068『忘却の獣』
フィアンドールの死より、数分前。
血濡れた橋の上で剣戟の音が響く。
鋭く軽やかに。
冷たく残酷に。
一瞬の隙すら見逃さぬよう。
目を見開いて相対するは、正反対の人物二人。
弾かれるように、両者距離を取る。
片や、眩い金髪を風に揺らす剣の聖女。
片や、裏社会を悪意で揺らす忘却の獣。
善性と悪性。
子供と大人。
少女と男。
何一つとして共通点を持たぬ二人は。
されど、心の中で同じ感情を抱いていた。
(この男……ッ)
(あらら、このお姫様……)
少女、クラリスの無表情が。
男、オーディの微笑みが。
ほんの僅かに、苦々しく歪む。
((つくづく、やりづらい))
シュメルに一度は敗れたオーディ。
彼の手には、前回は見られなかった剣が握られている。
当然のように、毒の滴る嫌な武器。
それも、裏社会で手に入る物の中では1級品だ。
一撃でも受け損なえば、切れ味、毒、その両方の面で痛手を食らうことになるだろう。
対するクラリス。
当然のように、彼女の武装はオーディのモノを上回る。
竜剣レオニス。
伝説の鍛冶師が打ち上げた最高傑作のひとつ。
国宝として名を馳せる、歴史ある魔導器。
まともに喰らえば即死なのは、オーディだって同じこと。
故に、膠着状態になるのは道理。
両者、同様に警戒し。
両者、同等の武器を構えて。
両者、共に――魔法を伏せているのだから。
シュメルの毒を完封したオーディの【忘却】魔法。
彼自身が語るソレは、対象人物の記憶を一時的に忘却させる魔法だ。
対象と効果範囲は極めて狭い。
単体に、忘れらせられる記憶は一つだけ。
あまりに窮屈で、扱いづらく。
故に、強力無比。
言葉の意味すら読み解けなくなる完全なる忘却は、時に、戦闘中においては致命的な隙を産む。
その魔法を、オーディは敢えて使っていない。
全ては、一番嫌なタイミングで使うために。
(狙いは一つだ。【攻撃の避け方】を、最も効果的で、最も防御不能な、最もされたら嫌なタイミングで忘れさせる。それに限るよ)
なにせ、忘却の魔法には『慣れ』がある。
対処法はなくとも、幾度と繰り返されれば、確実な耐性ができる。
『何を忘れたのかも覚えてないが、まぁ、どうせ思い出せないのだから気にするだけ無駄でしょ』と。
それこそは、シュメルが初手で叩き出した『諦め』。
つまるところ、『忘却』の魔法の最大の弱点。
気にしないこと。
忘却した以外のことで最善を尽くすこと。
それが出来てしまえば。
そう諦められるだけの覚悟ができてしまえば。
その時点で、忘却の魔法使いとして負けている。
故に、魔法を使う頻度は最低限に。
シュメルと戦った時とは異なり、出し惜しみ。
その上で、万難を排して機会を待ち続ける。
だが、そんな我慢のただ中で。
剣戟を重ね。
殺意を剥き出しにし。
殺し合った幾ばくかの攻防を経て。
多くを殺した悪のカリスマとして。
裏社会を牛耳る獣の本能が、嫌な予感を告げていた。
「なぁんか君さぁ、シュメルより強くない?」
確信は無い。
だが、予感があった。
背が冷たくなるような、嫌な予感。
しかしソレを、少女は真正面から拒絶する。
「そういうセリフは、せめてシュメル様の『本気』を引き出してから言うべきでしょう。……あぁ、貴方にソレを引き出せと言うのは酷ですか。実力的に」
「うっわぁ、そういうこと言っちゃうんだァ。おじたん、ちょっと傷ついちゃったなぁ〜」
そう言いつつも、警戒は緩めない。
確かに近接戦闘においてはシュメルに軍配が上がるだろう。相対していて、クラリスに彼ほどの圧は感じない。
だが、それも当然だとオーディは考える。
だって、クラリスは純正の後衛魔法使いだ。
(神聖魔法と聞けば、聖女様の持つ癒しの魔法……なぁんて固定観念があるよねぇ。でも、神聖魔法は回復も出来るってだけの、正真正銘、攻撃魔法だ)
風の噂に聞く限り、クラリスの魔法使いとしての技量は既に大人顔負けの域にまで達している。
