第9話 集う獣たち
「ななな、何ですか!?あのアブなそうな人は?」
「……エウクラトス・ミノタウロス。君も知ってる、エウモルフォス王子の兄だよ。双子のね」
牛人間って。怪物じゃん。異名としては酷すぎる。
「じゃああの人も王子様?なんであんな……」
「モノを被ってるかは、明日の本選で分かると思うよ。本番はあんなの禁止だからね」
ごちゃごちゃ言っている間に、エウクラトス様が広場へ進み出る。
五人一組のルールなのだが、仲間はいない。試験官も咎めるどころか、静かに一礼したのみで名前の確認すらしない。
「ブキィッ!」
(!?……様子がおかしい)
牛人間を前にして、オドゥスが明らかに怯えている。蹄で激しく土を掻き、口から泡を飛ばして後ずさる。
今にも逃げ出しそうだが、こういう不測の事態のために私が呼ばれているのだ。
『オドゥス!逃げずに……』
しかし、それ以上言う必要はなかった。鋼の腕が縄を掴むと、オドゥスはもう一歩も動けない。それどころか、じりじりと広場の中央へ引き戻されていく。四つ足を踏ん張って必死に抵抗するが、まるで効果なしだ。
「……ウソぉ」
名前通りの剛力、なんて次元の話じゃない。
「合格!」
気づいたら、この日最初の合格者が出ていた。
すっかり大人しくなってしまったオドゥスを尻目に、エウクラトス様は静かに歩き出す。……こちらの方へ。
「は、はじめまして。エウクラトス様。お見事でした」
近くで見ると一段とスゴい肉体に圧倒されながら、テロンとともに右拳を掲げて礼をする。
「……ありがとう。……君が…………猪馴らしか」
今言ったのは、私のダサい異名であってるのかな。なんか、聞き取りにくい。変なかぶり物のせいだけじゃない気がする。なんでこんなにボソボソ喋るんだろう。
「リュキオンへの…………助力……感謝する」
(?)
「魔術師の……立場は…………心細い……だろうが……」
(??)
何か気遣いを受けている気がする。でもよく聞こえないので、曖昧に微笑んでおく。
「…………では」
いつの間にか話は終わったらしい。エウクラトス様はまた静かに歩き出す。
さっきもそうだったが、あんな体つきなのに、歩く姿は少しも重たげじゃない。体の芯をまったくぶれさせず、最小限の動きで移動している。
(……あっ。いけそう……)
思わぬ大物に気を取られている間に、別の一団が試験を始めていた。五人の先頭で綱を引いているのは、エウモルフォス様だ。
お兄さんほどじゃないが、あの人もかなりの巨漢だ。戦士たちの中にいても頭ひとつ大きい。端正な顔に笑みを浮かべながら、オドゥスをずるずる引きずっていく。
「合格!」
試験官の声があがる。
部下たちなのだろうか、エウモルフォス様はしばらく他の四人と健闘をたたえ合っていた。が、それが済むとやっぱりこちらへ歩いてくる。
カリュオンの時から名前は知っていたが、面と向かって話すのは初めてだ。立ち上がって右拳を掲げる。
「合格おめでとうございます」
「やあ。君の試練はなかなか面白いね」
汗に濡れた黒い髪をかき上げながら、流し目でこちらを見る。どうもこの人の仕草は、いちいち芝居がかっているような。
「私が決めたわけじゃありませんよ。…………本番は一人で戦うのに試験は五人一組なんて、おかしくないですか?」
「それはまあ、もっともだけれど……我が国の軍は連携が命だし、誰と組めるのかも大事な資質ってことさ」
エウモルフォス様はいたずらっぽく笑ってみせる。
「それに、ホントのところ、リュキオン最強を名乗ろうと思うなら、一人であの猪をねじ伏せるくらいじゃなきゃダメなんだよ。本物の強者は、規定がどうだろうが……」
深い黒の瞳が空を見つめる。
それは、あの人のことを言ってるんだろうか?
