070『影に棲うモノ』
「俺の名はジョンダルセ。気軽にジョン、って呼んでくれよなぁ」
ジョン、と自ら名乗った吸血鬼。
その姿を前に、クラリスは加速しかけていた心を落ち着かせる。
【シュメル・ハートが、死にかけ】
先ほど、この吸血鬼の口から飛び出した言葉だ。
少なからず脳が焼けた。
怒りと焦りが心を占めた。
けれど、冷静に、冷静に、と。
浅く深呼吸して、目を細める。
「先の言葉、あれは嘘ですね?」
断定する。
推しが死にかけているなど、嘘である、と。
少女の言葉に、ジョンは薄く笑みを浮かべる。
「……ちなみに聞いていいかな、なんでそう思うわけ?」
「あなた、シュメル様を知らないでしょう?」
男の逆質問へと即座に返ったのは、呆れの浮かんだ双眸だった。
「いいですか、彼の状態を指すならば、無傷か死か、二つに一つです。その中間——死にかけている、という表現は、彼を知っているなら出るはずもありません」
『あいつ相手に「生かして捕らえる」なんて無理難題』
『そこにたどり着くまでで、命がいくつあっても足りない』
オーディが言った言葉だ。
それを振り返り、英雄殺しの方がよほど【解っている】と厄介ファンは幾度か頷く。
重傷を負わせようが。
軽傷で済ませようが。
彼にとっては、等しく【直せる】傷に過ぎない。
そして(ルナを除いて)地上最大の魔力量を誇るシュメル・ハート。彼が十年以上にわたって磨ぎ上げてきた魔力操作能力は、一日二日程度の魔法行使では魔力枯渇までは至らせない。
故に、この数時間で彼が行動不能になることは、ない。
体力、精神力に関しても同じことだ。
あの天賦の肉体であれば、たとえ一週間戦い通したところで、まだ動く。
故に――死にかけている、というのは嘘。
おそらく、この吸血鬼の男もシュメルの状態までは把握できていない。
その上で、おそらくそうであろう、という状況を口に出し。
相対するクラリス・クローズの動揺を誘った。
「——なんたる愚策」
魔力が奔る。
剣の内包した【無限】が、天を埋め尽くす。
先ほどオーディへとはなったソレとは、桁が違う。
クラリス・クローズはここに来て初めて、全力で『数の暴力』に訴える。
「……うへぇ。まじかよこれぇ」
勘弁しろよと、ジョンの頬に冷や汗が伝う。
嘘でも冗談でもない。
正真正銘、強者としての彼が感じた――明確な死の気配。
空を覆いつくす無数の死星に、ジョンの頬が引きつった。
「先の戦闘とは違います。出し惜しみされるとは思わないでください」
手加減なし。
出し惜しみ、皆無。
少女が腕を振り下ろし。
――流星群が、天より注ぎ落ちる。
敵か、味方か?
