063『覚醒と覚悟』
「暇だ……あまりにも暇すぎる」
まるで喉の乾きを訴えるように、女は独白する。
ライブラを学者とするならば。
その女は、まるで研究者だ。
白衣の代わりに黒衣を纏い、青い長髪が風に揺れる。
紫色の瞳には、感情は映らない。
水晶玉のような瞳の奥には、常人には見通せない濁った何かがあるばかり。
女の周囲には――血の匂いが充満していた。
「う、ぐ……ぅ」
「い、痛ぇ、痛ぇよぉ……」
逃げ出したはずの生徒や教師たち。
グレイスらが無事に見送ったはずの、守るべき人達。
女は彼らの前に立ち塞がり、当たり前のような顔をして暴行し妨害した。
多くの生徒、教師が倒れて動かない。
気絶か、死か。
いずれにせよ終わりに向かう彼らの下には。
じんわりと、刻一刻と血の沼が広がってゆく。
そこには明確な死が転がっていた。
「ふ、ふへ……」
その光景を前に、ルナは逃げられずにいた。
逃げれば殺される。
背を向ければ殺される。
勝てない、どう足掻いても。
認識された時点で「私」はお終いだ――と。
直感する。
老若男女。
強者、弱者。
おしなべて『格下』諸君は理解させられる。
この女は――襲撃者と同類だ、と。
「気になってた子はフィアに盗られたし、ヴィンテージの鬼人はライブラ君が押さえちゃった。なら剣の聖女でもと思ったけれど……依頼主に加え、ジョンまでそっちに向かってる。2対1じゃあの聖女も確実に死ぬ」
その言葉に……ピクリと、ルナの肩が跳ねる。
限界まで目を見開き、女の言葉を反芻する。
(く、クラリス殿下が、一番あぶない……?)
それは、漠然と考えていたイメージとは真逆の真実。
一番危険なのはシュメルで。
次に危険なのは、ライブラと戦うリオ。
いちばん安全なのは、シュメルの元に向かったクラリス。
そう、考えていた。
その思考が、根底から覆される。
その瞬間。
どくん、と。
ルナの心臓が強く脈打つ。
「ライブラ君のことだし、氷魔の王だけは確実に行動不能まで追い込むよね。なら、遊べるとしたらそれ以外。氷魔の王を倒すために見限った生徒や教師たちだ」
女は周囲を見渡す。
品定めだ。
目の前に並べられた見飽きたB級映画を眺めるように。
されど、その中に紛れたまだ見ぬA級映画を模索するように。
人ではなく、物を見る目で――品を見定める。
当然その目は、人に向けるようなものではない。
濁った瞳に映された判断基準は一つだけ。
価値のある品か、否か。
体の芯まで見透かされるような視線。
それは腹から手をねじ込まれ、内蔵を押しのけ、心臓を鷲掴みにされたような。
そんな、えも言えぬ気持ちの悪さを帯びている。
だが、そんな気配はすぐに途絶えて。
はぁ、と。
ため息ひとつと共に霧散する。
「……総じて価値ナシ。分かっちゃいたが、来た意味はなさそうだ」
元より女が感じていたのは、和紙より薄っぺらい、儚い期待。
氷魔の王を優先し。
彼女が守り、ライブラが見逃し。
逃げた先には、もしかしたら、磨けば光る原石が転がっているかも――!
……なぁんて、そんな万が一の奇跡に彼女は期待した。
だが、そんな都合のいい現実はなく。
ひたすらに、現実というのは残酷だった。
「そこに転がってるの。そう、そいつら。ここにいる中じゃ、彼らが一番強いと思った。そう、それで一番なんだよ」
気絶し地面に転がっている者の中には、『剣閣』のメンバー三人の姿もあった。
トモガラ。
トモリ。
ルシアーナ。
リオやシュメルと戦った彼ら。
……総じて七秒。
彼らですら、その間で三人まとめて気絶させられている。
魔法を一切使わず、体術ひとつで。
トモガラの音魔法を回避し。
トモリの自動迎撃すらくぐり抜け。
魔法の発動しないルシアーナを秒で沈めた。
無傷での圧倒。
尋常な実力ではない。
そう、素人目にも理解できた。
素人代表のルナも、当然ながら理解していた。
この人間に逆らえば、自分は簡単に殺されるって。
――けれど。
どくん、と再び心臓が強く脈打つ。
おそらくソレは、緊張と恐怖によるもの。
そう、彼女自身実感していた。
生まれて初めて一般人の前に差し出された『死』の気配に、自身の足は産まれたての子鹿のように震え始める。喉は乾いて、声が掠れそう。今すぐにでもぶっ倒れて諦めてしまいたい。
重圧の中で、多くの負の感情が彼女を占める。
だが、それでも。
三度、心臓が脈打つ。
強い脈動。