「そういえば先ほど、エウクラトス様にもお会いしました」
「ははは。兄は変わり者だったろう?ミノタウロスの真似事なんて、まったく……」
「なんと言いますか、スゴい異名ですよねえ。そういえば、エウモルフォス様のは……」
一瞬、ほんの一瞬、爽やかだった表情が歪む。視線を地面に落とし、唇の間からは食いしばった歯が覗く。
しかし、顔を上げたときには、もうキザな笑みを取り戻していた。
「いやあ。実は私にはこれといった英雄譚……というか、長所がなくてね。異名もまだないんだ。……カリュオンで手柄を立てたかったんだが、なんてね」
そのまま、会話を打ち切ってしまう。
「じゃあ、私はこれで」
足早に去って行くエウモルフォス様を見ながら、テロンがくっくっと喉の奥で笑う。
「最後のセリフはトゲを隠せてなかったねえ」
「はい……。私が横取りしちゃったんでしょうか」
「横取りしたのは主にヘーロだけど……まあどっちにしても面白くないんだろうね」
「でも、じゅうぶんお強いと思います。手柄なんてすぐに……」
「そりゃあ強いさ。腕っ節だけじゃない。詩歌も弁論も竪琴も、あの王子サマは何から何まで一流って評判だ。それだけに、あの兄貴に及ばない領域があるってのは悔しいんじゃないかな」
「はあ……。そういうものですか」
たしかに、お兄さんのことを語るエウモルフォス様の目は、持ち前の陽気な光を失っていた。
「不合格」
夕暮れ時になって、最後の一組がとぼとぼと帰っていく。結局、エウモルフォス様たちを最後に、合格者は出なかった。
試験官のおじいさんが、こちらに手を振って去ってしまうと、広場にはオドゥスと私たち二人だけ。
「あれ、これで終わり?ヘーロはどうしたんですか?闘技に出るんですよね」
「聞いてないの?アイツはこの試験免除だよ。そもそもオドゥスを倒した実力者ってことで参加が認められたんだから。今頃は酒でも飲んで寝てるんじゃない?」
「そんなあ。私は朝から仕事してるのにい」
テロンは苦笑して、私の頭を撫でる。
「ま、これで君の仕事も終わり。本戦出場者の八人がめでたく決定だ」
「八人?今日合格したのが六人で、あとヘーロで七人ですよね」
「前回の優勝者も試験を免除されるのさ」
バケモノみたいな人がまだいるらしい。……そして、優勝者ということは。
「もしかして、エウクラトス様より強い人がいるんですか?」
「いや、あの王子はヘーロと同じで初出場だから、それはどうかな。弟と違って人前に出ないんだが、あの怪物ぶりでいつまでも不参加じゃ通らないよね」
「そうなんだ。……ねえ、ヘーロなら勝てますよね?」
「ンー……どうかな。」
カルネイア祭を明日に控えて、街道沿いもだいぶ賑やかだ。
食料を満載した荷車や、奴隷を連れて買い物にいそしむ市民たちが行き交う中を、オドゥスに揺られてゆったりと帰路につく。
* * *
リュキオンが年に一度の大祭に沸いている頃。
遙かに東の海上で、水平線を軍船が埋めていた。船首像は鉄の有翼の大蛇。
「レイリス島に来るのァ初めてだが……あれが巨像か。立派なもんだ」
最も巨大な艦の上で、黒装の巨漢が長い髭をなでる。その目には、入り江を護る青銅の巨人が映っていた。
「中の海にあって、最大にして最古の都市……。フフ、手強そうだのう。……とはいえ、お主ら二人の出番があるかは分からんがな」
応じたのは妙齢の女性。ゆったりとした絹のドレスに身を包み、つややかな黒髪をなびかせる。
そして、談笑する二人の背後には、さらに巨大な影。黄金の体毛をなびかせながら、宵闇の到来に合わせて緑の瞳が丸く拡大していく。
それは、獅子の獣人であった。




