへこむ。どこから出たのか、霧のように赤い血が舞う。

だが、エウクラトス様は止めてくれない。

右に左に、轟音とともに赤黒いシミをつけていく。



どれくらい時間が経ったのか、へーロの体から力が抜けている。

エウクラトス様は手を止め、へーロを見下ろしているが、足首は掴んだままだ。

「そこまーー」

「こなくそ!」

王様が手を掲げようとした瞬間、碧い瞳がカッと開く。

「景気よく振り回しやがって、アタシゃ洗濯物か?」

言いながら上半身だけで跳ね上がり、山のような体に抱きつくようにして、口に右腕をねじ込む。

歪んだ唇を裂きながら、太い手首がすっぽり見えなくなる。

「…………はは」

呼吸ができていないはずなのに、エウクラトス様は小揺るぎもしない。裂かれた口が、今度こそ、はっきりと笑みを形作る。

ゆっくりと足首から手を放し、自分の口に突き刺さっている手を両手で掴む。

ボキン。

妙に甲高い音がした。握力だけで腕を折ったのだ。

「なんのなんの!」

しかしへーロは手を緩めない。脂汗を流しながら、折れた前腕をなおも深く突き入れる。

エウクラトス様が、再びゆるゆると手を伸ばす。今度は腕ではなく、顔に。

金色の頭を、丸ごと巨大な両手が包み込む。

「ひいっ……」

思わず息を呑んだが、そこまでだった。

ふっと膝から力が抜けて、エウクラトス様がどうと倒れ込む。ずっと呼吸をしていなかったのだ、倒れて当たり前なのだが、それでも信じられない光景だった。

しかし、へーロの手が口から離れても、起き上がる様子はない。



一つ息を吐いて、王様が進み出る。

「そこまで!」

こうして、カルネイア祭の闘技(パンクラチオン)、その王者(ニケーテース)が決まった。


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