そのような質問など最初から不要。
英雄殺しオーディを、庇った。
それだけで悪性と判定し、障害と断定した。
「そりゃ残念。ちったぁ手加減してもいいんだぜぇ?」
無数の剣。
その一斉掃射に男は驚き、されど恐怖は見せない。
ぶわり、と。
その全身が影に包まれる。
次の瞬間には人としての体は消えて、無数の蝙蝠が彼のいた場所から飛び立ってゆく。
「……ッ」
かの種族特性は数多くある。
高い身体能力。
膨大な魔力量。
不死身に等しい自動再生能力。
そして――変幻自在の変身能力。
ジョンはその身を蝙蝠へ変え、空へ羽ばたく。
無数の剣を前にして。
放たれたのは、数千匹と思しき蝙蝠の群れ。
一匹でも逃がしてしまえば――そこから再生し、吸血鬼は再び蘇る。そうと知っている以上、クラリスは打つ手を変えた。
掃射、一斉『停止』。
むやみやたらにぶつけた所で、恐らく数匹は取り逃す。
ならば、しっかりと、逃げ道を塞いで。
より多くの剣で、より凶悪なカタチをもって、数千匹の個を包囲するまで。
「竜剣よ!」
光が瞬く。
幾万の剣が形を変える。
細く、鋭く、そして長く。
糸のように姿を変えた『繊維』の剣。
クラリスが上空へと手を挙げる。
それと同時に、蝙蝠の群れをぐるりと囲うように無数の剣が飛翔する。
出来上がったのは、鉄色の糸玉。
直径百メートル。
上下左右、逃げ道のない鉄繊維の牢獄だ。
無数の竜剣によって編まれた糸玉は、内部に蝙蝠の群れを閉じ込めている。
「手加減ですか。聞けぬ願いと言うものです」
拳を握る。
繊維の牢獄が、形を変える。
想像するのはアイアン・メイデン。
外殻より内部へ、回避不能の針を差し向ける。
針の数は殺意に応じて増加した。
幾万の剣より放たれるは、幾億の針。
脱獄不能。
回避不能。
防御不能。
360度全方位からの、致命の『数の暴力』を見舞する。
糸玉内部で鮮血が舞う。
蝙蝠の悲鳴が響いたのは、わずか数秒。
その後に残る命は無い。
容赦なくわずか一手で、ジョンの変身体を鏖殺する。
だが、その刹那――。
クラリスの後方より、暴力的な魔力の波がやってくる。
魔力探知が、丸ごと水に流されるように。
理解不能、測定不能の魔力の塊が、後方で弾けた。
――それは同時刻に覚醒した【魔王の心臓】より発せられたもの。
それは、意図したタイミングでは無い。
友人、クラリスを守るために敵へと歯向かい。
殺され、奇跡的に蘇生した一般少女の意地の結果。
その覚醒が――偶然にもこの時、クラリスを救った。
魔力に驚き、後方を振り返った。
直後に見えたのは、自らの命を捉えた紅き凶刃。
ありえない場所から――クラリス自身の影から生えた、ジョンダルセの放つ致命の一撃。
この瞬間、振り返っていなければ。
おそらく気付くともできなかった、その奇襲。
「……なっ!?」
「あれぇ、躱されちゃったぁ」
心臓へと一直線に放たれた凶刃。
咄嗟に身を捩り――肩へと直撃を逸らす。
鋭い痛みに顔が歪む。
穿たれた右肩には、風穴が空く。
躱せた訳ではない。
かろうじて、即死を避けただけ。
傷は深い、重傷だ。出血量は極めて多い。
このままでは小柄なクラリスは直ぐに死に至る。
けれど。
距離を取ると同時に、光が瞬く。
傷の治療は――シュメル・ハートの専売ではない。
神聖魔法は瞬く間に重傷を癒す。
「なるほどなぁ。即死じゃなきゃ回復するかぁ」
ジョンの肉体が、影より浮かび上がる。
当たり前のように、無傷。
その姿に顔をしかめるクラリスに、男は首を傾げた。
「でも、失った血までは、戻せないよな?」
それこそが、反転魔法とそれ以外の差異。
反転はありとあらゆる事象の拒絶。
現実そのものを『なかったもの』へと裏返す。
しかし、俗に呼ばれる回復魔法に『ソレ』ほどの無法は許されない。現実は変わらない。いくら傷を塞ごうとも――既に失った血液までは取り戻せない。
『彼』が行った「あえて直さない」のとは、話が違う。
