071『クラリス・クローズ②』
魔法と魔術は、別物である。
ダンジョン攻略者は、誰しもがそう語るそうだ。
魔法とは天より授かるもの。神が人に与えた道しるべ。
魔術とは自ら開拓するもの。人が足掻き苦しみ得る答え。
彼らがその『答え』を得るのは、まだ少し先の話。
故に、この情報はちょっとした未来の先取り。
ありていに言えばネタバレだ。
魔術という新技術を獲得するにあたり、その前提にある知識。
――魔力には、人それぞれ千差万別の属性が存在する。
その法則に例外はない。
誰しもその身にある種の属性、特性を帯びている。
ただ、大半がまだ開花していないだけ。
霜天の魔女が氷の属性を使いこなしていたように。
吸血鬼ジョンダルセが、魔力に影の特性を得ているように。
ある日、その芽生えと同時に。
あるものは魔力そのものに重力の特性を帯び。
あるものは魔女とは異なる属性を得る。
そしてあるものは――光の性質を魔力に宿す。
当然ながら、それらの知識を彼ら彼女らは、まだ知らない。
ソレを知るのは、ダンジョンを踏破してからになる。
その事実は変わらない。その因果関係は逆転しない。
彼らが今、都合よくその知識を得ることはない。
そのうえで、なお。
今、一人の天才は吠えていた。
――知ったことか、と。
それは、シュメル・ハートの影に埋もれたもう一人の天才。
本来であれば姉と並んで麒麟児と呼ばれていたであろう。その才覚を『寄り添う事』に全振りした結果、名声を、栄誉を捨てて、ただ、強く誠実に尖り果てた。
そんな羽化することを拒絶した英雄の卵が、今、初めて『戦い』に目を向ける。
対するは、人外。血濡れの鬼。
物理攻撃の通じない無法。竜剣が通じない反則。
全力の攻撃でさえ、相手の魔法すら引き出せなかった。
竜の牙を折られ、手に残るのは魔法だけ。
かつて馬車の中で味わった時と同じ死の気配が、全身を打ち貫く。
あの時とは異なり、今回、英雄の助けはやって来ない。
その認識が、その現実が、少女を極限へと追いやった。
——えてして英雄とは、そんな極限でのみ覚醒するものだ。
ぱきりと、音がする。
卵が砕ける。殻が破ける。
拒絶したはずの未来が、少女のもとへとやってくる。
少女の英雄としての真価が、今、試されようとしていた。
☆☆☆
物理攻撃が通用しない。
そう告げる吸血鬼を前に、クラリスは諦めなど抱かない。
戦いは硬直するどころか、オーディ戦以上に激化の一途を辿っていた。
魔力が奔る。
ルナ、シュメル・ハート、両名を除いた地上最高の魔力総量。
そこから放たれる出力は、想像するに易い。
人が水道でルナが海なら、クラリスのそれはダムの放水だ。
「駆けよ竜剣」
無数の剣が空を舞う。
そのうち一振り。低空を踊るように飛ぶ剣へと、少女は飛び乗った。
竜剣とは、なにも攻撃だけにしか使えぬ魔導器ではない。
クラリスは地上を離れて空に発つ。
嫌ったのは、影へと背を向けること。
先ほどと同様の不意の一撃を食らわぬために、彼女は地を離れた。
足場にする竜剣は、小さなナイフ程度のサイズへ縮小する。
これで、背後には影はできない。
「っとぉ、ずいぶんとまた、対応がお早いこと」
ジョンダルセは、何の緊張もなくのんびりとしている。
そういう風に、見える。内心は不明だ。
ポーカーフェイスか、あるいは本心か。
確かめるべく、クラリスは再び竜剣を走らせた。
幾千の風切り音が、合唱のように空に轟く。
それは一種の悲鳴のように。
慈悲なく、無造作に、対象の鬼へと降り注ぐ。
——だが。
「無駄だってぇ」
——総じて、無意味。
ジョンの肉体が霧へと変化する。
そうなってしまえば、霧に剣は突き刺さらない。
ただの業物で空気は切れない。剣そのものに絶技に至る技量はない。
いくら数を用意したとて、ただ一人にも届かない。
幾千の剣を煙に巻き、霧は空中にて凝固する。
再び人の姿をとったジョン。その背中には――蝙蝠のような羽が生えていた。
「さ、次は俺の番だな」
確認するよう呟いて。
羽を畳むような勢いで、一直線に加速する。
その右手は刀身のように変身し、狙い定める先はクラリスの心臓だ。
「……ッ」
対するクラリス。
彼女が用意したのは、五本の剣。
柄はそのまま――刀身の形状変化。
