061『VSライブラ』
なんだか「天秤」の魔法がすっごく難解なようでしたので。
前回のあとがきに、魔法の詳細を追記しております。
「難しいなぁ、何言ってんだこいつ」とお思いの方は、ご一読願います。
生徒たちが避難を始める。
教師一同の指示の元、速やかに、確実に。
刻一刻と逃げていく。
その光景を見渡して、男は静かに息を吐いた。
――天秤の魔法。
それは、選択した対象同士を同一の性質へと均す魔法。
本来の天秤で測る「重み」をはじめ。
物質の硬度、刃の鋭さ、布の柔軟性……その他諸々。
性質の異なるモノ同士を強制的に天秤上に乗せ、それを「同一」だと定める。
――ライブラはそれを、人間に適用する技術を磨き続けた。
その果てに得たのが、異次元の強化能力。
彼の使う天秤は、一定範囲内における他すべての性能を自分と同一へと均す。
魔法を『自分以外』を起点と定めることで、周囲の人間全員分の身体能力、身体強度、および魔力量を強制的に自分へと適用。周囲の全ての性能を合算した能力値と自分を同一と定める。
故に、一対多において彼の能力は無双を誇る。
相手が多ければ多いほど。
相手が強ければ強いほど。
相手が速ければ速いほど。
相手が硬ければ硬いほど。
相手が視れば視えるほど。
そして、相手の魔力が多ければ多いほど。
文字通りに――際限なしに、彼の性能は強化されていく。
事実、先ほどグレイス学園長を殴り飛ばした際は、その範囲内に「シュメル・ハート」と「襤褸の少女」の二名が加算されていた。ゆえに、最強格たるグレイスをして目にも見えない速度・威力を実現できていた。
だが、そんな二名はすでに魔法の範囲内には存在しない。
同時に、クラリス・クローズもまた範囲内からは外れている。
ルナという異質がいる以上、ライブラに反映される魔力量は変わらない。
が、身体能力という面で、彼は既に大幅な弱体化を受けている。
シュメル。
襤褸の少女。
クラリス。
三名分の身体能力を大幅に減衰された、天秤の長。
「――まずは、一人目」
なお、その強さは欠片も揺るがず。
グレイスが「瞬間移動」と称した速度で。
神速の拳が、学園長グレイスへと襲い掛かる。
「ぐぬぅ……っ!?」
先ほどから威力、速度ともに減衰している。
だが、それでも「目にも見えない」から「反応できない」へと落ちただけ。
グレイスを筆頭にこの場にいる全員分の身体能力を合算したライブラ。強者三名分、されどたった三名分の身体能力を差し引かれたとて――強さは微塵も揺らぐことがない。
迫りくるは、ただの拳。
この場にいる全員分の全力が強制的に乗せられた、ただの拳。
そこに、ライブラ自身の技量を込めた、致命の一撃。
反応はできた。
だが、対処は間に合わず。
防御へとまわした両腕。
その隙間を搔い潜るように、一閃が彼女の顔面へと突き刺さる。
鮮血と共に、グレイス学園長の上体が反る。
その光景に、アイサ・クローズは再び目を見開く。
「学園長!」
硬直はない。
驚きによる思考停止などもっての外。
戦士として戦場に立つアイサに、今さら隙と呼べるようなものは生まれない。
だがその驚きは、死地には不適。
「よそ見ですか? 余裕ですね王女様」
ここは戦場ではない、ただの死地だ。
シュメルが死ぬまで待機する――という選択肢を放棄した。
逃げずにこの場に残ることを選択した。
その時点で、死神の鎌は首筋に添えられている。
隙にはならない驚き一つで、いとも簡単に命は散る。
「……ッ!?」
「では、二人目」
拳が閃く。
学園長すら反応できず、防御も叶わずの、致命の一撃。
強者、されど少女なアイサに対処は不可能。
――死。
脳裏に浮かんだ明確なソレに。
ただ一人、弱者が伸ばした手が届く。
「宣言するのはやめた方がいい。外した時が恥ずかしいですから」
漆黒が、瞬く。
風に揺れるほど軽やかに。
されど、空気を震わすほど重厚に。
シルバーの持つ魔導器――【常闇のローブ】が起動する。
彼自身は一切動くことはなく。
ただ、彼のローブが自動的に蠢き、大きさ、形を変えて。
拳を遮るように、ライブラとアイサの間に割り込んだ。
それは現時点のライブラに匹敵するような超速度。