治そうにも直せないのだから、その点は神聖魔法の明確な弱点ともなり得る。
「くっ、何故……ッ」
「生きてるのかって? 吸血鬼を舐めちゃァいかんぜよ」
ふざけた口調で、ジョンは肩をすくめる。
「つっても? 俺たちゃ数が少ないからなぁ。伊達に希少種だなんて呼ばれてねぇし? そりゃ、おたくが俺たちの能力に疎いのは仕方ねぇけどよ」
上空の鉄の糸玉より――黒い霧が滲む。
それらは一直線にジョンの元へと向かい、そのまま体に吸収される。
そう、霧だ。
蝙蝠ではない、ただの自然現象――無生物。
「変身できるのは生物にだけじゃァ、ねぇんだな」
クラリスは思考し、ある仮定をする。
おそらくは、だ。
この男は先の変身時、己の肉体を二つに分けたのだ。
ひとつは、蝙蝠へ。
ひとつは、霧へ。
蝙蝠へと化けた半身は上空へと飛び、視線を誘導させる。その隙に霧となったもう半身はクラリスの後方へと周り、影に潜んで形を成した。
その後は簡単だ。
蝙蝠の群れは殺されたように見せつつ、その実は霧に姿を変えて攻撃を回避。残る半身はクラリスが勝利を確信した瞬間の隙を見計らい、攻撃を行う。
辻褄は合う。
そう、クラリスは思考する。
けれどその思考には、致命的な問題点が残されていた。
「……」
「おや、その顔。分かっちゃったみたいだなぁ」
上空に浮かぶ無数の剣。
その内数本が、ジョンの死角より飛来する。
反応は、無い。
音なく襲来した竜剣により、彼の体は串刺しになる。
――けれど。
「そ。物理攻撃は効かないんだなぁ、これが」
その光景に、クラリスは歯を食いしばる。
竜剣に貫かれた場所は、霧へと変わっている。
故に攻撃は通じていない。
その身にダメージは入っていない。
体を霧に変え、ありとあらゆる攻撃を無効化している。
「反則って思うかい? 魔法すら使っちゃいねぇのに、純粋な種族特性でコレだからなぁ」
彼の言う通り。
まだ、ジョンダルセは魔法すら使っていない。
種族特性。
その種に生まれつき備わった能力。それひとつで、クラリスは竜剣による攻め手を失っていた。
「となると、頼みの綱は神聖魔法ってなわけだが……さぁて、お姫様? 竜剣が通じない俺に、魔法ひとつでどれだけ対抗できるかな?」
純粋な身体能力では、まず勝てない。
物理攻撃はその全てが無効化される。
そこまで考え、クラリスは深く息を吐く。
全てが無効。
物理攻撃は通じない。
「……本当に?」
抱いたのは、小さな疑問。
ジョンには聞こえぬ程度の、微かな意固地。
仮に、だ。
認識もできず。
理解もできず。
反応も叶わない。
知っていたとしても、対応できぬ一撃を用意出来れば。
あるいは――通じるのではないか。
少女の視線の先には、吸血鬼。
さらにその奥では、水の巨人が姿を見せる。
あれは一体誰の魔法なのか?
そんな疑問は抱かない。
あんなふざけた魔力量を持っているのは、一人しかいない。
「……そうですか。あなたも、戦っているのですね」
遠くで戦う友を思い。
闘技場で足止めに残った次期公爵を思い。
今なお戦っているかもしれない推しを想い。
クラリスは、深呼吸する。
「……嫌な目だな。活路でも見出したかい?」
目を開く。
ジョンダルセは、嫌な予感に顔を歪めた。
その反応を前にして。
少女は一歩、先へと進む。
「なに、ぶっつけ本番の挑戦ですよ」
その顔に、初めて笑みが浮かぶ。
胸に抱くは机上の空論。
けれど、理論上は可能な――神速の一撃。
己の積み上げてきたものを、一つずつ確かめるように。
少女は飛躍する。
今の強者は、更なる高みへと手を伸ばす。
「ここで成長できないようでは、シュメル様の隣には立てませんから」
光が、集う。
クラリス・クローズは、死地にて輝く。
高速では足りない。
音速でもまだ怪しい。
ならば、目指す頂きは『光』の瞬き。
人類では認識不可能な、その域へ。
今、一人の少女は手を伸ばす。
次回『クラリス・クローズ②』