扇のように幅広く、そして大剣のように刀身を分厚く。
それを五本……五枚重ねて、盾へと代える。
「っとぉ!」
忘却の獣、オーディですら完全な破壊は叶わなかった竜剣。
それらがより頑丈性に特化され、加えて五重に展開された。
——正面突破は、不可能。
ジョンはすぐさま判断し、盾の側面へと回り込む。
が、飛び込んだ先は、死地。
光が瞬く。
攻勢にあったジョンの背筋に、ひやりと悪寒が奔った。
「『霊砲』」
それは何の効果もない、ただの超速魔力放射。
ただ速く、ただ高出力に。
それだけを突き詰めた、クラリスの十八番。
その一撃は、人だろうが霧だろうが、おしなべて焼き尽くす。
——無効化は、できない。
そう判断したのは、両者同様。
待ち構えていたクラリスが霊砲を放つ。
と同時に、ジョンもまた動いた。
無傷で切り抜けるのは、難しい。
確率にして一割とあればいいだろう。
だが、多少の手傷を追っていいのならば――十分に切り抜けられる易い危機。
クラリスの魔力が、眼前へ迫る。
ジョンは迷いなく、片腕を捨てた。
「アッツ!!!」
刀へと変身した片腕で、一閃。
目指したのは、ジョンの後輩であるフィアンドールの放つ居合だ。
けれども放った居合は、彼がイメージしたソレには遠く及ばない。威力も当然ながら、斬撃を飛ばすことすら叶わない。
けれど霊砲を切り裂くには、十分な一撃だった。
じりりと、腕が焼け落ちる。
それは吸血鬼の回復能力をもってして、即時復帰は不可能なダメージ。
けれど、失ったのは片腕だけ。
放たれた霊砲は、真っ二つに。
裂かれてジョンの後ろへ飛んでゆく。
残ったのは無防備なクラリスと、片腕を失ったジョン。
互いの視線が交差する。
直後に散ったのは――クラリスの鮮血だ。
少女の身に斬撃が走る。
片腕を失ったジョンが、もう片方の腕を変形させて放った一撃。
それは防御すら間に合わせず、肩からわき腹にかけて一直線に痕を残した。
「ったぁ! クリーンヒットぉ!」
直撃、真っ二つ。
断面から、ずるりと少女の上体が滑り落ちる。
即死。
そう判断したジョンは――されど、その眼を見つめて息を止めた。
「痛み分け、といたしましょうか」
頭上より、光が迫る。
咄嗟に顔を上げる――と同時に、ジョンの体を『霊砲』が貫通した。
「が……ッ!?」
「先の獣よりは単純ですね。……とはいえ、強さは数段違いますが」
致命の一撃を受け。
その体を両断されて――なお、癒しの光は無遠慮に輝く。
ジョンの一撃など、まるで最初からなかったように。
滑り落ちていた肉体が戻る。
断面が消える。
衣服の傷や血痕を残し――その肉体に傷は残らない。
即死以外では死なないのは、クラリスも同様だ。
その光景に驚きつつも、ジョンは頭上へと目を向ける。
そこにあったのは、鏡のように刀身がつるりと磨かれた無数の竜剣。
その光景を見て、理解に至る。
「……反射か! ずりぃなくそったれ!」
先の霊砲。
切り裂き、無効化したはずの攻撃。
その割かたれた光線を――竜剣の刀身に反射させて叩きつけた。
そのために最適な形が、鏡のソレなのだろう。
とはいえ、だ。
ジョンは思考する。
半分に割った霊砲だ。
加えて、幾度と反射させて無理やりに方向を訂正した。
威力は元の半減以下。およそ三割程度に他ならない。
——が、それでも余りある火力。
ジョンダルセの肉体が焼ける。
かろうじて頭部は直撃を免れたが、胃を中心として内臓がいくつか潰されている。
吸血鬼にとっては、即死ではない。
けれど、決して侮れるような軽傷でもない。
まして、無視して突っ込めるほどの傷じゃない。
彼は顔をしかめ、後方へと飛び退る。
(参ったねぇ、こりゃあ。頭の出来が段違いだぜ)
実力差は歴然。
どう考えても、ジョンが格上。
種族特性のゴリ押しだけでまず勝てる。
そういう戦いだ、負けるはずがない。
――という前提が、壊されつつあった。
戦いの先を読む、という能力において。
クラリス・クローズは、この場の誰より上をゆく。
かの狡猾なオーディをも無傷で丸め込んだ怪童。
誠実、などという面は腹の底まで沈み込み。
海千山千の政敵が跋扈する王宮を渡り歩き、幼い頃から命を狙われ続けた。おおよそ、この世の誰より『常日頃から思考を巡らせねば死ぬ』環境にあった【王族】としての面が、顔を出し始めていた。