そのくせただの、布一枚。
あり得ない光景、その矛盾に初めてライブラが驚きを見せる。
されど、拳は止まることなく。
風に揺れるような黒い布一枚を、真正面からとらえ――。
――拳に返ったのは、鋼を打ったような硬質な衝撃だった。
「な……ッ!?」
布から感じるような感触ではない。
柔らかく、しなやかで……今のライブラですら鋼のように硬く感じる。
これだけ身体能力を強化されたうえで、破壊不能。
すぐさま理解する。
このローブは、最初から破壊できる設計ではないのだと。
「……剣鬼! アトラス殺しの作品ですか!」
「さぁ、ご想像に任せます」
伝説の鍛冶師が誇る、一番弟子。
剣の鬼、アトラス殺しが打った【不壊】の一振り。
城崩しと同様の、絶対に壊れることのない作品。
その確信に、シルバーは笑みを浮かべて答えない。
ただ、目に映る強き若造に目を細めるのみ。
「それに、まだ最初の一人すら終わってないですよ」
風切り音を、ライブラの耳は微かにとらえる。
ほぼ反射だった。
直感的に頭を下げる。
と同時に、グレイス学園長の回し蹴りが空を切る。
「ちっ! ネタバラシが早いんじゃ馬鹿者が!」
全力で放った拳だった。
それが直撃した。
にもかかわらず――グレイス学園長は平然と戦線に復帰した。
……いや、平然と、というのは無理があったか。
鼻血を吹き出し、顔面血まみれ。
けれど爛々と輝く瞳には、闘志の炎が揺れている。
「昔はお主より強いやつらの方が多かったんじゃ! 悪いが慣れとるよ!」
「はっ! どんな魔境ですか!」
連続で放たれるグレイスの拳。
その拳に込められたのは、数千年に及ぶ努力の歴史。
いわば、純然たる技量。
肉体性能のみをコピーするライブラには、到底実現不能なグレイスならではの強み。
無数の拳。
そのうちひとつが、ライブラの頬を掠る。
その際に感じたのは、強烈な回転だ。
氷魔の王、グレイス。
一流の魔法使いにして、超一流の戦士。
彼女は拳を放った瞬間、背、肩、腕、手首、それらを総動員して異次元の捻り、いわば回転を生み出している。
その先に待つのは――絶大な殺傷能力。
この場全員分の防御力を合算したライブラ。
彼の頬が、拳一つで抉り切り裂かれる。
「……ッ」
ライブラは確信する。
技量。
その一点に限れば自分は彼女に遠く劣る、と。
だが、そんなことは百も承知と、男は笑う。
「ならば――」
どれだけ防御力を積もうとも、グレイスはそれを貫いてくる。そうと分かれば対処は簡単。
攻撃を受けずに倒す。
絶大な身体能力、そして付随して強化された『動体視力』をもってすれば、難しくはあれど不可能では無い。
そう考え、ライブラは動く。
――その刹那。
するり、と。
黒いローブを切り裂くように、白銀の刃が煌めく。
常闇のローブが最強の盾だとするならば。
祖の刃は――間違いなくこの場で最強の鉾。
当然ながら、ライブラの防御程度は貫き得る。
「ハァッ!!」
ローブの向こう側から、アイサが飛び出す。
身体能力、技量ともにグレイスには及ばない。
だが、純然たる武器性能一つに今この瞬間、ライブラの直感は全力で働いた。
それはグレイス学園長の技に比肩する――ただの切れ味だ。
グレイスという最大の敵を前にして。
ライブラはその瞬間、ただ銀色の光に目を奪われた。
「――よし、今ですね」
声が、聞こえた気がした。
意味は分からない。
ただ、確信に満ちた教師の声。
その言葉に理解を向けるより、さらに早く。
がくり、と。
大幅に『動体視力』の性能が落ちる。
「……ッ!?」
世界が変わる。
ゆっくりと見えていた動きが。
今、唐突に加速を始めた。
驚き、困惑。
硬直――の直前に身を捻るが、その身を僅かに刃が掠める。高強度の肉体を、まるで豆腐のように白銀の剣は浅く切り裂いた。
肩口から胸にかけて、浅い切り傷。
軽傷。けれど、明確な傷。
焼けるような痛みに顔を顰め、ライブラは咄嗟に足でアイサを蹴り飛ばす。
反応、は僅かに間に合うが。
防御に回した右腕はへし折られ、勢い殺せずそのまま遠方へと吹き飛ばされる。
――まずは、一人。
そう改めて呟くと同時に、ライブラの後頭部へと回し蹴りが炸裂する。