ルナがその要因に「おそらく」と前置きしたのは理由がある。
それだけじゃないかもしれない、って。
緊張も恐怖も押しのけた先に。
心の根のさらに底の方に、それ以外の激情がある気がした。
「だから、命拾いしたね、君たち。私は剣の聖女の最期でも看取ってくるよ。三対一にはなるけれど、ついでに遊べれば万々歳ってやつだね」
踵を返そうとする女と、一瞬だけ、ルナは目が合ったような気がしたけれど。
すぐに女は興味を無くした様子で視線を逸らし。
その反応に、ルナはほっと安堵すると同時に。
……少しだけ、もやっとした感情を抱いた。
その濁りを、自覚する。
己の激情を、理解する。
その時には、もういろいろと手遅れで。
「……ふ、ふふ、ふふふふはははは! はーっはっはっはぁ!!」
これ見よがしに威厳を乗せた、小物の咆哮。ただの笑い声。
それがルナ自身の口から飛び出しているのだと、彼女は遅れて気が付いた。
けれど、気づいたところで意味はない。
理性はとっくの昔に置き去りに。
本能は、恐怖も緊張も無視して突っ走る。
「そ、そんな奴らが一番強いだなんて、目ぇ腐ってんじゃねぇですか? ま、クラリス殿下が殺されるだなんて、そんなこと言えてる時点で節穴もいいところですけどぉ!」
「……なんだい、君は」
唐突に笑い始めた少女に、研究者は振り返る。
その目に映るのは、赤毛の少女。
どこにでもいる一般人の姿だった。
――弱い。
研究者は即座に判断する。
一目で見抜ける、純然たる弱さ。
その身に魔力が通っていない。
基礎の基礎たる身体強化すらできていない。
保有魔力は……直感的に、多い、とは感じるものの。
関係ない、ただの弱者だと研究者の直感が告げる。
だが、ルナの浮かべる自信満々な笑顔が。
百戦錬磨の直感を、ほんのわずかに鈍らせた。
「……もしかして君は、強いのかな?」
「っは! と、同然でしょう! なにせ、私こそが現環境の学園トップ!」
嘘ではない、が、デタラメではあった。
彼女のパーティ『大魔導士ルナと愉快な仲間たち』。
この一行が、現時点では序列一位を獲得したのは間違いない。
そのリーダーが、チーム名を見る限りルナに見えるのも違いない。
だが――君は強いのか、という質問の答えとしては、大外れな回答だった。
それを、研究者は知らない。
だが、心の底からそう思っているようなルナの笑顔に。
真実であると、研究者の目が鋭く細められる。
殺気。
鋭い気配に、ルナの背が震える。
けれど、足はもう震えちゃいない。
引く気なんて、これっぽっちもなかった。
――だってこいつは、友達を殺すって言ったんだ。
させるもんか。
弱くたって、なんだって。
ちょっとくらいは時間が稼げる。
そしたらきっと、シュメルさんが何とかしてくれる。
私の代わりに、友達を助けてくれるはず――と。
覚悟を決めて。
命を懸けて。
一般人――少女ルナは、研究者の前に立つ。
「お前はここで、この大魔導士ルナが倒す!!」
最弱と最狂。
本来ならば出会うはずのなかった二人の、運命が交差する。
☆☆☆
ライブラは直感する。
(こいつは危険だ――ッ)
先の弱者。
この場における最大の不釣り合い。
何もできず、何にもなれず。
ただいるだけの足手まとい。
その認識が、その瞬間に百八十度裏返った。
大地を駆ける。
根拠なく、理由もなく。
気絶などと甘える素振りも許されず。
ただ、殺すためにライブラは駆ける。
その速度は、先とは比べて精細さに欠ける。
裏天秤の彼に許されたのは、本来の彼の性能まで。
今までのような凶悪な身体能力は発揮できない。
だが、仮にも傭兵。
戦いに生きるつわもの。
そこらの兵士よりも、ずっと鋭く、より速く。
一直線にリオの元へと突っ走る。
――その歩みを。
青い双眸は、喜色の中見据えていた。
「……っ!?」
その眼に捉われ。
ライブラに、かつてない緊張が走る。
恐怖でもなく、緊張でもなく。
ただ、その眼に映るは万能感。
今なら何でもできるのだ、と。
根拠なく、されど自身たっぷりに。
迷いなく、少年は右手を振るった。
「【弾】」
音はない。
予備動作もなく。
姿も見えず。
ただ、理解と同時に痛みが走る。
「な……ッ!?」
右肩が撃ち抜かれている。
風穴があく。
鮮血が散る。
痛みの中で、走った思考は二つ。
見えなかった。
そして――この男は【裏天秤】に乗せてはいけない。
リオ・カーティス。
誰もが行動不能となる裏天秤において。