その知性は、千年以上を生きる吸血鬼、ジョンダルセにすら警戒心を抱かせるほど。
故の、後退。
それは、わずか一時、回復を待つための後退。
そして同時に――クラリスを警戒したが故の後退り。
わずか数秒の息継ぎ。
焦り始めた思考の静定。
戦線復帰のための、僅かな一時を。
――クラリス・クローズは、待っていた。
「……ふぅ」
一振の竜剣が、少女の手元へやってくる。
戦闘中にはまずありえない――意識の、一点集中。
深呼吸ひとつ。ジョンダルセへと割いていた集中を、この一瞬だけ手元の剣へと掻き集めた。
狙いは、最初から何も変わらない。
効かない。
通じない。
そう言われたはずの――物理攻撃での決着。
頑固な性格はこの局面でも変わらない。
あるいは少女の不屈の精神は、この死地にこそ輝くと言うべきか。
こだわりを捨て、魔法に縋り。
ただ勝つことだけに固執するのは、性にあわない。
そう言わんばかりに、少女は。
あえて、難しい勝利に執着していた。
――剣が、震える。
増殖するためではない。
ただ、威力を増す為だけに魔力を竜剣に流す。
初手として、宮廷魔導師数十人分にも及ぶ魔力量。それが刀身を満たす。こぼれぬ様に細心の注意を払われながら、容赦なく、自重なく、怒涛の勢いで流れ込む。
ピキリ、と。
刀身にヒビが入る。
それと同時に、押さえ込んでいた魔力量がぶわりと風に乗り、離れた場所にいるジョンの頬を叩いた。
「……ッ、マジかよ!」
その表情から、余裕が消える。
それほどの魔力量が、ただの余波として飛んできた。
つまり、今、あの剣に宿っている魔力量は――推定でも感じたソレの数十倍。下手をすれば更に一桁上のモノになるだろう。
そんな剣を、ある種の時限爆弾を前にして。
少女の頬には、笑みが見えた。
「さぁ、上手く行けば重畳ですが」
笑みの中、されどクラリスは直感していた。
このままでは失敗する――と。
魔力を込める。
あぁ、確かに火力は上がるかもしれない。
多少なりとも飛翔スピードも上がるかも。
そんな漠然とした雰囲気はある。感覚はある。
けれど、それは音に届くだろうか?
あるいは、その先の光に届くだろうか?
否。
クラリスは自ら否定する。
多少魔力を込めたところで、光には届かない。
簡単に光速に届くのだとしたら、今頃、自分より魔力量の多いシュメルや、魔力が使えるようになったルナは手のつけられない化け物になっている。
故に、現実的な思考ではない。
ただ考え無しにやったのでは、光速には届かない。
ならば、どうする?
どうやってジョンの認識を超える?
どうすれば、物理攻撃の効かない彼を、剣で殺せる?
視線の先で、ジョンが動き出す。
彼には『準備を待つ』だなんて余裕は見えない。
情け容赦なく、攻撃準備中のクラリスを屠るだろう。
故に、時間はない。
秒数にして、わずか一秒。
こちらの攻撃を準備する時間を考えると、さらに短い。
余計な思考など許されぬ刹那。
一瞬、と呼ぶに値する僅かな余裕で。
研ぎ澄まされた集中力は。
(魔力量、じゃ無い。それ以外の『何か』が要る)
その『答え』に、指をかける。
クラリスは、直感する。
それが正答であると。
目的地までの道筋までは見えぬまま。
終着を見据えて、迷いなく動き出す。
竜剣への魔力供給を、ピタリと停止。
その刀身に溢れた魔力を――力いっぱい凝縮させる。
ぐんぐんと。
両手で粘土を捏ねるように。
小さく、小さく。
抱えるほどに大きな魔力量を。
捏ねて、固めて――質を上げる。
剣が、輝く。
その変質を捉えながら、思考は止まらない。
無駄を極限まで削られた、その思考の最中。
不思議と過ぎったのは、ジョンの台詞だった。
『魔法すら使っちゃいねぇのに、純粋な種族特性でコレだからなぁ』
影から現れたジョンは、そう言った。
魔法を使っていない。
純粋な種族特性。
その言葉に、不思議と今になって疑念が湧いた。
それは、本当なのだろうか? と。
先の攻防。彼は影の中より現れた。
霧へと半身を変え、クラリスの背後に回り。
その上で霧から影へと姿を変えて、剣を向けた。
――今にして気づく。無駄な工程があることを。
なぜ、彼はわざわざ影へと変身していた?