回復、防御、攻撃。
その全ての使い方において、初代聖女のお墨付きを貰っている、なんて話も耳にした。
にも関わらず、彼女はそれを使用しない。
使う素振りすらも見せやしない。
どころか、魔法使いとしては『オマケ』程度にしか学んでいない剣術ばかりで戦闘に臨み……あまつさえ、ソレでオーディと渡り合っている。
可能性は二つに一つ。
彼女に魔法を教えた師匠が、剣術ばかりを教えるような変わり者だったか。
あるいは――オーディ程度『オマケの剣術』で圧倒できるほどに実力の格差があるのか。
そう、嫌な思考が脳内を走る。
おそらく、狙い通りに「考えさせられている」。
このお姫様は、よりにもよって。
忘却の魔法使いに思考の駆け引きを強要しているのだ。
ゆえに、やりづらい。
頭を使う戦いは慣れていても。
頭を使わされる戦いなんて、幾年ぶりかと顔を歪める。
「……クソ生意気だねぇ、お姫様?」
「貴方の土俵でしょう? 負けたら言い訳できませんね」
しかし、やりづらいと感じているのはクラリスも同じこと。
彼女にとっても、忘却の強要は致命的なもの。
余裕なんてモノは一つもない。
両者の頬を、汗が伝う。
隠した切り札。
お互いの魔法。
忘却と、神聖魔法。
知識はあるが未体験。
つまりは即死に繋がる道標。
そんな奇跡を、あえて開示せず。
いかに相手を「望む状況」へと叩き落として。
その上で、回避不能な切り札を叩き込むか。
それこそが、この頭脳戦の全て。
「……なるほどねぇ」
さほど難解なモノではない。
おそらく、勝敗は一瞬で着く。
魔法の発動は、即ち相手を確実に殺せるという自信の表れ。オーディやクラリスほどの『腕』があって、そのタイミングを見誤るということはない。
ならば、先に魔法を発動した方が勝つ。
そう、オーディは内心で確信する。
同様の確信を、クラリスもまた抱いていた。
(問題は、そのタイミングをどうやって呼び込むか。それも、いつ飛んでくるか分からない、相手の神聖魔法を警戒しながらだ)
そういう思考が、膠着を生む。
下手に動けば、それだけ相手に隙を見せる。
一手間違えただけで、最悪のタイミングを呼び込む。
動くべきは、詰みまですべてを読み切ってからだ。
そうでないと、命を懸けるにはあまりに脆い。
故の戦闘停止、時間の浪費に――聖女は小さくため息を漏らした。
「では、私から」
その一歩に、迷いは無い。
その行動は、思考停止によるものではない。
考え足らずなどではない。
全てを知って、理解して。
その上で恐れを噛み殺し、少女は歩む。
――だからどうした、と。
竜剣が煌めく。
毒の滴る剣と、今再びの交差。
空気を切り裂くような金属音が橋を揺らした。
「……恐怖心とか、無いわけぇ?」
思わずと問うオーディに対し。
剣の聖女は目を見開いて、狂気を見せる。
「推しの下へと行けぬこと。それに勝る恐怖などありません」
忘却への恐れは、当然持ち合わせている。
だが、比較対象が悪すぎた。
シュメルはクラリスへと助けを求めた。
それに応えた。
けれど、その手は届かなかった。
だから駆けた。必死でその背を追った。
――その道中、足を止めたことに後悔はない。
民を傷つけたものを、王の血族として許しはしない。
だが、それ以上に。
この程度の小悪党に足止めをくらい。
万が一にも、推しの危機へと駆け参じるのが遅れたならば。あまつさえ、万々が一にも、間に合わなかったとしたならば――。
そう考えた、それだけで。
己自身への怒りと、その未来への強い恐怖が。
この一時、忘却魔法への恐怖を塗り潰す。
「……ハハッ! 実にイカれてるねぇ、好きになりそうだよぉ」
「それはどうも。彼岸に渡って出直してきてください」
直訳、黙って死ね、と。
クラリスの攻勢が一気に高まる。
剣術は専門外――とはいえ、シュメルに次ぐ魔力量と、度重なる訓練により身に着けた絶対的な魔力操作能力。そこから弾き出された魔力による身体強化は、規格外の強化幅を実現する。