幾千の針の穴を通すような奇跡の果てに――生まれ落ちたイレギュラー。
ライブラがグレイスら強者の天敵でったように。
彼もまた――ライブラにとっての大の天敵。
……否、魔法使いすべてに対する、天敵と呼べるだろう。
「今までは、最低でも数発が必要だった」
少年は語る。
その余裕を傍目に、ライブラはすぐ動き始める。
裏天秤の解除。
表天秤の再設定。
そうでもしないと――今のこの少年には勝ち目が見えない。
百戦錬磨の経験が導き出した、最善手。
おおよそ最短、最速で叩き出した対応に、それでも遅いと神の目は告ぐ。
「だが、今の私に不自由はない」
動き出した魔力。
発動しかけた魔法。
それが――ぴたりと、凍てつくように動きを止める。
「ま、魔法が、発動できな――っ」
ぶるりと、ライブラに悪寒が走る。
魔力の硬直。魔法の封印。
それこそは、神の視覚の専売特許。
自身の魔法に関わらず――自らの魔力が当たれば即発動。
条件は極めて緩く、効果は極めて重い。
与えられた四分の一の魔力。
そのほぼすべてを、わずか一撃に乗せ。
今までは数度の攻撃で相手の魔法を封じていたところ。
――わずか一撃で、天秤の魔法を封じるに至る。
「こういった贅沢も、許されたのだな」
魔法が、効力を失う。
裏天秤の、魔法が解ける。
リオの万能感は霧散する。
それは、わずか一時。
垣間見ただけの、一つ上の世界。
夢にまで見た妄想を、叶った奇跡を――あえて捨てるという贅沢。
けれど構わない。
もう十分だ。
そう、少年は一人笑って奇跡を見送る。
一度、その光景を見た。
一度、その高みを知った。
なら大丈夫。蒼き目は、目指すべき場所を理解した。
答えを知った。ならば今。
この場に立つ前の自分とは、その時点で別次元。
わずか四分の一が消え去って。
そのわずか千分の一の魔力に戻り。
それでもなお――リオの魔法の精彩は欠かれない。
「【糸】」
神の目特有の、半永久的な魔力循環。
それをあえて破るという愚行の果てに――わずか一時の魔法強度を底上げる。
本来ならあり得ぬ「魔力を消耗」して放つ、ただの魔力糸。
それは、魔法も身体強化も失われたライブラを縛り上げるには、十分なもの。
「ぐ……っ」
両手両足、雁字搦めに。
瞬く間の神業。
魔力硬直――身体強化すら奪われたライブラに逃げる術無し。
「詰みだな学者。私の勝ちだ」
「……参りましたね。ほんとに詰んでるじゃないですか、私」
魔力が動かせない。
魔法が使えない。
なけなしの身体強化すら無効化された。
生粋の魔法使いとして――すでに、ライブラに残された手は存在しない。
ぴたり、と。
ライブラの背後より、白銀の剣が首筋へと当てられる。
首を振り背後を見れば、満身創痍のアイサ・クローズから鋭い眼光が向けられている。
それは、最後のダメ押しだ。
氷魔の王こそ無力化できても……これでは勝てない。
詰みだと、ライブラは大きく息を吐いた。
「……参りました。私の負けです」
☆☆☆
一つの戦場に、静寂が訪れる。
されど、ライブラの切り裂かれたローブは風に揺れ。
その内側より、鍛え上げられた肉体が姿を見せる。
――【4】と。
体に記された数字。
表された序列。
その意味を知る唯一の教師は目を潰されて。
文字を見たリオも、意味を図るには至らない。
どころか、想像すらもつかないだろう。
このライブラですら、四律の天秤の中では最弱である――などと。
リーダーが最強であるとは限らない。
まとめ役が実力者だとは限らない。
むしろ最強は、自由気ままに、好き勝手に。
傭兵団をまとめ上げるだなんて興味なく。
ただひたすら――強者を求めて彷徨うばかり。
「……なぁんだ。君、弱いんじゃん」
研究者は、落胆を声に滲ませる。
ぽたり、ぽたりと。
滴る鮮血は誰のものか。
彼女の首筋に刻まれた数字は――【1】
まごうことなき、最強の証。
彼女の手刀は――寸分たがわず、少女の心臓を貫いている。
赤毛の少女は動かない。
もう、彼女の心臓は動かない。
四度目の脈動は訪れず。
だらんと力なく下がった腕は、死者のもの。
「ごめんね、弱すぎて殺しちゃった」
人知れず。
少女ルナは――絶命した。
命は潰えて。
鼓動は消えて。
意識も失せて。
――やがて、四度目の脈動が訪れる。
次回【魔王の心臓】
誰もが認めた、最高の才能。
誰より優れた、至高の魔力。
その根源が――今、目覚めようとしていた。




