第11話 熱闘・パンクラチオン②
「殺したい人……アルシアにいるんですか?どうしてその人を?」
テロンも私と同じなのか。ヘーロと一緒にいる以上、アルシアと戦いたがっているのは確かだ。
「まあちょっと待って、その前に僕らの能力を説明しておこう。この力は生き物の感覚すべてを誤魔化すものなんだーーほら」
テロンが手を差し出してくる。触るとすべすべして、私のより滑らかだ。羨ましい。
「見ても触っても、人間の手としか思えないだろう?でもそれは君がそう感じているだけ、実際に僕が人間になってるわけじゃないんだ。この手は今も毛むくじゃらなのさ」
「はあ……これが」
ぺたぺたと手の甲を撫でるが、どこにもおかしなところはない。
「ということはだ、あんまり現実の僕から遠い姿に化けたんじゃ、動きのほうがおっつかないんだよ。例えばニキッペ、君に化けることだってもちろんできるけど、君の目線に合わせて動いたら僕はしゃがみっぱなしだからね」
「ふうん……。じゃあ、本来のテロンもそのくらいの体格ってことですか?」
「その通り、強さも大体この姿から想像してくれればいいよ。獣人だから、俊敏性にはちょっと自信があるけどね」
ひょろっとした優男の顔を眺める。あんまり強くなさそうだ。
「で、本題はここからだけど……この能力には弱点がある」
闘技場を照りつける陽光を浴びながら、テロンは声を低める。
「弱点?」
できるだけ小さな声で囁くと、かすかな肯きが返ってくる。
「正体を知ってる者には効かないんだ。つまり、一度でも僕の本当の姿を見られたら化かせなくなる。ーー君やへーロに見せてないのも、まだそこまで信用してないってこと」
「あれ?私、前に見せてもらったのに、まだ効いてますよね?」
カリュオンでテロンの背中に乗せてもらったことを思い出す。あの時は狸の姿だったはず。
「後半を聞き流さないでよ。意地悪言ったのがバカみたいじゃない…………まあいいや。前のアレは別。獣人はみんな獣の姿になれるけど、それは本来の姿じゃない。僕らは人間じゃないが、だからって……」
獣とは違うんだ、と吐き出すテロンの眉間には、かすかにしわが寄っている。
「ごめんなさい。なにか辛いことを……」
「別に君が謝ることじゃないさ。ーー話を戻すけど、正体を知られてさえいなければ僕らは無敵だ。しかし、僕らの一族は集落をつくって隠棲していたから、必然、仲間の正体は共有されていた」
過去形。足下を睨むその表情に、不穏なものを感じ取る。
一瞬、きつくまぶたを閉じて、テロンは再び口を開く。
「そこに不満を持ったのが、僕の叔父にあたる男だ。僕が八つの時、奴は一族を皆殺しにして出奔した」
「……!じゃあ、殺したい人というのは……」
「そうだ。今はお望み通り、アルシアで出世しているはず。絶対に……何としても。私が。奴の頭を、噛み砕いてやるんだ」
長い首の奥から、低いうなり声が漏れる。緑の瞳が輝き、薄い唇の隙間に並んだ犬歯が鈍く光る。
「……お手伝いします。私が、役に立てるなら」
「ありがとうね。…………お互い正体を知っているから、能力に関して奴と僕の条件は対等。僕には能力しか取り柄がないから、奴にない力がほしい。だから西へ渡ってきたんだ」
「へーロと一緒にいるのも?」
「そうさ。あれは紛れもなく英雄の器。アルシアの将軍たちとだって戦えるからね」
「はい!とっても強いですから」
脳裏に、ティグリスの顔がよぎる。私がけしかけた鳥の群れを一瞬で葬った、底冷えのする黒装の威容。でも、ヘーロなら勝てる。勝てるはずだ。
いつのまにか黒に戻っている瞳を正面から見つめていると、テロンはあきれたように苦笑する。
「他人事みたいに言ってるけど、君もだからね?神にあらずして神威の片鱗を宿す者ーーそれが英雄って連中だ。君やへーロや…………彼みたいな」
「おわアッ!?」
突然の悲鳴と、見物席のどよめき。慌てて闘技場を見ると、エウクラトス様が対戦相手の首根っこを掴んで、片手で持ち上げている。
もう次の試合が始まってたの、なんて思ってる間に、巨腕が風を切って気の毒な相手の人をぶん投げる。これじゃ円盤投げだ。
「ヒャイイイイイイィッ」
面白い悲鳴をあげながら、屈強な戦士が宙を舞う。
たっぷり三つ数えるくらいは飛んだ後、派手に地面へ激突する。
「…………」
起き上がれないまま、ぷるぷると人差し指を立てる犠牲者を見もせずに、エウクラトス様は下がっていく。
あっという間に一回戦の四試合目が終わり、次からは準決勝だ。
「次はへーロと、アリキオンさんですね」
アリキオンが出てくると、盛大な歓声が上がる。前回優勝者だし、人気があるんだろうな。
へーロの方には、やっぱり応援はないようだ。
しかしそのへーロは周りなんか見てない。始まる前から、腰を落として腕をたわませている。
「突進する気だね。速攻だ」
果たしてテロンの言った通り、「開始」の号令と同時にへーロが駆ける。気づいたときには、アリキオンの腰に激突していた。