背後を取れたのならば、霧から影へと変身し直す必要はない。そのまま形作り、刃で突き刺す。それで終わる。
なのに、ジョンダルセは影の中に潜んだ。
それはなぜか?
そうしなければいけない理由があったから。
刹那の思考は、さらに加速する。
剣が眩く光り輝く。
ジョンが思わずと顔を顰める中で。
かちり、と。
思考のパズルが、嵌る音がした。
「――はぁ?」
光が、瞬く。
認識など及ばない。
人智の届かないその先で。
ジョンの左腕が、空を舞う。
彼は理解が及ばない。
気づけば、左腕が消えていて。
痛みとともに、半ば強制的に分からされる。
「……ッ!?」
切り落とされた。
物理攻撃の効かないこの身が。
認識も理解も及ばない先で、傷を負った。
ぞわり、と。
全身総毛立つ。
前方には、楽しそうに笑う化け物がいた。
「あはっ、魔力そのものの【特性】、ですね!」
化け物は笑っている。
知識なんてなかったはず。
ヒントも皆無に等しいはず。
にも関わらず、この局面で。
少女は認識もできぬ【特性】に、理解を示した。
ふわりと、再び剣が浮かぶ。
数の暴力は、ない。
たったの一振り。
それだけの凶器を前に、ジョンの足は止まっていた。
それは、恐怖によるもの。
何も分からない、先の一撃。
平時ならばいざ知らず。
今、この瞬間のクラリスならば、再現可能だと。
理解も何も出来ないまでも。
それだけは、確信できていた。
「察するに、あなたは【影】の特性ですね? 先の攻防は、霧に化けた訳ではなく、半身は影の中を移動した。それだけのことを、私は難しく考えすぎていたようです」
故に、影の中から現れる理由があった。
それは真実だ。
真実、では、あるのだが――。
ジョンは頬を思い切り引き攣らせる。
「なんでっ、んなこと分かんだよ……!」
真実であるのは違いない。
が、だからってソレを理解できるはずがない。
はるか昔、多くの才人が幾度と検証を重ね、ついに見つけ出した魔力そのものの属性、特性。
それを、この土壇場で見つけ出す、だなんて。
ジョンダルセは、息を飲む。
天才、という言葉では生ぬるい。
オーディが感じていたものと同じ感覚を、今、ジョンダルセもまた感じ取った。
「……悪夢みてぇな才能だなァ、おい!」
吐き捨てるように、彼は叫ぶ。
シュメル・ハートを殺すのは依頼だった。
それを優先するのに否はない。
だが、その過程で。
彼を殺すより先に――全員でこの悪魔を殺すべきだった。
この悪魔は、育てば誰にも手がつけられなくなる。
「それは可愛くありませんね。訂正を要求します」
再び、剣が光輝く。
クラリスは、未だ魔力の『特性』を自覚できていない。
覚醒に至るための正式な過程を通過していない。
突然、魔術など使えるはずもない。
だが、そこにひとつの幸運が転がり込んだ。
竜剣レオニス。
無限に増殖する魔導器。
ソレは、所有者の魔力に応じてその性質すらも変質させる。
故の変幻自在。
万象に成り代わり、術者の技量不足すら塗り潰す。
遠い未来。
最速の魔術師と呼ばれるに至る、剣の聖女。
今のこの瞬間、再現に至ったその技は。
未来における、彼女の奥義に他ならない。
それは――光速にて放たれる絶死の一撃である。
光が、瞬く。
送る死にすら、気づかせず。
竜剣は、光速に至る。
肉体も霧も無関係に。
貫いた傍から、光の熱で焼き尽くす。
ぽっかりと、ジョンの胴体に風穴が空く。
心臓を穿たれ、落ちてゆく彼の姿を見下ろして。
それでも才能の悪魔は、譲らない。
「シュメル様に次ぐ才能。そう言い直してほしいのです」
クラリス・クローズ。
今は目覚めぬその特性。
何より速く、何より強く。
輝くソレは――【光】の特性。
つまり、ソレに目覚めた先で少女は。
ありとあらゆる攻撃が、認識不能の光速に至る。
故に、最速の魔術師。
霜天の魔女が育てた、次世代の魔女である。
次回【ルナVSレプリカ】
ついに大トリ。
今、魔王の心臓が動き出す。