鋭い痛み。
防御を難なく貫通してくる、愚直な一閃。
弾けるような衝撃と共に、ライブラは視線をグレイスの――さらに後方へと向けた。
そして、大きく目を見開く。
「何を――ッ」
シルバーが自分の目を潰していた。
両の瞼は閉じ、血涙が絶え間なく流れている。
理解不能な行動に目を見開くが。
すぐさま思い出す。
今先程の弱体化を。
「もう見えませんが、そこら辺にいるものだとして謝罪しておきます。先程は嘘を言いました」
狂人は言う。
自分の目を容赦なく潰しておきながら。
痛みに顔を歪めるでもなく。
晴れやかな笑顔を敵へと向けて、
「私、こう見えて『目』もいいんですよ」
――想定外。
ライブラは気味の悪さに背筋を震わせた。
身体能力、魔力共に非常に弱く。
そのくせ『目』だけはこの場の誰より優れている。
しかも、ただ優れているという程度ではない。
間違っても弱者が持っていいような視界ではない。
この弱体化具合を見るに、余程のものだ、そう判断するべきだろう。
それを潰した。
無いものは天秤で模倣はできない。
潰された視力は、反映されない。
僅か数瞬の隙を作る。その為だけに。
自らの長所を、迷いなく切り捨てた。
その判断に。
その思考、その行動に。
ライブラは歯を食いしばり――がしりと、グレイスの足を掴み取る。
「ぬぉ!?」
――ぶおん、と。
風切り音と共に、グレイスの肉体が闘技場の床へと叩きつけられる。
あまりの衝撃に床は砕け、尋常ではないダメージにグレイスは大量の吐血を見せる。
「……失礼。今度こそ、これで二人目です」
「見えないので分かりませんが、同じことを二度言うつもりはありませんよ」
シルバーは言う。
ライブラは、思わず眉を寄せる。
足元へと視線を向けると……震えた手が、しっかりと自分の足へとしがみついている。
どう考えても瀕死。
そうとしか見えない重傷で。
なお、鬼の手に込められた力は力強く。
みしり、と。
足から聞こえた悲鳴と痛みに、咄嗟に足を振り払う。
グレイスの体は勢いよく吹き飛んでゆく。
だが、吹き飛ぶ途中で常闇のローブが彼女の体を優しく受け止め、床へと下ろす。
「……ったく、老体をこき使いおって」
「言ったでしょ。足止めはしっかりしてもらいます。……とはいえ、逃げるだけの気力は残しておいてくださいね。アイサ殿下も」
遠くから、瓦礫を押しのける音がする。
視線を向ければ、アイサ・クローズは折れた右腕を庇いながら、それでも剣を杖にして立ち上がっている。
「……殺す気で攻撃した私が言うのもなんですが、これ以上は本当に死にますよ。それでも続けますか?」
「……逆に問おう。勝利を目前に止まると思うか?」
王族の鋭い眼光が、真実を捉える。
眉を寄せるライブラへ、グレイスが続けた。
「天秤の魔法。……うむ、強力じゃな。じゃが、そろそろじゃろう? 人が多いとはいえ、避難が始まって既に数分が過ぎとる」
グレイス学園長すら圧倒する魔法。
無制限に、無秩序に。
敵味方お構い無しに、強制的に。
ありとあらゆる対象から性能を拝借する魔法。
そこまで強い魔法なのだ。
効果範囲までべらぼうに広いとは思えない。
「くく、聞こえるのぉ。気配が弱まっていく音じゃ」
静かに。
けれど、確かに。
ライブラの気配の質が、変化を始める。
それは僅かな、気配の揺らぎ。
けれど、決定的な弱化の始まり。
教師が描いた絵図通りに。
今、ライブラの魔法は終焉へと転がり出した。
その光景を前に。
沈黙を続けていた――。
正確には、そう命じられていたリオは、喉を鳴らす。
「……大丈夫なのか」
「目に関しては必要経費です。それと、君の出番はこれからですよ。今は、静かに牙を研ぎなさい」
血涙する教師に言われ、リオは前を向く。
もうすぐ、本番がやってくる。
魔法の効力は切れ。
頼りになる学園長も。
最強の矛を持つアイサも。
揃って逃げ去り、死地に立たされる。
――そこで自分が、ライブラを下すのだ。
その未来を目前に。
少年は、手に汗握り息を吐く。
リオ・カーティス。
魔法名は――【魔弾】。
誰もが認める、史上最弱の魔法である。
次回『リオ・カーティス』