クラリスの剣が、加速する。
まるで風に乗るように。
音に指の先をかけるように。
軽々しくも、乱暴に。
剣術と呼ぶにはあまりに荒々しくも。
正確無比に、人体の急所を狙い裂く。
毒の剣が、その一閃を受け止める。
――あまりに、軽い衝撃。
驚くより先に、フェイントと悟る。
振り切ることなく、ただ当てただけの一撃。
それは通常ではあり得ぬほどの速度で、二撃目へと移行する。
まったく別の軌道を通す、首筋への一閃。
速度は変わらず、威力は増して。
放たれた一撃は、されど、すんでのところで回避される。
オーディは大きく上体を後ろに反らし、勢いそのまま後方へと下がる。
彼へと向けられる威圧感は、一気に膨れ上がっていた。
後衛の魔法使いからは本来であれば感じることのない、戦士としての風格。
その様――まごうことなき一流の強者。
思わずと笑みに苦みを走らせたオーディは、されど、すぐに加速した戦闘に順応する。
「ちょっくら、おじたんを舐めすぎじゃないかなぁ?」
才覚において、オーディはクラリスに遠く及ばない。
だが、生きてきた年数が違う。
死闘を繰り広げた場数が違う。
積み重ねてきた経験が違う。
多くの英雄を近接戦闘において仕留めてきた獣にとって――未だその戦闘はぬるい部類だ。
シュメルをして――戦士としての自分よりはるかに強い、と。
そう言わしめて、迷う余地なく技を使った。
その実力は、油断、慢心を削り捨てた今、一層に昏く輝く。
「……っ!?」
抜剣。
静から動へ。
フィアンドールの用いた抜刀術に似た、弾けるようなわずか一太刀。
――反英雄【英雄殺し】が振るった、本気の一撃。
魔法以外に出し惜しみをする必要は無い。
そう言わんばかりの一閃に、ほんの数舜、クラリスの対処が遅れる。
オーディの持つ毒の剣。
その切っ先が、少女の頬を浅く切り裂いた。
紫色の瘴気が肌を侵す。
走った激痛に、すぐさま魔法の行使に至る。
暖かい光が傷を包み、すぐさま毒と傷を治療する。
神聖魔法の回復能力。
彼女のソレは、シュメルの反転に迫る性能を持つ。
傷も、毒も、少女の体には残らない。
そんな光景を、傍から眺めて。
獣は、とても嬉しそうに頬を緩めた。
「へぇ~、それが神聖魔法かぁ」
攻撃能力を見せたわけではない。
だが、魔法そのものは見せてしまった。
神聖魔法は、獣にとっての『初見』ではなくなってしまった。
獣は反芻する。
神聖魔法発動直前の、魔力の動きを。
傷を癒す間際の、少女の動きの癖を。
頭の中で何度も何度も繰り返し。
いつか来るであろう『攻撃魔法』の予備動作をイメージする。
「なぁんかおじたん、余裕出てきたかも」
笑みが、深まる。
オーディの脳内に、勝利への道筋が浮かび上がる。
視線の先で深く息を吐く少女を前に。
彼の意識は、自らの左手薬指へと向かう。
(作戦は単純。狙いは単調。でも、気づけないよねぇ、普通は)
結婚指輪に偽装された――小さな魔導器。
その名は【忘却の指輪】。
それは年代物ではあれど、伝説の品とは程遠い。
ただオーディの先祖が代々受け継いできた、小さな家宝。
その指輪に眠る能力は、ただ一つ。
対象の記憶を一時的に封印する能力だ。
そう、それこそがオーディの『騙る』魔法の正体。
(思わないよねぇ。忘却とは別に、本当の魔法があるなんてさぁ?)
オーディの魔法は、誰も知らない。
正確には――知る人間は一人として生き残ってない。
全員殺した。
今回も同じだ。
たとえ王女とて、殺すだけのこと。
悪意の手が伸びる。
見えない殺意が、クラリスの首を絞めていく。
――決着は、此れよりわずか一分後。
二人が予期した、その通りに。
魔法を発動した、その瞬間に鮮血が舞う。
ほんの一瞬の攻防の後に、結果は残酷に横たわる。
敗者は一人。
勝者はただ当然のごとく、敗者を見下ろした。