もろとも地面に倒れ込むと同時に、へーロは上を取って馬乗りになろうとする。
「むうん!」
しかしアリキオンは倒されながら、へーロの金髪を掴んでいた。髪を引っ張って動きを制しながら、膝立ちになって背後へ回り込む。
そのまま、引っ掴んだ長い髪を巻き付けて、へーロの首をギリギリと締め上げる。
「だ、大丈夫でしょうか……」
首に髪が食い込んで、血管を浮き上がらせている。
「大丈夫なんじゃない?ほら」
へーロは首絞めに耐えて歯を食いしばっていたが、次第にその口角が上がりはじめる。
「くっは。……かッ!」
地面を蹴り、後頭部で思いっきり背後の顔面へ頭突きする。
鼻血を噴いて怯んだアリキオンの横っ面へ、振り向きざまの右肘を叩き込む。
「よっと」
そのまま引き倒し、今度こそ馬乗りに組み敷いた。へーロの拳が、風を切って打ち下ろされる。
二発、三発……。アリキオンは降り注ぐ連打を必死にしのいでいたが、次第に抵抗が弱々しくなっていく。
「ああなったらどうしようもないね。終わりだよ」
やがて人差し指が一本突き出されると、へーロの動きがピタッと止まる。
「そこまで」
パチ、パチ、パチ。
王様が終了を宣言すると同時に、長老たちの席から、誰かの拍手が響く。
見ると、立派なお腹に押された肩掛け。ドーロン様だ。
「…………ゲホッ……見事、見事……」
ふらつきながら立ち上がり、アリキオンも拍手をはじめる。
「あは!」
もちろん私も手を鳴らす。二人の長老につられて、静まりかえっていた場内に拍手の音が広がっていく。
歓声こそ飛ばないが、今日初めて祝福を受けながら、ニンマリと笑ってへーロは退場する。
「円盤投げ、お好きなのかなあ……」
もう一つの準決勝はすぐ終わった。またしても地面に転がる哀れな戦士を眺める。
あの人もせっかく長丁場を勝ち抜いたのに(見てなかったけど)、すぐエウクラトス様と戦わされるなんて可哀想だ。
「ともあれ、へーロにとっては理想の展開じゃない?これに勝てば文句なしだ」
「そうですけど……。勝てるんでしょうか……」
へーロが負けるところを想像できないが、エウクラトス様も怪物だ。少なくとも力では、向こうが上な気がする。
しかし、本人はテロンと同意見のようだった。こちらに手を振りながら、意気揚々と入場してくる。
「開始」
今度は始まった瞬間から、へーロは目まぐるしく動き始める。低く速く、エウクラトス様の周りを跳び続けて、しかもどんどん速度が上がっていく。
私の目には、金の髪がなびく軌跡しか見えないが、時折、肉を打つ鈍い音とともにエウクラトス様が少しよろめく。あの稲妻の中から、へーロが攻撃しているんだろう。
「あっ!」
へーロの動きが止まる。繰り出した右脚が、石柱のような二本の太股にはさみ止められている。見えなかったけれど、股間を狙ったところを阻まれたのだ。
即座に脚を引こうとしたへーロだが、拘束を動かせず、その脚より太い右腕に足首を掴まれる。
一瞬、エウクラトス様の口元が綻んだように見えた。
右肩が、水を入れた革袋のように膨れ上がる。
「ああ……」
次の瞬間、へーロの巨体が空中で弧を描く。前の二戦と同じ動きだが、今度は投げない。足首を掴んだまま、地面にたたきつける。
ベギャッ。
耳慣れない音を立てて、白土の大地がへこむ。どこから出たのか、霧のように赤い血が舞う。
だが、エウクラトス様は止めてくれない。
右に左に、轟音とともに赤黒いシミをつけていく。
どれくらい時間が経ったのか、へーロの体から力が抜けている。
エウクラトス様は手を止め、へーロを見下ろしているが、足首は掴んだままだ。
「そこまーー」
「こなくそ!」
王様が手を掲げようとした瞬間、碧い瞳がカッと開く。
「景気よく振り回しやがって、アタシゃ洗濯物か?」
言いながら上半身だけで跳ね上がり、山のような体に抱きつくようにして、口に右腕をねじ込む。
歪んだ唇を裂きながら、太い手首がすっぽり見えなくなる。
「…………はは」
呼吸ができていないはずなのに、エウクラトス様は小揺るぎもしない。裂かれた口が、今度こそ、はっきりと笑みを形作る。
ゆっくりと足首から手を放し、自分の口に突き刺さっている手を両手で掴む。
ボキン。
妙に甲高い音がした。握力だけで腕を折ったのだ。
「なんのなんの!」
しかしへーロは手を緩めない。脂汗を流しながら、折れた前腕をなおも深く突き入れる。
エウクラトス様が、再びゆるゆると手を伸ばす。今度は腕ではなく、顔に。
金色の頭を、丸ごと巨大な両手が包み込む。
「ひいっ……」
思わず息を呑んだが、そこまでだった。
ふっと膝から力が抜けて、エウクラトス様がどうと倒れ込む。ずっと呼吸をしていなかったのだ、倒れて当たり前なのだが、それでも信じられない光景だった。
しかし、へーロの手が口から離れても、起き上がる様子はない。
一つ息を吐いて、王様が進み出る。
「そこまで!」
こうして、カルネイア祭の闘技、その王者が決まった。




